第20話「桜井桃果は明らかにしたい」①
小鳥のさえずりが部屋に響く土曜日の朝。天気は快晴。カレンダー上では夏の終盤だというのに、暑さはまだまだ現役で、引退する様子を見せません。しかしその分、日の光が入り込み、部屋の中には文句なしの明るい空間が広がっています。
そんな休日の朝日を浴びながら、わたし、桜井桃果は、
「ポヘ~~~~~~」
部屋の中央に横たわり、スライムとなっていました。
今のわたしを見たものはきっと、こう答えることでしょう。「体がだるんだるんでまるで液体、顔の表情は幼児の落書き。一体なんだ! この奇妙な生物は!」……と。
「ポヘ~~~~~~」
どこかの秘境に佇む小さな村の伝統的楽器が奏でる音のような声が出ます。いえ、それしか出ません。わたしの声帯は楽器に変化してしまったようですね。
そもそも何でわたしはベッドでなくて、わざわざ堅いフローリングの上でスライムやってるんでしたっけ? スライム状態だとベッドが濡れてしまうからでしたっけ?
……あぁ、違いましたね。朝起きて昨日のことを思い出したら落ち着かず、ベッドの上で左へ右へとゴロゴロしていたんでしたね。そしたら、ベッドから落ちてそのままここまで転がってきたんでしたね。立ち上がる気力もないですし、それならいっそここで軟体化しようと思ったんでしたね。見事成功したわけですが……。
どうやらわたしは水属性だったみたいです。ジョ○ョ四部に出てくる水のスタンド、ア○ア・ネッ○レスとはわたしのことです。……冗談です。あんな気持ち悪いスタンドとか嫌です。弱くてもドラ○エのスライムの方がましです。
「ポヘ~~~~~~」
とまぁ冗談は置いておいて、そもそも昨日のことって何でしたっけ? どうやら脳の方まで軟体化しているみたいで思い出せません。
……あぁ、そうでした……。思い出してしまいました。
翔平くんとミドちゃんが、すでに一線を超えるような関係だったということでしたね。
信じられません。わたしはそれまで、ミドちゃんと翔平くんは勝手に設定上の姉弟関係だと思っていました。以前、ミドちゃんに尋ねたときだって、翔平くんのことは恋愛感情に入っていないと言っていました。それなのに……それなのに……こんなのってあんまりです。
「ポヘ~~~~~~」
確かに最初から仲が良かったのは認めますよ? 二人の間には強い絆みたいなものがあったことも知っていますよ。ですけど、ミドちゃんにああ言われたら、付き合っているなんて思わないじゃないですか。
今までのミドちゃんの態度を見てもそうです。最初こそ翔平くんのことが好きなんじゃないかと疑ってかかっていたわたしでしたが、翔平くんと一緒にいるときのミドちゃんは……、何ていうか、恋人のそれとは全然違うんですよ。あくまで弟扱い、子供扱いなんですよ。とてもとても彼氏彼女の関係だなんて、思わないじゃないですか。
「ポヘ~~~~~~」
そろそろ動き出さないと、アルバイトの時間に遅れてしまいます。まだ何も食べていないし、パジャマも着替えていません。寝癖も直していないし、化粧もしていません。体も軟体化したままですし、声も未だに「ポヘ~~~~~~」のままです。このままじゃあ、「いらっしゃいませ」すら言えないじゃないですか……。
わたしは、液体と化した体を何とか中央に集め(イメージです)、立ち上がる。冷蔵庫に入っていたウイ○ーインゼりーを一本、コンビニで買ったチョコチップの入ったスティックパンを一本と野菜ジュースをとりあえずお腹に入れ、身支度を整えます。
今日のアルバイトは気が重いです。こんな調子で、ちゃんと接客できるんでしょうか?
