第3話「陽ノ下朱里は守りたい」①
花森翠
「それでね、次はこういうシーンを描こうと思ってるの」
「弟が姉の入浴シーンを覗いて、弟が怒られるシーンですか……。これは流石に演じることできないですよ」
「大丈夫! 私、タオル巻いてるから! だから、今度私がお風呂入ってる時に覗きに来て!」
「ミド姉、もう少し恥じらい持ってくださいよ……」
平日の午後、私と翔ちゃんは例の喫茶店でお昼ご飯を食べている。
先週一週間で大分翔ちゃんと心の距離が近づいた。漫画も順調に制作できてるつもりだ!
この一週間で分かったこと。それは、お姉ちゃんという生き物はなんと幸せ者なのだろうということだ。
第一に弟が可愛い! もちろん、翔ちゃんだから可愛いということもあるに違いない! イケメンとは言えないながらも小顔で幼い顔立ち。私と大差ない身長。後ろ髪のくせっ毛。それでいてギャップのある低い声。男の子の中では高い方なのかもしれないけど、女の私には出せない声だ。きっと私が翔ちゃんに思っている感情を世の姉たちは実の弟に思っているに違いない!
第二におせっかいを焼くことができる。私は本来、人のお世話とまではいかないけれど、頼られることに幸福を感じる。人からは変に積極的と言われることもあるが、私自身は少し消極的な性格だと思っている。そのため、そこまで仲良くない人におせっかいを焼くことに抵抗を感じている。きっと、印象を悪くしたくないというネガティブな気持ちが私の中で抑止力になっているんだと思う。
だけど、姉が弟におせっかいを焼くことは何より自然だし、弟は嫌がるかもしれないが、それで翔ちゃんの役に立てていると考えると嬉しくなる。今や、弟から自然と頼られるお姉ちゃんになることが小さな目標になっている。がんばるぞ!
第三に弟がすごく可愛い!! あれ? これはもう言ったんだっけ。だけど、可愛いからしょうがない! ハァーー、もっとお姉ちゃんに甘えていいんだよ? 先週の掃除では姉の立場がなくなってしまったけれど、あの時の翔ちゃんは頼りになったなー。そんなギャップも可愛い♡
……また「お姉ちゃん」って呼んでくれないかな。
「……ミド姉、聞いてますか?」
「……へ? あ、ごめんごめん、なんだっけ?」
ぼーっとしてしまったらしい。全然話聞いてなかった。
「僕、そろそろ講義があるので、これで失礼しますね」
「え?」
リュックを背負い、席を立ち上がる翔ちゃん。いつの間にか時計の針は十二時三十五分になっていた。十一時くらいにお店に入ったから、もう一時間半も経ったのか。時間が経つのが早いわ。
「それではミド姉、また近いうちに。漫画、頑張ってくださいね」
「うん、それじゃあまたね」
*
「あぁーーー」
翔ちゃんが行ってしまった。寂しい。
やっぱり私も大学まで行けば良かったかな……。講義はないけど、大学に着くまでにお話できたし。けど、あんまり四六時中一緒にいるのも変だし、しょうがないかな。今日はこのあと、ここでお話のネタ出しもしなきゃいけないもんね。喫茶店から出てまた喫茶店に帰ってくるなんて効率の悪いことはしたくない。
「ハァーー。今日の翔ちゃんも可愛かったな~」
喫茶店の四人がけテーブルに頭を乗せ、くねくねする私。
先週の土曜日、翔ちゃんがうちに来た。そのときに「お姉ちゃん」って呼ばれてから、私はブラコンに目覚めてしまったらしい。自分でもびっくりしている。
初めは勢いで弟を作って、なんとか姉らしい行動を心がける程度だったのにな。姉へのあこがれが多分にあった私が、姉の気持ちを理解してみたくて色んな行動をとった。今思えば、普段の私からは想像もつかないくらい積極的だなー。
確かに翔ちゃんは可愛いし、初めて会った時にその可愛さに一目惚れしたのは本当だけれど、まさかここまで「弟の魅力」にはまってしまうなんて。流石に私も想定外! だけど、とっても幸せ。だって、翔ちゃんに会うだけでこんな気持ちになれるなんて、ラッキーじゃない? 漫画を描くために会ってるだけなんて言うよりも会いたいから会うの方がよっぽど嬉しいじゃない? 漫画も描けて弟も愛でれて、一石二鳥だよ♪
だけど、こんなブラコンなだけの姉というのも格好つかない。私は姉なのだ! 弟に頼られる存在。それを忘れてはいけない。弟が、自然に頼ってくれるようになる姉にならなくてはいけない。
「次は、いつ会えるかな……」
私は講義が週に一度しかないけれど、翔ちゃんは三年生。しかも理系。専門科目の講義で忙しいに違いない。だとしたら、今週はもう土曜日、日曜日とかだけになってしまうかも。あと三日も会えないなんて、寂しいよ~。
「よし、この間に、姉オーラを増幅させておこう!」
次来た時は、頼りになるお姉ちゃんでいてやるんだから!
