36 彼女 -bee #12-
年度が替わって数か月したころのお話
年度が変わって俺の周りもメンバーが多少入れ替わった。去る者と、新たにやって来る者がいるのは、企業という組織ではごく当たり前のことだ。
「なあ、隣の課に入った女の子、可愛くない?」
新採研修を終えた新入社員たちも各課に配属されて、まずは先輩たちから値踏みされるという洗礼を受ける。俺も、数年前には陰で値踏みされていたのだろう。
「興味ねえ」
浮かれ気分の同僚に正直に返答してパソコンに向かうと、なんだよ~と面白くなさそうに拗ねられた。
「自分はよりどりみどりだからって余裕こきやがって」
「…何の話?」
隣の課の新採の女の子が可愛いことと、それに俺が興味ないことから導き出される結果が俺の余裕って、どんな方程式だ?
「だから、今日の新歓コンパの話」
お前は大学生か?と思わずツッコミを入れ、それから「そんなこと一言も聞いてない」と教えてやった。ああ何だ、お前を呼ぶと自分たちがかすむからって誰も声かけなかったのか、と何だか失礼なことを同僚は呟いた。
「二十代の有志で新採くんたちを歓迎してやろうって企画だよ」
「俺パス。忙しいし」
んだよ~、ノリ悪いな、と同僚は言い、新採のピチピチの女の子がいっぱい来るのに?(もちろん男も来るけど)、有志で茉里絵ちゃんだって来るのに?と続けた。
「お前のそのオッサンくさい発言はどうかと思う」
今どきピチピチって。
「それに、富永なら、彼氏持ちだよ?」
同期で一番人気の富永は、幼馴染だったという彼氏と遠距離ながらラブラブだ(と聞いている)。
ええっ!と大げさに驚いた同僚は、ちょっと意気消沈したようだが、すぐに新しい出会いをね、と気を取り直したようだ。
「そう言うお前は?」
「ちなみに俺も彼女あり」
「うそ。マジで?」
「マジで。」
知らなかったー、そうか、そうなのか、うん、じゃあ、俺がちゃんと女の子にそう言っとくから大丈夫、と訳のわからんことを言って、同僚は飲み会に出かけて行った。
で、俺のその彼女は、というと、相変わらず忙しく仕事をしていて、今日も午後から外回りだと俺の前の席にはいない。
一人での残業にも飽きてきて、コーヒーでも飲もうかと自動販売機が置いてある休憩コーナーに向かった。その途中、相田さんを見つけて声を掛けようとして、ためらった。
一緒にいるその男は、だれ?
見覚えのない男だった。相田さんは大学生の頃からこの会社にいたから顔が広いし、同期の男友達も多い。でも、明らかに年上の、俺の知らない男と、親しげに話をしていた。
その横顔は、まるで可愛い女の子だ。
仕事中の凛とした顔ではなくて、男友達と軽口を叩き合う時の顔とも違って、それは、まるで、俺が腕の中に抱き込んで黙らせた時のような、女の子の顔。
「ゆっこも今や企画のエースだもんなぁ。成長したよな」
「やめてくださいよ、鳴瀬さん」
くしゃくしゃと頭を掻き混ぜる男に迷惑そうに顔をしかめて抵抗するけれど、心底嫌がっているわけではないのが見て取れる。
何なんだ? その男?
「ゆっこ」なんて親しげに名前を呼んで、どういう関係なんだ?
そのまま声をかけて、誰なんですかと無邪気なふりをして訊いてしまえば、簡単に謎は解けてすっきりするのかもしれない。相田さんならちゃんと紹介してくれるだろう。相手がどんな関係だったとしても。
だけど、どうしようもなく意気地なしの俺は、見なかったことにしてしまった。
冷静でいられる自信がなかった。あの男に敵意をむき出しにしてしまいそうだった。俺がそんな態度をとれば、相田さんは困った顔をするだろう。
コーヒーを買って、自分の机に戻ってボーッと飲んでいた。この程度のことで仕事が手につかなくなるなんて、俺もまだまだ子どもだなと思う。彼女をただ好きなだけでよかった頃は、彼女が俺の想いに応えてくれなくてもいいと思っていた。だけど、一度手に入れてしまうと、俺のものでなくなることが耐えられない。
彼女を失ったら、俺は壊れてしまうんじゃないかと不安が襲う。
「あ、桐島、やっぱり残ってた」
顔を上げると、部屋に入ってきた相田さんがまっすぐに俺に向かってくる。
「頑張りすぎちゃ駄目よ。体調崩したら元も子もないんだから」
そう言って、はい差し入れ、と俺に紙袋を差し出した。
「好きでしょ、ここの。桐島のことだから、まだ残業してるかなって思って」
俺の好きな店の弁当が入っていた。まだ温かい。外回りからの帰りに買ってきてくれたのだろう。
「…ありがとう、恭子」
俺が目の前にいなくても、彼女が俺のことを考えてくれる時間があるのだと思うと、顔がにやけた。
「会社では名前で呼ばないって」
「いいじゃん、誰もいないんだから」
まったく、と相田さんは眉根を寄せて見せるけど、嫌がっているわけじゃないことは見ればわかる。
「あ、恭子」
手招きをすれば、何?と顔を寄せた。
ちゅ、と唇を食むと、慌てたように体を離す。
「~~~っ信じらんない。会社では、そういうことしないって約束でしょ」
赤い顔で抗議する彼女は、この上なく可愛い。このまま抱きしめて、押し倒してしまいたいくらいだ。
だけど俺の魔手から逃れてしまった彼女は、さっさと自分の机に荷物を置くと、帰る、と宣言した。
「あ、恭子」
「なによ?」
さっきの男は誰?と聞こうと思ったけど、そう言えば俺が声をかけなかったことがバレるし、俺の行動と言葉に警戒しているらしい彼女が可愛かったので、考えを変えた。
「ちょっと待ってて。俺も帰る」
作業中のファイルを保存してパソコンの電源を落とす。
もう、しょうがないな、と言いながら、自分の席に座って俺を待っていてくれる彼女に、もう一回キスしてやろうかと思ったけど、そんなことをしたら、たぶん本気で置いて帰られるのでやめておいた。




