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第1話「岡村翔平はきっかけが欲しい」②

 いつの間にか席を立ったその女性が、俺のテーブル席まで来て隣で俺に話しかけていた。突然のことに声が出ない俺。緊張しすぎだろ。


「先程は、見つめてしまってすみません。あと、目を急に逸らしたことも。目が合って恥ずかしくなって、つい逸らしてしまいました」


 女性は丁寧な話し方で、自分が悪いわけでもないのに謝罪をしてきた。その一言で、俺も緊張が緩んだようで、女性の謝罪に返答した。


「いえいえ。こちらこそ緊張しちゃって、変な態度とってしまったのでお互い様です。はい」

 女性はホッとした様子を見せたあと、笑顔でこう続けてきた。


「よかったら、お隣よろしいですか?」

「ど、どうぞ」


 いきなりの相席発言に動揺を隠せない。彼女は「失礼します」と一言断ったあと、俺の向かいの席に腰をかけた。


「あなたはここで読書をしていたんですね」

「そうなんです。と言ってもラノベ……、ライトノベルっていう手軽に読める小説なんですけどね。本日発売の新刊を落ち着いて読みたくて、この喫茶店で読んでいたんです」


 ラノベという省略言葉では伝わらないと思った俺は、正式名称に言い直して話を続けた。


「ずっと集中して、読んでいましたものね。よほど好きなんですね」

「あはは、お恥ずかしい。そうなんです。物語が面白くてつい没頭してしまいました。あ、おそらく僕の方が年下でしょうから、敬語はなしで大丈夫ですよ」

「そうですか。それでは、お言葉に甘えて……。私もよく読むよ、小説。同じように物語が好きで、アニメとか漫画も好きなの」


 フランクな喋り方になったことに加え、女性もアニメや漫画が好きという自分と同じ趣味だということに嬉しさを覚え、俺は先程よりも声が大きくなってしまうことを抑えられなかった。


「そうなんですね! それは嬉しいです! 今期のアニメは名作ぞろいですよね! 『妹戦争』とか『異世界目次録』とか、放送が楽しみで仕方ないですよ!」

「わかる! 『異世界目次録』は原作を持っているわ! あとは『ワイバーンの戦士たち』も私は好きかな! 今期期待されているアニメの一つで、原作だとかなり先の読めない展開になっているらしいよ」

「そうらしいですね。なんたってマンガグランプリの大賞をとった作品ですもんね! 見ないわけにはいかないです。それに……」


 こんな調子で、俺と女性はアニメトークに入ったのだった。こんなきれいな女性と喫茶店で出会って、隣の席で趣味の話とか。これもう、王道ラブコメ展開でしょ。今日は本当についてる。帰りに事故に遭わないようにだけ気を付けよう。


 *


 十分くらい盛り上がったころだろうか、話が一区切りついたので、俺は先程の行動について質問してみた。


「ところで、先程は何か面白い動画でも見ていたんですか? ほら、僕と最初に目が合ってしまったとき、すごくニコニコしていたのでそうなのかな、と」

「え、あ、あぁ~。あれはね、その……、えっと、」

 あれ? 何か聞いちゃいけなかったかな。すかさずフォローを入れる。


「別に言いたくないならいいんです! こちらこそ立ち入ったこと聞いちゃってすみません。忘れてください」


 そう言って話を終わらせようとすると、女性は「いいえ」と首を横に振った。そして、深呼吸をし、照れながらこう言った。


「実はね、ずっと君を見ていたの」


 ……聞き間違いかな? 俺を……見てた? 


「今日のお昼頃、大学のアーケード下を通る君を見て、それからこの喫茶店でも再会して、その上席が正面だったものだから、つい見てしまったの」


 アーケード下? あぁ、部活勧誘の時か。確かに人力飛行機部の人たち声大きかったし、多少注目されててもおかしくないか。一連の流れを見られていたなら、少し恥ずかしいな。


「そうなんですね。いやー、こんな美人さんに見ていただけるなんて、光栄です」


 緊張して、よく分からないことを言ってしまった。しょうがないだろ! 突然こんなこと言われたら。まぁ、けど一日に二度会ったからついつい見てしまったってわけか。なるほどね。


「それで私、一目見た時から思うことがあったんだけど、再会出来てこれはもう運命なんじゃないかって思うの」


 いやいや待て待て。そんな都合のいい展開があるわけがない。確かに正面の席に座ってたまたま知り合った美人のお姉さんと仲良くお話したってとこまでは、相当にラッキーだけど、あり得るよ。百歩譲って現実でもそういう、超絶運のいいことがあるとしよう。


 しかし、これはない。今日初めて俺を見ただけで一目惚れなんて。これが「ぼち俺(俺がさっき読んでた小説)」の主人公みたいに不良から助ける、といったヒーロー性があるとかなら話は別だ。

