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第26話「設定姉弟は目標に向かいたい」①

 花森翠(はなもりみどり)


「久しぶりね」


 そびえ立つビル群。忙しない人々。その中で、私はひとつの建物の前に立つ。


 私、花森翠は漫画原稿の持ち込みのため、漫画雑誌の出版社に訪れていた。周りのビルに比べても高さはそう変わらないが、私にとって目の前の建物は一際大きく見えた。


 ここに来るのは、半年ぶりくらいだ。今年の三月にも私はこの場所を訪ねたことがある。あの時は、原稿を見てくれた編集さんに散々罵倒された。「物語の書き方が雑」だの、「正直面白くない」だの、「こんなのでよく漫画家になろうと思ったね?」とも言われた。その他にも、「これ以上描いても無駄」やら「顔はいいんだからそっちで稼げばいい」やら、自信があった絵についても、「幼稚園からまた描き直してこい」などなど、かなり酷いことを言われたのを覚えている。自分の人生も否定され、私は漫画を書く意味が分からなくなった。


 あれで心が折れた。一度は漫画を描くのを諦めようかとさえ思ったほどだ。


 だが、私は戻ってきた! 以前の編集さんは具体的なアドバイスをくれなかったけど、それまでの持ち込みの度に送られたアドバイスは取り入れた。絵もストーリーも前より格段にうまく作れたと自負している。また罵倒されるかもしれないけど、それでも挑戦する! 


 私には、強い味方がいるんだから!


 そうして私は一歩歩きだし、入口へと向かった。


 *


 受付で手続きを済ませ、許可証をもらい、持ち込みの編集部へエレベーターで向かう。エレベーターの階数が一階上がるたびに、緊張も増していく。


 すぐに目的の十階に着く。編集部に入り、近くにいた方に今回の担当さんを取り次ぐと、個別のブースに案内される。まだ誰もいない。とりあえず、ここで待てということらしい。


 ……


 約束の時間から三十分後。かなり遅れて担当さんが来てくれた。


「いやーごめんねー!! 寝坊しちゃってさーー!!」


 来たのは、以前の担当とは全く別のタイプで、かなり明るい女性の編集さんだった。服装は一応スーツだが、髪は肩まで下ろされた明るめの茶色。スーツではなくラフな服装が似合いそうな、ギャルって感じだ。寝癖なんだろうか、髪の毛が三箇所ほど立っている。


「い、いえ。お忙しいところお時間を作って下さり、ありがとうございます!」

「堅苦しいのはなしでいいよー! リラックスして! リラックス!」

「は、はい」


 何だか拍子抜けしてしまう。これまで担当してくれた人は、ここの出版社でも別の出版社でも、堅物だらけだった。この人は、言ってしまうとお気楽な人でちゃんと原稿を見てくれるのかが不安になる。

 ただ、さっきまでの緊張感は軽減された気がする。狙ってこういう態度をとっているわけではないだろうが、こっちとしてはある意味ありがたい。


「アタシは、今回あなたの担当をさせていただく染谷藍子(そめやあいこ)。よろしくね!」

「花森翠です! よろしくお願いします!」

「それじゃ、早速見せてもらうね!」


 自己紹介を軽く済ませ、すぐに原稿のチェックに移る。私がバッグから原稿を取り出し、染谷さんに渡すと、染谷さんの顔つきはさっきまでのちゃらんぽらんなモノではなく、一気に真剣味を帯びた。その姿を見て驚くと同時に、引っ込んだ緊張感が再び浮上してきた。私は、ひたすら背筋を伸ばして、染谷さんが原稿を読む姿を眺めていた。


 染谷さんはとんでもないスピードで漫画を読んでいく。一ページあたり二秒、長くても五秒くらいで次々と原稿をめくる。初めての持ち込みでは、「実は読まれていないのでは?」と不安を覚えたものだが、今までの持ち込みの経験から、その不安はなくなっていた。漫画編集者は、これでもきちんと読んでいる。驚異的な速度に見えるが、それでもちゃんと細部まで見て、評価しているんだ。まぁ、編集さんにも当たり外れがあるらしいけどね。


 私の書いた二十ページの原稿は、すぐに読み終わり、トントンと原稿を揃える染谷さん。


「うーーん。これじゃあダメだねー!」


 第一声が、いきなりダメ出し。けど、いつも通りだ。これくらいでくじけるな!


「まず、設定がダメ。甘すぎ。あなたの妄想を作品に落とし込んだんでしょうけど、読者はこういうの求めていないから。何より、展開の読めなさへのドキドキがない。結果の分かりきった作品は多くて当たり前だけど、それにしてももう少し読者にドキドキを与える工夫をしなさい。それと、この部分。コメディがハチャメチャ過ぎる。あまりに現実離れしすぎていて、たった二十ページでもシラけてくる。これじゃ、ファンタジーなのかなんなのか分からない。ギャグを意識しすぎなのもマイナスポイント。それと、会話の脈絡が唐突すぎる。きちんと構成を考えていないからこういうことになるの。極端に言うと、四コマ漫画で一コマずつ別の話を見せられているかのような錯覚に陥ったよ。それと、……」


 次々に繰り出されるダメ出し。さっきまでの陽気で明るい染谷さんはここにはなく、ひたすら厳しい編集さんが口を動かす。雰囲気は違うが、まるでお母さんだ。多分、お母さんも仕事ではこんな感じなんだろうな。


 早口に指摘部分を列挙していく染谷さん。耐えろ。メモを取れ。次につなげるために……。

 私は、言われた部分を簡単にメモする。ただ、何度経験しても慣れない。自分の作品の中身を目の前で否定されていくのは、何度やっても慣れない……。けど、耐えろ! 漫画家に批判はつきものだ!




