第45話「岡村翔平は側にいたい」②
「ふぅ~、今日も疲れた」
九月の終わり。今日は研究室の四年のゼミがあり、その後アルバイトだった。
研究室では、研究テーマが明確に決まり、各々が自分の研究テーマに向けて調査や解析・実験などを行っている。分からないことだらけだが、先輩に聞きながら、何とかこなしている。
それとは反対に、アルバイトは手馴れたものだ。今日も、普段とは異なる夜のシフトで何事もなく業務を終了した。
新人が七月頃入ったが、そのトレーナーはモモにやってもらい、俺は最近入ってきたもうひとりの新人トレーナーを務めた。物覚えがよく、手がかかることはなかったが、彼が仕事をこなせるようになると、教えている自分の力にも自信がつくものだ。
ともあれ、これで今週の分のゼミもバイトも終わり。あと今週末に控えているのは、ミド姉のいる四国へ遊びに行くことだけ。
前の訪問は、八月手前くらいだったかな? 近々行くと決めても、二ヶ月かかってしまった。就活のせいで全然バイトに入っていなくて蓄えがなかったから仕方ないけど、今回は違う。資金ならある。前回はレンタカー代をミド姉に出させてしまったし、今回はそんなことないようにしよう。
そうだ! カレシらしくちょっとしたプレゼントとかどうだ? そんなに高いものでなくても、喜んでもらえるものがあるはずだ。
俺があれこれと週末に控えた計画に胸を躍らせていると、スマホに着信が入った。ミド姉からだ。
「はい、もしもし。ミド姉」
『翔ちゃん……』
ミド姉の声は重かった。いつもの元気が全然ない。
「ど、どうしたんですか、ミド姉?」
『……ごめん、翔ちゃん。今週末のデート、できなくなっちゃった……』
「え?」
ミド姉は申し訳なさそうに謝罪した。顔は見えないが、電話の向こう側では悲しそうな顔をしているミド姉が容易に想像できる。
『今週末、仕事が忙しくて出社しないといけないの……。やらなきゃいけない仕事が急遽できちゃって……』
「そ、そうなんですか……」
『その日は無理ってことを説明はしたんだけど、一応、私が担当の仕事だから断るに断れきれなくて……。本当にごめんなさい』
まさか、俺たちが計画していた日程にピンポイントで入ってしまうなんて。俺は、楽しみにしていた分ショックも大きく、その場で呆然としてしまったが、気持ちを切り替えてミド姉に返答した。
「そういうことなら、仕方ないですね。また日程を改めましょう」
『ごめんね。次の週は入社一年目の人を対象にした全体研修があって、土日は研修、平日二日が休みだから、翔ちゃんとは都合が合わないかもしれない……』
「そうですね。僕の研究室も一応、コアタイムがありますから」
コアタイム。いわゆる会社でいう就業時間ということだ。俺の研究室のコアタイムは十月から平日は月・水・金だ。十時から十六時までは研究室で研究しないといけない。
「でしたら、ミド姉の全体研修が終わったらにしましょうよ! 土日でもいいですし、火曜と木曜だったら僕は空いていますから!」
『うん、ありがとうね。翔ちゃん』
ミド姉は俺に「また日程が分かったら連絡する」と言って、電話を切った。電車の音が聞こえたから、駅のホームだったらしい。仕事終わりだったのかな。ミド姉、大変そうだな。
そっか……。ミド姉、忙しいのか。楽しみにしていたんだけどな。
けど、仕方がない。学生の俺と違って、ミド姉は社会人なんだ。責任の問われる仕事をしている。ミド姉だって楽しみにしてくれていたんだ。こんなこと、いちいち気にしていたら仕方ないだろう。
それに、貯めたお金がなくなるわけじゃない。次に四国に行くときまで取っておけばいいだけだ。
会えない期間がちょっと延びちゃったけど、またすぐに会えるだろう。それまで、研究とアルバイトを頑張って続けていよう。
*
十月後半。ミド姉の研修は終わったが、土日の仕事が入ってしまった。代わりに月曜と木曜で休みがもらえたようなので、俺のコアタイムとずらし、木曜にミド姉の元へ会いにいくことになった。
「翔ちゃん!」
「ミド姉!」
空港の発着ロビーでミド姉と対面した。前会った時から、三ヶ月くらい。近々行くと言っていたのに、結局同じくらいの期間が空いてしまった。
