第31話「岡村翔平は受け入れたい」①
その日の夜、岡村翔平は夢を見た。まだ彼が高校生だったころ。水無碧と出会い、別れるまでの夢を……。
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ガヤガヤした放課後の廊下。一人の少年が前を歩く少年に声をかける。
「翔平、帰ろうぜ」
「帰ろうか」
長身を持つ学ランの男子の誘いを翔平は受ける。彼の友人、町田大樹だ。今と違って髪色は黒く、女子に人気のある爽やかイケメンも、大人になる手前である高校生の子供らしさが残っていた。
「帰りにゲーセンでも寄っていこうぜ!」
「えっと……。ごめん、大樹! 今日は用事があって付き合えないんだ!」
「ん? 何か用事あったのか?」
大樹の質問に、翔平は答えにくそうに顔を逸らす。頬をポリポリかいて、照れを紛らわすその動作から、大樹は翔平の言わんとしていることを理解した。
「はは~ん、なるほどな。可愛いカノジョに用事ってわけか」
「うるさいよ! 確かにその通りだけれど!」
廊下を歩きながらニヤニヤしてからかう大樹。翔平は顔を赤く染めて、大樹を制止しようとする。
「へーへー。しょうがないな。愛しいカノジョとの約束を反故にはできないもんな」
翔平は大樹の冷やかしに困りながらも、内心は嬉しかった。人からカノジョがいることを冷やかされるのは、ちょっと困ると同時に、嬉しさもある。自分にカノジョがいると、再認識できるから。そして、自分の好きな女の子に放課後に会う。翔平はこの後彼女に会えると思うと、胸の高鳴りを抑えることができなかった。
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「ショウヘイ先輩!」
待ち合わせの公園前で、ぱっと笑顔になって手を振る一人の少女。中学校の制服に身を包み、明るく元気に自分を迎える恋人の姿を見られることが、翔平には嬉しくてたまらなかった。
「お待たせ、碧!」
水無碧。翔平や大樹の一つ歳下で中学三年生。いつも元気で人なつっこい性格の、見ているだけでこちらまで元気になってくるような女の子だ。
そして、岡村翔平の恋人でもある。
彼らが出会ったのはつい一ヶ月前のことだ。この公園で泣いていた彼女を見つけた翔平が放っておけず、話を聞いてあげたのがきっかけだ。話を聞くと、彼女は当時付き合っていたカレシと大喧嘩をしたそうで、嫌気がさしたんだそうだ。それを翔平は黙って話を聞き、慰めた。
それがきっかけで、碧は翔平に惹かれた。見ず知らずの自分にここまで親身になってくれる先輩の姿に惹かれ、好きになった。そして、出会って三週間後、我慢できずに想いを伝えた。
当時翔平は、元カレのことはいいのか気になってはいたのだが、彼女自身、嫌気がさしていると言っていたことと、とても可愛い後輩からの、人生初めての告白ということで盛り上がっており、二つ返事でオーケーした。
そういうわけで岡村翔平は、付き合い始めて二週間というこの時を人生の絶頂期にいるような気分を味わっており、今日も今日とて、愛しのカノジョに会うことを楽しみにしていた。
「先輩と会えて嬉しいです~! 早速、どこか遊びに行きましょー!」
「碧、本来の目的忘れてない? 今日は俺が勉強を見てあげるんでしょ?」
「いいじゃないですか~! せっかく先輩と一緒にいるんですから、遊ばないと損ですよ~!」
「もうちょっと受験生としての自覚を持ちなよ」
まるで子犬のように翔平になついてくる碧。翔平は、ちょっと先輩っぽいことを言いながらも、自分になついてくれる碧が可愛く思えて、まんざらでもない様子だ。
「せーんぱい!」
可愛くて明るく元気で、人懐っこい自慢のカノジョ。学校は違えども、碧と翔平はこうして時間を見つけては勉強をしたり、デートしたり、幸せな時間を過ごしていた。
*
だが、別れは突然訪れた。
「……え?」
碧の言葉の意味を理解できず、聞き返す翔平。碧は、申し訳なさそうにもう一度翔平に別れを告げた。
