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24 まほろば -apple #11-

 謝られても、許すつもりなんてなかった。だって、こんなことになったのはあの人のせいだ。

「ごめん、茉里絵ちゃん」

 軽い気持ちで言った冗談だった、怒らせるつもりなどなかった、と彼は頭を下げた。

「…私がセクハラで訴えたら、完全に負けますよ」

「本当にごめん!」

 手を合わせて再び頭を下げる相手に、仕方ないと溜め息をついた。

「もういいです。もう思い出したくないし」

 この間の非礼を必死に謝る西村さんに、少々寛大な対応をした。

「あの、でも、付き合おうって言ったのは本気だったんだけど」

 …この人は、何て図々しい人なのだろうと相手を見遣った。彼に振られた腹いせに私を引っ叩いたあの子は、こんな男のどこが良かったんだろうと思った。

「私、好きな人がいるんです」

 ごめんなさい、と謝ってその場を去った。一人になって、自分の言葉を反芻する。

 今までだって、好きじゃない人から告白された時には断る理由に使ってきた言葉だった。それが本当の時も嘘の時もあったけど、今回は…本当だと、思う。

「…『好きな人』…か」

 その言葉の指す人を思い出して、何だか恥ずかしくなった。



 あかりちゃんには、逃げないできちんと向き合うように、ちゃんと話し合うようにと言われたけれど、顔を見たら逃げずにはいられない。

 会社の前で私を待っていた秀明を見つけた瞬間、回れ右して逃げ出した。

「茉里絵!」

 すぐに秀明が追ってきた。俊足の秀明に敵うはずもなく、あっさり捕らえられた。

「逃げるなよ」

 手首を掴んだまま私を見下ろす秀明の顔を見られなかった。どんな顔を向ければいいのか、今でもわからない。


 少し話がしたいから、と秀明に言われて、秀明の家についていった。もう逃げられないなんてことは知っていたし、逃げ続けることに意味がないこともわかっていた。

 いつものようにソファに座った。でも、いつものように近くには座れなくて、秀明から離れて隅のほうに浅く腰掛けた。

 秀明が紅茶を出してくれたけど、二人とも口を付けないままでいた。今までなら気にならなかった沈黙が、怖い。でもそれを埋める言葉も見つけられない。

「…この間のこと」

 やっと沈黙を破った秀明の声が、背後から聞こえる。

「嫌だったなら、謝る」

 秀明の顔を見ないようにしている私には、秀明の表情はわからなかった。けれど、首を左右に振って謝らなくていいと伝える。嫌だったわけじゃない。

「俺は、後悔してない」

 その言葉に、心のどこかで安心しながら、どこかで怯えていた。

「私はしてる」

 秀明の顔を見ないまま告げた。

「…私、ただでさえ秀明に寄りかかってたのに、こんな風になって、余計秀明に依存しそうで、怖い」

 秀明は、いつでも私の拠り所だった。その秀明と、これ以上近付いたら、溺れそうで怖い。

「…秀明がいないと生きていけなくなりそうで、怖い。このままじゃ、秀明がいないと息も出来なくなる」

「いい、それで」

 秀明の気配が近付いた。

「それでいい」

 背後から腕を回されて、抱き締められる。

「そうなるように、俺が仕向けた」

 耳元に寄せられる声に、振り向いた。目が合って、唇にキスを落とされる。

 秀明は、どうして平気な顔をしてキスなんて出来るんだろう。私は、初めて秀明とキスした時も、この間も、今だって、ずっと緊張している。

 目も眩むような幸福に溺れないように、必死に耐えている。


 これは、まるで禁断の果実。口にしたら、今までの平穏を失って、二度と戻れない。


 初めて秀明とキスした時、それ以上秀明と触れ合うのは危険だと本能が察知した。私にとって秀明は当たり前の存在で、そうでなくなったら困ると思った。

 だから、いつも当たり前であるように、高校も大学も、当たり前の顔をして同じ学校へ進んだ。それなら、私に彼がいても秀明に彼女がいても、当たり前に傍にいられる。

 いつまでも秀明に頼ってばかりはいられないと自立しようとしたけど駄目で、離れようとしたけど無理で、結局……こんなに近くにいる。


 唇が離れて、秀明の手が頬に触れた。髪を梳いて頬を撫でる。視線を上げると、優しく微笑む秀明の顔が見えた。秀明はいつも私に優しいけれど、それとは違う表情にドキリとする。それと同時に、私の知らない顔だと怯えた。

 私の知らないその顔を、今までの彼女には見せてきたのかと、この手は彼女たちにも触れたのかと、そんな思いが頭をもたげた。

 駄目だ、こんなの、ただの独占欲だ。今までだって散々独占してきて、これ以上独り占めしたいなんて、何て浅ましい。

 自分の身勝手さが恥ずかしくなって、そんな汚いことを考えていたのがばれないように秀明の胸に抱きついて目を閉じた。

 いつも私を受け止めてくれていた腕は、今日も私を優しく包み込んでくれた。



 本当は、ずっと前から知っていた。

 この腕の中が、一番心地好い場所だと。


 でも、それを手に入れることを恐れた。


 失うことを恐れたから。


 彼氏と上手くいかなくても、私には秀明がいてくれると思えば平気だった。でも、もし秀明が私の彼になってしまったら。秀明と上手くいかなくなったら? もう、帰る場所がない。

 もう、この腕が、この胸が、二度と手に入らない。


 秀明を失ったら、どうやって笑えばいいのか、どうやって泣けばいいのか、どうやって生きればいいのか、わからなくなってしまう。


 だから恐れた。


 秀明の、一番近くに行くことを。



 でも、もう知ってしまった。


 一番近くに秀明がいる幸せを。眩暈がするほどの幸福を。


 もう失えないと、知ってしまった。



 顔を上げたら、いつも泣いた私を慰める時みたいな少し困ったように微笑む秀明がいて、自然と想いがこぼれた。

「ひであき…すき…」

 秀明は私の頬を撫でて、口を塞いだ。

 優しく触れていた唇が深く重ねられる。秀明はどこか性急で、ちがう、こんなんじゃない、と思わず肩を押し返した。

「…いや」

 拒否の言葉を口にする私を、少々不服そうに秀明は見下ろした。

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