第14話「岡村翔平はアルバイトがしたい」①
陽ノ下朱里
「はぁー」
喫茶店の従業員用ロッカールームでため息をつきながら着替えをする。今日もお店のお客さんが多かったため、疲れた。最近のうちの喫茶店はお客さんが増え、ウェイトレス一人じゃろくにお店をまわすこともできなくなってきている。あとでマスターに従業員を増やしてもらうようお願いしてこよう。
それとは別に、あたしのため息には理由がある。それは、
「名前も連絡先も、何で聞かなかったのかしら……」
先日、駅でメガネを落として何も見えなくなったあたしを助けてくれた、王子様についてだった。家に帰って予備のメガネで顔を見ると、その顔は超絶イケメン! 態度こそ、典型的なチャラい大学生ではあったが、どことなく不真面目な印象は受けなかった。むしろ、紳士的にあたしを家までエスコートしてくれた。まさに運命の出会い!
しかし、あのときのあたしは舞い上がっており、連絡先はおろか、名前すら聞いていない。あの方がどこに住んでいるのか分からない。かろうじて分かるのは、年齢が二十一で、染め上げられた髪色から、大学生だろうと推測できるくらいだ。つまり、再会しようにも、どうやったら出会えるのか分からないのだ。
せっかく出会えた運命の王子様なのに、なんて勿体無いことをしてしまったのかしら! あのときのあたしに連絡先と名前を聞くように告げてやりたい。
しかし、駅の最寄りがおそらくここであるだろうから、きっとまた会えるはず……。あたしは、前向きにそう考えることにして、ロッカールームから出る。
「マスター、お疲れ様です。少しいいですか?」
気を取り直して、従業員の増員について相談をする。
「最近、昼から夕方の時間にかけて、この店にもお客さんが増えてきていますよね? それで、シフトが一人っていうのは厳しいので、増員しませんか? 前回のバイトの人がやめてあたしが代わりに入ったことで今までは何とかなっていましたけど、あたしとお姉さまだけで二人シフトにしてお店をまわすのは、ちょっと無理があると思うので」
「ふん……」
マスターに、あたしの知り合いを連れて来てくれないかお願いされる。
「えっと、男女一名ずつの合計二名ですか? どちらもあたしの知り合いでいいんですか?」
「うむ……」
「はい、分かりました。確かに、最近はお姉さまよりあたしの方がシフトに入っていますものね」
「あぁ……」
「え? あたしの紹介だったら面接は不要ですか? 即採用? マスター、流石にそれは……」
「いや……」
「陽ノ下くんを信用しているって……。そう言われても……。はぁ、まぁ頑張っていい人材を見つけてみます」
マスター。光栄ですけど、あたしのこと高く評価しすぎじゃないかしら? 確かにあたしはよく働いていると思うけど、あたし……、女子大だから男の知り合いとかいないわよ? 女の子だって、大体みんなバイトしてるし、あたしの学校からじゃここはちょっと遠いし。
どうしたものかしら? ……ん? いや、一人いるわね。男の知り合い。あいつと同じ職場とか、あんまり乗り気じゃないけど、シフトがまわらないのも困るし……。けど、う~ん……。
本当にどうしたものかしら?
