第14話「岡村翔平はアルバイトがしたい」②
朱里からの電話を切り、すぐさま別の人物に電話をかける。
『もしもし、翔平くん!? どうしたの夜に!』
何やら興奮気味のモモが電話に出る。モモは夜型なのかな?
「こんばんは。モモに話があるんだけど、今いいかな?」
『話? どんな話?』
「モモ、俺と一緒にアルバイトしない?」
『ヒャイ!?』
なんだ? また変な奇声上げたぞ? 前から気にはなっていたけど、モモって滑舌悪いところあるよね。
『ババババババイト!? 翔平くんと一緒にバイト!?』
「う、うん。そんなにおかしいこと言った?」
『いやいや全然言ってない! でも、なんで急に!?』
「実は、知り合いの働いている喫茶店の従業員が足りなくて困っているらしくて、男女一名ずつ知り合いを連れてくるよう頼まれたんだって」
『あ、あーなるほど! そういうこと! びっくりしたー!』
モモは俺の説明で得心したような声を出す。
『……いきなり一緒にバイトしようと誘ってくるもんだから、つい勘違いしちゃったよ……』
なんだか小さい声でぼそぼそ話すモモ。何で急に小声なんだ? 勘違いって? 数いる女子の知り合いの中からモモを選んだと思って困惑してるのかな?
「勘違いって言われても、俺には女子の知り合いが少ないからモモくらいしか頼める人がいないんだよ」
『あれ!? 聞こえてたの!? 結構小さくつぶやいたのに!』
「確かに小さかったけど、聞こえてたよ?」
『翔平くんって結構地獄耳だよね!』
「そんなことないと思うけど……」
モモのやつ、何でこんなにテンション高いんだ? ミド姉も朱里もテンション高めだし、女ってこういう生き物なのかな。
『けど、頼れる人がわたしくらい……か。うん! 今バイトしてないし、もうすぐ夏休みだから、わたしもバイトしたい!』
「本当に? 助かるよ! それじゃあ事務的なことになるけど、メモとってもらっていい?」
俺はさっき朱里に聞いた初出勤の日にちとバイトの条件について伝えた。モモも資金に困っていたのか、バイトをするのが楽しみのようだ。俺としても、新人に友人がいてくれるのは心強い。喫茶店には朱里や緋陽里さんがいるけれど、職場の先輩だから立場が同じとは言えない。
って、そうか……。職場では朱里の方が先輩になるのか……。それは嫌だな。普段から上からな態度の金髪暴言女が、公式に先輩となって正式に命令してくるのか……。一刻も早く業務をマスターして、対等な立場になってやる。
バイトに対する意気込みを高めて、俺はモモとの通話を切った。
*
桜井桃果
「やっほーーーーーーーう!!」
まさか、翔平くんがアルバイトに誘ってくれるなんて思わなかったです! 翔平くんと一緒にバイトか! ふふ。つい、顔がにやけてしまいます。
「バイト中、もしかしたらこんなことになるかも……」
わたしはそのまま妄想の世界に足を運びます。
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「翔平くん、コーヒー入れたんだけどどうかな? 今ならお客さんいないから、ちょっと一服しない?」
「いいね。飲もう」
わたしの入れたコーヒーを飲む翔平くん。すぐに顔色を明るく変え、こんな嬉しいことを言ってくれます。
「うまい! もうマスターの入れたコーヒーの味と変わらないくらい美味しいよ!」
「えへへ、そうかな~?」
「桃果の入れたコーヒー、毎日飲みたいな」
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なーーーーんて! それってどう言う意味? 翔平くん! 意味深に聞こえちゃうよ!