「ワタシ、先輩と別れます……」
「何で? 何でいきなりそんなことを……?」
訳が分からなかった。突然だった。碧との交際は順調に進んでいた。別れる兆候などなかったため、翔平も別れる原因について、思い当たる節がなかった。
「ワタシ、先輩と付き合う前に付き合っている人がいたんです……」
「そ、それは知ってるよ。けど、その人とはもう……」
「はい、先輩と付き合う前にきっぱりと別れました……。けどワタシ、未だにその元カレのことが忘れられないんです……」
「忘れられない……?」
碧が元カレに別れを告げたとき、元カレは意外にもあっさりと別れを認めた。それだけでなく、あとぐされが残らないように気を遣って、随分と爽やかな別れ方をしたそうだ。元カレのできた人間らしさ、人を気遣う大人な対応、男らしさ。それが、碧の心に大きく響いた。
翔平と付き合ってからしばらくは良かった。恋人の良いところはよりはっきり見え、自分が幸せだと感じる。しかし、付き合いが進んでいくと恋人の悪いところが目立つ。碧は、「元カレならこうなのに」と翔平を比較することが多々あったという。そして、最近はより元カレのことを考えることも多くなった。元カレとの思い出は美化し、フラッシュバックされ、気づくと碧は、元カレのことがまた好きになった。
碧の事情を聞いて翔平はショックで何も言えなかった。好きになった子とこんなに早く別れることになるなんて、まるで予想していなかった。心の準備も何もできていない。不意打ちに右ストレートを食らったかのような衝撃が翔平にはあった。
「先輩と元カレだったら、今のワタシは元カレの方が好きです……。こんな気持ちのまま、先輩と付き合うなんて、先輩にも失礼だと思うんです……。だからワタシは先輩と別れたいです……」
「そんな……碧……」
泣きそうだった。歳上のくせにみっともないけど、翔平は本当に涙が溢れて出てきてしまうほど、すでに潤んでいた。ギリギリでなんとか踏ん張って、涙を流さないようにしていた。
しかし翔平は、ある意味そんな風に裏切られた今でも、碧のことが好きだった。別れてなお、元カレのことが忘れられないと言う彼女に多少の憤りがあったのは事実だが、それでも翔平は碧のことを愛していた。だから、
「碧、俺はそんな君でもいい。元カレのことを忘れられないなら、忘れられなくてもいい。俺はそんな碧でも受け入れる。俺が元カレとの思い出よりもっと楽しい思い出を作る! だから碧、俺と一緒にいてくれないかな?」
翔平は、碧が元カレのことを忘れられないなら、それでも良かった。なぜなら、その元カレは本当にいい人だったんだろうから。そんな思い出を奪おうなんて、そんなことは言いたくない。ただ、自分を信じて自分と一緒に付き合うことを頑張って欲しかった。付き合うことに頑張るというのは、恋人としては少し複雑な気持ちだけれど、辛いのは、碧も同じだから……。
そして、いつか元カレと付き合うよりも楽しいと思えるようにしてあげたいと、翔平は思っていた。
「先輩……」
碧の瞳から涙が流れる。翔平の想いに感動して流した涙。碧も、翔平の気持ちをきちんと受け取っていた。こんな自分でも……、気持ちの浮ついている自分でも、それでも受け入れようとしてくれる翔平の気持ちに胸を打たれた。
翔平は思った。碧が、ここで首を縦に振ったら、俺はずっとこの子を守っていこうと。これから先、何回元カレのことを思い出しても、その度自分もくじけずにこの子の支えになろうと思っていた。
しかし、そのような結果にはならなかった。約三分の十分な沈黙。碧が心を整理し、出した結論は、
「ごめんなさい、先輩。ワタシは先輩とうまく付き合っていける自信がありません……」
拒絶だった。翔平も、
「そっか……」
と返すことしかできなかった。
こうして、翔平と碧の短い交際は終わりを告げた。
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