第26話「設定姉弟は目標に向かいたい」②
岡村翔平
十月一週目。大学の長い夏休みは終わり、今日からまた、講義が始まった。といっても、例によって一週目はオリエンテーションが主な内容で所要時間は短かった。
今は講義も終わってフリーになった俺は、駅よりも更に奥にある大型の本屋に来ていた。今日は、俺の読んでいる漫画の新刊が発売する日だから。
漫画コーナーを回り、目当ての新刊を見つける。棚にズラリと並ぶ、色とりどりのコミック本。出版社ごとに本のデザインが異なり、更には一冊ごとに異なる表紙イラスト。様々なイラストが目に入る。
「(ミド姉は今頃、持ち込みに行ってるんだろうか?)」
都心に出向いたミド姉を心配に思う。先日、彼女の下書きを見たときにはすごく上手に思った。話も面白いと感じた。しかし、それはあくまで素人の意見なわけで……。プロの編集者から見たら、問題点もたくさん発見されるのではないかと、不安が浮かぶ。
以前、ミド姉は言っていた。俺を弟モデルにする前から、持ち込みには度々行っていた。だが、何度も受け入れられない持ち込みに自信をなくした、と……。
今回、ミド姉の持ち込みがまた上手くいかず、落ち込んでしまったら、俺はまた彼女を奮い立たせられるのだろうか? 彼女が俺を前向きにさせたように、俺も彼女を前向きにしてあげることはできるのか? そもそも、俺をモデルに起用して正解だったのか?
正解の出ない疑問が頭を巡る。自分が無関係でないだけに、一層結果が気になってしまう。
えーい! 悩んでいても仕方ないだろ! ミド姉なら大丈夫だ! 彼女の漫画は間違いなく面白い! 一読者がそう思ったんだから、間違いないだろ!
思考から意識を外すと、再び見えてくるは目の前にある漫画の山。そのどのイラストよりも、ミド姉は劣ってない。本当に、彼女の絵は上手い!
そうやって思うと、さっきまでの不安は軽くなっていた。俺は、買い物を再開する。
今日は、漫画やラノベの他にも買うものがあるんだ。そっちに時間を割きたい! 集中していいものが買いたいからね。
俺は、普段行かないコーナーに足を運ぶ。
と、途端、バイブレーションでスマホが震える。ミド姉からの電話着信だった。
「はい、もしもし」
『翔ちゃん! 私、やったよ!』
「え?」
彼女からの電話の内容を知り、目を見開く俺。喜びの気持ちがこみ上げてくる。俺の心配は杞憂だったようだ!
やった! ついに、ミド姉が、
漫画編集者のお墨付きで、賞に応募できるところまでたどり着いた!
*
「翔ちゃん!」
最寄り駅の改札から手を振って出てくるミド姉! いつもより一層弾ける笑顔でこちらに向かって走る。
「翔ちゃん! 私、やったよ! 一歩前進したよ!」
「はい! おめでとうございます、ミド姉!」
「ありがとう!」
ミド姉は少し涙混じりの笑顔をこちらに向ける。
俺も人の多い駅前ということを忘れてはしゃいでしまう。喜びが隠しきれないんだ! それくらい、ミド姉の得たこの成果が嬉しかった。例えそれが、まだ賞に応募する前だったとしても、ミド姉にとって、この一歩は大きいものだと思うから……。
「ちょっとお茶でもしていきます? 何かおごりますよ?」
俺は、彼女の努力をねぎらおうとそう提案してみる。
「ううん。今日は、すぐに帰ろうと思うの」
だが、いつもの彼女とは違って、食いついてはこなかった。一瞬それについて不思議に思ったが、すぐにその理由を答えてくれる。
「本当はゆっくりお茶してどんなことを言われたとか、色々お話したいんだけど、すぐにでも私、漫画の原稿に取り掛かりたいの! 今、私、漫画が描きたくて仕方ないから!」
そう言う彼女の目は、キラキラしていた。おもちゃ箱の蓋を開けたくてうずうずしている子供のような、そんな目だ。俺もそんな彼女の目を見ては、邪魔できないと思い、「それは仕方ないですね」とここは引き下がる。すると彼女も、「でも、」と続ける。
「お茶はできないけど、私も翔ちゃんとお話したいから、途中まで一緒に帰りながらお話してくれない?」
「そうですね。そうしましょう! では大学の方へ向かいましょうか」
俺たちはそう話して、駅の方向へ歩き出した。
*
「それで、三週間以内に原稿を見せてと言われているの」
「そうですか。あまり時間があるとは言えませんね」
ミド姉から聞いた話だと、修正箇所を大量に授かっているらしい。ただ、その修正を行って担当編集のオーケーが出れば、漫画賞に応募してくれる。
詳しくは知らないが、漫画賞自体はわざわざ持ち込みに行かなくても個人的に応募できる。しかし、漫画賞に応募して、それが落選した場合、落選の原因やアドバイスはもらえない。もらえる賞もあるのかもしれないが、俺の知識では確か、もらえなかった気がする。
つまり、自分で良かったところ、悪かったところを考察して、次の漫画に反映させなければならない。これは結構難しい。
だからこそ、今回ミド姉が持ち込みで担当に見てもらってから賞に応募するというのは、大きな意味を持つ。
一つ目は、次につなげやすいということ。仮に落選しても、一人ではなく、担当さんと一緒に原因を探究できるというのは心強い。
二つ目は、漫画編集のプロが少なくともゴーサインを出せるレベルということ。持ち込みに行ってNGをもらう作品は、賞に応募しても落選が見えているということだ。だから、ゴーサインがでた作品は、必ずしも入賞するわけではないが、見込みがあるということだ。これだけで、大きな自信につながるだろう。
