第13話「陽ノ下朱里は顔を見たい」①
岡村翔平
暑さが本番を迎える七月一週目。俺、岡村翔平はいつもの喫茶店で読書をしていた。冷房の効いた店内が外の暑さを忘れさせる。冷たいアイスコーヒーを飲み、快適な店内での読書はなんて優雅なんだろうか。俺は、心地よい気分でページをめくる。
今日も今日とて、ミド姉との待ち合わせだ。今日はなんだか久しぶりに会う気がする。同人誌即売会の次の日以来か。二週間も会わないというのは、初めてなんじゃないだろうか。すっかりミド姉と会うのが日常化している。もはや、傍から見れば恋人だよね。
……違うけどさ。向こうは俺のこと、弟としか見てないしね。
カラン
喫茶店の入口から鐘の音がし、店内にいつもと違う装いをした大人な女性が入ってきた。
「ごめん、翔ちゃん! お待たせ!」
俺の設定上の姉、花森翠さんだ。この暑い日差しの中、光を吸収しやすい黒のリクルートスーツに身を包んでいる。いつもはワンピースとかの比較的ラフめな格好をしているミド姉だが、こういうかっちりとした格好も抜群に似合っており、いつもよりも大人びて見える。メガネとかかけたら、新人の女教師に見えるな!
そんなミド姉の格好に少し見とれてしまった俺に気づいたミド姉は、ここぞとばかりに姉主張をしてくる。
「どう? 私のスーツ姿、似合ってる? お姉ちゃんみたい?」
「似合ってますよ。いつもよりも大人っぽいです」
「キャー! ありがとう! 素直に褒められるなんて、お姉ちゃん嬉しい!」
大人な姉の姿を見て、素直に口から感想が出てしまった。いや、でもすごい似合ってるんだもん! すでに社会人に見えるよ、ミド姉。
「就活、どうです? 今日は確か、一次面接でしたっけ?」
「手応えがないかも……。面接って、何を答えていいのか分からないわね」
「やっぱそうなんですか。何聞かれるんですか?」
「『今後の我が国に訪れる課題を考慮した上で、我社に必要な経営戦略はなんだと思う?』って聞かれたけど、そんなの分かるわけないよ!」
「う……、うわぁ」
何その質問! もはや何言ってるか分かんないレベル! 経営戦略とか、社会人にすらなってない学生の意見が参考になるわけ!?
「やっぱレベル高いですね……。面接って」
「うん、どうやったら突破できるのかが皆目見当もつかないよ」
「学校でやってる面接対策とかやってみるのはどうですか? 学生棟で受け付けていますよね?」
大学の就活対策サービスがあり、その一つに面接の対策がある。学生棟で予約を行うと、数日後に専門の面接講師が練習をしてくれ、色々とアドバイスをもらうことができる。うちの大学の面接対策サービスは初歩的なマナーや面接で聞かれる鉄板の質問などを教えてくれるだけでなく、本番を意識しており、待ち時間の振る舞い方なども実践することで体に染み込ませることを目的としている。
「けど、それに行ってると、持ち込み用の漫画を描く時間や翔ちゃんと会う時間が減っちゃうから……」
このお姉さん、就活の優先順位低っ!
「いやいや、でもやっぱり就活終わらせないと! 留年は流石にまずいじゃないですか!」
「うーん、やっぱりそうだよね~。正直、こんなに面接が難しいと思っていなかったし、今度受けてみようかな」
「それがいいですって。けど、漫画も描くんですよね?」
「うん! それは並行してやるわ! これまでの翔ちゃんとの経験を踏まえて、色々と描きたいことがいっぱいあるんだけど、ページ数は限られているから、何を描こうか迷っているの!」
「そんなに描きたいことがあるんですね。けど、あんまり無理しすぎて、体を壊さないでくださいよ? 漫画描くにも、就活するにもいずれにしても一番大事なのはミド姉の体なんですから」
「翔ちゃん……。私の心配をしてくれるのね! ありがとう! お姉ちゃん嬉しい!」
ミド姉は、嬉しそうな表情で周りにハートを撒き散らす。大人びた格好には全然似合わない、子供っぽい振る舞いだ。この人は大人なんだか子供なんだか、ほんっと分からないな。
「お取り込み中のところ失礼します。いらっしゃいませ翠さん。ご注文はお決まりでしょうか?」
この喫茶店のウェイトレスである金髪の女性が、若干引きつった笑いでミド姉の注文を採る。ミド姉の弟好き好きオーラを不快に思っただろうが、ミド姉に対しては丁寧に接している。
「あ、朱里ちゃん! お仕事お疲れ様! 今決めるから待ってね!」
金髪店員、陽ノ下朱里にそう断り、ミド姉はメニューに目を落とす。ミド姉が下を向いているその一瞬、朱里は今にも舌打ちしてきそうなくらい顔を歪めて俺を睨みつけてきた。こいつも一貫して態度は変わらないな~。相変わらず俺は何もしていないっていうのにまだ危険人物扱いなのか。
ちゃんと見てみろや! 今回のミド姉、俺に抱きついてないんだぞ! 俺と過ごすことでミド姉も立派に成長してるんだぞ! もっと俺を評価しろや!
