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エピローグ

『ふーん、そっか~。町田(まちだ)くんも大変そうだね』

「本当にね。知り合いと一緒に会社を作ろうとしているなんて。やっぱやり手だよ、大樹(だいき)は」

『すごいもんだね。わたしじゃあとても真似できないよ』

「俺だって真似できないよ」

『町田くんとは久しく会ってないな~』

「元気にしてるよ。けど、最近は大樹の愚痴が増えてきたよ。朱里(しゅり)が容赦なくなってきたってさ」

『わたしもこの前、朱里さんから同じようなことを聞いたよ。同じくらい、惚気話も聞かされたけどね』

「はは。案外似たもの同士なのかもね、あの二人も」


「そうだね」と相槌を打たれ、互いに笑った。


 車通りの多い道を左へ曲がり、団地の中へ。団地内の広場ではキャッチボールをする親子がいたり、緑地ではベンチに座る老夫婦の姿があったり。何人か見知った人とすれ違った。挨拶の時には耳につけていたイヤホンを外してハンドレス通話も中断し、会釈をした。


 鳥の可愛らしい鳴き声が聞こえる。平和だ。


『それよりも翔平(しょうへい)くん。招待状、届いてた?』

「うん、届いてた。絶対に行くよ」

『うん。ありがとう!』

「モモの花嫁姿を見ないなんて、そんなもったいないことできないからね」

『口が上手いんだから。やっぱ翔平くんって見かけによらず、女たらしの癖があるよね』

「いやいや、本当に! ていうか、別にそんなことないでしょ!?」

『さぁ~? どうだろうね~?』


 電話の向こうでクスクスと聞こえた。とんだ言いがかりだよ、まったく……。


『まぁそれはそれとして、絶対に来てよね! わたしも一応、人生で一番綺麗な姿は見て欲しいわけだし』

「もちろんだよ。絶対行くって」

『うん。ミドちゃんにもよろしく伝えておいて。ミドちゃんにも、招待状を送っておいたからさ』

「あぁ、うん。届いてたよ……。けどさ、それって……」

『まぁそうなんだけどさ、ほら、やっぱこういうのって一人ずつ送ったほうがいいでしょ?』

「まぁ、それもそうか」


 五階建てマンションの入口に設置された、銀色のポストのダイヤルを回し、中身を見る。電気料金の明細票と、市からのお知らせ、それとポスティングの求人募集のチラシが入っていた。それらを右手で取り出して、ポストの蓋を閉める。左手には白い箱を持っているので、チラシなどを取り出したその右手でそのまま閉め、マンションの階段を上り始めた。


 電話の相手には、俺が階段を上る音が電話越しに聞こえたようだ。


『あ、もしかしてもう家に着いた?』

「うん。今、階段を上っているところ。五階建ての五階は道のりが長いよ……」

『はは、そうかもね。けどさ、部屋は広いんだし、羨ましいよ』

「まぁね。あまり贅沢言っちゃダメだね」


 まだ二十代の半ばだと言うのに、階段を上るのにいちいち息切れする。筋トレとか運動とか、全然やってないもんね。せいぜい、通勤のために家と駅、駅と職場間を歩くか、マンションの階段を上る程度だ。ちょっとは運動したほうがいいのかもしれない。体力作り的な意味で。


『じゃあね、翔平くん。またすぐに会えるのを楽しみにしてるよ』

「うん。じゃあね、モモ。花嫁衣装、期待してる!」


 マンションの四階辺りまで上ったところで、俺は通話を切った。


 モモが結婚か。この歳になると、周りでそういう話を聞く機会が増えるな。中でも、モモの結婚は一際嬉しい。そう多くない俺の知り合いの中でも、特に仲が良い友人だからな。


 大樹と朱里はいつするんだろう? って言っても、まだまだ婚約していない人が多い歳だし、大樹は何やら新しいことを始めようとしているみたいだし、しばらくは無理かもしれない。


 また、遠慮のなくなったらしい朱里から不満を言われて、大樹から愚痴られるのが目に見える。


 まったく、仲がいいんだから……。


 そんなことを考えるのがおかしくて、俺は口を緩めながら階段を上がる。


 四階から五階へ。五〇二号室と書かれた扉の鍵を開ける。ちょっと重い扉をくぐり、「ただいま」と挨拶をして靴を脱ごうとすると、


「終わっっっっっっったぁぁぁぁぁぁぁ」


 大声が部屋から聞こえた。俺はその声に一瞬怯んだが、すぐに「あぁ、終わったんだ」と大声の意味を考え、平静に戻る。


 廊下を抜けて声のする部屋へ向かうと、部屋の中には両手を机の上に伸ばし、背筋を丸めて寝そべっている女性の姿が。長い後ろ髪の上には飾りのリボンが付けられ、前方でいつもふわりふわりと揺れている前髪のアホ毛はしなしなと垂れ下がっていた。


