1 Maybe Cry Baby -apple #1-
おまえって、ほんと、ばっかじゃねえの。
そう言うと、やつはジロリと俺を睨んだ。そのまま無言で紅茶を啜る。
穏やかな光差す午後のカフェ。テーブルの上にはケーキセット。どうせなら彼女と来たいところだ。
栗色のふわふわクリクリの髪に小さくて丸みを帯びた顔。目はパッチリと大きくて睫毛も長い。化粧のマジックかもしれないが、昔っからこいつの目はデカかった。
黙ってりゃあ、カワイイんだよな。
体もちっこくて華奢なのに、胸はデカくてグラマラス。完璧、男好きするタイプなんだよな。
なのに、こいつはフラれてばっかだ。
付き合うとこまでは簡単にいくのに、長続きしない。いつも男にフラれて、その度に何故か俺を捕まえて愚痴るのだ。
知るかよ。と突き放せば、潤んだ黒目がちの瞳に凝視されて、結局放っておけなくなる。それで毎度毎度、男の俺が、男の不満を聞かされ続けるのだ。
「おまえってさぁ、男見る目ないよな」
元彼より俺の方がいいのに、とかいう意味ではなく、言葉のまんまの意味だ。どうでもいい男を引っ掛けては(引っかかるのではなく、引っ掛ける)、そのどうでもいい男にフラれるのだ。
「恋愛に向いてないよな、おまえ」
「会社の友達には、すごい恋愛体質って言われたけど」
へえ、一応会社に友達はいるんだ。男好きする女の宿命というか、こいつは女から嫌われるタイプだ。まあ、こいつの場合ほとんどの責任は自分にあるんだけど。それでも何人かは心優しい子が友達になってくれていたから、会社でもいい子を見つけたんだろう。
恋愛体質という、その友達の見解は、まあ間違いではない。確かに、こいつは恋多き女だ。ほとんど男を切らしたことがない。男と別れてもすぐに次の恋を見つけられる。男がいないとダメな女なのだ。
「おまえのそれは異常だね。なんていうか、あれ、恋愛依存症っての」
紅茶のカップを支える奴の左手を見遣る。
探偵モノなんかで使われる話を思い出した。探偵が女に「あなた、ご結婚してらっしゃいますね?」と訊く。それとわかるようなものもなく、結婚指輪もはめていない女は、何故、と訊く。すると、探偵は「あなたの薬指ですよ」と女の左手の薬指を示す。「白く残った指輪の痕。それは、長い間指輪をはめていたということです」女の薬指には、そこだけ日に焼けていない白い部分が細く残っている。それは長いことはめていた指輪を外したということなのだ。
こいつの手には、それとよく似た現象が起きている。左手薬指に薄っすら残った白い痕。ただし、こいつの場合は、その指輪はいつも同じものじゃない。贈り主はその時によって替わる。だけど、切れ目なく男から贈られる指輪がいつもそこにあったのだ。
今は、男にフラれたばかりで指輪は外されている。
「ひっどーい、ひーくん」
目の前のモンブランの栗にフォークを突き刺して、奴は不満そうに頬を膨らませた。
「ひーくん言うな」
持ち出された昔のあだ名を間髪入れず否定して、差し出された栗に口を開ける。素直に落とされた栗が、口の中に甘く転がる。
はたから見れば、微笑ましいカップルだろう。モンブランのメインとも言える栗をくれる彼女を優しいと思うだろう。でも真相は、嫌いな給食を隣の席の奴に食わせるのと何ら変わりはない。
こいつは、モンブランは好きなのに、栗の渋皮煮は嫌いなのだ。(甘露煮はいいらしい。)自分の嫌いな栗の渋皮煮を、俺に寄越しただけなのだ。
「私を慰める気はないわけ?」
「ない。」
即答してやる。当然だ。
せっかくの休みに突然電話があって、半ば無理やり映画に連れてこられた。そして泣かせる気満々なのが見え見えの呆れるほど美しい映画を見せられた。隣の席でボロボロと泣いていたこいつは、今はケロリとケーキセットに舌鼓を打っている。
「秀明は、昔からそうだったよね」
不満そうな声をあげつつ、やつはケーキを口に運んだ。
「当たり前だ」
男にフラれる度に呼び出されて元彼の愚痴を聞かされて、でも一人の時は泣いたんだろうと容易に想像できるこっちの身にもなってみろ。
「茉里絵、クリームついてる」