「朱里ちゃん、私、アイスカプチーノでお願いします!」
「はい、かしこまりました。ごゆっくり!」
朱里は、いつもに比べると絡み少なめに別のテーブルに行ってしまった。
「なんだか朱里ちゃん、忙しそうね」
「そうですね」
実際、今日はお客さんが多い。確か、二週間前に来た時も結構な人が入っていたな。ここに来るたびにお客さんが多いというわけではないけれど、それでも、以前のような常に閑古鳥が鳴く喫茶店というわけではなくなった。どうやら、この店にも人気が出てきたようだ。
常連であった俺としては、通っている店に人気が出るのは、鼻の高い思いだ。例えるならば、アニメ化される前から注目していたライトノベルがアニメ化して、自分の作品を見る目があったことを他者に自慢したくなるようなものだ。それと同時に、今まで静かで快適に読書に利用させてもらっていた空間がなくなっていくと思うと、それはそれで少し寂しい。嬉しい半面、寂しい。子供が巣立っていく親というのは、こういう気持ちなんだろうか。
親でもないのにそんな偉そうなことを考えていた俺は、現実に戻り、ミド姉とのおしゃべりを再開する。
今日の話題の中心は、専らミド姉の就活の話だった。どういう企業にエントリーしたとか、エントリーシートの書き方が分からないとか。やっぱり就活は大変そうだ。あと一年後に俺も同じ立場になるから、しっかり聞いておかないと。
それでも、漫画の話をしている時のミド姉はすごく楽しそうだ。どういう話を描こうと思っている、とか次はこういうシーンを描きたいから、今度こういうモデルをしてくれない? とか本当に楽しそうに話す。漫画を描くことは、ミド姉にとっての最高の息抜きになっているようだ。真剣な夢だけど、楽しくやれるっていうのは、やっぱり強い。
俺は、心から彼女が漫画家になってほしいと願うのであった。
*
陽ノ下朱里
「あぁ~疲れた……。何なのよ今日のお客さんの多さは! ウェイトレス一人じゃ足りないっての!」
部屋のベッドに倒れこみ、あたしはバイトの愚痴をこぼす。かけていたメガネを本棚の上に置き、仰向けになりながらぼやけて何も見えない天井を眺める。
最近、店に来るお客さん増えたわね。なにせ、あのお店は雰囲気良し、メニュー良し、店員良しで言うことないものね。ちょっと住宅街に入ったところにあるから通行人の目に留まらないだけで、人気の要素は十分兼ね備えているもの。
お客さんが増えるのは良い。ただ、従業員は増やしてほしい! いや、分かるわよ? 今まではお客さん全然来なかったから、雇っても人件費の無駄だもんね。けど、これだけ人気が出たのなら、もう、一人じゃあお店をまわしきれないわよ! 今度のシフトの時にマスターに言って、従業員増やしてもらおう。
それにしても、毎度毎度、翠さんは翔平に甘甘ね。
いや、もちろん翠さんの幸せそうな顔を見るのはあたしも嬉しいし、翠さんがそれでいいならいい。あたしももう、翔平が翠さんに危害を加える心配はないことを分かっている。
けどやっぱり、翠さんのブラコンっぷりにはまだ慣れないわね。あたしが勝手に理想の翠さんを想像して、押し付けているだけというのはもう自分でも分かっている。事実、翠さんはブラコンである自分のことが好きだしね。
けど、
「あの男がヘラヘラしているのはムカつくわね」
ちなみにこれも、ただの自分の嫉妬というのは分かっている。翔平はむしろ、翠さんの夢を応援して、モデルをやっているわけだしね。
ただ、一度敵対した相手だからか、態度を変えるのは難しい。それと同時に、認識の切り替えも難しい。翔平に対してもうほとんど警戒心のないあたしだが、それでも、翠さんが翔平にブラコンを発揮しているところを見ると、腹が立つ。不思議なものね。
ま、別にいいんだけどね。翔平に対して別に態度を変えようとは思わないし、あくまであたしは敵対関係にある後輩って立ち位置を貫くわ。案外、あたしのこの牽制が翠さんとのいい距離感を作り出しているのかもしれないしね。
何気なくベッドで寝返りをうつ。ふと、本棚に収納されている絵本が目に留まる。小さい頃にお姉さまが読み聞かせてくれた絵本だ。
内容は、小さい女の子が憧れるような定番のお話。小さな村に住む絵描きの少女が、たまたま村に立ち寄った白馬に乗った王子様に恋をする話。最終的には、王子様の方から少女に告白し、幸せに結ばれるという終わり方だ。
あたしはこの話が好きで、昔は何度もお姉さまに読み聞かせてもらったっけ。何も関係のない村娘と王族の息子が運命的に出会うっていうのに惹かれてたっけ。
翠さんいわく、翔平は運命の弟らしい。はっ! 王子様には似ても似つかないわね。ふと、この絵本の登場人物に翠さんと翔平を当てはめてみた。
……
……ぷっ!
やばっ、笑いを堪えるのが……。王子様に弟にならないか尋ねる村娘も大概頭おかしいけど、村娘に弟にしてくれと頼む王子様も、色々台無しすぎて笑えてくる。
白馬に乗った王子様か。昔は憧れたっけ。可愛い時期もあったものだわ。
あたしは、昔の自分を懐かしみながら、眠りについたのだった。
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