第10話「桜井桃果は攻めていきたい」①
花森翠
「同人誌即売会ですか? もちろんお手伝いしますよ」
「ホント!? 翔ちゃんありがとう!」
同人誌即売会を週末に控えた私は、翔ちゃんと喫茶店にいた。本日の喫茶店は平日なのに珍しく人で賑わっている。それでも、満席というわけではないけれど……。アルバイトに来ていた朱里ちゃんも今日はいつもより忙しそう。
「けど、何をすればいいのかとか全然分からないですけど」
「大丈夫、私の印刷した本を売る手伝いをしてくれたらいいから!」
「なるほど、それならできそうです! 一応僕、コンビニでバイトしていたことがあるんで、接客業は慣れていますから」
同人誌即売会での売り子の手伝いを要求すると、翔ちゃんは快諾してくれた。嬉しい! 抱きつきたいくらい!
けど、ダメだ。ここは人の多い喫茶店。我慢我慢。先日、それで翔ちゃんに嫌われかけたんだから、自制しないと。もう二度と同じ失敗は繰り返さない。私は学習できる女、花森翠よ!
それにしても、本当に仲直り出来て良かった! あれから、今まで通りの仲に戻れて、私は安心している。翔ちゃんを傷つけてしまった、嫌われてしまったかと思っていたあの時は、本当に辛かった。まるで、陸に上げられた魚のように息が苦しく、体中の気力という気力が失われていたのだ。あんな気分はもうコリゴリだ。
「お待たせしました、翠さん。チョコケーキセットです」
ブロンドの髪を携えた店員さんが、注文したケーキセットを運んでくれた。朱里ちゃんだ。
「ありがとう朱里ちゃん」
「はい、お客様。こちら小フルーツケーキセットです。お子様にぴったりです」
「誰がお子様だ。ちびっこ」
「誰がちびっこですって? そんなにちっちゃくないわよ」
「平均身長よりはゆうに小さいと思うけどね」
「残念ながら私と同じくらいの身長の子は大学にもいっぱいいるのよね~。童顔大学生はさほど多くないですけどね」
「そうだねそうだね。童顔は個性だ後輩よ。俺の顔に一目惚れする女子大生がいるくらいメリットのある顔立ちだ。だから俺は誇りに思うよ!」
朱里ちゃんは虫けらを見るような目で翔ちゃんを見る。翔ちゃんは開き直っていつも聞かないようなことを言っている。無理しているのかな? 本当に気にする必要ないのに。
それにしてもこの二人、前とあまり変わっていない? 翔ちゃんをモデルに朱里ちゃんが人物画を描いた日には、仲良くなったように見えたのにな? それとも、喧嘩するほどってやつなのかな。
「二人って、前より仲良くなったよね♪」
「「そんなことないですけど!」」
う~ん、どっちだろう。まぁ、いいか。
私は、二人のこの雰囲気を緩和すべく、話を即売会の方に戻した。
「ところで朱里ちゃん、できれば朱里ちゃんにも、同人誌即売会の売り子をやってほしいんだけど、どうかな? 今週の土曜日は空いてる?」
「申し訳ございません、翠さん! 手伝いたいのは山々なんですけど、あたし、その日は部内コンクールがあるんで、どうしても出られないんです! いつもこちらのお願いは聞いてもらっているのにすみません! 今度埋め合わせしますので!」
朱里ちゃんは頭を下げ、必死に謝ってくる。そこまで謝られるとこっちが困っちゃう。そこまでかしこまらなくてもいいのに。
「あ、うん。大丈夫だよ朱里ちゃん。一緒に売り子できたら楽しいなって思ったんだけど、用事があるなら仕方ないよ! 部内コンクール、頑張ってね!」
「翠さん……。はい! 頑張ります! ……と、すみません、そろそろ仕事に戻ります。ごゆっくり」
朱里ちゃんは慌ててカウンターに向かう。また新しいお客さんが来たようだ。今日はよく来るわね。