「もう十月で大学の後期も始まっちゃったけど、それでも、私は頑張ってみたい。大学在学中に賞へ応募できる回数は、多くてももう二回くらいだと思うから……」
「そうですよね……。来年からミド姉は、新社会人ですもんね」
働きながらの漫画家デビューは、相当な苦労を伴うだろう。この二回のチャンス次第で、ミド姉の漫画家への道は絶たれるかもしれないんだ。
「だから私、この三週間は投稿が終わるまで、できる限り集中してみようと思うの。大学の講義は週に二日。その時間以外はできるだけ漫画を描くよ!」
今度のミド姉の目は、いつもよりやる気に満ちあふれた目をしていた。『いつもより』だ。ただ、本気な表情だがどこか楽しそうに見える。俺はそんなミド姉を見て、初めて出会った頃に惹き込まれたことを思い出す。今のミド姉は、とても輝いている。夢に、目標に忠実で真っ直ぐな、尊敬できる先輩だ。
「でも、翔ちゃんには会う機会が減っちゃう~……。寂しい……」
けど、その後に見せるのは俺がよく目にするいつものミド姉。そのギャップについ、クスリと笑ってしまう。
「まぁ、空いた時間に息抜きはしましょうよ。お茶くらいなら付き合いますから!」
「うん! ありがとう翔ちゃん!」
そう言うと、ミド姉は心底嬉しそうに笑った。後ろ髪に付けられた大きめのリボンが弾むように揺れる。そんな様子を見て、俺も嬉しくなる。俺は、彼女の役に立っていた。それを再確認できて、自分への自信がまた蘇った。
俺は、手に持つ本屋の袋を見る。俺は、彼女に伝えたかった。俺がここまでの考えに至れたのは、この尊敬すべき彼女のおかげだったから。
「僕からも、ミド姉に報告があるんです」
「報告? 翔ちゃんから私に?」
すでにミド姉と俺の家の分岐点である大学正門前までたどり着いていたが、どうしても伝えたかった俺は、そこで立ち止まり、本屋の袋を漁る。中から一冊の参考書を取り出し、それをミド姉に見せる。
「あっ、それって」
「はい」
今日、本屋に行った一番の目的。それが、この参考書を購入するためだ。
「僕、公務員を目指すことにしました」
決め手となったのは、夏期に行ったインターンシップ。そこで俺は、公務員に惹かれた。
地味な作業が多い公務員であるが、俺が魅力に感じたのは、市町村区・都道府県・はたまた国といったレベルの大きな業務に携われるということ、それと市民への貢献度の高さだ。もちろん、仕事内容だけでなく、お世話になった部長に「公務員に向いている」と言われたことにも影響されている。
インターンシップから帰ってきてから、ずっと考えていた。俺は、この仕事に就きたいと思っているのではないかと。だが、俺に本当に合っている仕事なんだろうかとも不安に思う。以前より将来について前向きに捉えられるようになった俺ではあるが、それでも不安は浮かんできてしまうのだ。
しかし、ミド姉が持ち込みに行くと聞いて、俺も前に進みたいと思った。この参考書は、その証だ。
「すごいすごい! 公務員なんて! 一際真面目な翔ちゃんには、絶対合っているよ!」
「そ、そうですかね? 若干まだ本当にこれでいいのか、分からないですけど……」
「ううん。それに興味を持ったのなら、走ってみるといいよ! 私は、公務員って聞いて、誠実で地道に努力のできる翔ちゃんが頭に思い浮かんだよ!」
インターン先の部長が言っていた「実直で地道にコツコツと作業を行える人は公務員に向いている」という言葉が思い出される。ミド姉は、公務員についてはイメージでしか喋っていないだろう。だが、直感でそう言ってくれたミド姉の言葉に俺は安心感を持った。
「ありがとうございます、ミド姉。ミド姉がいたから、僕は目標を持つことができました。本当に、ありがとうございます!」
「翔ちゃん……」
直接的な要因はインターンシップだが、元をたどればミド姉のおかげだ。彼女は俺をきっかけに選んでくれ、漫画賞への応募にまで到達した。そして、俺も彼女をきっかけに、就活に対して前向きに捉えることができた。インターンシップなんて、ミド姉に会っていなかったら選択していなかっただろう。そこで俺の将来を決めるかもしれないきっかけがあるとも知らずに。
「違うよ翔ちゃん! それは翔ちゃん自身の努力の成果だよ! だって翔ちゃんは、元々頑張っていたじゃない!」
ミド姉は、俺自身の力と言ってくれる。本当は全然違うんだけどな。ま、これは言わずに俺の胸に秘めておこう。感謝の気持ちは、一言で十分だ。
「それより、私の持ち込んだ漫画が評価されたのこそ、翔ちゃんのおかげだよ!」
「いやいや、違いますよ。それこそ、ミド姉の努力の成果ですって!」
「いやいや、そんなことは」
「いやいやいやいや」
そこで、俺たちはプッとお互いに吹き出した。正門前で俺たちは笑う。大学から駅に向かう学生たちが歩く中、俺たちは笑った。
「まぁ、まだ私は賞に応募すらしていないけどね」
「僕も、参考書を開いてすらいません。ですから、来年の公務員試験に向けて、僕もミド姉同様、頑張ります!」
「そうだね! お互い、頑張ろうね!」
そう言葉を交わし、ミド姉は自分の家に向かった。俺も、その背中を見送って自分の家に向けて歩き出した。
目標もなにもなかった俺が、こんな風に思えるようになるなんて。人との出会いは一期一会って言うけれど、ホント、その通りだ。
さて、この参考書、どういうペースでやっていこうか。まだ時間はたっぷりあるけれど、やる科目は多い。まずは、帰って眺めるところから始めてみようかな。
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