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第6話「陽ノ下朱里は描きたい」③

 朱里(しゅり)はなお、真顔で俺の顔とスケッチブックを交互に見つめ、話を続けた。


「周りのみんなの絵に比べたら、あたしの絵なんて落書き。比率も焦点も全然未熟だった。別に、それで部員にいじめられたりとかはなかったわ。部員は、みんな優しくて、たくさんフォローもしてくれた。けど、それでも上手くなれない自分が、あたしは嫌いだったわ」


 店内は依然として賑やかな話し声が響く。しかし、俺の気分はなんだか暗かった。なんだか、少し前までの自分を見ているようだ。


「そんなとき、悩んでいたあたしに気づいてくれたお姉さまが、大学の絵がうまい友人を紹介してくれたの。それが、(みどり)さんよ」


 ここで、ようやくミド姉の名前が出てくる。ミド姉も絵がうまいけど、いつから描いているかは分からなかった。どうやら、大学一年のころにはもう描いていたみたいだ。


「翠さんはとても優しく、絵の基本から教えてくれたわ。それこそ、基礎中の基礎もできていなかったあたしに、最初から丁寧にね。その甲斐あって、二年の後半には見違える程上手になったわ。あたしにできていなかったのは、やっぱり基礎だったみたいで、そこを押さえたから、上達したみたい。気づけばあたしは、以前に比べたら絵を描くのが好きになっていたわ。どんどん上達する自分が実感できたからね」


 そこで少し、朱里の笑った顔が見えた。絵が上手になれた時のことを思い出して、嬉しくなっている顔だ。しかし朱里はすぐに真顔に戻って話を続ける。


「だけど、あたしが基礎を学んでいる間に、他の人たちが何もしないはずない。他の部員は、自分の得意な表現技法とかを極めて、更なる高みに昇っていったわ。あたしがノロノロ進んでいる間に、他の部員はどんどん進んでいく。追いつけないと思った。あたしは、そのことに急に気づいたの。そして、また絵を描くのが嫌いになっていったわ」


 さっきまで真顔で描いていた朱里だったが、そう言った時だけは、少し悲しそうな顔をした。周りの人との差を見せつけられ、平然としていられる人など、そういない。


 俺も、大学受験の頃に見せつけられた。高みを目指して頑張る人とどうせ学力に合っているところに入れるだろうと、向上心を持たなかった自分。元来真面目な性格だったので、志望校を決めて、そりゃあ努力はしたが、自分よりはるかに高い志望校を目指して頑張る人とは、努力量が違った。結果、自分より成績の悪かったクラスメイトにも次第に抜かれていった。


 俺は勉強で、朱里は部活でそれを経験しているらしい。きっと、誰でも経験のあることなのかもしれない。


 少し悲しそうな顔をしていた朱里だったが、いつの間にか真顔に戻り、同じように絵を描き続けている。

「絵を描くのが嫌いになったあたしは、次第に自分のことも嫌いになっていったわ。どうせ、あたしが努力を続けても他の人には敵わないって思ったからね。そうなってくると、負のサイクルで何もやる気がなくなっていった。そんな時、翠さんがあたしの苦しみを和らげてくれたの」


 *


『翠さん、あたし、翠さんに教えてもらって上達したけど、他の人には全然追いつけません。あたしは、あたしの絵が好きになれないんです。どうしたらいいんでしょうか……』


 涙混じりに朱里は、翠に助けを求めるように答えを請う。


『あたしがやってきたこの二年は、無駄だったんでしょうか……? もっと早くから、中学から、部活を始めていれば良かったんでしょうか……?』


 次第に本格的な涙声になっていく朱里。翠は、それを黙って見つめていたが、うずくまる朱里の背中に手を置くと、優しい声で言った。


『朱里ちゃんの努力が無駄になるなんて、あるわけないじゃない? 朱里ちゃんは、みんなより遅く絵を描き始めたかもしれない。遠回りしていたかもしれない。だけど、遠回りしたことで、基礎がすごく大切だってことに気づいたんでしょう? 部員の誰よりも、基礎が大切だって知ることができたんじゃない?』

『!!』


 朱里は、目をハッと開いて、うなだれていた顔を上げ、翠の方を向いた。


『それは、そうですけど……』

『確かに、みんなよりも遅いスタートで追いつけないのは悔しいかもしれない。みんなも頑張っているんだしね。私も、漫画を本格的に描き始めたのが今年からだし、夏コミでも全然売れなくて悔しかったよ。だけど、そういう悔しさを知るのも大事なのかなって思うことにしたの。何があっても、自分の経験値になってるはずだよ。朱里ちゃん!』