 しかし、俺はただ部活勧誘されていただけ。容姿普通。背も普通。むしろ幼さの残る、二十歳の男性平均より低い身長の俺が、アニメの中から出てきたような容姿を持つ年上の女性から一目惚れされる意味が分からない。


 と、ここまで分かっていても、心臓がバクバクして止まらない。女性は顔を赤らめながらこちらを上目遣いで見つめてくる。


 その時、「ぼち俺」のヒロインを思い出した。積極的な彼女は、助けてくれた主人公に一目惚れし、次の日に思いを告げた。


『私、一目見た時から、あなたのことが好きだったの。付き合って!』


 だっけ? まさにこの状況はそれだ。え、もしかしてこれ本当にこの場で告白されるの? 一気にリア充街道突き進んじゃうの?


 しばらくの沈黙が続いたあと、女性が口を開いた。


「私、一目見た時から、君のことが気になってたの……」


 うわぁぁぁぁぁぁ、まさにそのセリフだーー! こんなことあるの!? 勝ち組すぎるだろ! 今日で一生分の運使い果たしはしないよね?


 心の中で舞い上がる俺。そして、女性からの告白の言葉が放たれた! 



「君、私の弟になって!」

「…………はい!?」



 軽く流せるような一言じゃなかった。正直、心のどこかでは、そんなありえない一目惚れが勘違いだと思う自分もいて、「あーやっぱ違ったか」となる可能性も考えていたのだ。

 でも、これは斜め上過ぎた。こんなの予想できない。


「えっと、おっしゃる意味がよく分からないんですけど……」

「初めて会った時から、君を弟にしたいなって思ってたの!」


 ダメだ。さっぱり理解できない。


「な、なんで僕を弟にしたいんですか?」


 説明を求めると、女性は自分がまだ何も事情を話していないのに気づいたらしく、ハッとした表情を見せた。


「ごめんね、そうだった。まだ何も説明していなかったね」


 相変わらずステキな笑顔のまま、女性は自分語りを始めた。


「私ね、漫画を書いているんだ」


 へぇー。意外……でもないか。漫画やアニメが大好きみたいだし、書いていてもおかしくないか。


「それでね、最近新しいジャンルに挑戦しようと思っていたの。そのジャンルっていうのが、姉と弟を主人公とするラブコメディなの!」

 姉と弟のラブコメディですか。それって近親相姦では……? という現代社会における常識的なツッコミはとりあえず控え、意識を女性に戻した。


「私、漫画を書くときには自分の体験したことを絵や言葉にして、表現していくようにしているの。だけど私、弟がいないから、姉の気持ちも弟の気持ちも分からないし、私が描きたい弟みたいな男の子をうまく表現できなくて、どうしようと思っていたの」


 なるほど、その気持ちは分からないでもない。自分の体験した面白いことを作品の中でネタにすることほど、強い武器はない。なんせ、元々面白い体験なのだから、作品の中でそれが面白いのは当然である。てかこの人、主人公(姉)のモデルは自分なのか……。


 軽く相槌を打つ俺を見ながら、女性は話を続ける。


「あ、もちろん最初は、想像力だけで書いていたんだよ? だけど、やっぱりいつもよりペースは遅くなっちゃうし、どうにも自信が持てなくて……。それで、今日のお昼にアーケードが見渡せる学生棟の螺旋階段から人間観察をしていたの。今日は新入生がたくさんあの場所を通るから、弟にしたくなるような子が見つかるんじゃないかってね。そしたら、新入生ではなかったけれど、新入生に間違えられる君を見つけたの!」


 やっぱり一連の流れを見られてたー! 恥ずかしい。顔を赤くする俺。少し興奮気味の女性。女性はうっとりした表情を見せながら話を続ける。


「あの子、可愛い! あれで三年生なの? 新入生じゃないの? 自分と一歳差の男性とは思えない! 何より、私の描きたかった『弟』のイメージとぴったりだったの!」


 この人、俺と同じ大学の四年生なんだ。話の流れからなんとなくそんな気はしていたけど、今初めて確証を得たぞ。そういえば俺たち自己紹介してなくない? 詳しいこと何も知らずに弟になってほしいって言われてるのか俺。


「君にすぐ声をかけたかったんだけど、螺旋階段から降りるのに時間かかっちゃったし、君は早足で歩いて行っちゃうし……。だから、この喫茶店で再会した時には運命だと思ったの! まさか、偶然立ち寄った喫茶店に君がいるなんて。けど、君は読書していたから声はかけられなかったの。今日はスケッチできるような紙も持ってなかったし、かといって写真撮るのは失礼だし、だから目に焼き付けようと君を見ていたの。そしたら、たまたまこの子が弟になってくれたら嬉しいなって想像してニコニコしていたときに目が合っちゃって……」