そんな沈んだ気分のまま、扉を開けて、アルバイト先に向かいます。
*
案の定でした。今日は酷いです。
お客さんへ返すお釣りは間違えるし、オーダーは間違えるし、散々です……。いくつかのミスはシフトに一緒に入っていた先輩バイトの陽ノ下緋陽里さんがカバーしてくれましたが、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
「はぁ……」
バイト上がりのロッカールームでため息をつきながらウェイトレスの制服を脱ぐわたし。ロッカーの横に設置された姿見鏡で自分の顔を見ると、そこには酷い顔をしたわたしがいました。こんな顔で接客されたお客さんは、たまったものじゃないですよね……。
「お疲れ様ですわ。桃果さん」
緋陽里さんが一足遅く、ロッカールームに入ってきました。ミドちゃんに負けないくらいの美人さんです。輝く長い金髪とその魅力的なスタイルもお店の制服にマッチしていてつい目を奪われてしまいます。
「……? どうして下着姿で姿見なんて見ていますの?」
「え?」
わたしは制服を脱いだっきり、私服に着替えていないことに気がつきました。「わっ、わっ!」と慌ててハンガーにかけた私服を引っ張り出し、着替え始めます。
「す、すみません。緋陽里さん。はしたないところを……」
「別に同い年なんですから、そこまで気を遣わなくてもいいんですのよ?」
「いえ! そういうわけにはいきません!」
緋陽里さんの言っていることは最もなのですが、そんなに簡単に砕けた喋り方などできません。相手が歳下や学年下ならいざ知らず、相手はバイトの先輩で学年も上です。ましてや、バイト歴が最も長いベテランなんですからね。
ミドちゃんも確かに緋陽里さんと同い年ですけど、ミドちゃんは一年の頃から仲良くしているし、翔平くんも歳下で同じ学年だから敬語を使わないだけです。ただでさえ引っ込み思案なわたしのこと、バイトに入った時点で先輩である緋陽里さんに対していきなりタメ語なんて使えません! 妹でわたしより二歳下の朱里さんにだって、どうにもタメ語が使えないのですから……。
「そうですか。まぁ、無理にとは言いませんわ」
緋陽里さんはそう言って呼び方に固執しないでいてくれます。なんて大人な女性なのでしょうか。この人の行動はお嬢様ですね。優雅すぎます。どうやったらそんな雰囲気纏えるのですか?
「桃果さん。何だか今日は調子が悪いようでしたけど、大丈夫ですか?」
制服のボタンを外しながら、緋陽里さんはそう尋ねます。
「はい……。今日は色々ご迷惑をおかけしてすみませんでした……」
「いいですわ。大したことないミスばかりでしたし、ミスは誰にでもありますもの」
緋陽里さんは何食わぬ顔でフォローしてくれます。わたしはそのフォローが更に申し訳なく思えます。
「何かあったんですか? 話くらいなら、わたくしがお聞きしますよ?」
「えっと……それは……」
わたしは話す気になれませんでした。昔からこうして一人で悩みを抱え込むタイプなのです。それでろくに解決もできず、モヤモヤしてしまいます。根っからのネガティブ思考だとこういう時にめんどくさいです。
「恋の悩みですね?」
「え?」
言い淀んでいると、緋陽里さんはずばりわたしの悩んでいたことを言い当てました。わたしはびっくりして顔をあげます。
「な、何で分かるんですか?」
「悩める乙女の顔をしていたからですわ」
「え、えぇ~! わたし、そんな顔してましたか!?」
わたしは姿見で自分の顔を確認してペタペタ顔を触ります。何だか言い当てられると恥ずかしいですね。
「というのは冗談ですわ。実は、以前翠からあなたの話を聞いていたことがありまして」
緋陽里さんは少しだけいたずらっぽい笑いを見せて本当のことを言います。
「お隣さんから宣戦布告を受けたって聞きましたわ。あなたが翠の隣に住んでいる『桃ちゃん』なのでしょう?」
「え? あ、はい。確かにそうですね」
「あなたも、岡村くんのことが好きなようですね?」
わたしはカーっと顔が熱くなるのを感じた。人からそんな風に言われたことってなかったから……。
「……はい。好きです」
「そうですか」
下着姿の緋陽里さんが私服に着替えながらそう相槌を打ちます。……この人、すごい体してますね。何カップあるんでしょう? Eですか? Fですか?
「岡村くんは人気者ですね。年上の女性から好かれる才能でもあるんでしょうか?」
「ははっ。そうですよね」
「かく言うわたくしも、ですわ」
「え!?」
まさか、緋陽里さんまで!? 翔平くん、年上キラーすぎるよ!!
私が涙目になっていると、緋陽里さんはまた冗談ぽく笑って、
「なんて、冗談ですわ」
クスクス笑ってくる。この人、意外と意地悪ですね! 何だかちょっと認識変わりましたよ。
「ふふっ、翠も桃果さんも可愛いですわね。からかい甲斐がありますわ」
「緋陽里さんひどいです! 人が悩んでいるのに!」
「ごめんなさい。けどこれで、少しは話しやすくなったんじゃないですか?」
「あ……」
そういえば、さっきまでのどん底に沈んでいたような気持ちもちょっとは回復していました。口が軽くなったとでも言うんでしょうか。凝っていた肩がほぐれたような感覚です。
緋陽里さんは、わたしが悩みを話しやすいようにしてくれたんでしょうか? もしそうなら、とんだ策士ですね。
「わたくしは岡村くんのことを狙ってなどいませんから、安心してくださいな。それで、どのような悩みを持っているのですか?」
「えとえと……はい……。実はですね。翔平くんとミドちゃんの関係性を知ってしまって……」
わたしは重い口を開いて、緋陽里さんにそう話し出します。




