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第46話「岡村翔平は……」③

「最近、(しょう)くんの元気ないですよね……」


 水無碧(みずなしあお)は不安げな様子で目の前に座る女性に言った。


「碧さん、最近翔平(しょうへい)くんとよく会うの?」

「職場の最寄り駅がワタシの家の最寄り駅と一緒ですから、たまーに」


 碧の家の最寄り駅から四つほど離れた駅の近くにあるカフェで、ドリンクを飲みながら話す相手は、桜井桃果(さくらいとうか)だ。ここは、彼女の家の最寄り駅でもある。


「なんか分かるんですよね~。翔くん、絶対元気ないですよ。どこか違うところを見ているっていうか、心ここにあらずっていうか。見ていてちょっと辛いです」


 碧が翔平に話しかけると、普通に反応をするのだが、話しかける前の表情を見ていると、そんな感じだ。普段の彼を知らない人には、「なんだかぼんやりした人だな」と印象を与えるだろう。


「うん、わたしもちょっと心配かな」

「トウカ先輩もそう思いますか?」

「そりゃね。一見そんなに変わりなさそうに見えるんだけど、時折寂しそうな顔を見せるから」

「やっぱり、みどりさんと上手くいってないんですよね~……」


 原因は明らかである。遠距離恋愛でまともなコミュニケーションを取れないということ。桃果も碧も、そのことは重々承知であった。原因は分かっているけど、解決策は何一つ思いつかない。翔平が沈んでいるところを見るのは、二人にとっても辛かった。


「ワタシたちに出来ることって、何かないんでしょうか?」

「うん、ないと思うよ。これに関しては、当人たちが解決するしかないと思う。だって二人は付き合っているんだもん。わたしたちに出来るのは、翔平くんたちを見守って、頼られた時に話を聞いてあげるくらい……かな」


 桃果は最後に「わたしもよく分からないけど」と付け加えた。それに対し、碧は眉をひそめた。


「けど、翔くんもみどりさんも、全然会ってないし、連絡も取り合ってないんですよね?」

「最近はそうみたいだね」


 桃果が最近、翔平と飲みに行ったときに聞いたことだ。翔平は、翠と連絡すらとっていないそうだ。その時の桃果には、彼らの仲が続いているのかどうかを聞くことはできなかった。


「それって、付き合っているって言えるんですか? もう、一年以上も会ってないんですよ?」


 現在は二月の終盤。翔平が最後に四国に行ってから、一年と四ヶ月が経過していた。その事実に、碧は疑問を隠せない。


「ワタシだったら、好きな人とそんなに離れているなんて耐えられないですよ……」

「多分、わたしもそう。遠距離恋愛って辛いよね……」


 自身の立場だった場合を考え、表情が暗くなる。二人はテーブルに置かれたミルクコーヒーを飲む。甘いミルクコーヒーを飲んでいるはずなのに、ブラックコーヒーを飲んでいるかのような、そんな苦さが二人の口に広がった。


 碧は、好きな人と離れ離れになる辛さをこの身を持って味わったことがある。そのため、翔平の気持ちがよく理解できた。


 あの時の自分自身とは全く持って状況は異なるけれども、好きな人と離れ離れ、連絡もとっていないという状況は同じだ。辛いということは分かる。


「(ワタシに何かできないかな?)」


 碧は、今の翔平の状況をどうにかしてあげたいと思っていた。


 *


 三月の下旬。


 翔平の仕事もピークを過ぎ、落ち着きを取り戻していた。


 繁忙期の忙しさに慣れたからか、ぐったりとした疲労感自体はなかったが、仕事をする気にもならないので、今日は久しぶりに定時上がりだ。職場から駅に続く大きな通りを翔平は歩く。


