30 祭りのあと -citrus #7-
「もしかしてこれ、沢村先輩からのプレゼントですか?」
真理子ちゃんの問いに頷いた茉里絵先輩は、今までに見たことがないくらいに可愛かった。もともと可愛い人なのだ。その彼女が、会長の隣で微笑むことの何と可愛いことか。
正直、高校生の時は茉里絵先輩に憧れていた。
小さくて丸みのある顔に、大きな目に長い睫毛。体は華奢なのに豊かな胸。少し我儘で小悪魔的な魅力もあった。高校生の男子が憧れるには充分だった。
俺が知り合った頃には、常に誰かと付き合っていて、彼女と付き合うなんて無理だろうという気もしていた。けれど、何より難関だったのは、彼女の隣にはいつも会長がいたということだ。
会長に敵うはずもない。
沢村会長は、今では伝説の生徒会長とまで言われている人だ。
二年の10月に生徒会長に就任した会長は、最初のイベントである11月の球技大会を見事成功させた。しかも、今までにないくらいスムーズな管理進行だったと校長先生からお褒めの言葉を貰うくらい。
12月には新たにクリスマスイルミネーションを始め、校内をイルミネーションで飾り好評を得た。1月の百人一首大会は、マイナーイベントだったものを、学食の食券を景品につけて全校生徒を引き付けた。今まで2月に行っていた三年生の送別会は、毎年受験のために参加者が少なかったので廃止し、その代わりに3月初めの卒業式に30分だけ送別式の時間を設けてスライドショーなどを行い、卒業生にも保護者にも評判だった。授業時間に余裕のある年度末の3月には例年通り球技大会を行った。11月の大会と違って遊び感覚のものだ。4月の新入生の歓迎会も生徒会役員による寸劇などで好評を博した。6月の学園祭は体育祭に新制度を導入するなどして、大成功させた。7月の野球部の応援も、応援団の後援として生徒会が活躍した。9月には、最後の事業として「菊花祭」を新たに始めた。クラスごとに歌や演劇など舞台を行う芸術祭だ。これは今でも続くイベントとなった。
沢村会長は、生徒会イベントを新設したり改変したり、今までマイナーだった生徒会を一気に生徒の中心にした人だ。沢村会長の次に生徒会長になったのは俺だったけど、結局は沢村会長のやり方を踏襲するだけだった。
今でもきっと、会長には敵わない。今では恋人同士になった会長と茉里絵先輩は、誰が見てもお似合いで、やっぱり隣にいるのが当然のように思えた。
俺たちの輪から抜けて手を繋いで歩いていく彼らの背中を見送った。
「お似合いよね、あの二人」
今さら付き合い出したってのが面白いけど、と副会長をしていた安藤先輩が笑った。
「でも、会長には沙樹先輩の方がお似合いじゃありませんか?」
「そう? 沢村くんは、茉里絵ちゃんの前じゃなきゃ、あんな風に無防備にはならないと思うけど」
真理子ちゃんの意見に安藤先輩が言う。
確かに、茉里絵先輩の前での会長は、俺たちに見せるのとは違う無防備な顔をする。あれは、俺が高二の時の後夜祭のことだ。
後夜祭では、最初に模擬店・イベントの一般来場客からの人気投票を発表し、体育祭の応援パネルなどをくべたキャンプファイアーに点火する。それが終われば生徒会の仕事もほぼ終わりだ。
大仕事を終えて、会長は満足げにキャンプファイアーとその周りで踊ったりはしゃいだりしている人たちを眺めていた。
「潤平、俺、生徒会室にいるから、何かあったら呼んで」
そう言い残して会長はグラウンドを後にした。終了までは特に生徒会の仕事はない。学園祭は無事終わったとはいえ、会長にはまだ事後処理がいくつも残っていた。それらを片付けに行ったのだ。
暫くして、会長に飲物でも持っていこうとジュースを手に生徒会室へ向かった。
「沢村会長」
女の声に足を止めた。学園祭の実行委員をしていた三浦さんが生徒会室を覗いている。
「どうした、三浦?」
会長が応え、彼女は部屋へ入った。
「あの、会長。茉里絵先輩とは付き合ってないんですよね?」
もしや、この展開は…と思わず聞き耳を立てる。
「うん。付き合ってないけど?」
「あの、それじゃあ、あの…私と付き合ってもらえませんか? 会長が好きなんです」
