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第17話「岡村翔平は力になりたい」①

 その人を最初に見た感想を挙げるのなら、俺の答えは『怖い』だ。


 その人の表情は怒っているようにも見えるし、そうでないようにも見える。ただ少し、眉毛が外側につり上がっていたことから、おそらく怒っているということが判別できるだろう。

 しかし、俺が彼女の機嫌が悪いと感じたのは、そこではなかった。これは、俺が最初になぜ彼女を見て『怖い』と感じたのかにもつながることなのだが……、


 彼女の背後には、とてつもなく大きなオーラが見えたのだ。


 中二病のような言い回しだが、俺は、これまでの人生でここまで強烈な迫力を持った人を見たことがない。中学校の生活指導、兼体育教師だった先生だって、ここまでではなかった。もちろん、俺の親だって厳しく、頭が上がらなかったのは事実だが、この人ほどの恐ろしさはない。

 それほどまでに、この人の持つ威圧感が凄かったのだ。よく、異常に厳しい教師や、ひどい仕打ちを行った他者に対して、「鬼か!」と言うことがあるが、生ぬるい。この人こそ、本物の鬼。俺は、そう感じていた。


 彼女の眼は、ミド姉の姿をがっちり捕らえ、放さない。ミド姉もまっすぐ彼女を見つめるが、顔から汗が落ちており、緊張した表情が見られる。


「よぉ、(みどり)

「お母さん……」


 驚くべきことに、この目の前に立っている女性は、柔和で穏やかなミド姉の母親ということだった。


「何でお母さんがここにいるの?」

「それは、この部屋の中を見れば分かる」

「部屋?」


 そう言う女性の言葉にミド姉は一瞬怪訝そうな顔をするが、マンションの渡り廊下を通り、鍵を開ける。

 鍵を開けたミド姉が、履いていたサンダルを脱いで部屋に上がる。


「え!?」


 ミド姉の驚く声が聞こえる。俺は、渡り廊下に立っていたがミド姉の声を聞いて、部屋に向かって早足に動き出した。部外者である俺が部屋に向かっていく様子をミド姉の母親は黙って見ている。


 ミド姉の家に入り、彼女が立つところまで行く。俺も、その光景を見て絶句した。


 かつて、ミド姉の部屋に置かれていたベッド、作業台、ローテーブル、本棚といった大きな家具が消えていた。その消えた家具の中にはもちろん、作業台の上に置かれていた漫画作成用の液タブやデスクトップパソコンも含まれている。



「これ、どういうこと!?」

 ミド姉は、いつの間にか玄関に立っていた母親の下まで行くと、怒りを露わにする。

「見ての通りだ。あんたの家にあった家具のいくつかは、もうない」

「まさか捨てたの!?」

「いや、実家に送った。引っ越し業者を呼んでな。全ての荷物を送っていたらうちがパンクしちまうから、衣服とか細々したものは送っていないがな」

「何でこんなことするのよ! それに、パンクするって言うなら、何で大きい荷物ばっかり!」 

「『何で』、だって?」


 ミド姉がそう言うと、母親は初めて表情らしい表情を見せた。目を細め、上から見下ろすようにミド姉に告げる。


「言ったはずだぞ? 『うちに戻ってきな』ってな」

「だから私も言ったでしょう!? 私は家に帰らないって!」

「そして私も言ったはずだ。『そっちがその気なら、こっちにも考えがある』ってな」

 ミド姉は、そのときハッとして何かを思い出す。俺はこの二人のやりとりを部屋から遠く、ただ眺めているしかできない。


「だからって、ここまでする? 勝手に人んちに入って、生活に必要なものを勝手に送って……」

「別にあんたがいてもいなくても強引に送るつもりだったけどな。どうやら今日は一日中どこかに出かけていたようで好都合だったよ」

「信じられない……。そこまでして私に漫画を描かせたくないわけ?」

「あぁ、そうだ。どうせあんたを連れ戻すつもりだったから、別に物を送る必要だってなかったんだが、私が本気だというのをあんたに分からせてやろうと思ってね。昨日も言ったが、漫画を描いていて就活を真面目にやらないような奴に家賃や生活費を出してやるつもりは私にはない」