「もぉ~だめ……。疲れた……」


 精根尽き果てたようで、疲れを口に出す彼女を見て俺はふっと笑い、持っていた白い箱を体の前に差し出した。


「おつかれ~。ほら、ケーキ買ってきたよ」


 そう言うと、彼女は疲れなど忘れたかのように勢いよく起き上がった。


「翔ちゃん! おかえりぃぃぃぃ!!」

「わわわ!」


 液タブ用のペンを持ったまま俺に近づき、そのまま抱きついてきた。左手で差し出した箱があっちこっちに揺れる。


 あぁーー! 水平にして持って帰ってきたケーキがぁぁぁ!!


「ちょっと(みどり)! ケーキが崩れるってー!!」

「充電充電♪ 姉ゲージを充電♪」

「聞いちゃいないよこの人!」

「ムニムニ」


 肩をしっかりとホールドされ、頬ずりされる。地味に彼女が右手で持っている液タブ用のペンの腹が俺の肩に圧力をかけていて痛い。左手で持った箱を何とか死守しようと、俺は左手を安全地帯である後ろに伸ばした状態だ。


「ムニムニやめい!」


 何とかして彼女を引き剥がすと、彼女は嬉しそうに「キャッ♪」と言って俺から離れる。まるで語尾に音符でも付いているかのような言い方だ。


「翔ちゃん、おかえり!」

「ただいま。〆切ギリギリで描き終えたときはいつもこうなんだから……」

「あはは。ごめんごめん。原稿明けは弟成分欠乏症だからさ、私」

「まぁけど、お疲れ様。最終回、描き終わったんだよね?」

「うん! あとは編集さんに送るだけ……ってそうだ! 送らなくちゃ!」


 ハッと思い出したように再びパソコンに向かう翠。〆切ギリギリだったから、慌てている。担当さんからここ何日かで数度に渡り、催促が来ていた。漫画家って大変だな。


「送った!」

「はい、これ。原稿明けの翠のために甘~いケーキを買ってきたんだ。食べようよ」

「え~!? ありがとう翔ちゃん! 嬉しい! 大好き!」

「はいはい。ほら、行くよ」


 部屋を出て、もう一つの机やテレビが置かれた部屋に入る。さっきの部屋よりは少しだけ大きい。基本的にご飯はこっちで食べることになっている。


 食器棚から皿とフォークを取り出して、机の上に置く。るんるんと鼻歌を鳴らしながら、翠が上機嫌に箱を開けると、


「……ねぇ翔ちゃん」

「ん?」

「買ってきてくれたところ申し訳ないんだけど、」

「うん」

「崩れてるんだけど……」

「あなたが崩したんでしょう!?」


 転倒した二つのケーキがあった。モンブランに乗ったクリも、スポンジの上に乗った生クリームとイチゴも見事に落ちていた。二つのケーキは一部混ざり合っていて、状態はかなり悪い。「この二つのケーキを見て、今の状態を一言で答えなさい」と問われたら、「カオス」と答えるだろう。


「えぇーー!? そうなの!? ごめん!」


 翠は自分が崩してしまったということを悟ったのか、驚いてから謝罪する。マジで心当たりなしな辺りがすごい。


「どうしよう、このケーキ……」

「大丈夫だよ、これくらい。起こして食べよう。ほら、どうせ見た目はもう悪いんだし、適当に半分に切って、分け合おうよ」


 俺はフォークで大雑把に二つのケーキをそれぞれ二等分し、俺と翠の皿にそれぞれ乗っけた。元の見た目は最悪だが、こうして半分こにしてやれば、さほど悪くない。それに、気兼ねなく二つの味が同時に楽しめるんだし、むしろ良かった的な?


