3 ジングルクリスマス -apple #2-
ジングルベルも、ホワイトクリスマスも、なくてもいい。
恋愛至上主義じゃないクリスマスがあっても、いいかもしれない。
久々にフリーの状態でクリスマスを迎えることになって、そのことを友達に愚痴をこぼしたら、私のためにクリスマス合コンを開いてくれると言う。
ま、私をダシに、みんな自分も出会いが欲しいだけだと思うのだけど。
でも、そこに集まる人たちは少なくとも「恋人のためのクリスマス」から外れた人たちで、そういう人と一緒に過ごせば恋人のいない寂しさも、世間からの哀れみの視線に耐えることもない。
二つ返事でその誘いに乗った。
合コン仲間でもあるマユコに指定された店に着いたのは、約束の時間より少し遅い時間だった。合コン必勝法に少し遅れて行くとかいうのがあった気がするけど、別にそれを狙ってのことではない。乗っていた電車が事故で遅れただけのことだった。
小洒落た飲み屋といった感じのその店は、クリスマスイブということもあって恋人同士らしい人たちもいたけれど、多くは仲間内で飲み会をしているような人たちだった。
「あ、茉里絵、こっちこっち」
マユコが手を振って合図をした。
「遅くなってごめんなさい」
電車が遅れて、時間には間に合わないことはマユコに連絡してあったけど、一応礼儀としてみんなに謝った。
いいよいいよ、と優しく言ってくれる男の子たちの中で、ただ一人、私の顔を見て露骨に目を逸らした奴がいた。
秀明だ。
沢村 秀明は、私の──知り合いだ。友達とは、少し違う気がする。腐れ縁とか幼馴染という表現が近い気もするけど、でも世間で言うそれとは違う。親戚のような関係というのが、一番近いかもしれない。母親同士が親友で、物心付く前から一緒に遊んでいて、でも高校に入るまで学校は違った。とても親しい存在で、でも何も繋がりはない、そんな関係だ。
無視されてムカついたので、こっちも知らん顔してやることに決めた。
「はじめまして。富永 茉里絵です」
にっこり微笑んで挨拶する。
その自己紹介に、男側の幹事が男の子を紹介してくれた。
「俺、幹事の今田。で、遠藤、田中、一番向こうが沢村」
知ってる。秀明を紹介されて、思わず心の中で言ってやった。でも、そっちがその気なら、こっちだって無視してやる!
私の決意を知ってか知らずか、秀明はひたすら私と視線を合わせないようにしていた。私は私で、他の男の子としか話をしていない。
「ねー、秀明くん、好きな食べ物は?」
「うーん、とりあえず肉かな」
何言ってんの、甘いものだって好きなくせに。外だとカッコつけて甘いものをあんまり食べないけど、家じゃケーキとか嬉しそうに食べるくせに。
小さい頃からお菓子で簡単に操れるくらい甘い物好きのくせに。何カッコつけてんのよ。ていうか、好きなもの肉じゃ、カッコもつかないっての。
ついついテーブルの向こう側の女の子と秀明の会話に聞き耳を立ててしまう。あんな奴関係ないのに。
第一、何で秀明がこんなとこにいるのよ。
恋愛を追い求める私を時々小馬鹿にしたように笑うくせに。何で自分が合コンとか来てんのよ。
「どんな女の子がタイプ?」
「自立した子がいいな」
女の子に話しかけられて、何調子に乗ってんのよ、秀明のくせに!
「茉里絵ちゃん、どうかした?」
イライラしていたら、隣の席の遠藤くんに訝しがられた。
「ううん、何でもないの」
にっこり笑って返す。そうよ、あんな奴ムシムシ。知ったこっちゃないわ。
笑顔で遠藤くんに向き直り、趣味とか好きなものとかありきたりなことを質問した。質問に答えながら、向こうもありきたりな質問をする。男の子受けする答えをしつつ、ちらりと見遣れば、奴は呆れたような顔をしていた。
その表情に「嘘つけ」と言われてる気がするけど、ま、嘘も方便。嘘は女の武器だと開き直った。
「沢村、要る?」
「ああ…」
隣の席の今田くんに差し出されたタバコを秀明が受け取った。今田くんがそれに火をつけようとする。
「禁煙したんじゃなかったの!?」
しまった、と思った時には既に遅かった。私の手には、秀明から奪い取ったタバコがある。禁煙を宣言してから1ヶ月我慢してきたのに、それを破ろうとしたのを見て、つい、手と口を出してしまった。
みんなの視線が私と秀明に集まる。
「…バカ、お前…俺がせっかく、知らないふりしてやったのに…」
がっくりとうなだれた秀明が小さい声で言った。
「え? なに? 二人、知り合い?」
今田くんが私たちを交互に見比べる。
「…なんていうか…幼馴染?」
秀明は、いつも私たちの関係を訊かれると、そう答える。幼馴染?と語尾を上げて、まるで私の確認を取るみたいにこちらをちらりと見る。ほかに言い表す言葉のない私たちの関係は曖昧で、疑問系でしか表せない。だから私もいつも黙って頷く。
「何だよー、それならそうと早く言えよ」
「言ったら、仲を取り持てとか言われそうだったから」
遠藤くんの声に秀明が答える。
「嫌なのか?」
「嫌だね」
みんなの視線が秀明に集まった。
「お前が不幸になるのが判ってて、そんな奴、勧められない」
「失礼ね!」
思わず、秀明の額を叩いた。
「な、凶暴女だろ? 本性はこんななんだって」
叩かれた額を手で押さえながら、秀明は私を指差した。その視線を先で、遠藤くんが驚いたように私を見ている。
もう、最低!
