第24話「花森翠は自覚したい」②
観覧車の中で流れる沈黙の時間。ゴンドラだけが動き、私たちは二人とも数秒間、言葉を口にしなかった。
やがて、私は沈黙を破るように声を出す。
「そ、そうだったんだ! 何だか変な勘違いしていたみたい。もしかして、あの時言った『負けない』ってのも」
「そうだよ。わたしは翔平くんと出会った日からずっと好きだったの。だけど、その翔平くんには特殊な関係のお姉さんがいて、しかもそれが、わたしの知る中で最も美人な友人だったの」
桃ちゃんは先程よりは明るい調子でそう話す。
「ミドちゃんと翔平くんはとっても仲良しで、わたしなんかじゃ勝てないなって思ったの。だけど、諦めたくない! 初恋だから頑張りたい! って思って、イメチェンして女の子らしくなろうとしたんだ」
「じゃあ、髪を切ったのも……?」
「うん。心機一転。新しい自分になろうと思ってね」
そうだったんだ。桃ちゃんは最初から、お姉ちゃんになりたかったわけじゃなかったんだ。
「それで一番ライバルになりそうなミドちゃんに対して宣戦布告したのに、まさかこんな風に勘違いされているなんて、思わなかったよ!」
私は顔がカァっと熱くなるのを感じた。
うわぁ! ここまで盛大に勘違いするなんて、恥ずかしい! どうして今まで気づかなかったの!
そんな様子を桃ちゃんはいたずらっぽく見ている。
「うぅ、恥ずかしいな。そうとは知らずに私は……」
「全く! 弟のことになると本当に周りが見えなくなっちゃうんだね、ミドちゃんは」
「うぅ。おっしゃる通りで……」
自分の悪いクセを指摘され、私は何も言い返せなくなる。桃ちゃんもやれやれといった感じだ。以前に比べたら大分マシになったと思ったのにな~……。
「そういうわけで、わたしは翔平くんの彼女になりたいと思っているの。とは言っても、まだ全然アプローチも成功していないし、向こうはわたしの気持ちなんて、全然気づいていないんだけどね。あはは」
「そうなんだ。なるほど、それが相談事っていうわけね? どうしたら翔ちゃんとお近づきになれるかを私に聞きたかったってことよね?」
私は桃ちゃんの説明を受けて、ようやく今回の相談事の本題が何か分かった気がした。
つまり、翔ちゃんと現状、最も近しい距離にいて、お姉ちゃんである私に恋のキューピッドになって欲しいってことね!
そっか~。桃ちゃんが翔ちゃんのこと好きだったなんてね! うんうん。二人とも、趣味も似ているし学年も一緒だし、気が合いそうよね!
弟に彼女ができるのか~。喜ばしいことよね! 桃ちゃんはすごくいい子だし、翔ちゃんも優しいから、お互いに大事にしあえそうだよね!
……? けど何だろう? この胸の中をざわつかせる嫌な感じは……。色に例えると、灰色とか黒とか、ダークカラーなモヤモヤが私の胸の周りを覆っているような……。喜ばしいはずなのに、翔ちゃんに彼女が出来て欲しくないと心からそう思ってしまっている私がいる。
あ! そっか! 弟に彼女ができた時のお姉ちゃんの気持ちってやつなのかな? 娘に彼氏ができたと聞かされるお父さんみたいな。それの弟版かな?
納得納得。そういうことなら全てつじつまが合うわね。世のお姉ちゃんたちはこういうのもいつか体験することになるのね? そういうことなら、お姉ちゃんとして私も耐えなければいけないわよね?
自分の中で納得のいく理由を模索していると、桃ちゃんは私の推測を否定した。
「違うよ、ミドちゃん。相談事はそういうことじゃない。ここからが、わたしの話の中で一番重要な部分だから、よく聞いてね?」
桃ちゃんは先程まで浮かべていた笑顔をしまい、真面目な表情でこちらの目を見る。
「ミドちゃんは、わたしと翔平くんが付き合うことに賛成? 反対?」
何だ。雰囲気が変わったから何の話をするかと身構えてしまったけれど、改めて私の意思を尋ねただけか。そんなものは決まっている。
「もちろん、賛成だよ! わたしも、できることがあったら協力するね!」
ズキリ
あれ? また……。お姉ちゃんというのは、結構辛いところもあるのね。弟に彼女ができるだけで、こんな風に感じるなんて。
「本当にいいの? もう、前みたいにスキンシップとか気軽にできなくなるよ?」
「それはブラコンの極地にある私にはすっごい辛いけど、やっぱりお姉ちゃんだからさ! こういう時は祝福してあげないと! 翔ちゃんは大切な弟だもんね!」
そっか。桃ちゃんがお付き合いを始めたら私も気軽に翔ちゃんに触れられなくなっちゃうのか。それでも、我慢しないと!