思った通りの展開に、その場から動けなくなった。
「…ありがとう。気持ちは嬉しいよ。でも、ごめん、付き合えない」
「どうしてですか? 茉里絵先輩のせいですか?」
「どういう意味?」
会長の声は穏やかなままだったが、どこか彼女を責めるようだった。
「だって、茉里絵先輩、いつも会長につきまとってるじゃないですか。茉里絵先輩が会長を頼ってばかりいるから、だから会長、相原先輩と別れたって…」
「相原とのことは、茉里絵とは関係ない」
会長の鋭い声が三浦さんの言葉を遮る。
「あれは、俺と彼女との問題だ。茉里絵のせいじゃない。それに、俺が三浦と付き合えないのも、茉里絵のせいじゃない。単に好みじゃなかっただけだ」
いつも優しい会長が厳しい言葉を続ける。
「俺の前で二度と茉里絵を悪く言うな」
会長に気圧されるように三浦さんは沈黙した。
「…どうして、茉里絵先輩をそんなに庇うんですか?」
負け惜しみのようにも聞こえる涙交じりの声が廊下に響く。
「茉里絵は俺の彼女じゃない。だけど、大事な幼馴染だ。大切な人のことを悪く言われたら、気分が悪い」
「…すみませんでした」
消え入るように言って、三浦さんは生徒会室を出て行った。幸い、俺に気付かずに廊下の向こうの階段を駆け下りていく。手にジュースを持ったまま、俺は立ち尽くした。今、会長にどんな言葉を掛ければいいのかわからない。
不意に、肩に手を置かれて、飛び上がるほど驚いた。
「…茉里絵先輩」
そこには、神妙な顔をした茉里絵先輩がいた。今は制服を着ている。
さっき生徒会室で会った時にはメイド風のウェイトレス姿だった。クラスの模擬店から会長にアイスティーを出前して、ついでにアンケート集計を手伝っていたら会長が寝てしまい、仕方なく膝枕をしていたのだと、そこへ入っていってしまった俺と安藤先輩に弁明していた。
「あんなこと言って、彼女が自分を嫌いになってくれたらいいとか思ってるのよ」
会長は、人気がある。女の子に告白されることも結構あるみたいだ。だけど、茉里絵先輩曰く、会長は女の子を振ることに慣れているわけじゃない。
「こういう時は、私の出番かな」
茉里絵先輩は手を出して俺からジュースを受け取った。にこりと微笑んで生徒会室に入っていく。
「秀明、お疲れさま」
「ああ、茉里絵」
安堵したような会長の声が聞こえた。
「はい、鈴木くんからの差し入れ」
サンキュ、と会長がジュースを受け取る気配がする。会長に俺の所在を問われた茉里絵先輩は、俺は他の人に呼ばれて行ってしまったと、俺が自分でジュースを渡さない理由を作った。
缶ジュースのプルタブを開ける音がする。
「茉里絵、楽しかった?」
「うん、楽しかったよ」
「そうか」
会長が、どんな顔をしているのか、見なくてもわかる。切れ長の目はきつそうに見えるけど、目じりをふと緩めた表情は優しい。茉里絵先輩の前でよく見せる表情だ。
そこから先は、二人に会話はなくて、こっそりと覗いた生徒会室に二人の背中が見えた。開け放たれた窓から風が滑り込んで、窓辺に並ぶ二人の髪を揺らした。グラウンドの喧騒から離れた中庭に面した生徒会室は静かだ。
不意に、会長が茉里絵先輩の手に触れた。ごく自然に茉里絵先輩の手が握り返す。
ああ、やっぱり。
何となく、そんな風に思ったのを覚えている。
「先生、何たそがれてるんですか?」
後夜祭ではしゃぐ生徒たちを屋上から眺めていたら、生徒会長の羽野 旭がやってきた。
「んー、ちょっとな、高校生の頃を思い出して」
「ふうん」と興味無さそうに羽野は頷いた。
「先生、あの人のこと、好きだったんですか?」
「んん?」
意外な質問に首を傾げる。
「伝説の会長の彼女」
ああ、と頷いて考えた。好きと言えばそうだけど、恋愛のそれとは少し違う気もする。第一、そんな昔のことを生徒に話す必要があるのか。
「まあ、なんつーか、憧れの人だよ、二人とも」
そう。俺は沢村会長にも憧れている。あんな人になりたいと思っていた。
羽野は「ふうん」と返事をして俺の隣でグラウンドを見下ろした。夜の涼しい風が、彼女の髪を揺らし、俺の髪を掠めて去って行った。