「ありがとう、翔ちゃん!」


 俺が皿に取り分けると、翠は二パっと笑った。見慣れたものだが、俺はこの笑顔が好きだ。自然とこっちまで頬が緩んでしまう。この笑顔が毎日見られるんだから、幸せだよな。



 あれから二年。俺たちは結婚し、すぐに籍を入れた。思い切った突然の行動ではあったが、翠は快くオーケーしてくれた。周りの友達や親は流石に驚いていたが、意外だったのは、翠の母親である花森紫水(はなもりしすい)さんに全く反対されなかったということだ。


 結婚式は大々的には行わなかったが、彼女と俺の出来る範囲で開催し、無事に翠にウェディングドレスを着せてあげることができた。


 いつだったか、彼女の水着姿を見たときに天使と形容したことがあったが、生ぬるかった。言葉では説明できないほどに彼女の姿は美しく、天使なんかよりずっとずっと神々しかった。俺は、あの姿を一生忘れないだろう。


 それからというもの、彼女は漫画家、俺は変わらず公務員の職に就いている。彼女の読み切りは評判となり、連載まで繋がった。今や立派な漫画家である。


 忙しくて大変であることに違いはないが、こうして二人で住めるマンションを借りて一緒に住むことができる。毎日顔を合わせることができる。あの遠距離恋愛を経験した俺たちは、毎日本当に幸せを感じている。あの遠距離恋愛があったからこそ、今のような仲のいい夫婦関係を築けているのかもしれない。



 ただ……、


「ねぇ翔ちゃ~ん。まだ充電が完了していないの。だからもっとムニムニさせて♪」

「えぇ~? まだやるの? さっきも激しくスリスリしてきたじゃん!」

「ねぇいいでしょ? ほら、今日は原稿が上がった日なんだからさ!」

「まぁそうだけどさ。けど今、ケーキ食べてるし」

「あ~……。何だか原稿疲れで今にも倒れそうかも……」

「分かった分かった! 本当にお疲れ様!」

「やった♪」


 結婚して二年が経ったというのに、翠は倦怠期という言葉を知らないかのように新婚気分のままだ。遠距離恋愛で俺に会えない期間が長すぎたせいで、その反動が長期に渡って来ているのだろうか?


 俺は割と通常ムードであり、たまに翠の行き過ぎたスキンシップに悩まされることはあれど、こんな風に新婚同然にラブラブできるのは悪くない。毎日ってのはきついけど、それでも可愛い奥さんにストレートに好意を示されているのは、純粋に嬉しい。


 流石に翠のこの反動がいつまでも続くとは思わない。ずっとラブラブっていうわけにもいかないかもしれない。それでも、急激に冷めるなんてことも俺は微塵も感じていなかった。例え、倦怠期が訪れようが、俺たちはずっと付き合っていける。そんな確信があった。



「ムニムニムニムニ」

「……」

「ハァーー! このもちもちほっぺ! 二十五歳のものとは思えない! まるで中学……、いや、小学……、いや、幼稚園児……」

「言い過ぎだから! 流石にそんなプニプニしてないわ!」


 あなたこそ、二十七歳とは思えないほどのだらしなさっすよ? なんだこれ。既視感があるぞ。まるで、重度のブラコンを患っていた時の「ミド姉」に戻ったみたいだ。これも、遠距離恋愛の反動ってやつなのか?


 けど、流石にそんなことはないか。これは、カレシ……、いや、旦那への愛を表現しているのであって、流石に俺を「弟」扱いしているわけではないだろう。


「ねぇ翔ちゃん~。どうかな? 久しぶりに私を『お姉ちゃん』って呼んでみるのは? 久しぶりに大学の頃を思い出せて、いいと思わない?」


 ……やっぱ、ブラコンのそれかもしれん。彼女、まだ完全には治りきってないかもしれん。俺は自分の中で訂正した事項を更に修正した。


「いやいや、言わないから! 言ったら翠、吐血するじゃん!」

「大丈夫だって! あれから何年経っていると思ってるの? 流石にそんなことにはもうならないでしょ!」

「この前だってそうは言っていたけど、俺が言ったら結局鼻血出してたでしょ?」

「それは一年以上前の話でしょ? 今の私はあの時以上に抵抗力がついているんだから、今は何を言われてもへっちゃらなのよ!」

「そういうフラグ立てはもういいんで。ここで俺が『まぁ、それもそうか。じゃあ言ってみようかな』となると思ったら大間違いだからね」

「そう意地を張らないでさ、思い切って言ってみよ? ね? 不安なのは分かるけどさ、大丈夫だよ。お姉ちゃんが手を握っててあげるからさ、頑張ってみよ?」

「なんで俺がわがまま言ってるみたいになってんの!? 不本意なんだけど!」

「いいから言ってよ~!! ねぇ~、翔ちゃ~ん!!」

「今度は駄々こね始めた! そんなにまでして言われたいの!?」


 諭した次は駄々っ子って……。本当に大人なのか子供なのか全然分からないよこの人! 残酷なこと言っちゃうけど、あなた一応アラサーなんですよ!?


