第6話「陽ノ下朱里は描きたい」②
岡村翔平
中間テストが終わり、勉学から解放された次の日の昼。俺は、例のごとくいつもの喫茶店に向かっていた。
今日会うのは、ミド姉ではない。金髪のチビ女である。
昨日、ミド姉から朱里のモデルを引き受けて欲しいと言われた。その際、何やら絵のことについて悩んでいると言っていたので、了承したのだ。
それにしても、俺は絵のモデルを引き受けてばかりだ。顔に自信があるわけではないが、どうやらモデルの才能があったらしい。二十歳になってようやく才能が開花したらしい。絵のモデルって飯食っていけるのかなー。
そんなくだらないことを考えながら、ひたすら坂を下ると、例の喫茶店が見えてきた。
今年度になってから、もう何度お世話になっているか分からないな。家からはちょっと離れているけど、俺のベストプレイスである。このまま人気が出ないことを祈ろう。
「ちょっと、遅いわよ」
店の前に立っていた金髪に遅いと言われた。集合時間の十三時まで、あと一分あるのに……。
「ちょうど今、集合時間じゃん」
「こういう時は十分前行動でしょ? 全く、レディーを待たせないでよね?」
こいつ……、本当に悩みとかあるのか? 通常運転じゃねぇか。
「なんで店の前に立ってるんだよ。店に入ってればいいのに」
「せっかく場所を指定してくれたところ申し訳ないけど、自分のバイト先で絵を描くのは恥ずかしいから、別の場所に行くわよ」
そう言って、駅の方に向かう。俺が来た方向じゃん。待ち合わせ場所を変えろよ!
大学から北に位置するこの辺りは、店自体が少ない。ほとんどが住宅で、飲食店は例の喫茶店だけだ。そのため、別の場所の喫茶店となると、向かう場所は駅前以外ないため、駅に向かって歩く。
「ありがとうね」
突然、朱里が前を向いたまま意外な言葉を発してきた。
「え? 何て? よく聞こえなかったんだけど」
もちろん嘘だ。聞こえていたけど、朱里があまりにも口にしない言葉なので意地悪のつもりで聞いた。
「だから、お礼を言ってるのよ! 上手く描けた後に言われても、報酬じみて聞こえるし、かと言って上手く描けなかった後に言うのも変だから。だから前払いでお礼を言っただけよ」
前を向きながらそうのたまう金髪。律儀なやつだ。
「別にいいよ。絵のモデルは慣れてるしね」
「あたしが絵を描いている途中、一ミリ足りとも動かないようにしてよね」
「おい、無茶言うな」
普段、仲悪く接している相手からお礼を言われると、なんだかちょっとくすぐったいな。
会話は特にそれ以上なかったが、いつもよりは比較的悪くない雰囲気で歩くこと十分、駅前の喫茶店に着いた。俺たちは喫茶店の中に入ると、席に着き、俺はコーヒー、朱里は紅茶を注文した。流石、駅前なだけあって、お客さんの数は多い。席と席の間のスペースは広めなので、椅子を十分に引いてスケッチすることも可能だ。
トートバッグからスケッチブックを取り出し、朱里は鉛筆を構える。
「さて、それじゃあ一ミリも動かないでよ?」
「そりゃ無理だっつの」
「いいえ、あなたならできるわ。なにせ、プロの弟モデルなのだからね」
「馬鹿にしてるな。よし、動きまくってやろう」
「は? ふざけないでくれる? 動いたら、これ以上動けないように目にペンを刺すわよ」
「おい、怖いこと言ってんじゃねぇよ。大体、俺はお前よりも年上なんだからな? ちょっとは敬意をはらえ」
「敬意をはらうのは、あたしが尊敬できると思った人だけよ。あとは社交辞令かしらね」
「お前は社交辞令すらないじゃん!」
「童顔だから年上だと思えないのよ。だから社交辞令も必要ないわ」
「おっし、今日はもう帰らせてもらう。じゃあな金髪」
「ちょっと! 冗談よ! 全く冗談が通じないわねー」
ったくこいつは……。口が悪いったらない。俺は、しぶしぶ椅子に座り直した。
「それにしても、翠さんもあなたによくもあんなに夢中になれるわね。ブラコンってのは、恐ろしいわね」
