第11話「花森翠は同人誌を売りたい」②
かくして、即売会会場にて決戦の火蓋が切られたわけだ。ここまで大事になるとは思っていなかったため、軽く、……いや、激しく、モモにお礼をするなんて言うんじゃなかったと後悔している。「帰りに晩ご飯おごってあげるよ」くらいにしておけばよかった。マジで。
そして、更に不憫なもう一人の男。
「なぁ。これ、オレは完全にいらなくないか?」
俺の友人、町田大樹がそこにいた。
俺も大概蚊帳の外ではあるのだが、大樹にいたっては何の関係もない。ただただ嫉妬に狂ったミド姉の隣で同人誌を売るだけの男だ。
本日、ミド姉が彼に会って最初に話しかけた一言がこれだ。
「大樹くん、あなたの力を私に貸して! 翔ちゃんを取り戻したいの!」
ここ、即売会会場なのに。同士が楽しく自分の創作した同人グッズを売るための場なのに、目が完全に血走っていた。大樹は何も事情を知らなかったため、開場時間前にトイレに行って事情を説明した。
「いや、ホント変なことに巻き込んじゃってごめん。けど、この状況で俺一人を残さないで」
「いいじゃねぇか、美女二人の取り合いになるとか、ギャルゲーの主人公みたいだぞ。代わってほしいわー」
「じゃあ代わってやるよ! どうぞどうぞ、遠慮しないで」
「え? い、いや~。つべこべ言わずにハーレムルートを突き進めってば! 童顔ギャルゲー主人公の翔平さんよー!」
「いやいやいやいや、そこはほら、イケメンで運動神経抜群、勉強も女遊びも何でもござれな大樹くんに譲るよ。どうぞどうぞ」
「大樹くん!」
「はい!」
小声で話していた俺たちだが、ミド姉の一言で中断させられる。
「絶対勝つんだからね。気を抜かないでよ!」
「りょ、了解っす」
大樹の隣に立つミド姉がドス黒いオーラをまとって大樹に声をかける。大樹もその勢いに負け、たじろいでいる。大樹がこんなに圧倒されているのは初めて見た。この姉、怖い。
ちなみに、今回のこの勝負、一応チーム制になっている。ミド姉チームとモモチームの二チームで、それぞれ同人誌とイラスト本を売る。
本来であれば、ミド姉もモモも同じテーブルでの参加にしたため、ミド姉の同人誌とモモのイラスト本を二人で協力して売る予定だったが、こんな状況じゃ協力もクソもない。
先日、勝負の話が出た日にミド姉の部屋でくじ引きを行い(大樹は不在)、チームが決定した。ミド姉・大樹チームと俺・モモのチームだ。この結果になった時のミド姉は、非常にショックを受けていた。まるで、心臓に槍が突き刺さった瞬間のような声を出し、その場にうずくまったものだ。
現在の配置は、お客さん側から見て左からミド姉、大樹、俺、モモといった具合に並んでいる。ミド姉のことだから、俺の隣に来ると思ったのだが、配置はこうなった。律儀なことに、勝負で勝利を修めるまではモモが姉ということを優先するらしい。敵対していても、その辺にミド姉の真面目さが伺える。
「これください」
「はい、500円です! ありがとうございました!」
「こっちもいいですか?」
「うす、500円です」
ミド姉側の同人誌が次々と売れていく。ミド姉も販売時にはオーラを隠し、ニコニコ笑顔で接客する。開始から約十分、三冊向こうが優勢だ。
「ぐぬぬぬ、しょうへ……翔ちゃん、こっちも負けてられないよ!」
「え? う、うん。そ、そうだね」
「な!?」
モモが急に俺のことを「翔ちゃん」って呼んできた。早速姉らしくしているらしい。確かにこのペースだと負けるもんね。
ミド姉は、モモの「翔ちゃん」呼びに目を見開いている。そして、その後手をプルプル震わせて、若干涙目になってきた。
その隣で、大樹が気まずそうに正面を向く。
俺の腰辺りを大樹がつついていたため、その方向を見ると、大樹はサムズアップで「グッドラック」を表現していた。ありがとう大樹。お前も辛いだろうが、がんばれ。
どっちが勝ってもいいけど、とりあえず早くこの勝負、終わらないかな……。
*
桜井桃果
ムムム。今のところわたしの方の売れ行きは不調、ミドちゃんの方は三冊か。このままだとまずい。
わたしは難しい表情で自分のイラスト本を見る。この勝負、何としてでも勝たないといけない!
正直、あの日に「一日だけ、わたしの彼氏になって!」って言おうとしたら、何故か「弟になって!」って言ってしまったときは、自分でもわけがわからなくなりました。あの時、弟大好きなミドちゃんを思い浮かべたのがいけなかったのでしょうか……。
だけど、それはそれで好都合! 翔平くんが彼氏だろうと弟だろうと、一日だけどこかに遊びに行ける、つまり、デートができるんですから! しかも、ごく自然に誘えるからむしろナイス! いい間違えたことも、そんなに気にする必要はないのです。
姉として振舞うというのはどうすればいいか分かりませんが、まぁまぁそれでも、少なくとも勝負がつくまでは姉なわけですし、このチャンスを逃しはしません。この即売会勝負でも、わたしは翔平くんと仲を深めます!
