第18話「弟は姉を信じたい」①
岡村翔平
「ミド姉は、僕が連れ戻します! 僕もミド姉の実家に行って、母親を説得してきます!」
俺の発言に緋陽里さんは、驚きの表情を隠せない様子だった。
「岡村くんが……、お母様を説得に?」
「はい! 必ず僕が説得してきます! ミド姉に漫画を描かせてもらえるよう、お願いします! そして、ミド姉はこっちでやり残したことがあると伝えます!」
「しかし、岡村くん……。それはあまりに無茶では……?」
「だって、おかしいじゃないですか! ミド姉の夢がこんなに簡単に潰えるなんておかしいですよ! 確かに最初は就活を疎かにしていたかもしれないけど、それだけを理由に実家に無理やり帰らせるなんてやりすぎてます!」
「確かにその通りですけど……」
「それに!」
俺は、声を荒げて譲れないところを緋陽里さんに伝える。
「ミド姉は、絶対に漫画家になれます。それは、弟の僕が一番よく分かっています」
緋陽里さんは、最初こそ止めようとしていたが、その言葉を聞いて、表情を変えた。
「その通りですね。翠の頑張りは、わたくしたちもよく知っていますものね」
そう言って微笑んでくれる緋陽里さん。俺は時間が惜しいため、早速緋陽里さんに尋ねる。
「緋陽里さん、ミド姉の実家の場所を教えてください! 今から新幹線に乗って、行ってきます!」
「分かりましたわ」
緋陽里さんはスマホの地図アプリを起動させ、場所を教えてくれる。大体、二時間ってところか……。思ったより遠くなくて安心だ。
「岡村くん、わたくしは一緒に行けませんが、どうか翠のことお願いしますね。大丈夫、岡村くんなら、絶対に翠を連れて戻ってこれますわ! だって、翠の彼……」
「はい! 必ず説得に成功してきます! ……すみません、話の途中でしたけど、時間も限られているので、もう行きます! ありがとうございます、緋陽里さん!」
そう言って、俺はコーヒーを最後まで飲まずに店を飛び出した。電車に乗った辺りで、コーヒーの支払いをするのを忘れたことに気づいた俺は、メッセージアプリで連絡し、緋陽里さんに泣く泣く立て替えてもらった。
場所も教えてもらったし、立て替えもしてもらったしで、緋陽里さんには感謝してもしきれないな。そういえば、話も途中で出てきちゃったな。何を言おうとしていたんだろう?
けど、今はとにかく新幹線だ! 俺は、乗り換えを調べ、新幹線の出る駅までの道順を検索する。
どうなるか分からないけど、こんな簡単にミド姉の夢を潰しちゃダメだ! 彼女は、俺を必要としてくれた。きっかけに選んでくれた。俺も、彼女がきっかけで少し変わることができた。だったら、今度は俺が彼女のちゃんとしたきっかけにならないとダメだ!
ミド姉が俺の意識を変えたように、今度は俺が、彼女の母親の意識を変えてみせる!
*
花森翠
夕方、母が仕事から帰宅してすぐ、私は母に話を持ちかけた。
朝早くに翔ちゃんの家を出たはいいけど、母は仕事で家にいなかった。仕事が不規則で、朝にいるときもあれば昼や夜に家にいるときもある。いつでも母と話ができるように、家の鍵を開けて、私は待機していた。
「翠、ちゃんと言われた通り帰ってきたのね」
「お母さん、話があるの」
母は靴を脱いで家に上がる。
「話? 話ならすでに昨日のうちについているはずでしょう? 他に何か話すことがあるの?」
「あるわ」
母の口調は、昨日の怒りを込めたそれではなくなっていた。私が家に帰ってきたことで、少しは怒りが収まったらしい。こっちの母への不満は色々あるが、それは今のところ抑えている。
「今まで、就活を疎かにしていてごめんなさい!」
私は、まずは謝罪から入る。
「確かに、私は六月までろくに就活をしてこなかった。それは認める。本当にその通りだよ。だけど、今では本当に全力で就活をしているの! まだ一つも内定を取れていないけど、大学の就活サポートセンターで対策指導も受けている」
私は、頭を下げながら、自分の現状を嘘偽りなく報告する。
「だから、就活もすぐに終わらせる! 今はまだ、内定が出ていない人だって多い時期だし、募集だってある! 漫画だって描いていない! だから、向こうで生活することは許して! 私には、どうしてもやらなければならないことがあるの! なんなら、就活が終わってからでもいい! 私に向こうで生活させて!」
今一度、思いの丈を全てぶつける私。私はまだ、向こうで生活したい。翔ちゃんや緋陽里や桃ちゃんの近くにいたい。漫画だって描きたい。そのために、就活が終わったら向こうに帰してほしいと嘆願する。
「なるほど、謝ってきたのね」
母親は、私の言葉を聞いてそう言う。
「少しは理解できたようね。あんたが就活を疎かにしていたということ」
分かって……くれたのかな?
