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11 in need,in need -apple #6-

 秀明は、私のことを突発的だとかよく言うけれど、それって絶対遺伝だと思う。だって、私とよく似た遺伝子を持つ兄も、突然思いもよらないことを言い出すからだ。

 急に電話を掛けてきた兄は、まるで「それ取って」と言うくらいの軽い感じでこう言ったのだ。

「来週、えみる連れて水族館行ってきて。秀明と一緒に」

「はあ?」

 訊けば、来週は兄の子であるえみるの七歳の誕生日で、兄は水族館に連れて行くと約束していたらしい。ところが、急な仕事で行けなくなってしまい、それを聞いたえみるが駄々をこねたのだ。

「パパが行かないなら、秀明と一緒に行く」と。

 えみるは本当に小さい頃から秀明が大好きで、秀明のお嫁さんになるんだと言い張っている。年に何度かしか会わないくせに、いつでも秀明の婚約者気取りなのだ。

「そういうわけだから、秀明とえみる連れて行ってきてよ」

「それって秀明にはもう頼んであるの?」

「茉里絵、頼んどいて」

 それが当たり前だといわんばかりに兄は言った。

「それくらい自分で頼んでよ。何で私が頼まなきゃいけないのよ」

 自分の頼みごとを私にさせるなんて、何て図々しい。我が兄ながら本当に自分勝手だ。

「お前の頼みなら断らないだろ。昔から秀明がお前の頼み断ったことなんかないんだから」

 兄の認識は微妙に間違っているし、だからといってそれが私が秀明に頼まなきゃいけない理由にはなっていない。兄の頼みごとなんだから兄が自分ですればいいことだ。

 こっちは、秀明に頼らないと宣言した手前、頼みごとなんてしづらいのだ。

「御招待チケットだから金は掛からないからさ」

 会社で無料御招待チケットを貰ったらしい。ペア御招待チケットもつけるからよろしく、と一方的に兄は電話を切ってしまい、押し付けられた頼みごとを飲まざるをえなくなった。

 何度もためらって、でも仕方なく秀明に電話をした。やはりいつもと変わらない口調で秀明が電話に出た。

「来週の土曜、空いてる? えみるが水族館に行きたいんだって」

 兄からの頼まれたことを伝えると秀明は了承した。

「それ、お前も行く?」

「えみる一人でなんて行かせられないから行くけど、どうして?」

「いや、俺一人に押し付ける気じゃないだろうなと思って」

「そうした方がえみるは喜ぶだろうけどね」

「勘弁してください」

 えみるは秀明に会うといつも秀明にべったりで、私のことを邪険にするのだ。とはいえ、自分の姪っ子を秀明に押し付けるのはさすがに気が引けるので、私が一緒にいることになるのだけど。

「婚約者なのに、何言ってるのよ」

 からかうと、電話の向こうで秀明が困るのがわかった。

「いや、それは…」

 えみるが秀明の婚約者だと言い張るのには理由がある。えみるが5歳の時だ。私と秀明の家族が集まって宴会していた時、えみるが「秀明のお嫁さんになる!」と宣言したのだ。小さな子の言うことだからと誰も本気にせず、言われた当の秀明も困ったように微笑むだけだった。

 けれど、えみるは本気で、今でも本気のままだ。



 兄から届けられたチケットは、大人、小人それぞれ二人まで無料御招待のファミリー向けチケットとペア御招待チケットだった。ペア御招待の方は好きに使っていいと言われたけれど、使用期限があるし、そんなに頻繁に水族館に行くつもりもなかったから、相田さんにあげた。桐島くんが相田さんをデートに誘ったのを偶然知って、デートコースに悩んでるみたいだったから、あえて相田さんに渡した。そうすればきっと相田さんは、もらったから、と桐島くんを誘うはずだ。

