第2話「花森翠は呼ばれたい」①
「ねぇ、翔平くん……。そろそろだと思うの」
明るい茶髪に付けられた大きな白黒リボンを見せながら、俺の前を歩いていた彼女が唐突に立ち止まり、こちらを見ずにそうつぶやいた。
スカートをヒラリとさせながら、こちらを振り返ると、その表情に照れを見せながら、何かをねだる様な声を出す。
「……今日、うちに寄っていかない?」
「花森先輩!?」
彼女が提案したのは自宅へのお招きであった。当然、俺の声は上擦ってしまう。
彼女と知り合って一週間、俺と彼女の関係性はレース終盤、トップギアにまで上がったF1カーのごとく加速したようだ。
この一週間で彼女と会った回数は五回。実に週の半分以上の頻度であった。初日の邂逅と二日目を除けば、三日……。距離を縮め、関係性に急展開が訪れるのにちょうどいい期間だ。
新学期が始まったとはいえ、講義のオリエンテーション期間であった今週は、全ての科目が三十分程度で終了し、比較的時間のある週だった。彼女はと言えば、文系の大学四年生。ほとんどの科目を三年次までで修了しており、週に一日学校に行けば良いとのことだ。そのため、ここぞとばかりに今週の空いた時間を彼女に費やした。
お昼ご飯を食堂で食べたり、広い構内の散策、講義が丸々一日ない……いわゆる全休と呼ばれる日には、二駅ほど離れた大規模なショッピングモールへ買い物に出かけた程だ。
最初こそ、お昼ご飯を食べるだけで緊張した様子を見せていた二人だったが、積極的な彼女に引かれるように時間を過ごしているうち、緊張感はいつの間にかほぐれたようだ。
そうして迎えた本日は週末、金曜日の夜。次の日が休みという絶好の機会に彼女は我慢していたその思いを告げた。
「私……、次のステップに行きたくて……」
「で、ですけど、女子大生の先輩の家に男が行くのは流石にまずいでしょうよ!」
「翔平くんなら……いいの!」
「ですけど僕、どうすればいいか分からないですし……何より恥ずかしいんですってば!」
「お願い……。お願い翔平くん……」
彼女はもう限界とでも言うように小さくつぶやくと
「そろそろ、じゃれあう姉弟のシーンを再現してみましょ!」
「……」
難易度の高い要求をふっかけてきた。
「普通の姉弟っていうのは、意図的にじゃれあったりしないですってば!」
「でも私たち、まだ姉弟らしいこと、買い物くらいしかしてないし……。そろそろ次のステップに進んで、あんなことやこんなこともしてみたいの!」
「言い方! さっきからその言い方だと勘違いする人が出ますし、僕の心臓にも良くないですって!」
この人、どうやら天然らしいな。ここ一週間過ごしていて分かってきたことだ。
俺、岡村翔平が彼女、花森翠さんと出会い、「弟になってほしい」宣言をされてから一週間。俺たちは先ほどの説明通り、ほぼ毎日一緒に過ごしていた。
「姉弟っぽく振る舞えるようになるには、まずはお互いを知ってからだね!」という花森先輩の提案により、まずは赤の他人であった俺たちが少しでもどんな人柄であるかを知るところから始まった。
「姉弟」というのは本来、弟が生まれた時点からずっと同じ空間で過ごしてきているもののため、自然と人柄を把握していく。しかし、あくまで俺たちは「一週間前」に初めて知り合いになり、姉弟になった……いや、正確には「姉弟という設定を作った」ので人柄自体を理解していない。そのため、一理あると思った俺は、講義の忙しくない今週にできるだけ彼女と接するようにしてきたのだった。
ご飯を食べながら話したり、散歩しながら話したり、買い物に付き合ってみたり。今日は二駅先のショッピングモールまで買い物に行き、今はその帰り道だ。
姉弟としての振る舞いと言ってもどのようにすればいいのか分からなかった俺は、通常運転で彼女に接した。彼女は、姉主張を繰り返したり、俺を子供扱いしたりと早速、自身の想像している「姉」の振る舞いを実践していた。それはもう……ノリノリに……。
「むぅ、この一週間、結局翔平くんは私のこと一度も『お姉ちゃん』って呼んでくれなかったし……」
「いや、だって、人前じゃないですか! それに、一度もって言いますけど、一回はちゃんと呼んだじゃないですか!」
「だってあのときの言い方はすごく棒読みで全然感情込めてなかったでしょ! もっと、甘えてくるような感じに『お姉ちゃん』って呼んで欲しいの!」
「恥ずかしすぎてそんなの人前で出来るわけないじゃないですか! シスコンって思われますよ!」
腕をブンブン振りながら駄々をこねるように無茶ぶりをする自称「姉」。どっちが子供か分からない。
「だから、誰もいない場所だったら恥ずかしくないんじゃないかって思って、部屋に誘ってるんだよ」
「けど、こんな出会って一週間しか経っていない男を一人暮らしの女性の部屋に招くなんてそれは……」
つい、変なことを想像しかける俺。いや危ないってほんと。男子大学生の理性を侮らないで欲しい。それにこの人、なんかガード緩々でちょっと心配になる。買い物してたときだって、気軽に手つないでくるし、腕組んでくるしでこっちは変に周囲からの目が痛かったんだから……。特に道行く男から……。
俺の説明で男子大学生の苦悩について悟ったのか、
「なるほど。そっかそっか」
と花森先輩は頷いて見せた後、
「お姉ちゃんなのに意識しちゃってるんだね? エッチな弟だな、もう♪」
俺を完全に弟扱いしてきた。
彼女、俺のことを本当の弟だと思ってる。てか、いつからこんなに「姉」と「弟」で意識に差が開いたの? まだ一週間しか経ってないのにこんなに意識変えることって可能なの? 俺なんて自身のことを設定上は弟だと理解はしていても、まだ弟だと意識していないってのに……。過ごした時間は同じはずだよね? 俺が頭固いだけなの?
