第3話「陽ノ下朱里は守りたい」②
陽ノ下緋陽里
「翠が……年下好きだったなんて、意外ですわ」
喫茶店のアルバイトが終わって帰路に着く中、わたくしは今日の昼に聞いた親友からの言葉に頭を悩ませていた。午後から降り始めた雨は三時くらいには強くなったが、現在はシトシト雨になっており、傘を差さなくても帰れる程度になっていた。
「しかも、高校生だなんて……。一体いくつ年下なのかしら」
彼女から直接聞いたわけではないけれど、あの顔はかなり年下ですよね。高校三年生くらいでしょうかね。
しかし、彼……、確か「翔ちゃん」と言ったかしら? 制服を着ていなかったみたいだけど、この辺に私服で通える高校なんてありましたっけ?
……もしかしたら大学一年生っていうこともありますわね。というか、その方がしっくりきますわ。午後から授業で私服ですもんね。童顔の大学生一年生……。それでも翠と三つも離れてますわね。
まぁ、翠が幸せならそれでいいですけどね。店に入る前にチラッと表情が見えましたが、今まで見せたこともないような幸せそうな顔していましたし。彼がいなくなって、寂しそうな表情してましたし、夢中なんでしょうね。
翠は誰よりも頑張り屋で、これ以上ないくらい素直で魅力的な女性ですわ。そんな彼女が選んだ男性ならば、わたくしは応援するべきですわ!
……例え、「姉弟プレイ」のようなことをしていても、目をつぶるべきよね……。人の趣味は、自由ですもんね……。
三つ以上年下の男の子か~。う~ん……。
*
「ただいま帰りました」
「おかえりなさい、お姉さま! お仕事お疲れ様」
「ただいま~朱里。今日も可愛いわね!」
家族に挨拶を済ませる。二個下の妹が玄関前に来てわたくしを出迎えてくれた。わたくしは妹に抱きついて頬ずりすると、妹はちょっと困ったようにしていた。
「もう、お姉さまったら、帰ってくるたびに頬ずりするのはやめてよ」
「妹成分を補給しているのよぅ♪」
川沿いの住宅地に大きく建てられた我が家。この辺では一番大きい。うちは父親の仕事柄、とても裕福なのです。何でも、海外での事業に成功した祖父の代から続く会社の社長だとか。本当に尊敬するお父様ですわ。生まれ持ってのブロンドヘアも祖母からいただいたもので、誇りに思っています。
「お姉さま、なんだか今日は疲れた顔してるわ」
「あら、そんな顔していました? 別に特段疲れたとは感じていないのだけれど」
「そうですか、それなら良かったわ」
いくつになっても姉思いの妹だこと。なんて可愛らしい! 癒されてしまいますわ!
「早くご飯を食べましょ!」
「そうね。行きましょうか」
*
裕福といっても、メイドや執事がいるわけではない。お父様もお母様も仕事が忙しいので、ご飯は家政婦さんが作ってくれますが、毎日豪華なメニューなどではありません。一般的な家庭と変わらないメニューです。
食事中、朱里が話を振ってきた。
「お姉さま、あたし、部内コンクールで一番になれたわ! 引退した先輩方も絶賛してくれたわ!」
「それはすごいですわね! もう朱里に敵う方は大学にいませんね」
妹はわたくしと同じ大学の二年生で、美術部に所属している。有名な美術部で、他大学からも一目置かれる集団の中で一位とは、自慢の妹ですわ。
「すごいでしょ! でも、今回は静止画だったから良かったけど、人物画だとやっぱり自信ないわね」
「そうですの? 十分うまいと思いますけどね」
「やっぱり翠さんにもう少し、人物の描き方を教わりたいわ」
朱里は翠の絵を気に入っている。特に人物画。翠の描く漫画のキャラと元になったスケッチを見て、センスを感じ取ったようだ。わたくしは朱里の絵も十分上手いと思っていますが、絵を描く者同士にしか分からないモノがあるのでしょう。回数は多くないが、絵のコツのようなものをたまに翠に教わっているらしい。
「今日、久しぶりに翠に会ったわ。バイト先でね」
「そうなの!? 翠さん、元気にしてた?」
少しだけ心配そうな顔をする朱里。それに対して、わたくしはできるだけ笑顔で返した。
「えぇ、そりゃあもう元気でしたわ。本当に……。いつも以上に」
「そっかー。翠さんが最近バイト先に来ないって聞いて、少しだけ心配してたんだけど、元気そうならよかったわ」
若干引きつった笑いになったかもしれませんわ。朱里はそんなこと気にした様子もなく、笑った。
「『いつも以上に』って、何かいいことでもあったのかしら」
先程のわたくしの発言を聞いてなんとなく思ったのか、朱里は尋ねてきた。
わたくしにあんなに軽く喋ってたし、別に口止めとかされてませんものね。それに、知らない誰かというわけでもないですし、朱里なら話してもいいかしらね。
「翠、どうやら彼氏ができたみたいですわよ、」
「え! そうなんだ! 流石翠さんね! お相手はどんなにステキなお方……」
「年下の」
