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19 ピエロ -citrus #4-

 近年の禁煙ブームは、愛煙家にとっては厳しい状況だ。会社もほとんどのフロアが禁煙で、唯一喫煙が許されているのは、休憩所の一角に設けられた喫煙室だけだ。完全に囲われたその部屋は狭くて、換気扇が常時回っていて冬などは寒い。漂う煙で中が白くなっているのが見えるような全面ガラス張りでないだけマシか。防犯の関係上、入り口のドアには大きな窓がついていて、中が見えるようにはなっているが。

 プロジェクトチームの仕事部屋は禁煙だし、何より相田は大の嫌煙家だから相田の近くでは吸えない。必然的に喫煙室でしか吸えないわけだ。と、喫煙室で会った後輩の市川に嘆いた。

 コンコンとドアがノックされ、窓から同じプロジェクトチームの茉里絵ちゃんが中を覗き込んでいた。

「市川くん、暇でしょ。荷物運ぶの手伝って」

「俺、いま忙しいんだけど」

 タバコをふかして市川が答えると、彼女はドアの向こうでにっこり笑った。

「タバコ吸う余裕がある人のことを、忙しいとは世間では言わないわ」

 その笑顔と厳しい言葉に屈するように、市川はタバコを灰皿に押し付けた。

「西村さんも。手伝ってくださいよ」

 そのまま彼女は段ボール箱を抱えて歩き出す。俺も慌ててタバコの火を消し、市川とともに喫煙室を出て荷物運びを手伝いに行った。

 段ボールを抱えて俺の前を歩く茉里絵ちゃんのフワフワ揺れる髪を眺めならが、意外なところで似ているんだなと思った。

 以前に、相田に同じようなことを言われたことがある。


「タバコ吸ってる暇があるなら手伝って」

 新規採用者研修で、5日間の宿泊研修があった時だ。グループごとに企画を立ててプレゼンするという研修があった。俺と相田は同じグループになり、プレゼンの準備をしている時、タバコを吸って休憩していた俺に相田はそう言った。

 嫌な女だと、その時は思った。クラスに一人はいる優等生学級委員タイプの女。俺とは合わないタイプだと。何でもテキパキとこなす相田は、グループを仕切っていた。

 その相田の意外な一面を見たのは、消灯後の廊下だった。研修中は会社の研修センターに宿泊していた。自販機まで水を買いに行ったら、暗い廊下にぼんやりと灯りが見えた。携帯の灯りのようだ。何かを探すように左右を確かめながら下を見て歩いている女がいた。

「どうしたんだよ?」

 声をかけるとビクリとして相田が振り向いた。

「あ、ああ…西村くん」

 ネックレスを捜していると相田は言った。相田と同室の女の子が彼氏から貰ったネックレスをどこかに落としたという。落とした本人はもう一人の同室の子と捜しているらしい。

「一緒に捜してやろうか?」

「ほんと? ありがとう」

 意外に素直に可愛い笑顔を見せられた。

「実はちょっと怖かったんだよね。消灯後ってかなり暗くなっちゃうし」

「じゃあ、他の二人と一緒にいれば良かっただろ」

「だって、二手に分かれた方が効率いいでしょ?」

 相田らしいと思った。効率よくしたい。そのためには自分が怖いのは我慢する。器用に見えて、実は不器用なのかなと思い、好感が持てた。

 ネックレスは自販機の近くで見つかり、ありがとうと微笑んだ相田は、落とし主に電話をしながら、長い髪を揺らして嬉しそうに部屋へ戻っていった。

 それから、話をするようになり、仲良くなった。研修後は違う課に配属されたが、相田の活躍は耳に入った。研修の時の仕事っぷりといい、相田には一目置いていた。


 お人形さんみたい、と先輩の女子に可愛がられる茉里絵ちゃんは、言うなればフランス人形だ。対して相田は黒く長い真っ直ぐな髪の日本人形みたいだ。タイプはまったく違う。なのに、同じプロジェクトチームになってみれば、意外にも二人は気が合っているようだった。

 もう一人のチームメンバー、桐島は、女に人気のいわゆるイケメンだ。でも、どういうわけか相田に気があるらしい。相田もまんざらではないようだ。俺がそんなことを知ってしまったのは、二人の思いがけないシーンを目撃してしまったからだ。

 タバコ嫌いの相田がいない時には、こっそり会議室のベランダでタバコを吸う時があった。一昔前の不良少年が教師に隠れてタバコを吸うみたいに、ベランダにしゃがんで火をつけようとした。

すると、会議室のドアを開け、相田が入ってきた。マズイと思ってタバコを隠す。しかし相田からは俺は死角になっていて見えないらしい。でも吸ったらバレるので、そのまま息を潜めた。相田に続いて桐島が入ってきた。