「翔ちゃん、喉が渇いたら、わたしが作ったはちみつレモンジュースがあるから飲んでいいからね? わたしの持ってきたリュックに入っているから好きに出していいよ」
「あ、ありがとうモモ。じゃあ、早速で悪いけど、喉が渇いたから飲ませてもらうね」
翔平くんはわたしのリュックに入っていた水筒を取り出します。
~~。改めて翔ちゃんって呼ぶの、恥ずかしいです。翔平くんの方も何だか違和感あるみたい。けど、姉なんですから、フランクな呼び方にしないとね……。
「ご馳走様。このジュース美味しいね! これって自家製?」
「うん、お母さんが作っていたレシピを教えてもらったの。夏にぴったりでしょ?」
「うん! キンキンに冷えてるし、甘さも控えめで飲みやすいよ。モモも飲んだら? こういっちゃなんだけど、お客さんがいない今のうちに飲んでおいた方がいいんじゃない?」
「そうだね。それじゃあわたしも……」
わたしは、翔平くんから水筒を受け取り、ジュースを飲もうとします。しかし、そこであることに気がつきます。
「(これって、か……関節キスでは!?)」
そうです。この水筒、蓋をコップにするタイプのものではなく、ボタンを押すと蓋が開いて、ペットボトルと同じように飲むタイプの水筒なんです。つまり、翔平くんが口をつけたところにわたしも口をつけないといけない!
図ってはいませんでしたが、まさかこんなところで間接キスの機会がやってくるとは思いませんでした! 自分なんかにはもったいない! いやでも……せっかくの機会。
えーい、ひよっていては何も始まりません! 飲みます! 飲みますよーーー!
「すみません、一部ください」
「ヒャイ!」
お客さんが来て、変な声を出してしまいます。
「モモ、いいよ。俺がやるから。こちら、400円です」
翔平くんが代わりに売ってくれた。なんてタイミングの悪い……。
「モモ、早く飲んじゃいなよ」
「う、うん。そうだね」
わたしは、普通に水筒の中のジュースを飲む。さっきの一件で、完全に緊張もドキドキもなくなりましたよ。むしろ、また絶妙なタイミングでお客さんが来るんじゃないかと思って、けっこう素早く飲んでしまい、何も意識するどころではありません。
「ありがとう、しょうへ……翔ちゃん、本売ってくれて」
「いや、いいよ別に。今日俺はこっちのチームなんだし」
「そ、そうだね!」
そう! 翔平くんは今日こっちチームなんだ! ミドちゃんよりわたしの方が優勢だ! ここは、今の姉の立場というのを生かして、距離を縮めないと!
「ありがとう翔ちゃん。お姉ちゃん嬉しいわ!」
「え、あぁ、うん」
翔平くんは真顔で顔色一つ変えない。逆にわたしは、慣れないことを発言したため、顔が真っ赤になる。
恥ずかしい! 確かにわたしの方が年上だし、お姉ちゃんっていうのは何も間違っていないんだけど、好きな人に「お姉ちゃん」って言うのめっちゃ恥ずかしいんですけどーー!
「すみません、一部いいですか?」
「ふぁ、ファイ! 400円です!」
くぅー。売れるのは嬉しいけど、またこのタイミング……。それでも、順調に売れ出しましたよ。
「いいね、モモ! 順調だよ! このペースならまだ負けないかも」
「うん! そうだね!」
わたしはふと思いました。せっかく姉なんですから、今ならわたしもお姉ちゃん呼びしてもらえるのでは? お姉ちゃんは恥ずかしいにしても、今しかできそうにないですし、姉呼びもちょっとしてもらいたいです。
「ねぇ、翔平くん。嫌じゃなかったらでいいんだけど……わたしもお姉ちゃん呼びしてもらえないかな?」
「お姉ちゃん呼び? 流石にお姉ちゃんって呼ぶのは恥ずかしいな~……」
「そうだよね! じゃあ、えっと、ミドちゃんみたいに名前のあとに『姉』ってつけてもいいし、『姉さん』とかでもいいから」
「ん~。まぁ、それくらいならいいけど。じゃあ、モモ姉でいい?」
「うん! ありがとう!」
モモ姉。モモ姉か! うん! 響きもいいし、お姉さんっぽいかも。確かにお姉さんって呼ばれるのって、結構いい気分ですね。ミドちゃんがハマるのもちょっと理解できたかも。
「これいいですか?」
「すみません、私も」
「はい! えっと、400円です」
「モモ姉。また来たから、そっちは俺が対応する」
「うん、ありがとう翔ちゃん」
お客さんもたくさん来てくれています。姉弟関係も順調です。
もしかしたら、この勝負、いい結果に終わるかもしれません!