とそこまで言って朱里が固まってしまいました。やっぱりちょっと意外だったらしいです。まぁ、わたくしも意外でしたしね。
「あ、そうなんだ。まぁ、いいんじゃない? 年下でも。翠さんが気に入ったなら、きっとステキな人なんでしょう! それこそ、イケメンで王子様のような」
うちの妹はちょっとロマンチストです。昔、結婚相手は白馬に乗った年上の王子様だと言っていました。
「いいえ、それが、高校生くらいの顔立ちをした可愛らしい男の子でしたわ」
率直に感じたままを答えたわたくしの言葉に驚いたのか、朱里の目から光が消えていますわ。どこを見ているのでしょうか。
「え? え? あの翠さんが? そんなに年下と? 冗談でしょ?」
「いえいえ、これが本当ですのよ。わたくしもすごく驚きましたが、翠はとても幸せそうでしたわ」
朱里がまた固まってしまいました。お箸も手から滑り落ちて、テーブルの上でカランカランと音を立てています。
突然ハッとして、机をバンと叩き、こちら側に前のめりになる朱里。
「お姉さま、翠さんに何か以前と変わったところみたいなモノはなかった? 何でもいいの! 態度とか表情とか、性格みたいな!」
「変わったところ、ですかー」
腕を組んで、今日の翠との会話を思い出す。
「確か、『今は弟に夢中』だとか『お姉ちゃんって呼んでもらえるように頑張る』だとか言ってた気がしますわね」
「えぇーーーーーーー!!!」
うろ覚えですけど、確か、そんなこと言ってたような気がしますわね。というか、流石にここまで言うのはまずかったかしら。親友の性癖を暴露しているようでなんだか悪い気がしますわ。とりあえず、うっかり変なこと喋ってしまわないうちに話題を終わらせましょうか。
「翠の話はここでひとまず置いておきましょう。ちょうどご飯も食べ終わったし、わたくしはお風呂を入れてきますわ」
と、わたくしはお湯を溜めるためにお風呂に向かいます。朱里は椅子に座り直し、何やらブツブツ言っています。気持ちは分かります。意外ですものね。翠が一つや二つではない年下と付き合うなんて。
けど、わたくしは応援していますよ、翠!
*
陽ノ下朱里
「(翠さんは、その高校生に騙されているわ!)」
次の日、大学での講義中、昨日の夜聞いた話を整理したら、こういう結論になった。講義はまだ始まったばかり、一回くらい聞かなくたってどうにでもなるわ。
だって、おかしいもの! あんなにステキな翠さんが、高校生なんて子供と付き合うなんて! 高校生って言ったら、あたしより年下よ!?
それに、翠さんには、漫画家になるっていう夢だってあるのに。毎日毎日、自己研鑽に費やし、どれだけ真剣に漫画に向き合っているか、私は知っているんだから。だから……、だから、こんなところで子供のお遊びに付き合ってあげる暇なんてないのよ!
男子高校生なんて、自分を青春のど真ん中にいると勘違いして調子乗っているお子様。恋に恋する不埒な輩。付き合っているという事実をブランドにする活きった人間。そんなやつが、翠さんという優しくて魅力あふれる大人な女性と付き合うなんて、身の程知らずもいいところだわ。
やっぱり、その高校生が翠さんのお人好しな心につけこんで、無理やり付き合わせている! これに違いないわ。翠さんは頼られると張り切ってしまうタイプ。どうせ、一度は告白を断ったけれど、諦められなくて縋った高校生が「せめて数日だけでも彼女になってください!」みたいなお願いをして断りきれなかったんだわ。お姉さまの話だと、自分のことを「弟」と呼ばせたりもしているみたいだし……。ふん、しょせん男なんて、みんなケダモノね!
だけど、もし仮にこの予想が当たっていて、数日だけ彼女になっているだけでも、こんなクズ野郎に翠さんが付き合う道理なんてないのよ!
ブーーブーーブーー
あたしの携帯電話から着信バイブレーションが鳴る。あらかじめ送っていたメッセージが返信されたようだ。
あたしは、翠さんの状況を確かめるべく、アポイントをとっていたのだ。
『次週の月曜日、お昼をご一緒しませんか? その後、よろしければ絵についてお聞きしたいことがあるので、教えてください!』
とメッセージを送った。返ってきた返答は
『朱里ちゃん、久しぶり! ごめんね、他の人とご飯を食べる予定があるの。その日は三限、四限と講義があるから、その後だったらいいわよ』
というものだった。
このお昼ご飯の相手、間違いなく例の高校生よね。翠さんに真実を聞いて、目を覚まさせようと思っていたけれど、これは逆に好都合。翠さんが講義に出かけている約三時間の間にこの高校生に接触して、ガツンと一言いってやるわ。
けど、一体どこでご飯を食べるのかしら。流石にお昼ご飯を食べる場所を聞くのは変だし……。とりあえず、心当たりがある場所ってことでお姉さまのアルバイト先に張り込んでいるしかないかしらね。もしも違う場所だったらお手上げだけど、そのときは予定通り、翠さんの講義のあと説得するわ!