それでも、たった一日だけでも、こうして会いに来ることができた。久しぶりに見るミド姉の顔を見て、俺はホッと安心感を覚える。
「先月はごめんね、翔ちゃん。会えなくて」
「それを言うのはなしだって、メッセージで何回も言ったじゃないですか。仕事ですし、一年目ですし、仕方ないですよ」
「うん。ごめ……」
「てい!」
また謝ろうとするミド姉に俺はデコピンをした。
「いたぁぁ! 痛いよ翔ちゃん! 何するの!」
「謝るのはなしだって、言ったじゃないですか。だから、お仕置きです」
「むぅ~。私、お姉ちゃんなのに~」
ふくれっ面になって額をさするが、ようやくミド姉は申し訳なさそうな顔をやめてくれた。俺はそんな子供みたいなミド姉を見て、笑った。
「さて、じゃあ今日はどこに行きます?」
「えっとね~、じゃあ最初は……ね?」
上目遣いでチラッと見てくるミド姉。その深い意味を含んだ言葉と、可愛らしい仕草をされて断るわけがない。
俺たちは、ミド姉の用意していたレンタカーに乗り、会えなかった分の時間を埋めるように談笑しながら目的地に向かった。
*
「そしたらそいつ、実験データを誤って消しそうになっちゃったんですよ」
「うん……」
「何とかパソコンが得意な先輩にデータを救出してもらえたんで、一から実験し直しってことはなくなったんですけどね」
「……」
楽しかった一日が終わり、今は夜。空港に向かう道中、車の中で雑談をする。レンタカーを借りてくれたのはミド姉だけど、ずっと運転させっぱなしは申し訳ないので、今は俺が運転している。ちゃんと運転免許証はレンタカー屋の事務に提出済みだ。
同じ研究室の同期を引き合いにして、運転しながら俺は笑い話をするが、ミド姉からの反応は薄い。どうしたものかとチラッと横目で見ると、
「スースー」
ミド姉は寝ていた。それもそうか。昨日まで夜遅くまで仕事して、ミド姉の家からも一時間じゃ来られないような遠い空港まで、迎えに来てくれたんだもんな。疲れていて当然だ。
前回は三日間一緒だったけど、今回はたった一日。本当に短かったな。有意義な一日だったけど、もっと一緒にいたい。
けど、俺は明日研究室があるし、ミド姉は仕事。どちらも予定があり、外すわけにはいかない。
「……んん。……あれ?」
気持ちよさそうな寝息の代わりに色っぽい声を出し、ミド姉が目を覚ました。
「あれ、私、いつの間にか寝ちゃってた」
「疲れてたんですね。昨日は遅くまで仕事で、今日も朝早くて、一日中はしゃぎっぱなしでしたし、無理ないです」
「せっかく翔ちゃんと一緒にいるのに、もったいないことしちゃったな」
「また来ますよ。その時また、一緒の時間を過ごしましょうよ」
また来ればいい。そうだ。離れていても、こうやって会えているんだ。何も問題なんてない。会えない期間は会っている期間に満たせばいいんだ。
わずかな時間しか会えないという事実を俺は納得させた。
「短かったね、一日。会えない時間は長いのに、会える時間はすごく短い……」
「……また、来ますよ」
ミド姉も会える時間の短さを感じていた。俺はさっきと同じ言葉を繰り返した。
「やっぱりもっと一緒にいるには、漫画を頑張るしかないね」
「そうですね……。大変ですけど、頑張りましょう」
言ったあとに、無力さを感じた。
漫画関連で俺にできることはもうない。学生の頃はモデルという名目で、側で支えることができたけど、今は距離も離れ、モデルとしての役割も終わった。今の俺にできることは、カレシとして、遠くから応援することしかできない。
「よぉーーし! 帰ったら、また描くぞー!」
「その意気です! けど、無理はしないでくださいよ?」
「分かってるって! 翔ちゃんに怒られちゃうもんね。心配してくれてありがとう、弟くん♡」
「そこはカレシじゃないんですね」
「はは、漫画つながりでちょっと言ってみたくなっただけ~」
一瞬、神妙な雰囲気になってしまったけど、車内は再び明るさを取り戻す。だが、俺は少し考えさせられた。
ミド姉が漫画家になれば、遠距離じゃなくなり、一緒にいられる。けど、それはいつになるんだろうか。それまではこんな風に、数ヶ月に一度、短い時間だけしか会えない日々が続くのだろうか?
頭に浮かんだネガティブな思考をしまいこみ、俺はまた、無理やり自分を納得させるのだった。
*