「取引先の人にデートに誘われたって本当ですか?」

 「誰に聞いたの?」「富永に」という会話を挟んで続けられる。

「デートっていうか、食事に誘われただけよ」

「それをデートって言うんです」

 二人は小声で話しているようだが、ベランダの俺にはよく聞こえた。

「行くんですか?」

「富永さんて、そういう情報どこから仕入れてくるのかな。いつも彼女には情報筒抜けみたいな感じするよね」

 相田は桐島の質問をはぐらかす。

「行くんですか?」

 二度目の質問に相田は「しつこいと嫌われるよ」と釘を刺す。それでも桐島はもう一度訊いた。

「どうでもいいでしょ、桐島には関係ない」

 困惑した表情で相田は答えた。

「どうでもよくないし、関係なくないです。憶えてます? 俺、好きだって言いましたよね?」

 桐島に腕を掴まれて、相田の表情が更に困惑する。

「…ごめん」

 その手を振りほどかない相田は、まるで、可愛い女の子だ。

「食事は、断った。でも、そんなのプライベートなことだし、人に話されたら嫌だろうから…」

 だから答えることを渋ったのだ。他の人には話さないでね、と相田が念を押し、桐島は頷いた。


 俺にとって、相田は恋愛とは関係のない女だった。つまり、男っ気がないというか。まあ、俺の知らないところで彼氏とかはいたんだろうけど、そういう浮いた噂のある女ではなかった。いつでもバリバリ仕事をしているイメージで、桐島の前での変貌ぶりに驚いた。もっとも、本人にそんな自覚はないんだろうけど。


 恋愛って、あんな風に頬を赤らめたり、必死になったり、そういうものなんだろうな。そういう恋愛から遠のいて久しい俺には懐かしい感情だった。

「相田ってさ、桐島と付き合ってんの?」

「さあ? まだ付き合ってないんじゃないですか」

 パソコンのキーボードを叩きながら茉里絵ちゃんは答えた。企画部は会議中で、仕事部屋には広報部の二人だけだ。

「西村さんて、相田さんが好きだったんですね」

「は?」

 思いも寄らないことを言われた。確かに、一目は置いていたけど、それを『好き』と表現するものだろうか。

「誰のものでもないと思っていたのに、誰かに取られると思ったら、惜しくなりました?」

 パソコンの液晶から茉里絵ちゃんが顔を上げた。大きな目がこちらに向けられている。


 ああ、彼女には、敵わない。


 彼女は柔らかく微笑みながら核心を衝く。それは、直感的で、理論武装では敵わない。


 俺の信条を簡単に覆す女だ。


 俺は、理論で説明のつく事柄を好む。だから女ともドライで大人な付き合いが一番だと思う。面倒臭い恋愛はしたくない。面倒な女も嫌いだ。だって、恋愛で一喜一憂して、仕事にまで影響が出るなんて、アホらしいだろ?

 だけど、好きだと言われて嫌いじゃないから来るもの拒まず付き合って、惰性で続けて、飽きたら別れて、なんていうのは、たぶん間違ってるんだろうな。

「別れようか」

 そう言ってみたら、女は鳩に豆鉄砲なんて言葉を思い出させるほどの顔をして見せた。

「何、言ってるの?」

 突然のことに女は驚いたようだ。まあ、確かに、喧嘩もしていないし、トラブルもない。この彼女になってから今のところ、まだ浮気も二股もしていない。だけど、それだけ。この女を手放したくないと思うほど魅力を感じているわけでもない。

 今までもずっとそう。相手から別れを切り出されれば、ちょっとは惜しいことをしたと思うけど、でも、引き止めることもしない。男と女なんて、そんなものだと思っていたから。

「俺も、久々に真面目に恋愛したくなって」

 女は、解らない、という顔をした。

「好きな子、出来たんだよね」

 女の顔が険しくなる。

「……私、浮気には目をつぶるって言ったでしょ」

 確かに、付き合って欲しいと言われた時、浮気するかもよと念を押したらそれでもいいと彼女は答えた。

「…二股までなら、許すし」

「浮気も二股もする気はない」

 本気で欲しいと思ったから。

「彼女一本に絞る」

 女はショックを隠しきれない顔で泣き出した。好きだって言われて、嫌いじゃないから付き合って、好きじゃないから別れるなんて、最低男だな。付き合う時、俺は好きではないことを伝えていた。でも、だから許されるというわけではないことは解っている。

「ごめん」

 謝ったら、思い切り頬を叩かれた。



「では、よろしくお願いします」

 にこりと微笑んで、彼女は頭を下げた。この笑顔はスゴイ。あんなに渋っていた先方に条件を呑ませるなんて。俺の理詰めの説明には難色を示していた相手が、彼女が笑顔でお願いしたら、「そう言うんじゃあ、仕方ないなあ」とあっさり。

「魔性の微笑みだな」

 そう茉里絵ちゃんに言ったら、そんなこと初めて言われました、と笑った。本当に人形みたいに可愛いんだな。でも、ただの可愛い子じゃないことを、もう俺は知ってる。

「今、彼氏いないんだっけ?」

 彼女は頷き、こちらを見上げた。

「それじゃあ、男が放っておかないでしょ」

「いえ、そうでもないです。でも、今は放っておいてくれた方がいいですけど」

 付きまとわれて迷惑とか? 好きな男でもいるとか? そう勘繰ったが、予想外の理由を告げられた。

「私、恋愛はお休み中なので」

「何で?」

「しばらく、そういうのはナシで生活したいと思って。仕事頑張りたいし」

「あ、そう…」

 俺って何てタイミング悪っ。

 こっちが恋愛する気になってるっていうのに、相手にはまったくソノ気なし。これじゃあ、この気持ちは空回りするばかりだ。

 ああ、俺ってアホ。臆病者が意を決してみたものの、それは見当違いで、とんだ道化者だな。

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