第8話「シャイな弟は控えて欲しい」②
三限の講義を終え、ミド姉の待つ喫茶店にやってきた。カランカランと音を鳴らし店内に入る。いつもの席に座るミド姉のところへ行き、合流した。
「お待たせミド姉、漫画のネタ出しは順調?」
「翔ちゃーーん!!♪」
「うわっ、ちょっとミド姉! こういうところで抱きつくのはやめてってもう何度言ったら分かるんですか!!」
挨拶もなしにいきなり来られるのは今までで初めてだ。しかも人が少ないとは言え、公共の場である喫茶店で。
「ちょっとミド姉! やめてくださいってば!!」
流石に分別ある行動をして欲しかった俺は、少し強めにミド姉を引き剥がす。
「もぉ~そんなに嫌がらなくてもいいのに~」
口を尖らせて冗談交じりにそんなことを言うミド姉。
「最近ちょっと激しすぎですよ。ミド姉。ちょっとは分別を持った行動をしてくださいよ。こっちだって恥ずかしいんですから」
「だってー、翔ちゃんを見たら嬉しくてついつい抱きしめたくなっちゃったんだから仕方ないよ~。ムニムニ」
そう言って懲りずに頬をすり寄せて来るミド姉。正直、イラッとくる。最近、ブラコンが進行しすぎじゃないのか?
「だぁーもう! やめてくださいってば! ほら、席に座って!」
「むぅ~。分かったよぉ~」
俺はいつもよりちょっと強い口調でミド姉を制し、席に座らせた。最近なんかこれが定常化しちゃっててダメだな。これくらい強く言わないと離れなくなってきた。
ミド姉のスキンシップは激しすぎる。正面から堂々と抱きついてきて、ミド姉の胸が俺の顔に当たるような抱きつき方をしてくるのだ。その上、顔に頬ずりしてくるもんだから困る。おかげで、人のいるところでそれをやられてしまうと周囲の刺すような視線が痛い。
はぁ、悪意がなくて行動力がある分、タチが悪いにも程がある。
「もう、ちょっと最近ベタベタしすぎですよ。言ったじゃないですか。こういう公共の場ではやめてくださいって」
「久しぶりに翔ちゃんに会うと、頬ずりしたくてたまらないんだもの♪」
「するならせめて他の人がいないところにしてくださいよ。まぁ、それでも恥ずかしいですけど……」
「そうですよ翠、岡村くんが嫌がっていたじゃないですか」
と、突然俺たちの会話に、ウェイトレスが声をかけてきた。ミド姉の友達かな?
「だって、我慢ができなくなっちゃうんだもん」
「あのねぇ。はぁ、ちょっとは自重したらどうですの?」
お嬢様みたいな話し方をする気品にあふれた人だ。しかもすごい美人。横一箇所で留めたその長く美しい金髪と上品な立ち振る舞い、ミド姉と負けず劣らない整った容姿につい目を奪われてしまう。どっかの金髪チビとは大違いだ。ん? 金髪?
「初めまして岡村くん。わたくし、翠の友人で、ここのウェイトレスのバイトをしております、陽ノ下緋陽里と申します。よろしくお願いしますね」
やっぱり! 陽ノ下って、朱里の姉さんだ! 朱里とは違ってなんて丁寧な話し方なんだろう! まぁ、朱里も俺以外には話し方普通だったっけな。
「翠からいろいろ話は聞いてますわ。何でも、お、弟さんなんだとか……」
引きつった笑いになってるぅぅーー。やっぱり他の人から見たら変な関係なんだろうな……。
「は、はいまぁ。そうですね。花森翠さんの弟役ってことになってますね」
あ、この紹介の仕方……。ミド姉の方を見ると、案の定、ちょっと悔しそうにしている。無視しよう。
「お二人は、本当に仲がよろしいんですね……。わたくしも応援していますからね」
「は、はぁ、ありがとうございます……」
応援って、何の応援? 弟モデルの応援だろうか。
「ご注文は何になさいます?」
「あ、それではコーヒーで」
「かしこまりました。少々お待ちください」
丁寧な対応で、緋陽里さんはカウンターの方へ戻っていった。
ここ最近出会った女性の中で、一番まともだ! ミド姉は最初こそ良かったが今ではこんな残念な感じだし、朱里は暴言吐くし、先週知り合ったモモは出会ってすぐ奇声を上げるし……。
いや、ミド姉の例だってある。この人も残念な何かがあるんじゃ? いや、でもそんなの限りなく低い確率だろうし、うーーん……。
すっかり女性との出会いに疑心暗鬼になってしまっている。ダメじゃね? これ。
それでも、ここまでの会話では緋陽里さんはまともそのもの。翠さんに負けないルックス、それと、胸の大きさ……。朱里もミド姉と同じくらいあるし、チビの割にはそこそこあるけど、この人は大きい。
歩き方の所作や話し方といい、ついつい目を奪われてしまった。ふとミド姉の方を見ると、見せたことのない形相でこっちを見てくる。
「え? どうしたの、ミド姉」
「緋陽里のこと、じっと見てたでしょ」
やば、胸をじっと見ていたこと、バレてるかな?