 朱里はボロボロ涙を流し、翠の笑顔を見つめる。


『この悔しさをバネにして、私と頑張ろうよ! 私も頑張るからさ! だって、大学に行っても美術を続けられるんだから、この経験は絶対無駄じゃないよ。もしも、絵で分からないことがあったら、また私が教えてあげるからさ』


 翠の言葉を聴き終えた朱里は、自分の胸に手をやる。心が軽い。さっきまで自分のことが嫌いだった感情が、なくなっていた。


 *


「とまぁ、そんなことがあって、あたしは翠さんの心の強さを知ったの。そして同時に尊敬の心も芽生えた。彼女のように立派な女性になろうって思ったの」


 彼女が語ってくれた話は、俺の心にも響くものがあった。似たような境遇で自己嫌悪に陥っていた彼女を救ったのは、ミド姉だった。それも、俺が初めて彼女の「弟」になった時と似た言葉で……。


「ハハ」

 俺は、つい笑い声が口に出てしまった。


「やっぱ、ミド姉は、ミド姉だなぁー」


 俺のそんな急な笑顔に朱里は一瞬、目を丸くしたが、

「そうね」

 と笑って返した。


「朱里とミド姉に、そんな過去があったなんて、驚いたよ」

「ふん、何でこんなやつに話しちゃったんだか」

「それにしても、朱里はすごいな~。俺の思っていた以上に真面目で努力家なんだね」


 すると、馬鹿にされていると思ったのか、顔を赤くして大きな声で悪態をついてきた。


「き、急に何よ! 馬鹿にするのはやめてくれる?」

「馬鹿になんてしないよ。今、部内コンクールで一位取れるってことは、これまでずっと努力してきたってことじゃん。いや、ホントすごいと思うよ。俺も見習わないと」


 俺がそう言うと、スケッチブックの後ろに顔を隠してしまった。と思ったら、すぐに怖い顔を出し、「あなたに褒められても何も嬉しくないわ!」とそっぽを向いてしまった。嫌われたものだ。


「ほら、あとちょっとでできるわ。だから、動かないでくれる?」

「ちぇ、何だよ。ちょっと良いこと言ったと思ったのに」

 相変わらずの上からの態度に従い、再び姿勢を正す俺。

 だが、スケッチをしている朱里の顔は、今日一番でいい顔をしていた。


 *


 しばらくして、朱里の描いていたスケッチが終わった。朱里は、描けた絵を見ながら、どこか満足げにしている。

「あぁーーーやっと描けたかー」

「ふん、ペンが遅くて悪かったわね」

「そんなこと言ってないだろ」

 相変わらずツンツンした奴だ。デレが全くないとか、何にも可愛くない。


「今回描けた絵は、不本意ながら、今まで描いた人物画の中でもかなりいい出来よ」

「そうかそうか。やはり俺には絵のモデルの才能があるってことなのかな」

「そうね。顔が小さくてバランスが取りやすいし、顔が幼いという特徴があるから単純で描きやすかったわ」

「それは褒めているのか、けなしているのか?」

「もちろん、褒めているわよ?」

 いつもならここで不機嫌そうな顔を見せる彼女であったが、珍しく、和解した時に見せたような笑顔の表情を見せていた。


「それじゃあ、今からこれをミド姉に見せに行ってみる? ミド姉が仲介してくれたんだから、一応成果を見せないと」

「そうね。あたしも早く翠さんに見せたいし、それじゃあ行きましょう」


 俺たちはカウンターで会計を済ませ、店を出る。

 外はまだ明るく、夕方一歩手前くらいだ。本当にここ最近、日が延びたなぁ。


 俺は、本日三回目になる並木道を通り、ミド姉の家の方向へ坂を下る。朱里は、トートバッグに入れてあるスケッチブックを見て、嬉しそうにしている。モデルを受けた甲斐があったってものだ。俺も嬉しくなる。


「ねぇ、」

 並木道を歩く朱里がいきなり口を開いた。

「ん? 何?」

 俺は、並木道に咲いていた花を見ながら返答する。


「今日、何で来てくれたの? あたしたち、仲悪いのに」

「あー」


 確かに俺も一瞬それは思った。敵対している俺なんかが行って、悩みが解決するのだろうか? と。だけど、了承した。仲が悪くても、一応しっかりとした意志を持つ人が悩んでいるんだから、手助けしたいと思って。