*
岡村翔平
インターンシップの採用通知が届いた。
六月に応募した第一希望が通った。できれば近場が良かったのだが、近場の市役所は応募を受け付けていなかったため、都心の役所に行くことになった。
都心までの距離は、ここから電車で約一時間ちょっと。自宅からだと、一時間三十分はかかる。
また、我が学科のインターンシップは二社行くという規定があるため、もう一社応募した。もう一社は、自動車の部品を作るメーカーだ。公務員と民間企業の違いを見るために行くような設定にしており、俺としては第一希望が気になっている。メーカーは比較対象として選択した。このメーカーの方も、都心にオフィスがあり、同じように一時間三十分ほどかかる。期間内に工場見学にも行くらしく、工場までは二時間だ。
二社合わせた期間は、合計でぴったり二週間。土日は休みなので、合計十日の勤務となる。
困ったことにインターンシップ生は、給料が出ないらしい。あくまでお勉強ということらしい。しかも、交通費は支給されるのだが、これが厄介なことに支給されるのが十月終わりとのことだ。つまり、
「お金が……なくなる……」
交通費を使い込んだ次の月の生活費がなくなる。
俺はサークルにも入っていないため、サークル費を払う必要がない。また、旅行にもあまり行かないため、出費自体が少なかった。以前はアルバイトをしていたが、二年の後期にお店が潰れ、それ以来アルバイトはしていない。
親の仕送りで生活できているため、特に不便は感じていなかったが、往復の交通費が二週間分かかるとなると、かなりの出費だ。それに、今年はミド姉とも会う機会が多く、自然と外食費もかさんでいた。知らないうちに俺の出費は今までのそれよりも多くなっていたらしい。
「新しいバイト見つけないとまずいかな……」
バイトするとしたら、どこでバイトすればいいんだろう? まぁ、幸い駅前には店がたくさんあるから、そのうちのどこかで雇ってもらえればいいかな。けど、今は授業もまぁまぁ多いし、できれば土日か全休に入れるところがいいかな。課題がだいたいどの講義でも出るから、夜は空けておきたいし……。結構条件厳しそうだな……。これから夏休みを迎えるとはいえ、シフトに融通の聞くところでバイトできれば一番だけど。
ピリリリリ
机に向かってそんなことを考えていると、俺の携帯から着信音が鳴る。この音は、電話? 画面を見ると、そこには珍しい人物の名が表示されていた。
「もしもし?」
『こんばんは。今暇? 話があるんだけど』
「暇だけど、朱里から電話があるなんて、珍しいこともあるもんだ」
事実、一度もかかってきたことはない。というか連絡先を交換して、メッセージのやりとりすらしたことがない。
『あたしだって、あなたなんかに好きで連絡しているわけじゃないわよ。言ったでしょう? 話があるって』
「身長を伸ばす方法だったら俺は知らないよ。毎日牛乳でも飲めば伸びるんじゃないの?」
『お気遣い感謝するわ。あいにく牛乳は毎日飲んでるからご心配なく』
飲んでるのかよ! 可愛いとこあるじゃん! 本当に伸びるか分からんけど。
「それで、話ってのは?」
『あなたに、喫茶店でアルバイトをして欲しいのよ』
「え? 喫茶店って、朱里の働いているあの喫茶店?」
『そうよ』
意外な人物からの意外なお誘いに困惑する。ちょうど、お金を稼がなければいけないとは思っていたから、嬉しいといえば嬉しいが、俺の条件に合うんだろうか。
「ちょうどアルバイトはしたいと思っていたんだけど、条件とかって分かる?」
『昼の時間帯で、翔平が入れそうな時間に入ってくれればいいわ。元々は一人のウェイトレスでまわしていたんだけど、最近急にお客さんが増えたから、まわせなくなってきたの。それで、男女一名ずつ、マスターに紹介することを仰せつかったってわけ。だから、シフトにもう一人入るだけで大分業務が楽になるの』
なるほど、最近あの店、混んでいたもんな~。もう従業員一人じゃ厳しいってわけか。
『条件だけど、さっきも言ったように翔平の入れる時間帯で、最低週に一回入ってくれればいいわ。元々、すでにバイトで働いているあたしとお姉さまの負荷を軽くするために入ってもらうようなものだから。それに、シフトの融通も効かせるとマスターは言っているわ。どう? これ以上ない破格の労働条件でしょ?』
確かに、ここまで条件の良いアルバイト先は探しても中々見つからないだろう。
何てタイムリーなバイトの誘いだ! 渡りに船とはまさにこのこと! 操縦士がこの女なのが少し憎らしいが、今回ばかりは感謝しておこう。
「そのバイト、是非引き受けるよ!」
『それは良かった。感謝してあげるわ』
上からの物言いなのが気になるが、今回は黙っていよう。バイトの話を持ってきてくれたんだから少しは我慢だ。
「で? もう一人の女の子ってのは朱里の知り合いにでも頼むの?」
『それが、あたしの友人に手当たり次第頼んでみたけど、みんなすでにアルバイトをしていたり、家が遠いから厳しいって……。あたしの大学から喫茶店までは、電車に乗り継いで行かないと通えないところに位置しているからね』
「それじゃあ、もう一人はどうするの?」
『もう少し他の人に声をかけてみるけど、あまり期待はできないわ』
もう一人か……。ミド姉は絶賛就活中だしな~。それ以外に女子の知り合いなんて俺には……。いや、いるな!
「朱里、一人当てがあるから、俺が誘ってみるよ」
*