「だが、ダメだ」
「!?」
瞬間、母の口調は昨日のそれに戻った。母の口から出た言葉は、昨日、一昨日と何も変わらない、否定の言葉だった。
「なん……で……?」
「言わなかったか? 信用できないからだって」
「お母さん!」
私は、下げていた顔を上げて、母に大声を出す。
「どうして、信じてくれないの!? 就活を終わらせるまで漫画は描かないわよ! 今、漫画作成用のパソコンはこの家にあるんだから、向こうに送らなければ漫画を描くことはできないでしょ!?」
「あんたのことだ。手書きでも描くかもしれない。タブレットを持っている知り合いに借りるかもしれない。そうなったら、また就活に支障が出るだろ?」
「そんなことしないわよ! だったら、就活を終えるまではこっちで生活するわよ! それで文句ないでしょ?」
「あんたがそう言っても、あの部屋は解約する」
「っ!? 何で!? 就活さえ終われば文句ないんじゃないの!?」
「言ったはずだ翠。現実を見ろと。向こうに戻って漫画を描いて、どうなる? お前は漫画家にはなれない。三年間投稿し続けてもなれなかったんだぞ? あと半年でなれると思ってるのか?」
「なれる! それに、もしもなれなかったとしても、就職してからも私は描き続けるよ!」
「呆れたやつだな本当に。就職してから描いている漫画で、連載まで勝ち取れると思っているのか? じゃあ仮に、なれたとしてどうする? 本当にずっと売れる漫画家で居続けることができるのか? プロを蹴落として、ずっと漫画を描いていくことができるのか? 答えはノーだ」
「そんなのやってみないと分からないでしょう!? どうしてお母さんは私が夢に挑戦する権利まで奪おうとするの!?」
「現実を何も見えていないやつが、夢を語る資格なんてないからだ」
そう言う母親の表情は、いつの間にか冷たいものに変わっていた。目も鋭くなっている。母の顔を見て、私は悔しさと悲しさで涙を流す。
気づけば、私はその場から逃げ出していた。階段を上がり、二階にある自室に入る。そして、部屋にうずくまる。
母には何を言っても聞いてくれない。何を言っても、私の言葉は届かない。人に信用されないというのが、こんなに辛いなんて……。
私はどうしたらいいの? このまま向こうの家には戻れないの? もう、みんなの近くにいれないの?
私は、どうしたら……。
ピンポーン
その時、うちのインターフォンが鳴る。けど、私にはどうでもいい。私は、変わらず部屋で小さくなったまま動かない。
「あんたは……」
お母さんが、相変わらずの淡々とした調子の話し方だけど、驚いている。誰?
「こんばんは、花森さん。翠さんのことで、話があって来ました」
「!?」
この声、もしかして、翔ちゃん!? 何で翔ちゃんがここに!? 翔ちゃんはうちの場所さえ知らないはずでしょ?
私は、部屋から出て、階段横の廊下で身をひそめる。こっそりと玄関の方を見ると、やっぱり声の主は翔ちゃんだった。息を切らせて、汗だくになりながらもその場にいたのは、まさしく私の最愛の弟である翔ちゃんだった。
*