あんたのお陰で引かれたじゃない。
秀明を睨んでやると、奴は澄ました顔で私の手からタバコを取り、もとの持ち主である今田くんに返した。
「俺、帰るわ」
秀明が立ち上がった。
「ええー、帰っちゃうの?」
秀明の隣の席にいた子が不満そうに声をあげる。
「うん、ごめんね」
上着を持って秀明が歩き出した。
「待って、私も帰る」
自分のコートを持って秀明を追いかけた。
店を出て、前を歩く秀明の背中に質問をぶつけた。
「人が合コン行くって言うと呆れた顔するのに、何で自分もいたわけ?」
「会社の友達に無理やり誘われたんだよ。最近、忙しくて参ってたら、息抜きも必要だろうって」
秀明が少し振り向いて歩調を緩めた。
「それよりお前、よかったのか?」
私と並んだ秀明が少し視線を寄越した。
「うん。あそこにいたの、みんな秀明の友達なんでしょ?」
「ああ」
「じゃ、合コンしてもね。秀明の友達とは付き合わないって約束でしょ」
私の言葉に、秀明が首を傾げた。
「そんな約束したか?」
「だって秀明、前に言ったじゃない」
高校生の時だ。秀明の友達が私と付き合いたいと言った時。付き合うのはいいけど、もし別れたりしたら友達でいるのは無理だと秀明がその友達に言った。
「茉里絵を不幸にする奴とは友達になれない。でも、俺の友達を不幸にする女も嫌いだ」
だから、友達ではいられなくなると。その覚悟がないなら軽い気持ちで付き合うなと。
その時、秀明の友達とは付き合わないと決めたのだ。
「そんなこと言ったか?」
「言った!」
眉間にしわを寄せて秀明は考え込んでいたけど、別に秀明が覚えていなくたっていいのだ。私が覚えていて、そう決めたのだから。
カップルが我が物顔で歩く街にはジングルベルやホワイトクリスマスが流れ、クリスマスイブの夜を明るく演出していた。
「ケーキ食べたい」
立ち止まって、秀明の腕を掴んだ。
「ね、ケーキ買って帰ろう」
返答を待たずに秀明を引っ張って近くのケーキ屋へ向かった。
もう夜だというのにショーケースにはいろんなケーキが並べられていた。私たちのように予約もせずに買いに来る客も多いのだろう。ケーキ屋は今日が稼ぎ時だ。
「イチゴもいいけど、チョコもいいな。あ、マロンも捨てがたいなー」
様々なケーキに目移りしている私に、秀明が言う。
「やっぱりイチゴだろ」
イチゴショートは秀明の好きなケーキだ。
「じゃ、イチゴショート。ホールで」
「ホール? 全部食うのかよ?」
「半分秀明食べてよね」
呆れた顔をする秀明を無視して、イチゴショート、ホールでね、ともう一度注文する。かしこまりました、と店員がケーキを準備に向かった。もう一人の店員が金額を告げる。財布を出した秀明が、私を見やって呆れ顔のまま言う。
「お前、最初から俺に出させる気だっただろ」
「いいじゃない、どうせ秀明の方が食べるんだから」
昔からそうだ。秀明は何でもペロリと平らげて、ダイエット中の時は少し秀明に分けてあげたりもしていた。
私たちのやりとりを見ていた店員が「仲がよろしいですね」と笑った。思わず秀明と顔を見合わせる。私たちは、人にはどういう風に見えているのだろう。恋人同士だと勘違いされているのかと思うと、何だか面白くもあった。
秀明を連れて家に帰り、早速ケーキを食べることにした。
私の好きな紅茶を秀明が淹れてくれた。昔からマメな男で、美味しい紅茶を淹れてくれる。私が淹れるより秀明が淹れた方が美味しいくらいだ。
私がホールのケーキをそのままフォークですくって食べたいと言うと、秀明はそれに乗った。ホールのケーキを切らずに丸ごと食べるなんて、ケーキ好きには憧れの食べ方だ。
「いただきまーす」
ケーキを口に含み、至福の時を味わう。
「おいしー」
このサンタさん、食べていい? このチョコやるから、そのイチゴくれ、なんていう会話をしながらケーキに舌鼓を打ち、両側からケーキは削がれていった。
ホールとはいえ、そんなに大きくはないケーキは、結局二人のおなかに納まってしまった。たぶん、秀明の方がたくさん食べていると思う。
満足して、紅茶を啜っていると、不意に下の方から寝息が聞こえた。ケーキを食べ終えて満腹だと言った秀明が床に寝転がったのだけど、その後すぐに寝入ってしまったようだった。
そういえば、仕事が忙しいと言っていた。年末のこの時期は、どこの会社も忙しいんだろう。
立ち上がって、ベッドから毛布を取ってくる。その毛布を秀明に掛けた。毛布に包まって眠る秀明は、子どもの頃と全然変わらない寝顔をしていた。
もう一度紅茶を飲んで、秀明の寝顔を眺めた。
恋愛とかそういうのに関係なく、昔から、ずっと変わらずに私の近くにいてくれる秀明が、今日、傍にいてくれることを嬉しく思った。
街の喧騒から離れたこの部屋に、ジングルベルもホワイトクリスマスも流れていないけれど、こんな静かなクリスマスイブも、たまにはいい。