第1話「岡村翔平はきっかけが欲しい」①
春、それは新しい自分になれる予感のする季節。
新入生にとってはまさしく特別になる一日。初めての大学、初めてのサークル、初めての自主選択制の授業。初めてのオンパレードだ。
大学を象徴するアーケードの中は実に活気づいている。部活の勧誘、新入生どうしの挨拶、たくさんの声に溢れており、そのほとんど全てが希望に満ちてキラキラしている。
「君、新入生だよね? いやー若いなー! やっぱ一年生と二年生じゃ、なんていうか、まとっている雰囲気が違う! 俺たち、人力飛行機部なんだけど、興味あったら入ってみない?」
と、アーケードの中を歩いていた俺に突然、人力飛行機部とやらの勧誘の人が、ビラを渡してきた。男女のペアだ。こちらが返事をする間もなく、目をキラキラさせながら部員の男性が話を続けてきた。
「うちの大学の人力飛行機部って結構有名でさ、部員の数も多いんだよね! なんで多いかっていうと、うちの大学の広さを利用して、飛行機の練習や研究がたくさんできるし、それになんといっても女の子もたくさん在籍しているっていうのが強いのかもね!」
今度は、女性の方が弾むような声で男性に続いて話し始めた。
「そうなの! 私も人力飛行機なんて全然興味なかったんだけど、これが結構楽しくてさ!」
「イベントが盛り沢山なのもうちの部活の特徴かな! 『部』ってついているけど、サークルだと思ってそんなに気負わなくていいよ! こいつは違うけど、俺が可愛いなと思う先輩もたくさんいるぞ?」
「ちょっと! マサキはいつも一言多いのよ! あ、ごめんごめん。基本的に二年生がメインで、一年生は二年生がやってることを学ぶ。そして、次の年に自分たちがメインになって活動するの。だから安心してね。もちろん、三年生になってもイベント事には毎回顔を出して、一緒に遊んだり、二年生へのアドバイスもするのよ」
そのあまりの楽しそうな部活勧誘に圧倒され、俺は相槌を打つことすらできず、人力飛行機部の男女は饒舌に話し続ける。話を聞いていると、彼らはサークルの代表格となる二年生。大学で初めての後輩ができることにワクワクしていて、ついつい早口になってしまうのだろう。
「大学生活が充実することは保証するよ! どうかな? 俺たち……」
「私たちと……」
「「人力飛行機部に入って、青春の一ページを描いてみませんか!!」」
勧誘の人たちは手を俺の方へ差し向けて、ばっちり決めている。なんて爽やかな笑顔なんだろう。とても印象の良い二人組だ。
ようやくそこで人力飛行機部の人たちの話は一段落したようで、ようやくこちらから話す機会が与えられた。
これで、ようやく返事ができる! 楽しそうに話しているときから、早く、早くと返事がしたかった。だって、
「えっと……。すみません、僕、三年なんです……」
「……」
「……」
「……」
沈黙してしまった。さっきまでのマシンガントークの反動が来たかのように五、六秒の沈黙が三人を包んだ。勧誘の二人は先ほどの手を俺の前に差し向ける姿勢から微動だにしない。俺はその間も必死に笑顔を取り繕ったが、苦笑いになっていたことは否めない。
「あ、あ~。そうでしたか。先輩でしたか。そうとは知らず、すみません……」
「あ、あ~。いえいえ、こちらこそなんか勘違いさせちゃってすみません……。部活勧誘、がんばってくださいね~」
あんなに希望に満ちて勧誘していたのに、先輩に話しかけた上、「君、すごく新入生の雰囲気がするな!」と断言してきた俺より年下の二人がいたたまれなくて、終始敬語で話すことになってしまった。
一言言って立ち去る中、二人組のつぶやきが後ろから聞こえてきた。
「まさか先輩だったとは……」
*
「はぁ」
