第8話「シャイな弟は控えて欲しい」①
花森翠
五月の下旬、同人誌の原稿も終わり、差し当っての締切もなくなり比較的余裕の生まれた私、花森翠はいつものように例の喫茶店にいた。持ち込み用の漫画を描くための話作りをするためだ。
同人誌の内容をベースにするとしても、そのまま持ち込みに行くわけにもいかない。話をもう少し読み切り風にしないといけないし、持ち込みに行くからには、絵も更に上手に書かないといけない。やることはたくさんだ。
同人誌の締切を終えたわけで、今度は就活にも力を入れないといけない。私は、就活だけでなく、持ち込み用の漫画にも力を入れたいため、昼はこうして話を考え、夜は企業を調べたりしている。就活サイトに登録して、エントリーを行ったりと、結構忙しい。
この後は翔ちゃんが来るからそれまでにお話を考えないといけない。そして、話に合った弟のモデルを頼みたいところ。
なんだけど、私はこれとは別のことに頭を悩ませていた。
「(むむむむ、やっぱりあれは、そういうことなのよね)」
私は、先日桃ちゃんに言われたことに頭を悩ませていた。
『ミドちゃん、わたし、負けないからね!』
先日桃ちゃんが私に向かって挑戦的に言ったこの言葉。これの意味するところはやっぱり……。
「(桃ちゃんも、翔ちゃんの姉の座を狙っているということよね!)」
お隣に住む女子大生、桜井桃果ちゃんは、花森翠の姉の地位を脅かそうとしている! 前後の話の流れで、「弟にしちゃおっかな」みたいなこと言っていたし、やっぱこういうことよね。翔ちゃんに会った次の日にイメチェンしている辺りからして、気合の入り方が違う。
まさか、桃ちゃんがこんなことを考えるなんて思わなかったわ。大人しい桃ちゃんがまさか、翔ちゃんに会った次の日に弟萌えキャラになるだなんてらしくないこと、誰が想像できるの? まぁけど、それほど翔ちゃんが魅力的な弟キャラだということね!
よくよく考えたら、私だってこんなにブラコンになるとは思わなかったし、桃ちゃんが翔ちゃんに夢中になるのも分からなくないね。だって、あの可愛い顔だものね。おまけに優しくて照れ屋で思いやりがある。すべての行動が愛おしく感じる。恐ろしい、恐ろしい人だわ、翔ちゃん。きっと、年上女性をブラコンにする特殊能力が備わっているのね。危険すぎる。
「むむむむむ~」
うなりを上げて机に突っ伏す私。さっきから話が全く進まない。コーヒーでも飲んで落ち着きましょう。
「さっきから、何をそんなに難しそうな顔をしていますの?」
お嬢様のような話し方をする店員さんが話しかけてきた。
「緋陽里」
「例のお、弟くんのことですの?」
「うん、まあね」
緋陽里は私と翔ちゃんが姉弟関係にあることを知っている。言葉足らずな説明しかしていないにも関わらず理解してくれた辺り、伊達に長く一緒にいないね!
だけど、どうやら翔ちゃんのことを高校生だと勘違いしていたらしく、そこは訂正した。まぁ、前情報何もなしで翔ちゃんを見たら、そこは勘違いされても仕方ないよね。
彼女の妹である朱里ちゃんは朱里ちゃんで、喫茶店で話す私と翔ちゃんを見て、私と翔ちゃんが付き合っていると思っていたみたいだし、陽ノ下姉妹は勘違いが多いね。でもどうやら、翔ちゃんに事情を説明された朱里ちゃんから緋陽里に改めて正しい情報が伝わったようだし、何より何より。
けど、今はそれどころじゃない。なにせ、私の弟が盗られてしまうかもしれない事態なのだから。
「私の隣に住む桃ちゃんから、宣戦布告を受けたの」
「え!?」
「どうやら、桃ちゃんも翔ちゃんのお姉ちゃんになりたいみたいで……」
「へ、へぇーそうなんですの……」
嘆息する私。緋陽里は若干引きつった笑いを見せているように見える。心配してくれているのかな。
「そのモモちゃんって子も、結構大胆な宣言をするのですね……」
「うん、私もびっくりしちゃったよ。髪まで切って大人っぽくなっちゃってさ。翔ちゃんへの愛を感じざるを得ないよ」
「え、えぇ。まぁ」
「桃ちゃんに負けたくないよ~。三人姉弟でイチャイチャするのもいいって思うかもしれないけど、やっぱり私は一人で翔ちゃんを愛でたいわ~」
「思いませんよそんなこと! 三人姉弟って! そんな不純な考えを持ってはいませんわ!」
「? うん? そうだよね」
不純って何だろう。別に不純ではない気がするけどな。三人姉弟。
緋陽里は目つきを変えて私の目を見ると、気合に満ちた表情でこう言った。
「大丈夫ですよ翠! あなたはとても魅力的な女性! そのモモちゃんって子にも負けはしませんわ! もっと自信を持ってください!」
「緋陽里。そうよね! 私頑張るよ! これからもっと姉力を磨いて桃ちゃんよりも姉らしくなってやるわ!」
「はい! 頑張ってください!」
「ありがとう緋陽里! 流石私の友人だね!」
緋陽里の手を握って、お礼を言う私。緋陽里も応援してくれている。
桃ちゃんに、翔ちゃんの姉の座は渡さないんだから!