「お待ちどうさま。あら、一緒にいた男の子は帰りましたの?」
私が注文した食後のクッキー二枚とコーヒーを持って、一人の店員さんがやってきた。
「あれ? 緋陽里、シフト入ってたんだ。私が頼んだ時には違う店員さんだったのに」
「ええ、たった今引継ぎしたんです。それより翠、さっき男の子と一緒にいませんでしたか?」
「あぁ、翔ちゃんなら帰ったわよ。今日は午後から学校があるから」
彼女は陽ノ下緋陽里。近くの女子大に通う四年生で同い年。この喫茶店にネタ出しのため、通っていた私に従業員の緋陽里が声をかけてくれた。それからずっと仲がいい。ロングの綺麗な金髪を横で束ねてワンサイドアップにしている。金髪だからといって、海外生まれというわけではなく、その顔立ちはまさに日本人のそれだ。クォーターだったか隔世遺伝だかが理由らしいが詳しいことは忘れちゃった。
「はぁ。午後からの授業なんて、珍しい学校ですね」
「……? そうかな? 結構あると思うけど」
「そういうものかしらね。ところで、あの子とはどういう関係なのかしら? なんだか随分、親しげに話していたように見えたけれども」
「あぁ、彼? 彼はね……」
私は胸を張って得意げに話した。
「彼はね、私の弟よ!」
「は?」
緋陽里がびっくりしている。そりゃそうだよね。私はクッキーをつまみながらコーヒーを飲む。
「弟って……。翠、あなた、一人っ子って言ってませんでしたっけ?」
「うん、そうだよ! 一週間前に弟になってくれたんだ!」
「なってくれたって、それは……」
緋陽里は少し怪訝そうな顔をしたが、すぐに何かを思いついたような表情となった。言葉足らずだったけど、これで伝わるなんて、流石私の親友だね♪
「あー、なるほど、そうなんですね。だけど彼、すごく幼く見えましたけど、もちろん年下ですわよね?」
「そりゃあもちろん、『弟』って言ってるんだから」
「そ、そうですわよね……そうですか。翠は年下が好みでしたか」
「? そうだね。今はもう弟に夢中だよ」
頬に手を当てて首を横に振る私。緋陽里は翔ちゃんに対する質問を続ける。
「あ、あの、翠……。彼とはどこで知り合ったの? サークルには入っていないし、アルバイトもしていない。講義は週一って言ってましたよね? 見たところ、接点なんてなさそうに見えますけど」
一方的に見たのはアーケードだけど、初めて会ったのは、ここだったわね。
「あぁ、翔ちゃんとはね、この喫茶店で初めて会ったの。いろいろお話して楽しかったわ」
「ここで!? へ、へぇーそうなんですね。それで、一応聞いておきますけど、どちらから声をかけたのかしら」
「それはもちろん……」
改めてその言葉を出すのは少し恥ずかしくて、モジモジしてしまった。だけど私は、誇りに思っている。だから、満開の笑顔で答えた。
「私からだよ! 『君、私の弟になって!』ってね!」
「…………」
緋陽里は口を大きく開けて、私を見ている。そんなに見られると恥ずかしいな。私は顔を逸らす。
「やはり、そうでしたか。いや、まぁ意外な答えが返ってきた部分もありますが、話の流れから、分かっていましたわ……」
「確かにちょっと意外かもね」
普段は積極的でない私が、自分から声をかけるってのは、確かに意外だものね。緋陽里は私の性格、知っているしね。
「彼が『お姉ちゃん』って呼んでくれたことが一番幸せだったわ! もっともっと呼んでもらえるように頑張らなくっちゃ!」
「け、けど、やっぱり高校生は……」
「え? 高校生?」
あれ? 私、彼のこと高校生なんて言ったっけ?
「翠、高校生は、流石に離れすぎじゃないですか?」
必死そうな顔で緋陽里がこっちに迫ってくる。あれ? 緋陽里、もしかして、何か勘違いしてない?
「違うよ、緋陽里、翔ちゃんは……」
「すみませーーん、いいですか?」
「あ、はい、ただいまー!」
私が訂正しかけると、他のお客さんからオーダーが入った。元々人の少ない店であるため、従業員は一人だけ。今日は、そこそこ混んでいるみたいだ。
「ごめんなさい翠、オーダーが入ってしまいましたわ。続きはまた後ほど」
「う、うん。気にしないで! 仕事頑張ってね」
そう言うと緋陽里はお客さんのところへオーダーを取りに行ってしまった。私はもう一枚のクッキーを食べ、緋陽里が忙しそうにしているところを眺めた。
緋陽里、翔ちゃんのこと高校生だと勘違いしているよね? まぁ、分かるけど。あのあどけなさが残る顔だもんね!
誤解を解きたいけど、今結構混んでいるから下手に声かけられないしな~。緋陽里、忙しそう。けど、普段は混んでいない店なんだし、そのうち話す機会、あるよね?
と、ふと窓の外を見ると、雨が降り始めていた。さっきまで晴れていたのに……。
いけない! 洗濯物を外に干しっぱなしだわ! 今日は天気も良かったから布団も干してるし、濡れたら大変だわ。うちまで走れば五分で着くし、今ならあまり濡れずに帰れるかも!
私は残ったコーヒーを急いで飲み干すと、手早く帰り支度を済ませ、
「ごめんね緋陽里、今日はもう帰るね! また今度!」
「え? ちょっと、翠!」
一言、緋陽里に挨拶を済ませ、うちまで走って帰ったのだった。
*