*
町田大樹
オレの名前は町田大樹。岡村翔平の友人で、花森翠さんの知人だ。
今回、オレは翔平からの依頼で、ミドリさんの同人誌を売る売り子を手伝うことになった。
営業スマイルも対人スキルも身についているオレ。正直、楽勝だとも思っていた。しかし、そんなオレの予想は、大きく外れたようだ。
「なななななななななななな」
こちらにおわしますは、翔平の設定上の姉、花森翠さん。お客さんを目の前にし、同人誌を売りながら首を横に向けている。その視線の行く先は、左隣にいるオレの友人と、更にその先にいるショートヘアの美少女だ。確か彼女の名前は、桜井桃果。今回、オレとは初対面だ。
「ん~。まぁ、それくらいならいいけど。じゃあ、モモ姉でいい?」
「うん! ありがとう!」
オレがミドリさんを初めに見た印象は、大人っぽくて、柔らかな雰囲気を醸し出す美人の女性ということだった。しかし、今回の彼女はそんな片鱗を少しも見せない。
「翔ちゃんにお姉ちゃんって呼んでもらうのは、私だけなのにぃぃぃ」
彼女は着ている自分のブラウスを力強く握り締める。オレは見ていないふりをして、まっすぐ前だけを見続ける。
彼女が翔平に対して重度なブラコンだということは、元々知っていた。それが原因で、何やらトラブルがあったというのも翔平から聞いた。そして、仲直りをして、反省したということも。
だが、今度は何のトラブルだ? 何で、翔平にもう一人姉が増えているんだ? お前は弟の才能がありすぎなんじゃないか?
そして何より、これがオレの一番の疑問……。
「(何で、オレがここにいるんだ?)」
普通に同人誌売るだけかと思って来てみれば、何でこんなド修羅場にオレまで巻き込まれなくちゃいけないんだ? オレ、外野どころか外野の外野じゃん! いる意味なくねぇ?
あぁ、今すぐダッシュで帰りたい。
「これ、一部ください」
「はい、どうぞ。一冊500円です」
こんな嫉妬丸出しのドス黒いオーラを放っていても、お客さんは次から次へと来る。すごいな、ミドリさん。これで、もうちょっと落ち着いていたら、言うことなかったんだが……。
向こうのチームにも少しずつお客さんが増え始め、売るのに専念し始めた。この二人、すごいな。即売会って普通、こんなにポンポン売れないんじゃないのか? これだけ来るっていうのは、それだけすごいってことだよな。
ミドリさんは、向こうのチームの様子、もとい二人の様子が気になるようで、常にチラッチラしている。オレは、目を合わせたくないのでとりあえず前を向いている。
「モモ姉、さっきのジュースまたもらっていい? 喉渇いてしょうがないや」
「もーしょうがないな翔ちゃんは。いいよ。好きなだけ飲んで?」
「助かるよ。モモ姉の作ってきた自家製ジュース、後味さっぱりで飲みやすい」
「そう言ってもらえると、お姉ちゃん、作ってきた甲斐があったな」
あぁ、向こうがまた何やら姉弟ごっこみたいな会話してる。まぁ、翔平はもう慣れっこだから、特に意識してないんだろうな。これだから妙に受け入れ能力の高い天然ジゴロは……。
ミドリさんは、口を『へ』の字にして、涙を目に溜めている。今にも泣き出してしまいそうだ。翔平が絡むと、この人は本当にポンコツだな。
「大樹くん。私のこと、今日は『ミド姉』って呼んでみて?」
「え? オレっすか? 翔平じゃなくて?」
「うん、是非!」
「は、はぁ」
涙をしまって、ミドリさんは俺に奇妙な提案を投げかける。オレはとりあえず同意した。
「大樹くん! 大樹くんも喉が渇いたら、そこにある水筒に麦茶が入っているから、飲んでいいよ」
「ありがとうございます、ミド……姉」
「いえいえ、どういたしまして! 私、お姉ちゃんですからね! これくらい当然よ!」
なんか、オレに対してお姉ちゃんアピールしてきたぞ。何だ? 応急処置のつもりなんだろうか。そういうことなら、ちょっとくらい茶番に付き合うか。
「ミド姉、流石っすね! このお茶、いい具合に味が出てて美味しいっすよ」
「ふふん、そうでしょう? 美味しいでしょう?」
「いやー夏といえばやっぱり麦茶っすよね! ミド姉分かっていますね!」
「……」
オレは、ミドリさんの姉アピールにノって、頼りになるお姉ちゃん気分を味わせようと小芝居に付き合った。これで、少しは機嫌がよくなってくれれば……。
「違う……」
「は?」
「こんなんじゃない……。大樹くんじゃ、弟の代わりにすらならないーーーーー」
ミドリさんは、頭を抱えて下を向いてしまった。すごく悔しそうにしながら……。
こらーーー! ちょっと待てやーー!!! 別に弟の代わりになりたいと思ったわけじゃないけど、失礼すぎるだろうがこの人! 思ったことオブラートに包めないタイプか! オレの中の『花森翠さん』のイメージがどんどん崩れていく。
きっと、翔平が取られそうで情緒不安定になっているから、いつもよりも数倍天然が発揮されているのだろう。翔平、早くこの人の弟に戻ってくれ! このままじゃ、オレの精神が持たん!
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