 兄がえみるを実家に預けていくと言うので、金曜の夜に私も実家に帰った。土曜の朝、秀明が迎えに来てくれることになっている。えみるは金曜の夜から大はしゃぎだった。「俺と出掛けるより楽しそうじゃねえか」と兄が拗ねるくらいだ。

 朝も張り切って準備をしていた。

「茉里絵ちゃん、かみやって、かみ」

 長い髪の毛をつまんでえみるが寄ってきた。普段は私を目の仇にするくせに、こういう時だけ甘えてくるのだ。

「はいはい」

 大方の準備を終えていた私はえみるを鏡の前に座らせ、その髪に櫛を通した。長くてさらさらの髪が流れる。ツインテールにするというので、髪を耳の上で左右に結わいた。

「ねえ、今日の服には、どっちがいいかな?」

 飾りのついたゴムを見せ、えみるが訊いた。ゴムを自分の髪に合わせ、鏡とにらめっこをしている。こういうところは、何だか可愛い。それにしても女って、小さい時から女なんだな、なんて考えていたら、答えない私に痺れを切らしてえみるが「どっちがいい?」ともう一度訊いた。洋服の色に合わせた方を指差すと、えみるは納得したようで、そちらをつけることにした。

 髪を縛り終えたところで、玄関のチャイムが鳴った。母親が返事をしてドアを開ける。

「おはようございます」

 その声に、えみるはパッと走り出した。階段を走って降りると危ないからと、えみるを慌てて追いかけた。

「秀明!」

 えみるは玄関に立つ秀明に駆け寄った。

「おはよう、えみる」

 ギュウと抱きつくえみるを受け止めて、秀明は笑った。そして抱きついたままのえみるの頭を撫でて、「久し振りね、秀明くん」と言う母に「ご無沙汰してます。お元気ですか?」などと挨拶をしている。

「おはよう」

 私に気付いた秀明が微笑んだ。

「…おはよ」

 あまりに自然なその態度に、逆にどうしていいかわからない。秀明に頼るのをやめると言ったくせに、舌の根も乾かないうちにえみるのことで頼みごとをするなんて、自分ではどうだろうと思っていたのに、秀明は気にもしていないようだった。



 水族館では、秀明がえみるの手を引いていた。お陰でえみるは上機嫌だった。何がムカつくって、私がはぐれないようにと手を差し出すと、それを無視してえみるが秀明の手を取ったことだ。宙に浮いたこの気遣い、どうしてくれるのよ?

 手持ち無沙汰なまま館内を回っていると、マンボウの水槽の前に見覚えのある姿があった。相田さんと桐島くんだ。自分の思惑通りになったことに思わずニンマリして声をかけた。すると、微妙な関係の二人に、「こいびとどうしは手をつなぐものよ」なんてマセたことをえみるが言い出して慌てた。その上、自分が秀明の恋人気取りなことを言うものだから、秀明の苦笑につられるように二人も苦笑いをした。


 相田さんたちと別れたあと館内のレストランで昼食を取り、午後はイルカショーを見ることにした。

 相変わらずえみるは秀明と手を繋いでいる。えみるにとっては、たぶん、それが恋人の証だとでも言わんばかりに誇らしいのだろう。えみるの小さな手にしっかりと握られた秀明の手を見て、ふと、あれは私のものだったのに、と思った。

 小さい頃、秀明と歩く時は必ず手を繋いでいた。はぐれないようにという意味もあったけど、親愛の証のようでもあった。温かな秀明の掌はいつでも私の手を包み込み、その手は私のものだと信じて疑わなかった。

 手を繋がなくなったのは、いつの頃だろう?