「しょーうーくーん!」


 後ろから明るく元気な声をかけられて、翔平は振り返った。こんな風に呼ぶ人は、翔平の知っている中で一人しかいない。


「碧」

「お仕事お疲れ様です~。今帰りですか?」

「うん。繁忙期は過ぎたから、定時上がりが出来るようになったんだ」

「そうなんですね~。お疲れ様で~す」


 碧は努めてニコやかにねぎらいの言葉をかけた。


 碧ほどの可愛い女の子にここまで好意の笑顔を向けられて、嬉しくない男はそうそういないだろう。実際、高校、大学時代はそうだった。

 かつて嫌われたとはいえ、和解した今となっては、翔平も例外ではない。碧からのねぎらいの言葉に、笑顔で「ありがとう」とお礼を言った。


「翔くん、何か気づきません?」

「え、何? 髪切ったとか?」

「違いますよ~。適当言わないでくださ~い」

「えっと。あ、その服、新しいやつ?」

「ブッブー。違いますぅ~。もっと前から着てますぅ~」


 けどよく考えたら翔くんの前では着ているところを見せたことないかも、と、言った後に気づいた。碧が正解して欲しいところは、そこではなかったが。


「ふっふっふ。実はワタシ、大学を卒業しましたーー!」

「見た目じゃないのかよ! 分かるか!」

「もう三月の終わりだと考えたら、正解できたはずですよ~?」

「それはそうだけど、そんな風に聞かれたら見た目のことだと思うじゃん!」


 碧の冗談に翔平はツッコミを入れる。こうして明るく話してくれた方が、碧としても接しやすい。そう思ってのちょっとしたユーモアだ。


「けど残念。翔くんと同じ職場にはなれなさそうです。一応、都心の勤務なので東京ではあるんですけど~」

「そっか、もう勤務地が決まったんだね。まぁ、数ある支部の中で同じになるって方が難しいって」

「翔くん、ワタシと同じ職場になれなくて残念ですか~?」


 碧はいたずら混じりにニヤつきながら聞いた。翔平は一瞬戸惑ったが、平静を装って否定した。


「いや、別に?」

「あー、ヒドーい翔くん! そこは、『こんな可愛い後輩と同じ職場で働けないなんて、ショックで貧血になりそう』とでも言うところでしょう!」

「そんな理由で貧血になる方が、ドン引きだろ……」

「いいんです~。まったく、ワタシは残念に思ってるのに~」


 碧は大げさに頬を膨らませて見せた。こうした明るい振る舞いをすれば、大抵の人は笑顔になってくれる。性格が暗い人も落ち込んでいる人も、ちょっとは笑ってくれる。今の翔平は、表面上は別に落ち込んでいるようには見えないけれど、別に落ち込んでなくとも、楽しい会話は意味がある。暗く話すより、明るく話せたほうが、お互い楽しいから。


「はいはい、ごめんごめん」


 翔平は、碧のコロコロ変わる表情を見て、クスリと笑いながら軽く謝罪をした。困ったように笑う少年のような翔平の顔を見て、碧はうっかりドキっとしてしまった。碧には、その翔平の笑顔が、高校の頃に自分の隣でよく見せていたモノに見えたのだ。


「……ダメです。許しません。そんな翔くんには罰が必要ですよね。今から、ワタシに付き合ってください?」


 唐突にそうやって提案をする碧。理不尽に罰を強要されそうになり、困ったように問いかける翔平。


「いやいや、罰を受けるいわれはないから」

「罰じゃなくてもいいですけど、せっかくワタシが大学を卒業したんですから、ちょっと散歩に付き合うくらい、いいじゃないですか~?」

「散歩? どこを散歩するっていうのさ?」

「そうですね~? 駅と反対方向の通りに、大きい公園がありますよね? そこに行きませんか?」

「俺がさっきまで通って来たとこじゃん……」


 翔平の働く事務所は、駅から続く通りを抜け、数十段ある階段を上り、上ったところに広がる大きめの公園の少し南側にある。その公園に行こうとすると、翔平がまさに帰り道として通ってきた道を逆走することになる。


「まぁまぁ、いいじゃないですか~。ワタシの大学卒業プレゼントってことで付き合ってくださいよ~」

「調子いいな~……。はぁ。まぁ今日は定時上がりで時間もあるから、別にいいけど」

「やった! デートですね、翔くん!」

「デートじゃない」


 デートではないと否定され、「釣れないですね~」と不満を漏らしながらも、碧は心の中でガッツポーズをした。好きな人と二人きりで散歩するのだ。翔平にその気はなくとも、碧にとって、これはデートだった。



 階段を上り、そこから先は大きな広場と並木道が整備されている。広場は並木道を頂上とした下り坂となっていて、その中央には大きな噴水付きの水辺があった。

 並木道に植えられた木々はイチョウの木なので季節外れだが、広場と水辺より更に奥には桜の木が並んでおり、広場の坂に座って見る桜の木は、それは美しいものだ。何人かが、坂に座って桜の木を見ながら、ゆっくりとしている。


 碧と翔平は、広場には入らないで並木道を歩く。並木道は途中で橋とつながり、公園から抜けてしまうので、橋の辺りまで行ったら引き返すということになった。翔平は駅に向かうが、碧は橋を渡ってすぐのところに下宿先があるので、そこで散歩はおしまいだ。


 碧は翔平の隣を楽しそうに歩く。翔平も、高校の頃、こうして碧と歩いていた頃を懐かしく思った。


「そういえば、昔もこうしてよく一緒に歩きましたね~。覚えてますか?」


 翔平が昔を懐かしんでいると、タイミングを図ったかのように碧が話を振った。


「覚えてるよ。こんな丘陵地帯じゃなかったから、いい景色とかは見なかったけどね」

「ですね~。平地ばかりでしたし。けど、結構公園は多かったからよく散歩したじゃないですか~。高校の頃は、お金もあまり持っていませんでしたしね」

「だね。お金のかからないことをしてたっけ? 散歩か、ファミレスでひたすらしゃべるか、勉強か。まぁ、碧は全然勉強はしなかったけど」

「だって、勉強嫌いだったんですもん~」

「それでよく七城(しちじょう)に入れたものだよ」


 意外にも、碧との会話は楽しかった。いや、意外でも何でもないのかもしれない。ファミレスで二時間話しているのだって楽しかったのだから。


 碧は話し上手で、翔平は聞き上手。碧は盛り上げるのが上手いので、翔平も会話をしていて楽しかったのを覚えている。相性と言う面で見たら、二人は良い方の部類に入るだろう。