と、ワタワタしている俺を見てクスクス笑いながら、
「とまあ、冗談は置いておいて、まだ出会って一週間しか経っていないとは言え、この一週間で私もそれなりに君の人柄について理解したんだよ」
と続けた。
「まだ君の全部を知っているわけではないけれど、少なくとも君は、人を簡単に傷つけるような人じゃないってことは分かったわ。だから、出会ったのが本当に君で良かったって思っているんだよ?」
一見、欲求だけで言葉を発しているのかと思いきや、しっかり俺のことを見ていたらしい言葉を口にした。
「よく……そんなこと、自信持って言えますね」
「目を見れば分かるの……。君は誠実そうで、優しい目をしてる」
「~~」
ついつい顔がカッとなる。こういうことを天然で言えてしまう辺りがこの人の魅力なんだろうな。
「まぁ、確かに一人暮らしの女性の部屋に二人きりってのは緊張して窮屈かもしれないけど、頑張ろう♪ それに、明日は土曜日で翔平くんも休みだろうから、夜中にモデルも協力して欲しいの」
「分かりましたよ。理性を保てるよう頑張りますよ。いい作品ができるのなら、僕にできることは協力させてもらいます」
花森先輩は満面の笑みでありがとうと言うと、
「よーし、今日は徹夜でがんばるぞ~」
と気合を入れ直した。
*
「はい、着きました! ここが私の家です!」
駅から歩いて十五分、閑静な住宅街だ。この地域は山を切り開いて作られた比較的新しい街であり、駅や大学といった主要な施設は標高の高い場所に位置している。うちは、割と山の頂上付近にあるのだが、花森先輩の家は山と山の間、いわゆる盆地と呼ばれる所にある。大学まで行くのに徒歩十分、ひたすら上り坂を登っていかなければならないので、中々ハードに感じる。自転車でもあれば帰りは楽なんだろうな……。
「結構新しそうな建物ですね! オートロックまでついてますよ。高いんじゃないですか?」
三階建ての全体的に長方形の整った外観をした小さなマンションだ。全ての部屋にベランダがついており、向きも南向き。何といってもシンプルがゆえのお洒落な雰囲気を感じる建物だ。
「私はいらないって言ったんだけどね、『女の一人暮らしは危ない』って親が聞かなくて……。だけど、立地なのか思っているほど家賃は高くないのよ」
オートロックを開錠しながら彼女は苦笑いでそう答える。
分かる。この人、無防備なところあるもんな。心配になっても仕方ない。
マンションの階段を三階まで上がり、奥から二番目、三○五号室が彼女の部屋らしい。
うわ、緊張してきた。
俺の何度目か分からない緊張をよそに、花森先輩は鍵を開ける!
「ようこそ、我が家へ! 散らかっているけど、ごめんね」
「いえいえ、そんな、全然気にしないですって!」
扉が開き、美人な先輩女子大生の部屋に足を踏み入れたのだった。
「……!!」
靴を脱いでキッチンを抜けたワンルームの扉を開けた俺は、つい、その場で佇んでしまった。目をパチクリさせて、部屋全体を見回す。
「どうしたの? 遠慮しないで入っていいよ」
一足先に部屋に入った花森先輩が不思議そうに尋ねる。
「あの、花森先輩……これは……」
「?」
俺は、その部屋の光景が信じられず、先輩に尋ねた。
「ちょっと散らかっているけど、気にしないでね♪」
「これはちょっとの散らかり方じゃないですよ!?」
部屋全体に服やら漫画やら、小型音楽プレーヤーといった電子機器類やらテレビのリモコンやらペンやらが……乱れまくっていた。
こんな漫画みたいな散らかり方、初めて見た。一体どんな生活したらこうなるんだ……。人は見かけによらないと言うけれど、こんな美人の部屋がまさかここまで汚いとは誰も予想できまい。
「翔平くん、気にしないって言ったじゃない」
「確かに言いましたけれども! これは流石に気になるレベルですって!」
「男の一人暮らしなんてこんなものでしょう?」
「あなた女の子じゃないですか!」
「まぁ、確かに少し汚いとは思うけど、この配置は全部完璧に計算されているのよ! ドヤァ」
「得意げに話さないでください! 誇れませんから! それ、部屋汚す人が必ず言うセリフの一つですから!」
「だけど私、ゴミはちゃんと捨てるようにしてるからゴミ屋敷には程遠いと思うわよ」
「ゴミ屋敷一歩手前の状態ですよこれ! ここにゴミ袋を数個おいたらもうゴミ屋敷になっちゃいますって!」
キッチンスペースに入ったあたりから悪い予感はしていたんだけど、ここまでとは予想外だった。シンクに洗っていない食器がいくつも重なっていたしね。まぁけど、俺も洗わないで食器を一日くらい放置することはあるから素通りしたけど、今思えばあの食器、水につけてなかったせいで汚れがこびりついている気がした。
「まぁまぁそんなことは気にしないで、早速姉と弟、姉弟水入らずの触れ合いを演出して……」
「……ますよ」
「え?」
全く気にした様子もない花森先輩に俺は、珍しく大きな声で
「掃除しますよ!」
と言ったのだった。
*