「茉里絵」

 不意に、秀明に手を掴まれた。驚く私をよそに、秀明は視線を落とした。

「危ない」

 秀明の目線が示したのは私の足もとだった。段差があり、あと一歩でそれを踏み外すところだった。「どんくせーなー」と笑う秀明の手は、無条件に私に差し出されていて、やはり今でもピンチの時にはこの手が救ってくれるのだと安心した。

 昔と変わらぬ温かな手を、思わず握り返した。

「だめ!」

 えみるが私を睨んだ。

「茉里絵ちゃんは秀明と手をつないじゃだめ!」

 子どものくせに、女みたいな目つきでえみるが私を見ていた。生意気だったので少しからかってやろうと思った。

「別にいいじゃない、手を繋ぐくらい」

 わざと秀明と手を繋いでみせた。

「いや! 茉里絵ちゃんは、ズルイ」

 思いがけないことを言われて「何でよ?」と訊くと、えみるは今にも泣き出しそうな顔で抗議した。

「茉里絵ちゃんばっかりズルイ。いつも秀明といっしょにいて。ずるいよ…」

 私がいつも秀明と一緒にいるというのは正確ではないけれど、確かにえみるに会う時は私たちが一緒にいることが多かった。

「えみる」

 秀明から手を離して近付こうとした。

「茉里絵ちゃんなんて、キライ!」

 えみるはそう言い放って走り出した。えみるが私にぶつかり、バッグが落ちた。

「えみる、走ると危ないから」

 慌てて秀明がえみるの後を追った。私も急いで落ちたバッグと中身を拾い、二人を追いかけた。

 見つけた時、えみるは女の人にぶつかって尻もちをつき、秀明に助け起こされていた。それから秀明に抱き上げられる。秀明は二人の女の人と何か話していた。

「えみる、大丈夫?」

 近付いてえみるを見上げるとバツが悪そうに「へいき」と答えた。ぶつかった人に謝り、えみるにイルカショーを見るか確認すると頷いた。

 えみるが彼女に向ける目は、私に向けられるものと同じだった。えみるが助けを求めるように見るので、秀明にイルカショーの会場へ向かうことを促した。

「今度勝手にどっか行ったたら、パパに言いつけるわよ」

「パパはえみるに甘いからゆるしてくれるもん」

 えみるに釘をさすと、可愛くない答えが返ってきた。ほんと、どういう育て方してんの、お兄ちゃんたら。

「お前ら、仲直りしろよ」

 子ども相手にムキになる私に呆れたように秀明が言った。

 仲直りも何もない。えみるが勝手にへそを曲げただけのことだ。まあ、私も少しは大人気なかったかもしれないけど。

「ところで秀明、さっきの人、知り合い?」

 えみるの目に促されるように訊いた。ぶつかった人に謝るにしては親しげな雰囲気だった。

「ああ、会社の後輩」

「知り合いによく会う日ね」

 相田さんたちは私がチケットをあげたのだから、会うかもしれないと予想はしていた。でも、私と秀明の知り合いにそれぞれ会うなんて、そうあることじゃない。

そうだな、と答える秀明の腕の中で、その首にかじりついたえみるが目だけでありがとうと言った。



 機嫌の直ったえみるはイルカショーを大ハシャギで見ていた。それで疲れたのか、帰りの車では寝てしまった。兄の家に送り届けられたえみるは寝ぼけたままで素直に秀明と別れた。いつもなら、離れたくないと大騒ぎだ。

 その足で秀明は私を家まで送ってくれた。

「秀明」

「うん?」

助手席から運転席の秀明を見ると、前を向いたまま続きを促された。

「今日、ありがとう」

「ああ」

「あと、ごめんね。頼らないって言ったのに、結局また頼っちゃって」

 秀明が小さく笑った。

「そんなこと気にしてんの? いつものことだろ」

 いつものことだから気にしているというのに、秀明は気に留めていないようだった。頼るのが当たり前と決め付けられて沈黙する私に、秀明がちらりと視線を向けた。

「今さらそんなこと気にするなよ。もう慣れてる」

 秀明は、どうしてこうも簡単に私を甘やかすのだろう。頑張りたい時にはそっと背中を押して、甘えたい時には何も言わずに手を差し延べて。



 ──A friend in need is a friend indeed.

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