嘆息して、この広い構内の図書館前広場を歩き、講義が開かれる教室に向かった。本日は、四月一日、新学期だ。新たな気分で始まる一年の再出発の日。空は快晴で、まるで新入生の入学を祝福しているようである。
しかし、そんな気分とは裏腹に俺の気分は朝から申し訳なさやら恥かしさでいっぱいだ。
俺、岡村翔平は童顔である。
「老けて見られるよりいいじゃないか」だって? 確かにその通り。中年のサラリーマンは若く見られると嬉しいだろうしね。若いとか言われると大抵の人は嬉しいかもしれない。
ただ、俺にとっては少し違う。いやまぁ、そりゃあ老けているって言われるのも嫌だけどさ、後輩から後輩に勘違いされるのも中々ダメージがでかい。
高校二年生になったあたりからだ。今回と同じように部活勧誘で、同学年から新入生と間違えられたり、他校の友人の学校前で待ち合わせていたら、見学に来た中学生に間違えられたこともある。大学に入ってからは、自転車で外を出歩いていると夜間パトロールの警察に高校生と間違えられて補導されるし、二十歳になって酒を合法的に買えるようになっても、「当店ではお酒の販売は成人者のみになります」とお断りされることがある。
最初のころこそ気にはしていなかったが、特に大学生になってからは、自身の幼さの残る顔立ちが少しだけコンプレックスになってしまっている。と言っても、何十回という経験のおかげで、慣れてきて、以前ほど気にはしなくなった。
ただ、ことやる気の満ちあふれたサークル勧誘で後輩たちに勘違いさせ、次の勧誘に影響が出てしまうのではないかと考えるとバツが悪い。
「まぁ、俺が気にしてもしょうがないか」
人力飛行機部に後輩がたくさん入る事を祈りつつも自分を納得させながら、満開の桜の木の下を抜け、俺は理系棟へ向かった。
*
講義といっても本日は新学期最初の講義であるため、今後の授業方針を学生に伝えるオリエンテーションがあるのみだ。
しばらく先生は今後の講義方針を話し、講義に必要な教科書などの話をしていたが、講義方針の話が終わると今度は、進路の話になった。
「三年生の一年はあっという間に過ぎていく。来年の三月には就活が始まるので、この一年は就活を成功させるための準備の一年ということになる。なりたい職業が決まっていない人も焦ることはないが、少しずつ業界のことを調べ始めていくように」
窓の外を眺めながら、自分のことについて考える。
「(やりたいこと、か)」
今の俺には将来やりたいことがない。高校生の時も先生から聞かれたが、うまく答えられず、自分の学力に合っていたこの大学を選んだ。大学でのんびり過ごしていれば、好きなことが見つかると甘い考えを持って過ごしていたが、いつの間にか二年が経過した。きっと大学生はそういう人たちが大半であり、特に俺が少数派というわけでもない。
しかし、夢を持っている人たちに比べるとスタートが遅れているのは明らかだし、俺はどうもそんな夢を持っていない自分が好きではなかった。かと言って、興味のないものを調べるというのもやる気が出ない。そのくせ変にリアリストな部分があり、自分の趣味を職業にしようとか理想的なことからも遠ざかる。本当にどうしようもない。
「(俺は将来、どんな職業に就いてどんなことをやっているんだろう。見当もつかないな)」
先生はその後も話を続けていたが、耳には入ってこなかった。桜の花びらが美しく風に揺られて飛んでいく。いつの間にかほとんどが散ってしまっている木もある。大学生活もあのようにすぐに過ぎ去っていく気がしてならなかった。
*
オリエンテーションは三十分くらいで終了した。今日はもう講義がないため、これで帰宅できる。俺はリュックを持って教室を出て、本屋に向かう。
今日は俺の好きなラノベの発売日だから!
