7.校舎(2)
「どうして俺まで!?」
「まあ、いいじゃん。埋め合わせに何かおごるよ。マリオのピザなんでどうだ? お前、好きだろ?」
にっと笑って桐谷の肩に腕を回すと、怖い顔で睨まれた。
「男とメシ食って何が楽しい!?」
「楽しくないか? 俺は楽しいよ?」
嘘をついているわけじゃない。
予定していたデートがだめになりそうで、いつになく取り乱した悪友の顔を見るのは、結構、楽しい。
でも、俺がエキサイトしている本当の原因は、バーコードに託された数枚のプリントだ。
「これを水原に渡してくれ」
その一言で我を失った俺は、もう少しで「須藤の差し金か!?」と叫び出す所だった。
「ついでに休んでいる間のノートもコピーして渡してやれ」
俺たちが指導室に呼ばれたのは、どうやら小言を聞かせるためではなかったようだ。
全国模試でベスト10に食い込む水原は別格として、理系では俺が、文系では桐谷が、クラスの中ではそこそこだし、ダサい上に暗くて無口な水原には、仲の良い女子なんて1人もいない。
加えて言えば、俺は不本意ながらクラス委員だ。
担任が俺たち二人を派遣することを思いついても不思議じゃない。
「で、水原の家ってどこなんだ?」
何気なく訊ねた途端、「ええっ!」と大げさに驚かれてた
「どこって、知らないのか? あんなに水原のことを気にかけてたくせに」
指摘されて初めて気がついた。
俺は水原のことを何も知らない。
「そういう匠は知ってんのかよ」
苦し紛れに言い返すと、丸めたプリントで頭をはたかれた。
「俺はお前のそういう所が嫌いなんだよ。興味を持っているようで、本当は全然そうじゃない。中途半端に関心を持たれた相手が気の毒だ」
興味も関心も全くないくせに、桐谷は水原のことをちゃんと知っていた。
「俺たちの教室の窓から赤い屋根の建物が見えるだろ?」
「児童福祉施設のこと?」
何か言いたげな相手の顔を見て、俺はようやく事態を悟った。
水原沙耶は孤児だった。
私立の進学校に通学できるのは学費が免除されているせいで、成績を落すことは許されない。
ださい格好はそのせいではないはずだが、他の女子みたいに服や化粧に何万円もの金をつぎ込むことは不可能だ。
「直哉はお坊ちゃんだからなあ」
言葉の出ない俺を見て、桐谷は困ったように微笑んだ。
「お前の父ちゃん、ものすごいエリートじゃん。いくつも会社を経営していて、世界中を飛び回っていて、こないだなんて、経済誌にでかでかと写真が載ってたぞ」
俺だって、あいつの顔なんて、経済誌ぐらいでしか見たことがない。
浮かんだ言葉を飲み込んで、桐谷のプリントを取り上げた。
「デートだろ? いいよ、俺、1人で行くから」
「いや、でもさ……」
「1人で行きたいんだ」
桐谷はくっきりした二重の目を見開いて、不思議そうに俺を見た。
何を考えているのか、さっぱりわからないという顔だった。
俺だって、自分が何を考えているのかわからない。
考えることを放棄して、俺は印刷室から飛び出した。