「だから言ったでしょう!? 漫画に集中していたのは事実だけれど、それでも今では就活に専念しているって言ったでしょ!?」


 ミド姉は母親にありのままの事実を訴え掛ける。俺もそのことについては知っていたし、何も脚色していないと分かっていた。

 しかし、ミド姉の母親は表情を一つとして変えずに続ける。


「そんなこと、信用できるわけないだろ?」

「くっ……! 何で……。何で信じてくれないの!」

「昨日の話を聞いて、あんたが就活に力を入れていないのは明らかだ。未だに二社しか受けていないような、現実を見えていない奴が、どうせなれもしない漫画家なんていうくだらない夢を追っているせいで、就職先も見つからない。私は、そんな進路の妨げになるような夢は応援しない」


 今まで黙っていた俺だったが、夢を馬鹿にするこの母親の言葉にはカチンときたため、家庭の事情に関係ない全くの部外者が口を挟むことは失礼だと重々承知ながらも、つい口を挟んでしまった。


「あの、お言葉ですけど……、花森翠(はなもりみどり)さんの追っている夢は、くだらないものなんかじゃないですよ」


 ミド姉の母親は、ミド姉に合わせていた視線を部屋にいた俺のところまで上げた。


「あんたは、何?」

「花森翠さんの後輩です」


 いつものように『弟』と言うことはできない。こんな場面で、変に話をこじらせる必要はないし、何よりこの人は、ミド姉の母親だ。嘘として『弟』などと言っても通じないのは明らかだ。


「花森翠さんの目指している夢は素晴らしいものですよ! そのための努力もちゃんとしているし、絵も上手で実力があります! なれないと決めつけるのは早計なんじゃないですか?」


 母親の俺を見据える眼は相変わらず鋭く、俺はまるで自分の瞳に槍を刺されているがごとき感覚を持つ。しかし、譲れないことなので真っ直ぐに彼女を見る。というか、目線を逸らしたくても、金縛りにあったように動かせない。


「早計なんかじゃないな。翠は大学三年間、漫画を投稿し続けている。それなのに一度も編集者の目にとまったという報告は受けていない。これはつまり、才能がないってことだろ?」


 ここまでの会話でも何度も思ったが、実の娘を相手にここまで残酷なことを平気で言うなんて……。ミド姉は、握りこぶしで悔しそうにしている。


「それにだ、机に立てかけてあった過去に持ち込んだであろう原稿を見たが、漫画編集者の私の目から見ても駄作だ。絵はうまいかもしれんが、話が壊滅的。こんなので実力があるだなんて、よく言えたもんだ」

「それは過去の翠さんの作品でしょう? そういった過去の失敗も経験して、今の翠さんの作品は上手くなってきているんですよ。この前の同人誌即売会でだって、かなりの冊数を刷ったはずだったのに、文句なしの完売ですよ? 実力は十分だと思いますけどね」


 事実、ミド姉の印刷した同人誌の冊数は、そんじょそこらのサークルで完売できるとは思えないほどの量だった。正直、余り覚悟で印刷していると思ったほどだ。固定ファンもついているし、あの量の同人誌を完売させるほどの実力者などそういないだろう。


「翠には言ったがな、同人と商業誌というのは違うんだよ。同人誌のように自分と同じ趣味を持つ内輪だらけの集まりと違って、商業誌は世間一般の人物すべてが読者だ。例えるなら、高校の部活動でその高校内で自分がうまいと言っているのと同じだ。大会に出れば、腐る程うまい奴らはいる。部活動のチームだけでなく、地域のチームに入っている奴もいるだろ? そんな小さな集団の中だけでうまいと言われても、周りが見えていない天狗野郎としか思えないね」