「え? ま、まぁ。ステキな女性ですね、緋陽里さん。朱里のお姉さんというのも納得です」
「そ、それはどういう意味?」
ミド姉が何を聞きたがっているのかよく分からないが、俺は思ったことをそのまま話した。地雷になるとも知らずに。
「いえ、ですから、(朱里と同じ金髪ですし、)姉っぽいなと思いまして」
「フギャアアアアアアアア……」
突然頭を抱えて振り出すミド姉。とても美人の女性が行っているとは思えない行動だ。突然の奇声に驚き、ドキッとしてしまった。
「ど、どうしたんですか? ミド姉」
「奪われる……。緋陽里にも桃ちゃんにも……」
肘で支えるようにして頭を抱えるミド姉。一人でブツブツ何やら言っているが、下を向いているからよく聞こえない。
「ミド姉、落ち着いてくださいよ。いきなりどうしたんですか」
さっきまで俺に抱きついて幸せそうな顔をしていたとは思えないほど、表情が崩れている。まるで肉食動物に狙われるウサギのようだ。
怯えるミド姉の震えを止めるべく、頭を支えている手の一本に自分の両手を添える。
「大丈夫ですかミド姉!? すごい震えていますよ」
パァァァ
俺が手を掴むと、ミド姉はさっきまでの絶望の表情とは一変、俺の手を見て満開の笑顔となっている。どうやら弟に手を握られたことで落ち着きを取り戻したようだ。感情が忙しい人だ。顔の筋肉強そう。
まぁ、ともあれ、単純な人だが触っただけで喜んでくれるのは自分も嬉しい。これでもうちょい自分を制御できる人なら……ハァ。俺はまた嘆息する。
そんな中、緋陽里さんが、注文したコーヒーを持ってきてくれた。ミド姉は緋陽里さんを見て何故かドヤ顔していたが、理由はよく分からなかった。緋陽里さんもよく分からないといった顔をしていた。
「そういえばミド姉、僕、この夏にインターンシップを受けるんです」
俺は、今日の昼も大樹と話したインターンシップの話題へと話を転換した。
「翔ちゃん、インターンシップ行くんだ。偉いね! どこ行くの?」
ミド姉も話を始めるときちんとした状態になってくれた。
「それが、未だに訪問先を考えあぐねていまして……」
そのとき、ミド姉の目がキラリと光った気がした。
「なるほど! 私でよければ何でも聞いて! お姉ちゃんが協力するわ!」
出た。姉主張。もうすっかり慣れたが、今日はいつもよりなんだか気合が入っているな~。俺の発言から、訪問先をどうやって決めたらいいのかアドバイスして欲しいと思ったのだろう。
「えっと、今回は一回、自分で調べてみようかなと思っているので、アドバイスは大丈夫です! ありがとうございます」
すると、急にシュンとするミド姉。さっきまでピンと張っていたアホ毛もしなびて垂れ下がっている。やっぱりこれ、独立生物なのか……?