*
岡村翔平
「インターンシップの訪問先?」
「そうなんだよ。インターンシップを受けることは決めたんだけど、どこの企業に行くかとかは全然決めてなくてさー」
「そんなの、興味ある企業とかに行ってみればいいんじゃねぇの?」
「興味ある企業ってのが分からないから、どこにしようか悩んでるんじゃん」
俺は大樹と昼ごはんを食べながら、先日先生に言われたインターンシップの訪問先についての話をしている。
八月または九月に行われるインターンシップだが、訪問先の会社にも都合というものがある。早め早めに受け入れを確定させ、そのためのスケジュールを組む必要がある。そのため、インターンシップまであと二ヶ月以上もあるこの時期に、一度学科の先生に希望という形で書類を提出しなくてはいけないのだが、未だに決め兼ねている。
なにせ、このインターンシップ、候補の企業がいくつかあり、その中から選ぶというものではない。自分で興味のある企業を検索し、行きたいところを決めるのだ。提出した書類を元に、先生がアポイントをとってくれるため、そこはとてもありがたいのだが、俺は最初の調べる段階でつまずいている。興味のあるものがないからだ。
ミド姉との出会いで一歩前進したと思っていた俺だが、人間、そう簡単に変われるわけではないらしい。俺の将来に対する人生設計は、空白のままだ。
「今まで聞いたことなかったけど、大樹ってどういうところに就職したいとかってあるの?」
「え? オレの話? そうだな、ちょっと銀行とか興味あるかなとは思ってるけど」
「銀行か! 確かに文系の学生にはすごい人気あるよね、銀行! よく知らないけど」
「けど、興味ある程度で別に調べたりはしてないぞ。だからこそ、翔平は偉いと思うぜ?」
「そ、そうかな。けど俺、まだ何かに興味を持ったりしてないからな」
「あぁ、もう」
染めた茶髪を手でガシガシしながら大樹は続けた。
「だからこそのインターンシップだろ? そこで何かに興味を持てばいいんだって。その会社の業務でもいいし、全然違う会社でもいいし、一度働いてみれば、何か見えるものがあるかもしれないんだから。もうちょい気楽に考えろって。他人と比較してばっかじゃ生きづらいぞ?」
大樹は手に持っていたスプーンをこっちに向けてそう話す。
大樹は、見た目こそチャラそうな大学生に見えるが、考え方は非常に大人だ。適当なことを言うことも多いが、アドバイスはいつもためになるし、頼りになることが多い。おまけにイケメンで頭もいいし、だからこそ、女子にモテるんだろうな。なんで付き合ってないのか不思議なくらいだ。
「ありがとう大樹。気が軽くなったよ」
「おう。ったく、お前はもうちょい自分に自信を持ってっての」
「別に自信がないわけじゃないって。以前は俺って夢も何もないし、かと言って就活とかやる気起きないだろうし、特技とか何もないし童顔だし、身長は一七〇センチ行ってないし、他人と比べたらスペック低い普通の男だなと思っていたけどさ、」
「お、おう……」
大樹がたじろぐ。
「今は、就活に関しては人よりも準備している方だと思うから、自信持てているつもりだよ。容姿だって、人の役に立てているわけだし、別にいいよ」
「あぁ、そうだな。美人の女子大生をメロメロにする、お姉さんキラーだもんな」
ケラケラ笑う大樹。俺はいつもなら恥ずかしがって否定するところだが、今日は肯定的に返答した。
「その通りだ! 羨ましいか? 可愛い顔でも得することがあるんだぜ~?」
「お、そう来るか。流石、一女性の隠された性癖を開花させたプレイボーイは言うことが違うねぇ!」
「誰がプレイボーイだ! 別にそういうんじゃねぇよ!」
「そのうちまた新しい年上女性を引っ掛けるんだろ? このスケコマシが!」
結局大樹の冷やかしに顔を赤くしてしまう俺。軽口のチャラ男には、冷やかしで勝てないのか。くっ。
まぁ、けど、インターンのことでアドバイスをもらったし、大目に見てやるか。
訪問先の企業か~。帰ったら大学のホームページから先輩の就職先とかでも調べてみようかな。
そういえば、ミド姉って今四年生だけど、就活はしているのかな。俺のイメージでは漫画を描いているイメージしかないな。まぁ、本人は漫画家志望だから、就活していないのかもしれないな。後でちょっと聞いてみようかな。
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