 二人の会話は主にどうでもいいようなバカ話と、昔付き合っていた頃の話で盛り上がり、気づくと折り返し地点となる橋の手前まで来ていた。


「結構早く着いたね」

「ですね~。楽しい時間はあっという間です」

「……そうだね。長く感じる時もあればすごく短く感じる時もあるのは、なんでなんだろうね?」


 翔平は含みのあるような言い方で橋を見た。碧は翔平の様子を見て、彼がまた(みどり)のことを考えているというのを直感し、ズキリと胸に痛みを感じた。


 まるで、会えない時間は長く感じると言っているようだ。


「あの、翔くん。……昔に戻りたいと思ったことは、ないですか?」


 碧は橋を渡る前に、翔平に尋ねた。翔平は、真剣な目つきをする碧の顔を見た。


「ワタシはありますよ。知っての通り、翔くんと別れることになったあの日をワタシは何度も後悔しました。だらしなくて浮ついていた自分を何度も呪いました。……そして、ちゃんと翔くんに、気持ちを伝えていたらって、何度も思いましたよ。あの時、ちゃんと全てを話していれば、まだワタシたちは付き合っていたのかなって思うと、昔に戻りたいです」


 碧は悔しさをにじませながら、話した。翔平は一度聞いたことのあるその話を聞き、返答した。


「俺は、別に昔に戻りたいと思ったことはないかな。いや別に、碧と付き合っていたのが嫌だったとかじゃなくて、あの頃は本当にすごく楽しかったし、嬉しかった」


 翔平は昔を思い出しながら話し、「けど、」と続けた。


「けど、俺には『今』があるからさ。昔のことは必要ないってわけじゃないけど、戻りたいとは思わないかな」

「……けど、翔くんの『今』はとっても辛そうです……」


 翔平の言葉に対して、碧は目を伏せてそう言った。翔平は何もリアクションを取らず、黙って碧の続けた言葉を聞いた。


「じゃあ最近は? 大学三年の頃には、戻りたいとは思わないんですか? みどりさんがまだ、大学にいた頃。翔くんとみどりさんが近くにいた頃に戻りたいとは、本当に思わないんですか?」


 碧の質問に、翔平は少しの沈黙を挟んでから答えた。


「……思わないかな」

「ウソです!」


 碧は叫んでいた。自分でも叫んだことにびっくりした。こんなに感情的になるつもりはなかったから。


「いや、本当に俺は……」

「今の翔くん、みどりさんがいなくて苦しそうです。最近、全然連絡が取れていないんですよね? ろくに会いにも行けていないんですよね? 苦しくないわけ、ないです……」


 想い人の気持ちを考えると、自分も辛くなる。これは、自分が彼の気持ちが分かるからというのもあるのだろうけど、それ以上に、彼のことが好きだからなのだろう。


「そんな辛そうな翔くんを見ていると、ワタシも胸が痛いです……。翔くんには、笑っていて欲しいです……」


 碧は、翔平のことが放っておけなかった。翔平の苦しみを和らげてあげたかった。


「これ以上、翔くんが辛そうにしているところは、見たくないんです」


 だから言った。最低なことを言おうとしているのは分かってはいたけど、感情的になってしまった碧には歯止めが聞かなかった。



「ワタシじゃダメですか、翔くん?」



 告白というには、色が汚れてしまっている。純白ではない。好きな人の心の弱みにつけこんでいるようにも思えて、碧自身、苦い思いをしていた。


 が、しかし碧のこの告白には、翔平を心配する気持ちが多分に含まれていた。自身が翔平と付き合いたいという気持ちがないといえばウソになるし、翔平と翠の遠距離恋愛のスキを突いているという自覚もあったが、それでも碧は何より、翔平のことが心配だった。


「ワタシなら、翔くんと遠距離恋愛になる心配もないです。昔は行き違いとワタシのだらしなさで翔くんには辛い思いをさせてしまいましたけど、もう違います。そんな思いをさせることは、もうしません! 重く感じるかもしれないですけど、ずっと好きでい続けたんです。それこそ、結婚まで考えているつもりもあります」


 昔の自分とは違うと、碧ははっきりと口にする。以前は伝えるべきことを伝えずに悪い結末を生んでしまった。だから今度は、余すことなく全て伝える。


「ワタシじゃダメですか、翔くん? ワタシがあなたのカノジョじゃ、ダメですか?」


 夕暮れ時。春の風が吹き、彼らの衣服と髪を揺らす。広場で遊ぶ子供の声、噴水からの水が流れ出る音。それらが遠くから小さく聞こえてくる。

 橋の下から聞こえる自動車の走行音に至っては、とても小さいとは言えなかった。


「……」

「……」


 互いの顔を見る二人。決して静かとは言えない空間ではあるが、彼らの周りは静寂が包んでいた。



 やがて、翔平が口を開いた。碧からの何度目になるか分からない告白。今までとは、状況が異なる告白。近くに翠はいない。別れてなお、ずっと好いてくれていた元カノの揺れる瞳に視線を合わせ、翔平は答えた。


「俺は……」


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