俺は、ラノベとかアニメが大好きだ。大学に入学してから何気なくチャンネルをポチポチ変えていたら深夜アニメがやっていてそれに釘付けになった。
二次元の世界は、変にリアリストで夢のない俺の逃避場所なのだ。どんなに非現実的なことでも、現実に希望を持たせてくれるツールというのかな。例えば、ありえない話だけれど、本当に空から美少女が降ってくるんじゃないかとか、突然異能力が自分に備わるんじゃないかと想像しながら生活するのは、中々楽しい。
テンション高めで桜の木の下を歩いていく。先程までの物思いにふけっていた自分はどこへやら。まぁいいじゃん。今日はまだ三年生になって一日目だし。
最近の俺は、新刊を買って、あまり人の来ない静かな喫茶店で読書をするのが好きだ。
店でかかっている音楽や少数のお客さんの雑談をBGMにして、ラノベに没頭することがここ最近のマイブームになっている。今日は、この前見つけた、駅から少々離れているが、雰囲気の良さそうな店に行くつもりなので、急がないと時間がなくなってしまう。俺は早足に本屋へ向かった。
*
今回購入した小説は、「ぼっちの俺に突然彼女ができたんだが!?」というラブコメディの第一巻だ。タイトル通り、非リアぼっちの主人公にいきなり彼女ができるというストーリーだ。この作者のストーリーとヒロインの可愛さに魅了され、今回、待望の新作ラブコメということで、発売日を楽しみにしていた作品だ。
裏面に書いてあるあらすじを読み終えるとちょうど注文していたコーヒーがやってきた。とても愛想の良い店員さんだ。
うん、すごくいい店な気がする! 運ばれてきたコーヒーを一口飲むと、いい苦味が口に広がった。読書をまだ始めていないのに、最高の気分に達した俺は、一ページ目を開き、物語の中に没頭していった。
*
半分ほど読んだところで、休憩がてら何か注文することにした。現在の時刻は午後四時、少し遅いおやつの時間だ。コーヒーもなくなってしまっており、小腹も空いていたので、コスパの良いケーキセットを頼むことにした。450円の小フルーツケーキセットを注文した俺は、読んでいた作品の内容を振り返った。
面白い! 想像以上の王道ラブコメで一気に半分も読んでしまった。
主人公はぼっちで気弱だったが、意外と芯が強く、俺の中ではとても印象の良い主人公であった。ヒロインはヒロインでかなり積極的で、一目惚れした次の日に告白した。
告白シーンも実によくあるもので、
「私、一目見た時から、あなたのことが好きだったの。付き合って!」
という、今の小説ではむしろなさそうな王道な告白だった。
とまぁ、よくあるようなストーリーで、別にテンプレ通りで展開が読めてしまうと言ったって、面白いものは面白い。俺は王道ストーリーも大好物だ。
流石にずっと同じ態勢で読書は肩がこる。俺は軽く伸びをして、リラックスした。
ふと、正面を見ると、俺の前の席に座る美人な女性がこちらを見てニコニコしているのが目に入った。
「?」
しかし、目を合わせると、彼女は慌てたように目を逸らし、持っていたタブレットで顔を隠してしまった。
「(なんだ?)」
一瞬その行動が気になったものの、たまたま笑顔でいた時に俺と目があったため、恥ずかしくなって目を逸らしたのだろうという考えに至った。ちょうど、注文したケーキセットがテーブルに届いたため、意識をそちらに逸らし、ケーキとコーヒーをいただいた。
……おいしい。
フルーツケーキだからかあまり生クリーム多くないし、それでいてサイズもちょうどいい。「小」フルーツケーキだからもっとこじんまりしたものと期待値を下げていたが、普通のケーキよりちょっと小さいくらいだ。それでいて、フルーツもちゃんと適量乗っている。
食べている最中、三口目のケーキを食べようとフォークを上げたとき、なんとなくだが俺は正面を向いた。すると、先程の女性も同じように視線をこちらに向けており、またもや目が合ってしまった。
「!?」
先ほどの女性の行動を思い出してなんだか恥ずかしくなり、今度はこちらから目を逸してしまった。顔が熱い。
「(なんだ? あの人、なんでこっち見てるんだ?)」
別に女性と話す機会が極端に少ないとか初対面の人の前ではとんでもなく緊張するというわけではないが、あまりに美人な女性から見つめられていたら、健全な男子大学生が照れずにいられるわけはなかった。それに俺は、照れ屋なところがあり顔が赤くなりやすいらしい。友人が教えてくれた。
まず目を奪われたのは、美しい顔立ちである。
大きな目に端正な鼻、きれいな肌。髪は明るい茶髪ながらも大学生にありがちなだらしなさは一切感じず、大人っぽさを醸し出させていた。ロングヘアの髪には大きめのリボンが付けられており、それが逆に大人過ぎない感じを持たせ、絶妙なバランスとなっていた。前髪の一本が飛び出て、アホ毛となっているのも妙に可愛らしい。今まで俺が見た女性の中でトップクラスに可愛い。まるで漫画やアニメの世界から出てきたような人だ。
女性は、俺と同じ四人掛けテーブルを一人で座って広々と使用していた。
これが物語の中の話なら、実は俺に興味を持っていた女の子がたまたま同じ喫茶店の隣の席になり、じっと眺めていたってことも考えられるんだろうが、残念ながらここは現実だしね。
一度目が合ってしまったから、またちょっと気になってこっちを見たら、みたいなそういう……、
「あの……」
「!?」