「設定上の弟に対して、あそこまでになるとは思わないけどね」
「あたしの今まで見てきた翠さんとは大違いよ。正直、最初見たときはショックを受けたわ」
改めてショックと言われると、微妙な気分だ。朱里が尊敬しているミド姉とはかけ離れた姿だろうからな。
「だけど、翠さんはやっぱり翠さんだわ。いくら変な性癖が開花しても、あたしの憧れる人だっていうのは変わらない。昨日、翠さんに相談を持ちかけるために会ってみて、やっぱりそう思ったわ」
そう言われて、俺も思うところがあった。おそらく、俺の憧れるミド姉と朱里が憧れるミド姉は、一緒だろうと思った。
「ま、何だかんだで結局ブラコンを開花させたあなたは、どうかと思うけどね」
「結局そこに話が戻ってくるのかよ」
こちらとスケッチブックを交互に見ながら真顔で朱里はそう呟く。
「大体、新たな性癖を開花させるって、どうやってやるのよ。そういう才能でもあるわけ?」
「ないわ! なんだその才能!」
「どーかしらねー。誰もが羨む超絶美人な翠さんを重度のブラコンにしているんだから、才能あるんじゃない? 自慢の童顔も活かせる特技ね」
「そんな特技持っても嬉しくないっての。まぁけど、その理論だと、童顔チビなどっかの大学生も年上をシスコンにする才能があるってことになるねー」
朱里はその言葉にイラっと来たのか、手の動きを止めてこちらを睨みつける。
「ちょっと、それどういう意味よ。どこの誰のことを言っているのか分からないわね」
「いや、別にお前のことを言っているわけではないんだ。ただ、金髪だと更に効果テキメンだろうなーと思うだけで」
「このっ……、言わせておけば……。あなたほど幼い顔はしていないわよ! この高校生が!」
「いい勝負だっての! 背が低い分、そっちの方が不利なんだよ! 金髪ロリっ子!」
お互いにぐぬぬと言い争う俺たち。お礼はやっぱ前払いで良かったと思う。こんなんじゃ後からお礼なんて絶対言われない。
そんなタイミングで、注文していたコーヒーと紅茶が届いた。持ってきてくれた店員さんが困った顔で笑いながらこっちを見ている。それに気づいて、俺たちは二人で「すみません」と謝罪する。
運ばれてきた紅茶を飲んで一旦落ち着き、仕切り直しと言うように改めてスケッチを始める朱里。俺は、コーヒーを飲みながら顔を極力動かさずに座る。
俺は、何も話さずにひたすら座っていたが、流石に暇になったので、ふと思いついたことを朱里に尋ねた。
「ねぇ、朱里とミド姉は、いつ知り合いになったの?」
「何よ急に」
「いや、ちょっと気になってさ。どうして、朱里がそんなにミド姉のことを尊敬しているのかとか、どんな風に知り合ったのかとか何にも知らないし。だって、違う学校で学年も二つ違うじゃん」
「別に知らないのは当然でしょう? 話してないんだから。話す機会だって話す気だってなかったんだし」
「まぁ、そうか。話したくないって言うなら、話さなくてもいいけど」
「……」
そう言うと朱里は一瞬黙ったが、すぐに口を開いて話し始めた。
「別に話しながらでも集中はできるから、いいわ。確かあれは、あたしが高校二年の頃だったかしらね。お姉さまの紹介で翠さんを教えてもらったの」
高校二年、そんな前から知り合いなのか。
「あたしは当時、高校から入った美術部に四苦八苦していたわ。周りの人達は、中学の頃から書き続けている人が多かったから、ついていけなかったの」
「朱里って、美術を始めたのは高校からだったんだ。てっきりずっと書いてるのかと思ってたよ」
「そう。あたしは高校から描き始めたの。元々絵を描くのは好きだったけど、中学の頃は部活に入ろうとまでは思わなかった。けれど、高校に入って部活に入ったの。絵を描くのが好きだったから、たくさん描いてみたくて。だけど、……」
朱里は、真顔のまま話を続ける。絵を描くことに集中しながら。
「美術部で絵を描いているうちに、絵が嫌いになっていったわ」