「とまあ、そんなものかな」


 しばらく染谷さんのダメ出しが続いた。長いこと指摘されてきたと感じるが、現実の時間では三分も経っていない。それだけ、中身の詰まったダメ出しだったということか。

 私は、その間だけでもドッと疲れが出て、伸ばしていた背筋はいつの間にか丸くなっていた。


「どう? 疲れた?」


 染谷さんの調子が原稿を見る前に戻り、私は少しだけ安心している。落ち込んでいるところは見せないつもりだったが、どうやら無理だったみたいだ。


「いえ、そんなことは!」


 私はメンタルの弱い見込みが無い女だと思われたくなかったので、気丈に振舞ったが、そんな私を見て、染谷さんは笑う。


「あはは、そんなわけないでしょ! 誰だって、こんだけ自分の作品を批判されたら、多少は疲れが出るものだよ」


 どうやらお見通しのようだったので、私は正直に「疲れました」と言う。染谷さんはそう言う私を見てまた笑う。


「ねぇ、あなたって以前もここに持ち込みに来たことがあったでしょ?」


 私の体が強ばるのを感じた。前回の持ち込み。私の心が折れた、あの持ち込み。私のすべてが否定された、あの持ち込み。私は、前回の担当の顔が思い浮かんでしまう。


「確か、西野(にしの)くんが担当だったよね?」


 西野さん……。そんな名前だった気がする。


「彼ね、クビになったから」

「……え?」


 何で私にそんな話をするのか分からなかったが、とりあえず私は顔を上げて染谷さんを見る。


「彼、自己中心的な人でね。担当の先生からも苦情がたくさん来ていたの。前回あなたが来たとき、ちょうどトラブルの真っ最中でね。虫の居所が良くなかったんだ」

「は、はい……」

「あなた、ものっっすごく散々言われてたでしょ。理不尽なこともたくさん言われたでしょ? 今でも覚えてる。あの後、彼を叱ったから」

「そうなんですか……」


 前回のあの数々の暴言は、漫画編集の中でも正しいものじゃなかったのか……。そう思うと、私は何だか救われた気がする。


「けど、彼が言うことは全部ではないけれど、概ね正しいんだよね」

「!?」


 そう思った私の考えは、染谷さんの言葉ですぐに否定される。


「言っておくけど、漫画の持ち込みで来た人に対して酷いことを言うのは珍しいことではないよ。だから、彼がそれでクビになったというのはお門違い。彼の場合、批判だけして次につながるためのアドバイスは何もしない、ストレスのはけ口にしたというのが問題なの。それに、編集部内でも問題のある人で、詳しくは語れないけど色々揉め事があった。だからクビ。それは勘違いしないでね?」

「……はい」


 改めて、厳しい世界ということを痛感する。漫画編集部にはそれこそお母さんのような人がたくさんいるわけだ。


「けど、その理不尽な罵倒も乗り越えて、よくまたここに来たじゃない」


 と、そこで再び顔に笑顔が戻る染谷さん。私は染谷さんの顔をポカンと見ているしかできない。


「実は、かなり心配していたんだよ? それに、『もったいないことしたかも!』とも思ったの。漫画家の卵になるかもしれない子を潰しちゃったんじゃないかってね。アタシ、あの後あなたの原稿を見せてもらっていたからね」

「え? 漫画家の卵……ですか?」


 思わず、私が聞き返すと、染谷さんも笑って返す。


「そう、漫画家の卵。磨けば光る原石、でもいい。とにかく、アタシはあなたを評価しているの」


 意外な言葉が染谷さんの口から出た。評価している、と。あれほどのダメ出しの後だから、素直に言葉通りの意味だと受け取るのをためらってしまったが、染谷さんは続ける。


「今のままじゃ全然ダメだけどね。けど、アタシはあなたの書いたこの作品は、面白いと思った。さっきダメ出ししたように修正箇所はたくさんあるけど、独創的で、何より、絵が上手。西野くんから見せてもらった原稿を見た時から、アタシはあなたの絵がすごいと思っていたの! 今では、絵に関してはもうプロ級と言えると思う」


 胸が熱くなる。前回の持ち込みでは知る由もなかったけど、私の必死に書いた絵を見てくれる編集さんもいたんだ。


「ただ、話が微妙。題材は良いのに、台無しにしている箇所が多い。ただ、それでも何故か読みたくなる気持ちもあるの。これは、すごいことだよ。だから、アタシのアドバイスを参考に書き直して、もう一度アタシに見せて欲しい!」


 そう言ってポケットから名刺入れを取り出し、名刺をこちらに差し出す染谷さん。名刺……。編集さんから、初めて名刺をもらった……。


「三週間後、賞の応募締切がある。それまでに一本作ってきて! 使えるところはそのままでもいいからさ。アタシが出してもいいと思ったら、賞に応募しましょう!」

「賞に……応募」

「けど、三週間だよ。大学生だよね? これから講義が始まってちょっときついと思うけど、頑張って! あなたならできるよ! 花森さん」


 これまで何度も持ち込みを繰り返してきた。その度、批判を受けてきた。だが、ようやくここまで来たんだ。今までの努力は、決して無駄ではなかった。今回、初めて自分の作品が受け入れられた気がした。修正箇所は多いけれど、私はそう感じた。


「はい! 頑張ります!」


 私は、ここに来て初めて、思いっきり笑顔になれた気がした。


「それじゃあ、改めて修正箇所を言っていくからね。メモを用意して」


 それから、染谷さんのアドバイスが再び始まった。いつの間にか先程まで感じていた疲れは吹き飛んでおり、私は早く帰って漫画が書きたくて仕方がなかった。


 *


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