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16 Be there -apple #7-

 女とのツーショットを見るなんて、もう慣れたことだ。

 学生時代、秀明に彼女がいる時は一緒にいるのをよく見ていたし、社会人になってからも彼女とデートしているのを見かけたことがある。

 だから、秀明がどこの誰といようと私には関係のないことだ。あれが彼女でも、彼女候補でも、誰でも。だけど、何も私と約束のある日に会わなくてもいいんじゃない?と思ったのも事実だ。


「そこにいて」

 電話越しに秀明が言って、ガラスの向こうで席を立った。テーブルの向かいには若い女の子が座っている。

 切った電話をバッグにしまっていると、カフェを出てきた秀明が「悪い」と声を掛けてきた。「こちらこそ、デートの邪魔してごめんなさいね」と言おうかと思ったけど、余計なことを言うのはやめて、「ううん、今来たところだから」と答えた。

「いいの?」

 残された彼女を見やって訊く。

「ああ、会社の後輩に偶然会っただけだから」

 秀明は彼女に手を振って別れを告げた。私も一応会釈をする。向こうもそれに応えて会釈を返した。

 歩き出した秀明を追いかけて私も彼女に背を向けた。

「何買ってこいって?」

「メモ渡された」

 母に渡されたメモを秀明に見せる。

 今日は実家の近くの神社の秋祭りだ。毎年うちの家族と秀明の家族が集まって宴会をするのが恒例になっていた。年が経つにつれ、参加人数は増え、今年はうちの両親と秀明の両親、私の兄夫婦とえみる、既に嫁いでいる秀明の二人のお姉さん夫婦とその子ども。そして私と秀明と、総勢16名になった。

 宴会の日は、私と秀明が買出し係と決まっている。いつの頃からか勝手にそういうことになっていた。だから今年も秀明と約束をして待ち合わせた。私は先に済ませたい買い物があったので、大体の時間と場所を決めて、着いたら互いに連絡を取ることにしていた。

 そして秀明が若い女といるのを目撃した。明らかに秀明寄りの女の子の視線が見えて、電話をすべきか迷ったくらいだ。とはいえ、私だって秀明がいないと困る。あんな大量の荷物、私一人では持ちきれない。仕方がないから電話すると、カフェの中から私を発見した秀明が急いで出てきた。



 頼まれた買い物を終えて実家に着くと、えみるの熱烈な歓迎が待っていた。もちろん歓迎する相手は、私ではない。

「秀明ー!」

 玄関に荷物を置いた秀明にえみるが飛びついた。それを受け止めて、秀明が頭を撫でる。

「ひでくん、あそぼー!」

 既に家に来ていたらしい秀明のお姉さんたちの子ども3人が秀明の周りに集まってきた。上のお姉さんの5歳と3歳の息子と、下のお姉さんの2歳の女の子だ。

 キッチンに荷物を運んだ秀明は、子どもたちに連れられて座敷へと向かった。


 宴会が始まると、それはそれは賑やかだった。お酒が入った私の父と秀明のお父さんは昔話を始め、母も秀明のお母さんもそれに加わり、秀明のお義兄さんたちや私の兄が付き合う。子どもたちはお祭りに興奮してはしゃぎまわり、母親たちはそれをたしなめる。