「う~ん、それにしても、朱里ちゃんが来られないとなると、あと一人どうしよう。緋陽里も来られないって言っていたし、あと一人はいてくれると嬉しいんだけどな」
「ミド姉、結構刷っていましたもんね」
「今回は、桃ちゃんのイラストも載せたから、たくさん来てくれると思ってね!」
「へぇ、モモも絵を描くんですね。知らなかったですよ」
「モモちゃんの絵は上手だよ~。本人は、漫画を描くことに興味はないみたいなんだけどね」
「そうなんですね! 今度見せてもらおうかな」
「ちなみに桃ちゃんも私と同じスペースでイラスト本を出すの。そのときに見せてもらったら?」
「へぇ、イラスト本も出すんですね!」
桃ちゃんは私の同人誌にもイラストを載せてくれているけど、今回、初めて単独のイラスト本を出すことになっている。他のサークルの同人誌を発掘しにも行きたいし……。店番としてあと一人は手伝いが欲しいところだ。
「てことは、今のところ僕、ミド姉、モモの三人ってことですね?」
「そうだね。三人でやるしかないかな。できないわけじゃないと思うし」
すると翔ちゃんは、思いついたように顔を上げ、
「そうだ! 大樹なんてどうですか?」
と提案してきた。
「大樹くん?」
大樹くんは、以前知り合った翔ちゃんの友人だ。少しだけモデルも手伝ってもらったし、話しやすいタイプの男の子だ。
「大樹くんが来てくれるなら嬉しいけど、大丈夫かな?」
「僕が誘ってみますよ! 多分来てくれると思いますよ?」
「そうね! ありがとう翔ちゃん!」
翔ちゃんが大樹くんを提案してくれたことで、売り子が四人集まりそうだ。良かった。これで人数不足の心配はなさそう。
ふふっ、翔ちゃんが私のために考えてくれるなんて、嬉しいな♪ 姉思いの優しい弟くんだね、翔ちゃんは。
あー、翔ちゃんに何かしてあげたい! 抱きつくのはダメ、頬ずりもダメ、というか過度なスキンシップは全部ダメ! うぅーーー、何か、何か……。
あ、そうだ!
「翔ちゃん、私のチョコケーキ、ちょっとあげるね」
「え、いいんですか? ミド姉。それではお言葉に甘えて……」
「はい♪」
私は、一口サイズにケーキを切り、翔ちゃんの方にフォークを向ける。
「え、ミド姉!? これって……」
「うん、食べさせてあげる♪」
「いや、ミド姉、それは……」
あれ? これもダメかな? これなら軽いと思ったんだけど、まぁ、翔ちゃんの嫌がることはしたくないし……
「いえ、いただきます」
そう言うと翔ちゃんは、私のフォークにかぶりつき、チョコケーキを食べてくれた。
「翔ちゃん……!」
私は嬉しくてついつい頬が緩んでしまう。翔ちゃんは頬を少し赤らめながら、ケーキを食べる。私はそれを見て、もっと嬉しくなる。
ハァ、やっぱりお姉ちゃんというのは最高だわ!
「あ、けどそういえば、同人誌即売会の前に数学の小テストがあるんでした。まずはそっちを頑張らないとな~」
「そうなんだ。数学だったら、私が教えられることは何もなさそうだね……」
「いえいえ、そんな。モモが数学得意だそうで、教えてくれるらしいんですよ。ちょうどいいタイミングだし、教えてもらおうかな」
「うん、いいんじゃない? 桃ちゃん、結構成績いいから、分かりやすく教えてくれるよ!」
「そうですね! 連絡入れてみます」
このとき私は忘れていた。翔ちゃんを怒らせてしまった事件のせいで、完全に忘れていた。
桃ちゃんが、お姉ちゃんの座を狙っていたことを!
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