「っ……」


 悔しいが、何も言い返せない。冷たいながらも、正論を述べてくる彼女の言葉に俺はすぐに反論ができなかった。


「そ、それでも! 今の翠さんの話は面白いですよ! それに何より、諦めない強さがある。漫画家に必要なのは、絵や話の才能もですけど、こういったものだってないといけないですよね? 翠さんは両方兼ね備えているんですよ? これってそうそう簡単に持てるモノじゃないと思いますけどね」


 それでも俺は、額に汗しながらも必死に反論を搾り出す。ミド姉の母親に、ミド姉がどれほどの熱意を持っているか分からせてやりたいと思ったのだ。しかし、ミド姉の母親はひるむことなく次の言葉を即座に出す。


「お前は分かっていないな。漫画家になれる奴はそういったものを持っていて当然なんだ。連載を続けているプロでそれを持っていない奴はいない。途中で辞める奴もいるが、そいつはしょせんそこまでの奴ってだけだ。つまり翠が、そう言った負けん気を持っているから漫画家になれるって理論は、お門違いにも程があるってことなんだよ」

「けど、条件は揃っているじゃないですか……」

「そんな才能に溢れた奴でも、漫画家になれない奴は世の中にごまんといる。埋もれていく奴がいる。絶対なんて、この世には存在しないんだ」


 俺は、再び反論を繰り出そうと口を開くが、言葉が出てこない。この人の言うことは一つとして間違っていない。俺も不覚にも、その言葉に納得しかかってしまい、言葉を紡ぎ出すことができない。


「翠、現実を見ろ。今お前がすべきことをやれ。いつまでも子供みたいに甘えてるんじゃない。遊びの時間は終わったんだよ」


 そう言って、ミド姉の母親はついに一度も履物を脱がずに玄関の扉を開けた。そして、閉める前に一言言う。


「他の荷物は後日手配する。明日の夕方までに実家へ帰ってこい。でないと、今度はこんなんじゃ済まさない。最悪、大学方面にも対策を入れる」


 そう言って、強くも弱くもなく、扉を閉めた。会話の大半を無表情で終えた彼女は、まるで氷のように冷たい人だった。


 ミド姉は、玄関の前で立ち尽くし、ひたすら扉を見たままだ。俺は、何にも力になれなかった不甲斐なさでいっぱいで、そんな彼女の背中を後ろから眺めているしかなかった。


 後ろ姿だったので見えるはずもないのだが、なんとなく、彼女の頬から一筋の涙が流れている気がしてならない。ミド姉はこちらに振り返ると、


「あはは。ごめんね。みっともないところ見せちゃったね」


 辛そうに笑顔を作りながら、そう言ってきた。その顔には、涙の跡などはなかった。


「ミド姉……」

「気にしないでよ翔ちゃん。あんなのお母さんが勝手に言っているだけで、私は実家に帰る気なんてないんだから!」

「そ、そうですか……」

「大体、横暴なのよね! 勝手に人の家に入って好き勝手言ったと思ったら、すぐに出て行くし。おまけに家具まで勝手に送っちゃうんだから、最低の親だよホント」


 ミド姉は、明るくしようとしているが、嘘をつくのが苦手な彼女のこと。気丈に振舞っているのがバレバレだ。


「そうだ翔ちゃん、うちでご飯作ってあげるんだったね! あ、だけど冷蔵庫がないから作れないわ。しょうがないから、どこかに食べに行こっか!」

「ミド姉……」


 俺は、せめて今、俺が彼女にできることをしてあげたかった。けど、一体何があるんだ? こんな明らかに普通の事態じゃないのに一体、俺には何ができるんだ? 


「ミド姉!」

「翔ちゃん?」


 考えがまとまらなかったが、とりあえず俺はこう提案する。


「それじゃあ、うちに泊まりに来ませんか?」


 俺は、初めて自分から、ミド姉に泊まりを提案したのだった。


 *


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