「秀明ー」

 えみるが秀明とテーブルの間に入り込んで膝に座った。隣の席の兄が羨ましそうにそれを見遣る。

「えみるは嫁にやらないからな!」

 えみるが秀明のお嫁さんになりたいと言っているのを認めていない兄は、そう言って秀明のグラスにビールを注いだ。苦笑して秀明はビールを飲む。

「まったく、何でうちの女どもはこんなのが好きなんだか」

 まじまじと秀明を見て兄が呟く。

「お前の夢も秀明の嫁さんだったよな?」

 突然兄が私に話を振った。

「い、いつの話よ? 小さい頃の話でしょ!」

 私は席を立って空いた食器を下げ、キッチンに逃げた。何を言い出すのだ、兄は。

 そろそろ食事がひと段落してきていたので、キッチンに行ったついでにデザートを運んできた。お盆を持って座敷の戸を開けようとした時、兄が秀明に言った。

「なあ、秀明、お前、茉里絵もらってくれない?」

 あの通り、あいつはワガママで自分勝手だし、今彼氏いないみたいだし、このままじゃ貰い手ないと思うんだよね。と、兄が失礼なことを言う。

「…いいの?」

「おお、もらってくれ」

 秀明の確認に兄が頷く。何を勝手なことを、と怒ってやろうと戸を開けた。

「ダメ! 秀明はえみるのなの!」

 秀明の首にかじりついたえみるが、その目の前にあった唇にキスをした。

「えみるのファーストキスは秀明のものね」

 固まっている秀明をよそに、えみるが照れたように誇らしげに言った。周りも突然のことに茫然としていた。

「くぉるら、秀明ぃ!」

 我に返った兄が秀明の胸倉を掴んだ。

「不可抗力だって!」

 俺のせいじゃない、と秀明が必死で兄を説得する。それを見たみんなが笑い出した。

「まりえー、おれもチューしたい」

「おれもー。まりえー、ちゅー」

 秀明の上のお姉さんの息子たちが寄ってきた。このマセガキんちょどもが。

「しないわよ」

 デザートをテーブルに置いてその場から逃げた。



 騒がしい宴会の席から逃げて、二階の自分の部屋のベランダの窓を開けて座った。少し冷たい秋の夜風が火照った頬に心地好かった。

 部屋のドアがノックされ、秀明が入って来た。

「風邪引くぞ」

 秀明は自分のジャケットを私の肩に掛けて隣に座った。秀明が寒いでしょ、と言うと、自分は酒で体が温まっているから平気だと言った。

「ちょっと避難。航ちゃんが絡んでくるんだよ」

 航ちゃんというのは私の兄だ。航平こうへいという名を略して秀明は「航ちゃん」と呼んでいた。

「えみるとキスしたからでしょ」

「だから、あれは不可抗力だって」

 思わずその唇に視線を固定した。かつて私も口づけた、その唇。前に兄に、私とえみるは似ていると言われたことがあったけど、本当に似てきちゃったな、と苦笑が漏れた。



 中学3年生の夏。それが私のファーストキス。相手は、秀明だった。

 その頃、学校では恋だの付き合うだの、キスだのということが話題で、お年頃の中学生たちは経験したとかしないとか、そういうことで盛り上がっていた。今時の中学生はどうだか知らないけど、当時はキスだけでも大事件だったのだ。

 そんな話を夏休みに宿題を教えてもらいにいったついでに秀明にした。例に漏れず、秀明の学校でもそういう話題は出ていたらしい。

「この夏休みの間にキスを済ましてやる、とか意気込んでる奴もいたよ」

 参考書を机から持ってきてテーブルに広げた秀明が言った。

「秀明は? したことある?」

「ない」

 即答が返ってきた。「お前は?」と訊かれ、「付き合ったこともないのに、あるわけないでしょ」と答えた。

「…してみる? 私と」

 返ってきたのは、沈黙と驚いた表情だった。何度か瞬きをして、秀明は私の顔をじっと見た。

「…本気? 後でやっぱり嫌だったとか泣かない?」

 うん、と頷くと秀明が様子を窺うように私を見つめた。

 秀明の顔が近付いて、そして、どちらからともなく口づけた。


 ファーストキスはレモン味だとかイチゴの味がするとか聞いていたけど、そんな味はしなかった。ただ、秀明の匂いや体温がすごく近くて、緊張した。

 秀明相手に緊張する息苦しさや、母親たちに隠れてそんなことをした罪悪感から、それからその話題に触れることはなかった。秀明も何も言わなかった。



「…茉里絵」

 秀明の唇が動いて、我に返った。

「お前、俺の嫁さんになりたかったんだよな?」

「なっ、なに…?」

 何を急に言い出すんだ、この男は。そんなの、小さい頃のことなのに。

「いや、航ちゃんがそんなこと言ってたから、俺、何て答えてたのかと思って」

 小さかったから俺の記憶もあいまいで、と秀明は首を傾げた。

「断る理由がないよなぁ」

 秀明がこちらを向いて、切れ長の目を向けた。目に力がある、と前に誰かが言っていた。そんなこと前は思わなかったけど、視線を逸らせない今、そうなのかもしれないと思った。

「おーい、お祭り行くぞー!」

 階下から兄の声がした。早く!と急かすえみるやちびっ子たちの声がする。秀明が立ち上がり、私も続いて立ち上がった。秀明にジャケットを返し、自分の上着を持って部屋を出た。



 お祭りは盛況のようで、結構な人出だった。ちびっ子たちははぐれないように親と手を繋ぎ、えみるは秀明の手をしっかりと握っていた。私と並んで歩く兄は、秀明とえみるの後ろ姿を見て不満そうだった。

「ほんと、秀明には、おいしいとこ持ってかれてばっかりだ。茉里絵だって俺より秀明が好きだろ?」

 いつもひーくん、ひーくんって秀明の話ばっかりしてたもんなぁ、と兄は遠い目をした。

 兄は、小さい頃、私が兄よりも秀明を好きだと言ったのを根に持っている。十も年が離れた兄とは、今でこそ仲がいいが、幼い頃は遊んでもらった記憶はあまりない。秀明のお姉さんも上のお姉さんとは6つ、下のお姉さんとは4つ年が違う。そうなると、必然的に同じ年の秀明と遊ぶことが多くなり、いつも一緒にいる秀明に兄よりも懐くのは当然と言えば当然だった。

「パパ、早く」

 秀明の手を離したえみるが兄のところにやってきて手を取った。上機嫌になった兄は「よし、チョコバナナ買ってやる」とえみると夜店に行った。

 ちびっ子たちは夜店に夢中で、秀明と二人で先にお参りを済ますことにした。参道は多くの人でごった返し、はぐれてしまいそうだったので前を歩く秀明のジャケットの袖を思わず掴んだ。

 振り向いた秀明と目が合って手を離す。引っ込めかけた手を秀明が掴んだ。

「はぐれんなよ」

 そのまま手を繋いで秀明は歩き出した。温かい秀明の体温が手を通して伝わってくる。行き交う体温が、あの時の緊張に似ていると思った。






「おおきくなったら、ひーくんのおよめさんになりたい」

「うん、いつもいっしょにいようね」

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