一人で馬鹿な妄想を繰り返しては大騒ぎするわたし、馬鹿ですね。えぇ、馬鹿ですとも。
そもそも、勤務中に一服していいわけないでしょう。マスターと同じ味が作れるようになるまで、一体何年かかるんでしょう。
ま、でも馬鹿な妄想は置いておくにしても、一緒にバイトできるのは、翔平くんとの距離を縮めるチャンスだ! 勤務中はマジメに働いて、できる女アピールしつつも、バイト終わりには別の魅力をアピールして、翔平くんともっと仲良くなってやるんだから!
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岡村翔平
通い慣れたいつもの喫茶店に向かう。今回は客としてではなく、店員としてだ。アルバイトの経験は初めてではないけれど、初めての職場というのは緊張する。俺は、いつもとは違う足取りで道を歩く。
やがて、いつも通っていた喫茶店『ブラウン』にたどり着く。いつも開けている扉なのに今日の扉はいつもと違う扉のように感じた。しかし、緊張ばかりもしていられない。俺は、勢いよく扉を開け、店内に入る。
店内のお客さんは一組だけ。本日は土曜日だが、現在、朝の十一時だ。伝えられていたシフトの時間ではないが、お客さんが多く来る前に、顔合わせをするらしい。と言っても、知っている人ばかりだから、今更ではあるんだけどね。
「来たわね翔平。まずは店のバックルームに行って頂戴。そこに、制服を用意しているから、それに着替えたら表に出てきて!」
明るい金髪を携えた女性店員が早速俺に指示を出す。俺は、言われるままにバックルームに向かう。
「翔平くん、おはよう!」
「モモ、もう来ていたのか」
「うん、今日からよろしくね」
バックルームには、俺と同じ新人であるモモがすでに来て、制服を着て待機していた。
バックルームには小さな更衣室がある。ロッカーが二つ置いてあり、そのうちの一つにはカーテンで覆えるようになっている。どうやら、バックルームは男女共通のようだが、着替えの配慮がきちんとなされているらしい。
俺は、ロッカーに用意されていた制服に着替える。上は白のワイシャツにバーなんかで良く見るベストをつけ、下は黒のチノパンに上から焦げ茶色のロングエプロンというスタイルらしい。ちなみにモモや朱里といった女性は、上は白のシャツ、下は黒の肩掛けスカートというスタイルだ。メイドとは言わないが、スカートから見えるヒラヒラがメイドに見えなくもない。
俺たち二人が表に出ると、朱里が待っていた。
「桜井さん、制服似合っているわ。サイズもばっちりみたいね」
「あ、ありがとうございます」
「翔平、あなたはなんだか似合わないわね。やっぱり童顔だからかしら?」
「ほっとけ!」
これからアルバイトに入る新人にいきなり似合ってないとか言うなや! モモ、お前の方が歳上なんだからこいつに敬語は不要だぞ!
「それじゃあ、ちょうどお客さんも帰ったことだし、顔合わせをするわよ。と言っても、もう翔平とあたしは顔なじみだから、必要ないわね」
そう言って、朱里は改めてモモの方に向き直り、丁寧に自己紹介をした。
俺はすでに二人のことは知っているため、特に自己紹介はしないでいいらしい。
「あたしもここでのバイトを始めて二ヶ月だけど、すでに色々こなしているし、あなたたちもすぐに慣れると思うから安心していいわ。今日は研修ということで、あたし含めて三人だけど、そのうち二人になると思うわ」
そういえばそうだよな。朱里がバイトを始めたのって、俺との初対面のちょうど後くらいだった気がするし。
「それと、この店のマスターを紹介するわ」
厨房の方から、ヒゲを生やしたものすごく見た目が渋い男性が出てきた。まるで、バーテンダーだ。大人の男性という風貌を漂わせるマスターは、俺たちの前で立ち止まる。今度は俺も、マスターに挨拶をする。
「岡村翔平です! 雇っていただきありがとうございます! よろしくお願いいたします」
「桜井桃果です! 接客頑張ります! よろしくお願いします!」
「うむ……」