「ううん。違うよね、ミドちゃん。ミドちゃんは、全然賛成じゃないはずだよ」
しかし桃ちゃんは、首を振って答える。
「そ、そんなことないよ? そりゃ、弟に彼女ができるってのはお姉ちゃんとしては辛いけどさ、それを応援してあげるのもお姉ちゃんの務めじゃない?」
「違うの、ミドちゃん! ミドちゃんは、そんなことを気にする必要なんて何もないんだよ! だって、……」
桃ちゃんは、そこまで言うと次の言葉を出すことをためらっているかのように詰まらせる。私は声を大きくした桃ちゃんを見ていることしかできなかった。
だが桃ちゃんは、少しの間を空けて、覚悟を決めるかのように小さく息を吸い込むと、
「だって、ミドちゃんは……、翔平くんのことが男の子として好きだよね?」
その言葉を聞いて、私は驚愕のあまり目を見開いてしまった。
「な、何言ってるの? 桃ちゃん? その答えは前、居酒屋で飲んだ時に話したよね? 翔ちゃんを以前より好きになったのは、ブラコンの延長だって!」
「わたしはそうは思わない! ミドちゃんの家庭で色々あった時に助けてくれた翔平くんのことを、ミドちゃんは異性として好きになったんだよ!」
桃ちゃんの大きな声と言葉の中身に私は驚き、何も言えなくなる。桃ちゃんと私、お互いの瞳が揺れる。
確かに、私が翔ちゃんに対して抱く感情が変わり始めたのはあの時だ。
数秒の静寂を私は破り、反論する。
「で、でも! 今まで通りにお姉ちゃんでいる私に誇りを持つ気持ちがあるんだよ? ほら、今日のお化け屋敷で、怖かったのに私が前に出たのだってお姉ちゃんとしての責任感から来るものだし!」
「それじゃあ逆に聞くけど、今日プールで翔平くんに手を引かれていた時に照れているように顔を赤らめていたのはどうして?」
「私、そんなに顔を赤くしてた?」
全然意識していなかった。
「まだあるよ。居酒屋で飲んだ時も、就活の祝賀会の時も、ミドちゃんが見せた表情はいつもの『弟』のことを考える顔とは違ったよ」
「そう……だった?」
「一緒にいて妙に意識する機会ができたり、以前と違う嬉しさを感じるときがあったんじゃない? わたしは、それが恋だと思うな」
桃ちゃんは曖昧な定義である『恋』について、自分の考えを告げる。ここ最近、桃ちゃんの言った通り、変に意識する機会が増えたのは事実だ。今日のプールの時だってそう。以前なら可愛い弟としか思っていなかった翔ちゃんが、頼もしい一人の男性に見えたのだ。
「ミドちゃんは、翔平くんを好きだっていう気持ちを一緒くたにして考えているんだよ。恋愛の『好き』と姉として『好き』を一緒にしている。むしろ、恋愛感情が目覚める前に重度のブラコンだったことから、全部の『好き』を『姉として好き』に無理やり当てはめているように見えるの」
確かに、さっきまでの私の考え方はまさにそれだった。翔ちゃんが桃ちゃんの彼氏になるって聞いて、モヤモヤが胸に渦巻いたとき、無理やりその方法で納得させた。さっきだけじゃない。これまでだって、何度もそういったことがあったはずだ。
私が翔ちゃんのことを男の子として好きなのだとすると、今までのことは全て説明がつく。これまでブラコンの延長として思っていて、明確な名前を付けることができなかったこの現象。この現象は……恋だってこと?
今いち実感を掴めないまま、頭の中を整理する。だけど、ごちゃごちゃしすぎていてよく分からない。
「うん、そうだよね。いきなりこんなこと言われても戸惑うとは思ってたよ。でも、わたしはどうしてもこれを伝えたかったの。そして、それを踏まえて改めてミドちゃんに対して宣言するよ!」
すると、桃ちゃんは立ち上がり、以前と同じように人差し指で私を指差す。
「わたしは、翔平くんを彼氏にしてみせる! ミドちゃんには渡さないよ!」
桃ちゃんの表情は、真剣そのものだった。何も冗談ではない、全力の宣戦布告。それを聞いた私は、以前の宣戦布告の時に感じたモヤモヤとは違うモノを感じた。
翔ちゃんを盗られたくない、と思う気持ちは一緒でも、そこに『私がお姉ちゃんだから』という一言がすんなり入ってこない。同じようで違う気分だった。
翔ちゃんの隣に桃ちゃんがいるのを想像すると、桃ちゃんの部分に私を当てはめてしまいたくなる。そしてそこに映る私は、お姉ちゃんとしての私ではなく……。
「どう、ミドちゃん? 今の私の宣言でどう感じた? きっと、以前とは違った風に聞こえたんじゃない?」
桃ちゃんには、私の心の内はお見通しのようだ。
「これが、わたしの伝えたかったことだよ。ミドちゃん」
そう言うと、桃ちゃんは再び座席に座り直した。
私はもう一度、桃ちゃんに言われたこと、緋陽里に言われたことを思い出す。そして、最後に翔ちゃんの顔を……思い出す。
いつも可愛い翔ちゃん。顔だけでなく、ちょっと照れ屋なところとか、何だかんだで甘いところとか、ちょっと厳しいところとか。それにツッコミが多いところとか。
でも、意外と大胆だったり、頼りになったり、優しかったり……。
そんな翔ちゃんを、私は好き。……『弟として』?
……あぁ、そうか。そうだったのね。以前は感じていたその感情は、あの時をきっかけに変わっていたんだね。『弟として』だけではなくて、『一人の男の子として』も混ざっていたのね。確証はないけれど、そうなのかもしれない。
私は、じっくり心を整理してから桃ちゃんに話しかける。
「桃ちゃん。私、翔ちゃんに恋しているかもしれない」
今度は自分の口から、その言葉を告げた。
「桃ちゃんが言ったことは全部当てはまるの。あの七月の終わりから、私は確かに翔ちゃんにそれまでと違う感情を抱いていた。だけど、確証がないの。私、男の人を好きになったことってないから」
「そうだよね。こういうのって、定義が曖昧で自分で納得するしかないもんね。だったら、確かめてみればいいよ」
「え? 確かめるって、どうやって?」
「簡単だよ」
そう言って、桃ちゃんは微笑んだ。
「好きな人の隣に行ってみればいいんだよ」
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