「それにしても翠は変わらないよね。今や俺たちは夫婦だって言うのに、そのブラコンっぷりを見ると、俺は弟なんだって錯覚するよ」


 何歳になってもアツアツっていう夫婦はいるだろうけど、弟ラブでさらに言えばその弟が旦那っていう例は少ないんじゃないだろうか? まぁ、大学時代の俺たちの関係からして特殊な例であるから、周りと比べること自体が愚かしいのかもしれないけどさ。


「何言ってるの、翔ちゃん? 君はいつまでも私の『弟』であることに違いはないのよ?」

「あ、やっぱり錯覚ではないんだね」

「だから、私は君のお姉ちゃんなの!」


 得意げで上機嫌に姉主張する翠。結局、結婚しようが何しようが、翠は翠で、俺は俺ってことだな。



「君は私のカレシで、大事な旦那様で、愛する人で、そして……、私の『弟』よ。おじいちゃん、おばあちゃんになっても変わらない。私はいつまでも、そう思っているからね♪」



 そう言って翠は俺に笑顔を向けた。


 ……そうだな。俺たちが設定上の姉弟だったっていうことは変わらない。俺たちはそこから始まったんだ。


 きっかけを得て、与えて、影響し合って。今の俺たちはあの関係なしにはありえない。弟のことになると夢中になってしまうブラコン癖のある過去の彼女があったからこそ、今の俺があるのかもしれない。


「……そうですか」


 俺は軽い笑みを浮かべて相槌を打った。俺の表情を見て、『ミド姉』も笑っている。


 まぁいいか。弟扱いされる時があっても。俺は、やれやれと思いつつもどこか心地良さを感じていた。



「そういえば、新作のことはもう大体考えてあるの?」


 翠の漫画は、さっき描き終えた一話で最終話を迎えることになる。当然、新作を考える必要がある。


「当然、考えてあるよ!」

「当然なんだ! すごいね!」

「次回作にどうしても描きたいものがあってね!」

「今掲載されている作品は、小説家になりたい高校生を主人公とした青春ドラマだったよね?」

「うん、そう」

「全く一緒ではないけど、翠の実体験を元に書かれた部分が多かったよね。やっぱ、翠はそれを面白く見せる能力が高かったんだね」

「今度の作品も、それを前面に押し出していこうと思っているの!」

「へぇ、どんな?」

「ふふ。それはね……」


 翠は立ち上がり、一度絵描き用のパソコンがある部屋に向かい、タブレットを持って戻ってきた。彼女の表示させた画面に書かれたタイトルに、俺は見覚えがあった。


「あれ? これって!」

「気づいた?」

「そりゃ、気づくさ! だってこれって!」

「うん! 私が学生最後に投稿して、落選したやつ。翔ちゃんが題材を考えてくれたやつね!」


 それは、『漫画家になりたい女性が同じ大学に通う男をモデルとして、設定上の姉弟になる』というラブコメディだった。翠と俺が大学時代に経験した出来事。『実体験を魅力的に表現する』という武器を持つ翠に、俺が題材を考えた作品だ。


「前よりは実力も知名度も高くなったわけだし、今度は、この作品を連載してみせるよ!」

「面白いね! 今の翠なら、以前描いた時や今描いている作品より、ずっとずっと面白いものを仕上げられるよ!」

「うん! よーし! ケーキを食べたら、早速構想を考えるぞ~!」

「気合十分なのはいいけれど、連載中の最終話を仕上げたばかりなんだから、今日くらいは休みなよ」

「はーい」



 晴れた日曜日に広がる穏やかなマンション五階の部屋で談笑を続ける。ケーキが食べ終わった後も、俺たち二人のいる食卓から笑顔は消えなかった。


 チラリとタブレットに映った画面を見て、俺はほっこりと笑みを浮かべ、すぐに話を続ける翠に視線を戻す。


 画面にはまだ、翠の次回作につけられる予定であるタイトルが表示されていた。



『俺と彼女の関係は設定上の姉弟なはず・・・』




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