マスターは俺たちの自己紹介に相槌をうつ。俺たちは顔を上げ、マスターの自己紹介を聞こうとそのままの姿勢で待機する。
「さて、これでマスター含め全員の自己紹介が終わったわね。それじゃあ業務の説明をしましょうか」
「「え?」」
俺とモモは、同時に疑問の声を上げた。
「何よ、どうかしたの?」
「いや、まだマスターのことを聞いてないから……」
「マスターなら、今自己紹介したじゃないの」
「は?」
何言ってるんだ、この金髪? マスターは今、俺たちの自己紹介に対して相槌を打っただけじゃないか。マスターは目をつぶったまま、こちらに顔を向けている。腕を組んで立つ様がこれまたしっぶい。
「いや……」
マスターはまた一言つぶやき、俺とモモに握手を求めたあと、厨房に戻ってしまった。
朱里は、「あーそうか」と何かを思い出したかのような反応をし、説明に補足を入れる。
「言い忘れていたわ。マスターは寡黙なお方なの。普段は全然喋らないわ。それとちょっと言葉足らずな言い方で新人のころは何を言っているか分からないかもしれないけど、慣れてくれば、その言葉を理解できるようになるわ」
「どういうこと!? 朱里にはマスターの言っていることが理解できているってこと!? あの短い言葉に意味が含まれているの!?」
「そうよ」
朱里が当然のように言った言葉に対し、俺とモモは全然理解が追いつかない。
「最初の『うむ……』ってのは、何て言ったんですか!?」
「あれは、『こちらこそ喫茶店「ブラウン」に来てくれてありがとう。歓迎するよ、岡村くん、桜井くん。私の名前は市川大五郎。この喫茶店のマスターをやっている。今後とも、よろしくお願いするよ』って言っていたわね」
「長っ! あの一言の中でそんなにたくさんの意味合いが含まれていたんですか!?」
「え!? じゃあ、さっきの『いや……』っていうのは!?」
「あー、あれは、『私は普段あまり喋らないからね。どうしても声が小さくなってしまったのかもしれないな。しかし安心してくれ。従業員とコミュニケーションをとるのは嫌いではない。私に対しても構えず、気楽に話しかけてくれて構わないよ』って言っていたわね」
「優しい! マスター優しいね! すっごい俺らを気遣ってくれてたけど全然気づかなかった!」
俺たち、マスターとコミュニケーションとるのを初っ端から失敗してるんだけど、本当に慣れればそこまで理解できるようになるのかな? 一抹の不安を覚えつつも、とりあえずそれについてはスルーして、業務説明に入る。
やることはいたって簡単。基本的に料理も飲み物もマスターが作ってくれるので、俺たちはマスターが作り終えたコーヒーをカップに移したり、注文をとって運んだり、テーブルの片付けをするだけ。お客さんがいっぱいになってマスターの手が足りなくなったら、簡単なメニューは担当することになるが、今の時点ではそれはない。接客であれば、以前働いていたコンビニのノウハウがある。なんとかなるだろう。
正午になってから、お客さんは増え始め、満席の状態が続いた。研修である俺とモモだったが、お互いにアルバイトの経験があるため、接客自体に問題はなし。元々の人数が一人だったためか、人数が三人いる今は余裕を持って店をまわせている。朱里も俺たち二人が接客のバイトをしていたことを知らなかったらしく、ここまで余裕になるとは思っていなかったようだ。
「やるじゃない! ちょっとは役に立つみたいね」
「接客のバイトの経験が役に立ったみたいだ」
「これなら、ストレス抱えずにアルバイトを続けていけそうです!」
モモと同意見だ。融通も効くし、いいバイト先が見つかった。まさか、通っていた喫茶店で働くことになるとは思わなかったけど、お気に入りの店でバイトというのは働く側も心地よいものだ。
インターンシップが始まる八月中旬までに、交通費を稼ぐことができそうだ! あと一ヶ月で、できる限りバイトするぞ!
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