「まぁ、以前、絵について協力するって言ったしね」


 前を歩く彼女は、俺のその返答を聞くと、後ろを振り向き、朱い瞳をこちらに向ける。

「あなた、本当にお人好しな人なのね」

 手を後ろにやりながら、後ろ歩きを続ける彼女。坂なのに危ない。


「別にお人好しってわけじゃないよ。人がいいみたいな言い方しないでくれる?」

「そんなお人好しを利用して、これからも絵のモデルをたまに手伝ってもらおうかしら?」

「話を聞けよ」

「よろしく頼みますよ。プロの弟モデル先輩?」


 そう言って、前に向き直る朱里。

 相変わらず敬意のない言い方だったが、言葉で初めて「先輩」と出した辺り、あいつの中の俺への不信感もちょっとはなくなったんだろうか? 

 ま、生意気なのは何も変わっていないが。それでも俺は何故か少しだけ嬉しかった。


 *


 インターフォンのボタンを押し、ミド姉を呼び出す。

 すぐに弾む声が聞こえ、オートロックが開いた。いつもと同じ部屋まで歩いていくと、扉が開く。


「いらっしゃい二人とも。朱里ちゃん、いい絵が描けた?」


 俺たちは、会話しながら部屋に入っていく。


「はい、おかげさまで。翔平(しょうへい)も今回は……、まぁ、役に立ってくれたみたいです」


 素直に認めるのが嫌な言い方な朱里。素直に褒めろよ。


「そっかー。見せて見せてー!」

 朱里のスケッチブックを受け取り、絵を見るミド姉。


「へぇー。私の絵とはちょっと雰囲気違うな~。なんていうか、優しさが……」

「翠さん、言わなくていいですから!!」

 ミド姉が何か言おうとしていたが、最後に家に入った俺には聞こえなかった。


「良かったね! 朱里ちゃん、すごく良い絵になったと思うよ!」

「翠さんのおかげです!」

 無邪気な笑顔を見せる朱里。すごく嬉しそうで、何より。


「それで、漫画は順調ですか? 今日も、ずっと忙しいって言ってましたけど」

「それなんだけどね……」

 え? 何かあったのだろうか。ミド姉が顔を落とし、暗そうにしている。


「もう充電が切れそうなの……」

「え?」


 充電? スマホか? 

「だから、充電させてーーー!!」

「えーーー!!」


 そう言って、飛びかかってくるミド姉。ムニュムニュ言いながら俺に頬ずりしてくる。腕は完全に俺の首でロックされ、中々抜け出せない。いつもよりも激しめのスキンシップ。顔が近くて恥ずかしい。充電って……、これのことかよ! 


 その様子を、ケダモノを見るような目で見てくる朱里。ちょっと待って、俺何もしてないじゃん! 


「やっぱり、危険人物ね……」

「違うって、俺、何もしてないでしょ?」

「ムニュー、翔ちゃんのほっぺ、赤ちゃんみたいにもちもち♪」

「ミド姉、やめてーーー! 人いるから! 見られたらまずい人に見られているから!」

「こら、翔平! いつまでもくっついていないでさっさと翠さんから離れなさい!!」

「俺じゃねーーー!!!」


 こうして、取り戻した信頼はおそらくまた失われたであろう俺。俺が朱里の不信感を払拭できるのは、一体いつになることやら……。

 しばらくは口喧嘩だらけの関係が続きそうだ。


第6話をご覧いただきありがとうございます。

今回は、朱里がメインの話でした。翔平と朱里の仲はこれでちょっとは深まったんでしょうかね?作者にも分かりかねます。


陽ノ下朱里という女性は、とても頑張り屋なんです。第6話の朱里のような境遇にある方って、結構いると思うんですよね。そして、多くの悩みを持ちながらも継続するというのは、とても大変なことだと思っています。

私も詳しくは語りませんがこういう境遇に立たされたことがありましたが、私の場合は逃げ出してしまいました。だからこそ、朱里がとても頑張り屋だとしみじみ思いました。


そういえば、この作品も第6話19部分まで書いたことになります。第5話から今回までの間に初めてレビューコメントをいただきました!沢山の褒め言葉で、作品について評価してくれてとても嬉しかったです(≧∀≦)もちろん、読んでくださっているみなさんもありがとうございます!

これからも応援よろしくお願いします!

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