待っていてね、翠さん。あたしがあなたを救ってみせるんだから!
*
月曜日の十二時、喫茶店に来店したあたしはすぐに翠さんを見つけた。正面に例の高校生もいる。どうやら読みが当たったようね。
目立つ金髪を持っているあたしのため、普通の格好で行くと見つかる可能性がある。そのため、少し大きめの帽子に長い髪を押し込み、サングラスをつけるという少々怪しい格好となってしまった。しかし、店員さんは気にした様子を見せず、接客する。
翠さんの席からは離れており、彼女の視野に入っていないため、見つかることはなさそうね。こっちからは席がよく見えるわ。
さてと、例の高校生とやらが、どんな男か見てみましょうか。なるほど、確かにあれは高校生ね。顔には幼さが残り、典型的な大人と子供の中間って感じだわ。イケメンには程遠いわ。
どんな会話しているのかしら? あたしは少し耳を彼女らの方に集中してみた。
「それにしてもこの前のあれ、こっちは恥ずかしくてしょうがなかったですけど……」
「こっちだって恥ずかしかったんだから、お互い様だよ! うん、ホントに予想以上に恥ずかしかったわ……。けど、照れてる翔ちゃんを見れたから全然オッケーよ!」
「まぁ、もう少しパンチは弱めにして欲しかったですけどね……。怒るシーンというのは分かってましたけれど、まさか、本当に殴ってくるとは思わなかったですよ」
「ごめんね翔ちゃん。けど、思ったよりも恥ずかしくて。そんな時に怒るっていうシーンを意識していたら、自然と手が出てしまったみたい」
「やっぱり簡単に肌を晒すってのは良くないですね。僕たち一応、本当の姉弟ではないんですから」
「そんな悲しいこと言わないでよ! 私は本当の弟みたいに可愛がってるんだから♪だから、翔ちゃんもいつでも私のこと『お姉ちゃん』って呼んでくれていいのよ?」
「それは呼びませんってば。ミド姉、また吐血して倒れちゃうじゃないですか。まぁ、けど、やっぱりあんまり刺激の強すぎることはやめましょうよ。大事な体なんですから」
「翔ちゃん、お姉ちゃんのこと心配してくれているのね! もう、好き好き~! 翔ちゃん可愛いーーー! 私の理想の弟くん♪」
「こんなところでそんな恥ずかしいこと言わないでくださいよ!」
うーん、断片的にしか聞こえなかったけど……あの高校生も翠さんも、想像以上にやばい!
『この前のあれ、恥ずかしかった』
『こっちだって恥ずかしかったんだから』
『パンチ』『怒る』
『自然と手が出る』
『肌を晒す』
『お姉ちゃんって呼んで』
『刺激が強い』
そして、最後の翠さんの言葉
『好き好き~! 翔ちゃん可愛いーーー! 私の理想の弟くん♪』
聞こえただけでも、相当にやばい単語が連発してた!! それに、どうやら高校生の方だけじゃなくて、翠さんの方もなんだかノリノリ。毒されてる、毒されてるわよ!
付き合い始めたのって最近なんでしょう? それなのにこのワードの数々……。高校生は、翠さんの体目当て! 翠さんもそれで骨抜きにされてしまっているわーーー!
最初の方は強引に迫ってきた高校生に、抵抗して手を出していたみたいだったけど、それも虚しく……。
あんなクズ高校生に翠さんが虜になっているなんて、許せない。
*
三十分くらいして、翠さんが席を立った。
「それじゃあ翔ちゃん。私、講義があるから行くね!」
「分かりました。僕はもう少しゆっくりしていきますね。また近いうちに」
「うん♪ あ、そうだ。今日は私のおごりよ! 絵のモデルとか弟の参考とか、色々手伝ってもらっているのにまだ、ろくなお礼もしていなかったし」
「そんな、いいですよ。就活のこと、協力してくれるって言ってましたし、それでおあいこですよ」
「いいからいいから、たまにはお姉ちゃんに頼りなさいって♪」
「そうですか? それではお言葉に甘えて」
え、テーブルの領収書を全部持って……。
あの高校生め、ご飯まで翠さんにおごってもらっているというの? とんだ外道!
お会計を済ませると、翠さんは高校生に手を振って、店を出て行った。
あたしは、高校生が一人になったのを確認すると、トイレで帽子とサングラスを脱ぎ、髪を整えてから、高校生の席に向かった。
「ちょっとあなた、いいかしら?」
「はい? なんでしょうか?」
高校生は、あたしの顔を見て少し驚いたような表情を見せた。まぁ、あたしの顔、今穏やかじゃあないもんね。
「花森翠さんのことで、聞きたいことがあるの! ここじゃなんだから、外に出ましょう!」
*