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17 電光石火 -apple #8-

 数日前に上司がもたらしたのは、朗報だったが、ある意味では悩みの種でもあった。

「どうしたんですか、沢村さん?」

 後輩の佐久間さんに訊かれて、自分が深い溜め息をついたのだと気が付いた。

「ああ、ごめんね」

 笑顔で取り繕って、なに?と用件を尋ねる。

「これ、確認をお願いします」

 書類を受け取って「わかった」と答えたのに、佐久間さんはまだ自分の席に戻らない。首を傾げて見上げると、言いにくそうに口を動かした。

「あの…噂は本当ですか?」

「噂って?」

 予想はついたが、あえて素知らぬふりをした。問われた彼女は予想していた通りのことを口にした。

「誰に聞いたの?」

 噂の真偽については答えずに、その出所を確認した。

「津田さんから…」

 彼女は俺の同期の名前を出した。そう、と答えて笑顔で誤魔化した。俺に答える気がないと悟ったらしい佐久間さんはチラリと視線を向けつつ自分の席に戻った。


 昼休みになると同時に噂の出所を捕まえた。

「津田」

 指だけで手招きして歩き出す。俺の笑顔に込められた意味がわかったらしく、津田は素直についてきた。人のいない屋上に連れ出して問い詰める。

「何人に話した?」

「何を?」

 しらを切るつもりなのか、奴は首を傾げた。無言で圧力を掛けると、困ったように頭を掻いて白状した。

「俺が話したのは、伊東ちゃんだけだよ。それを野田ちゃんとみどりちゃんが偶然聞いちゃって」

 津田は女の子を苗字に「ちゃん」付けで呼ぶ。佐久間さんが名前なのはゴロの問題らしい。

 本当かと怪しむ視線を向けると、「ほんとホント!」と主張した。

「あの話、まだ本決まりじゃないんだ。そういうこと、人に話すなよ。伊東にも」

 伊東は高校、大学の同級生で、会社でも同期で仲はいい方だし、口が堅い奴だから心配ないとは思うが。

「悪かったよ」

 津田は一応謝ったが、でもさ、と続けた。

「向こうがお前がいいって言ってきたんだろ? そんなの、もう決まったも同然じゃねえ?」

「小田部長がそう言ったのか?」

 確認すると津田は頷いた。津田の情報源の予想はついていたので驚かなかった。津田の伯父さんである小田部長が、酒の席で津田に漏らしたらしい。小田部長は、酒を飲むと口が軽くなるという悪癖があった。

 伯父さんの口ぶりじゃ、もう決まってるのかと思ってた、と津田は言った。

「…受けるかどうか、まだ決めてない」

「何で?」

 驚いた顔で津田が訊いた。

「こんないい話、そうそうないぜ。しかも相手はお前を指名してきてる。チャンスだろ」

「いい話だとは、思う」

 でも、だからこそ、選ぶことも断ることも慎重になる。

「ふーん、お前でも迷うことがあるんだな」

 珍しいものでも見たような津田の表情に、こいつは俺を何だと思っていたのかと呆れた。

「ああ、それってさ、迷う理由があるんだ?」

 本能で生きているせいか、意外に勘のいい津田が尋ねた。

「…ああ」

 その理由を追及されるかと思ったが、理由については訊かれなかった。

「じゃあ、天秤に掛けてみたら? どっちが大事か?」

 天秤に掛けて、傾いた方を取ればいい、と津田は簡単に言う。できるなら、俺だってそうしている。

「それって、『私と仕事、どっちが大事?』ってやつに似てる」

 女がよく言う、究極の選択ってやつだ。

「どちらも違うところで大事なんだから、全然違う次元のものを、同じ天秤で量るなんてできない」

「それは浮気男の言い分と似てるな。恋人を想うのとは別のところで家族も大事、って」

「浮気男と一緒にするな」

 憤慨して見せると「ごめんごめん」と謝って津田は笑った。

「まあ、難しく考えるなよ。頭が良すぎるってのも考え物だな。お前は理屈っぽく考えすぎ。もっと感じたままでいいんじゃねえの? 電光石火で閃くみたいにさ」

 本能のままに生きている(らしい)津田は、何でも好きなことを優先する。それは刹那的ではあったけど、羨ましい面でもあった。…まあ、仕事を好き嫌いで判断するのはどうかと思うけど。



 その日は津田が飲みに行こうと言うので、仕事のあと津田と繁華街に出た。どの店に入ろうかと相談していた時、ふと、視界に入ったものに目が吸い寄せられた。

「茉里絵」

 飲食店に入ろうとしているのを見かけて声を掛けた。一緒にいる女性は、確か、相田さんと言っていた。軽く手を挙げて挨拶すると、向こうも手を振って応えた。そして、そのまま店に消えていった。

「誰? すげーかわいい」

 津田が興味津々の呈で尋ねる。

「…幼馴染」

 へえ、ちょーかわいい、と女を褒める語彙の少ない津田が感想を述べた。

「仲いいんだ?」

「悪くはない──けど、」

 津田が視線を向けた。

「最近避けられてるっぽい」

 秋祭りの日以来、連絡を取っていない。まあ、特に用がなかったから当たり前なのかもしれないが、今までなら何度かは茉里絵から連絡がくるはずだ。

 お互いに恋人がいる時期には連絡することは少なくなるが、お互いフリーなら(暇だから)連絡を取ることが増えた。そういう今までの傾向とは違う。「自立する」と宣言してから明らかに茉里絵からの連絡の回数は減った。もともと俺からはそんなに頻繁に連絡する方じゃなかったから、当然といえば当然なのかもしれない。

 けれど、もしかしたら、さっきだって俺が声を掛けなければ、そのまま通り過ぎたかもしれない。幼馴染なんて、疎遠になれば、すれ違っても挨拶もしなくなるようになるのだろうか。

「何か避けられるようなことした?」

「いや、憶えはないけど」

 正確に言うと、ないわけではない。でも、それを津田に白状する必要もない。こんな焼きはま男に余計なことを話せば、明日にはみんなに知れ渡っている。この手の奴は、「俺の口は貝の口」と言いながら、焼きはまぐりみたいにパックリ口を開けるのだ。「秘密だよ」と前置きして話した内緒話が翌日には学校中に知れ渡っている、なんて、よくあることだ。

「ああ、もしかして、迷う原因はあの子?」

 背中に津田の質問が掛けられたが、無視を決め込んで歩き続けた。

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