子どもみたいに口の端にクリームをつけた頬を拭ってやる。たった三ヶ月生まれが早いというだけで兄貴ぶっていた子どもの頃からの癖で、つい甘やかしてしまう。
母親同士が親友で、嫁ぎ先も近かったために、俺たちは小さい頃からよく一緒に遊ばされていた。たまにしか会わない従姉妹たちなんかより、ずっと仲がいい。
中学までは違う学校だったが、高校は同じ学校に入った。合わせたわけではなく、学力が同じレベルだっただけだ。同じクラスになったせいもあって、俺は子どもの頃からの癖でつい茉里絵の世話を焼いてしまい、同じ学校出身でも親戚でもないのに、当たり前のように親しい俺たちの関係に皆首をひねったものだ。
それが、どういうわけか社会人になった今でも続いている。
昔ほど頻繁に会うことはなく、お互い恋人がいる時は連絡を控えたりもしているが、茉里絵は自分が失恋した時はお構いなしに電話してくる。面倒臭いとか何とか言いながら、結局俺は放っておけなくて、こうしてのこのこ茉里絵の愚痴に付き合いに来ているわけだ。
指先についたクリームをぺろりと舐めて、コーヒーに手を伸ばした。当たり前のように茉里絵が一杯半砂糖を入れて、丁度良く俺好みの甘さになっている。
「私が落ち込んでるのに、全然優しくしようと思ってないよね」
「俺は充分優しいだろうが」
いちいち愚痴に付き合ってやっている俺を優しいと言わずして何というのだ。第一、下心ゼロのお付き合いなのだから、この慈善事業を表彰されてもいいくらいだ。
「彼ができるまで、秀明に付き合ってあげようかと思ってたけど、やっぱやーめた」
人に彼女がいないのをいいことに、酷い言いようだ。おまえが彼女の代わりをしてくれるっていうのか。こっちからお断りだ。
「やっぱり、優しい人じゃなくちゃね」
俺は優しいという台詞をまったく無視して茉里絵は言った。人の話聞いてんのかな、こいつ。
「同期に桐島くんていう子がいるんだけどね。すごく優しいの」
「あ、そう」
それ以上のコメントはなし。興味ねえ。
「見た目もカッコよくて、仕事もできて、将来有望なんだって」
「ふうん」
だから興味ねえって。
「今度はその子を狙おうかな」
…あー、そう。そんなこったろうと思ったよ。
こいつってほんと、恋多き女っていうか、切り替え早いっていうか。
「好きにすれば」
俺にいちいち報告すんなっての。
「でも、ちょっと今回はハードル高いんだよね」
いつも顔だけならレベルの高い男を落としてきた茉里絵がちょっとためらっているようだった。
「そんなにイイ男なの?」
「んー、ていうか、彼、好きな人がいるみたいなの」
ほかを向いている男を自分に振り向かせるのは大変だということは理解しているらしい。
「一つ先輩なんだけど、ちょっとカッコイイんだよね、その女」
珍しく女を褒めるから、つい気になって「どんな人?」と訊いてしまった。
「バリバリ仕事して、シャキシャキしてて、サバサバした感じの人」
もうちょっと擬態語を使わずに説明できないのか。このアンポンタンめ。
「お前と正反対じゃん」
そういうタイプの女は、男からは女扱いされないこともあるが、そのぶん同性からは好かれる。男にモテて同性に嫌われる茉里絵とは、真逆に位置するタイプだ。
「無理だな。諦めろ」
そういうタイプの女を好きになる男は、茉里絵タイプの女を好まない。
「そんなの、わかんないじゃん」
人には好みってものがある。その好みを覆すくらいの何かが、こいつにあるとは思えない。
「不毛だよ」
無駄な時間と労力を費やすだけだ。ほんと学習しねーな、こいつ。どうせフラれて泣くんだよ。厄介ごとはごめんだ。
「もー、秀明になんか話した私がバカだった」
俺の忠告に耳を傾ける気がないらしい茉里絵は、モンブランにフォークを突き刺して再び食べ始めた。
「勝手にしろ」
俺も諦めて、冷めかかったコーヒーに口をつけた。
ほかの誰かを真剣に好きな男を、カッコイイからというだけの理由で欲しがるなんて、そんな不純な想い、実らなければいい。
その桐島とやらがマトモな男なら、さっさとこいつを振ってくれ。
そうしたら、こいつはまた一人で泣くんだろうか。
そして何でもない顔をして、俺をまた呼び出すんだろうか。