俺はその様子を見て、先程ふと思ったことを尋ねてみることにした。
「でも、ひとつだけ聞きたいんですけど、ミド姉って、就活はどうしているんですか?」
そのとき、ミド姉の体が強ばったように見えた。
「あー、」
言い出しづらそうに、口を開くミド姉。
「私、今までずっと漫画を描いていたから、就活はまだあまり始めていないの」
「……」
や、やっぱり、始めていなかったのか……。まぁ、予想はしていたけれど……。
「でもね、同人誌も終わったし、そろそろ始めなきゃなとは思っていたの。漫画家になると言ったって、就職先も決まっていないわけにはいかないと思うし……」
確かにその通りだ。漫画家の夢一本を追い続けるのもいいが、どうしたって現実は厳しい。そんなに簡単になれる職業じゃないのだ。
「だから、今度の同人誌のイベントが終わったら、持ち込み用の漫画と並行して就活する予定なの。それに、一応エントリーはしてるし、エントリーシートだって少しだけど、書いてるんだから!」
「よかった。一応考えてはいたんですね。てっきり、持ち込みが成功するまで無職でいるつもりなのかと思いました」
「私は一年くらいそれでもいいかなと思っているんだけど、うちの親が許してくれないだろうからね~」
あははと笑ってそう言うミド姉。まぁ、大多数の親は、子供が就職しないで漫画家を目指すと言ったら反対するに決まっている。ミド姉の家も例外ではないようだ。
「それでも、就職した後も漫画家の夢は追い続けると思う。要するに保険かな。前にも言ったけど、私は後悔自体したくないの。考えたくないけど、いつか夢破れた時に、漫画を描いていたからって理由で路頭に迷うつもりはないから、生活できるくらいの職にはついていないと、と思って……」
意外だったのは、ミド姉がきちんと現実も捉えられていることだった。俺はつい、ミド姉は夢を追うだけで現実を見ない無鉄砲な女性と思っていたようだ。この言葉で、ミド姉は現実もきちんと見えている夢追人なんだと認識を改めることができた。
そうか、夢物語なことばかり考えていない、こういう人だから、この人の言葉はあんなにも響くんだ。だからこそ、説得力がある。だからこそ、俺は……、彼女が本当に素晴らしい漫画家になれると思っているんだ。
俺は、ニッと笑って、
「大丈夫ですよ! ミド姉なら漫画家になれます! 根拠はないですけど、僕は信じています!」
「翔ちゃん……」
「でも、就活も頑張ってくださいね」
「うぅ~。頑張る」
うなだれるミド姉。俺も頑張らないとな。
俺は、コーヒーをすすりながら気合を入れ直したのだった。
*
家に帰った俺は、早速インターネットで大学のホームページを開いた。進学先の欄をクリックすると、職種と就職率などが書かれたページに接続した。
「(色んな仕事があるな~)」
中には、名前すら聞いたことないような職種もある。一体どんな仕事なのかさっぱり分からない。
お、うちの大学、アナウンサーになったことある人もいるんだ。どこの局の誰なんだろ?
就職割合的には公務員が多いな。まぁ、やることが幅広いだろうから当然か。公務員といっても、種類がめちゃくちゃ多いしね。
うちの学科に限っていえば、やはり理系なだけに進学が圧倒的に多いな。ほかには研究職、メーカー、コンサルタント、IT、などなど。お、ここにもやっぱり公務員がある。やっぱ多いんだな。
そういえば公務員って、大雑把には『市民のために役立つことをする』っていうイメージの仕事だけど、実際にはどんなことをやるのか知らないな。
公務員の就職率の高さから、ふと気になった俺は公務員の仕事内容を調べることにした。
公務員は、分野によってやることが多岐に渡る。理系と文系でも行う仕事の内容が全く違うことが分かった。理系の中でも、電気・化学・土木・機械、といった分野ごとに分かれていたり、それぞれの中でも研究職というものがあったりする。中には、園芸というのもあった。
「(公務員か。手堅い職種って言われているよな)」
公務員は、国民の税金が給料になるので、いわば会社が倒産するということがない。その分、市民や町民によりよいサービスを還元しなくてはならない責任重大な仕事だ。自分ひとりのミスが会社全体のイメージを悪くするとはよく言われるが、公務員の場合は職場だけでなく、公務員全体のイメージが悪くなるだろう。大きな仕事のためやりがいがあり、自分の暮らす街の人たちの笑顔にそのまま直結する。
「公務員か……」
俺はミド姉の笑顔を思い出す。俺は、ミド姉の役に立てていることが嬉しかったんだ。誰かの役に立つための仕事、みんなの役に立つ仕事か。公務員……。もっと知ってみたい。
俺は、調べていくうちにいつの間にか公務員に興味を持っていることに気づいた。
「よし、決めた! インターンシップの希望は、ここにしてみよう」
俺は、行き先が決まったことよりも、自分が前に進めていることを実感できたことが嬉しかった。
*