 なるほど、だから目を逸らしたのか。その後も俺を見ていたのは、俺に話しかけるタイミングを伺っていたってわけか。女性の説明を受けて、俺はようやく得心した。


「それで、僕を絵のモデルにしたいってことですか」

「それももちろんそうなんだけど、絵のモデルだけじゃなくて、私の弟みたいに振舞って欲しいの! これで、姉と弟の気持ちが分かると思うから。だからお願い! 私の弟になって!」


 再び、お願いしてくる女性。話を聞いている間に冷静になった俺は、その女性の懇願に対して、


「絵のモデルくらいならいいですけど、」

「本当に!? ありが……」


 女性の喜びの言葉を遮り、俺は言葉を続ける。


「弟になるっていうのは、お断りします」

 否定の意思を示した。


 常識的に考えてそんなこと無理だろう。俺は彼女の弟じゃないし、彼女は俺の姉ではない。本当の姉弟でもないのに姉と弟の気持ちなど分かるわけがない。これではただの先輩の女性と後輩の男性のラブコメになるだけだ。


「そこをなんとか、お願い!」

「いやいや、無理ですって。弟のなり方なんて、分からないですし」

「そこは、私を『お姉ちゃん』って呼ぶところから始めてくれれば!」

「今年で二十一になる男子大学生が初対面の女性にお姉ちゃんなんて、恥ずかしくて呼べないですよ……」

「お姉さまでもいいわよ」

「難易度上がった!」


 この人の姉のイメージは、やはり二次元なのだろうか。現実で「お姉さま」なんて呼ぶ姉弟がいるのかも怪しい。う~ん、とうなる女性は、少し恥らいながら冗談めいたことを言った。


「私の弟になれば、毎日一緒にお風呂入れるよ?」

「それは……、ちょっと嬉しいですけど、姉弟ってそういうんじゃないですから!」

「え? こっそり覗く方がいいって言うの? それなら恥ずかしいけど、お姉ちゃん、気づいていないふりするわ」

「覗かないですから! 弟でも姉の入浴シーン覗いていいわけではないですから!」


 なんだか話が変な方向に進んでしまっている。この人の中では弟ができたということになっているらしい。


「とにかく、僕が弟になるなんて無理ですよ。もっと年下の、それこそ新入生にもっと適任者が……」


「これがきっかけになるかもしれないの!!」


 女性は、俺と会話していて初めて大きな声を出した。元々静かな店であったが、彼女の一言で一瞬、店内が静寂に包まれた。同時に店員と他のお客さんの視線がこちらに向く。しかし、すぐにお客さんは何事もなかったかのように雑談を再開した。


 女性は、先程とは打って変わって、真剣な表情であった。だが、どこかその表情には不安も見え隠れしており、瞳は僅かに潤いを帯びているように見えた。

 俺は、その言葉に驚き、目を丸くした。


「君を見た、この出来事がきっかけで、面白い物語が描けるかもしれないの。私は、こんなチャンスを逃したくない。君にとってはおかしな要求に聞こえるかもしれないけど、私にとっては、大事なことなの。だから、お願い」


 頭を下げる女性。俺は、なぜか彼女の言葉で胸に来るものがあったが、その正体は分からなかった。ただ、彼女がとても眩しく見えて、彼女の要求を否定する気がなくなっていた。


 しばらく、二人の間に沈黙が続いた。俺は自分の考えをまとめ直し、彼女に向かって返答した。


「ではとりあえず、絵のモデルだったら引き受けます。とりあえず、僕をモデルにして絵を描いてくださいよ」

「……」


 女性はしばらく考えたあと、顔を笑顔に変えて、


「そうね。ありがとう! とても嬉しいわ」


 と答えた。百パーセントの笑顔ではなかったが、俺の提案に納得してくれた。ここでこれ以上この話をしても進展しないと判断したのだろう。

 笑顔の彼女を見て、俺は少し悪い気がしないでもなかったが、気軽に引き受けていいことではないため、話を流したことは正しい選択だったと思う。


 彼女は自分のテーブルに戻って帰り支度を済まし、再び俺に向き直った。


「今日はスケッチ道具を持ってきていないから、明日、モデルになってもらっていいかな? 明日は土曜日だから、一日空いているの。午後一時にまたこの店で待ち合わせってことにしましょう」


 俺も明日は特に予定がないため、その時間でオーケーだと伝えると、女性は笑顔で返事をした。


「それじゃあ」と帰ろうとする彼女は、ハッとして再びこちらに振り向くと、


「そういえば、まだお互い自己紹介していなかったね」


 と俺も忘れかけていたことを口に出してきた。


「私の名前は花森翠(はなもりみどり)。君と同じ大学の四年生よ。よろしくね」


 *


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