第44話「岡村翔平は会いに行きたい」①
『そっか。それじゃあついに来週は、公務員試験なんだね?』
「はい、そうなんですよ。対策はしてきましたけど、やっぱり緊張しますよね」
自室でノートパソコン越しにミド姉と話す。ビデオ通話機能をオンにしているので、ミド姉の顔がパソコンの液晶画面に映っている。
『邪魔しちゃったかな? 今、勉強中だった?』
「いえ。勉強は昼からずっとやっていたので、もう疲れました。それより、ミド姉と話してエネルギーを蓄えます!」
『ホント!? 嬉しぃーーー!』
と、安心して嬉しそうな顔をするミド姉。ビデオ通話が気楽に使えるおかげで、こうしてミド姉の笑顔が見られるんだから、いい時代だよな。本当に。
ミド姉が四国に発ってから、一ヶ月半が過ぎた。俺たちの交際は、遠距離のものとなってしまった。
最初は近くにいないミド姉を恋しく思い、どこか物足りなさを感じていたが、慣れてしまえばどうということはない。こうして普通にビデオ通話などできるため、交流が断絶されたわけではないからだ。今では三日に一回くらいは電話で話している。
「ミド姉の方は仕事、どんな感じですか? 確か全体研修が終わったんですよね?」
『うん、そうなの! だから三日前から会社の借り上げ寮に入ったの!』
「へぇ。そんなのがあるんですね!」
『……って言っても、会社から結構遠いんだけどね……。電車を使って大体一時間半くらい』
「一時間半!? 遠いですね!」
『でしょ!? そっちに住んでいた時は、大学まで歩いて十分だったから、その頃が恋しいよ~。家賃だけは安いんだけどね』
「そうですよね~。一長一短ってところですか」
家賃が安いのは嬉しいけど、それ以上に時間を大切にしたい社会人にとって、一時間半の通勤時間は堪えるな。インターンの時、俺もそれくらいかけて通勤したけど、満員電車に乗って一時間半ってしんどいんだよな~。ミド姉の住んでいるところは都内と違って満員電車ではないのかもしれないけど。
『お金が貯まったら、引っ越すよ。じゃないと、漫画も全然描けないし!』
「研修で忙しくて、ここ一ヶ月は全然描けていないんでしたっけ?」
『うん……。入居したら自由に描けると思ったけど、三日前は家の片付け、二日前は同じアパートに住む人からの歓迎会、昨日は配属先の歓迎会で、全然自由じゃないの! 歓迎されるのは嬉しいんだけど~……』
「うぅ~」と不満をぶつけるミド姉。俺は「よしよし」とだけ言ってミド姉を慰めた。
『けど、今日からは気合を入れないとね!』
「はは。その意気です! 僕と電話してますけどね」
『漫画も描きたいし翔ちゃんとも話したいし……。はぁ。時間が足りない。やっぱり、翔ちゃんと話しながらスラスラと漫画を描くスキルを身につけないと。今まではどうしても集中力が切れちゃってたからね。……よし、今から描こ! ……ってあれ? 翔ちゃんの顔が見えない!』
と、ミド姉はパソコンを操作し始めて漫画作成ソフトを起動したが、それによりビデオ通話の画面が消えてしまったことを嘆いた。俺のノートパソコンの画面にはミド姉の困惑する様子が映されている。
『そっか、漫画を描くときは翔ちゃんが見えないんだ……』
「こっちは見えるんですけどね~」
『う~ん。となると、スマホでビデオ通話するか、ダブルスクリーンにするしかないか……。けど、うちは狭いからもうひとつのモニターを置くスペースなんてないよ~』
と泣き顔で嘆く。しばらくは、漫画を描きながらビデオ通話するのは無理そうだな。
『……っと。もう二時間も電話していたんだね』
「本当だ。気づかなかったです」
『名残惜しいけど、今日はこれくらいで。じゃあね、翔ちゃん。試験、頑張って!』
「はい。頑張ります! ミド姉も仕事、頑張ってください!」
俺たちは互いに挨拶をして、アプリを閉じた。
通話をし始めてから確かに二時間が経過していた。ミド姉と話せるのは楽しいけど、やっぱりこれだけ長いこと通話するのって疲れるな。肩が凝ってしまう。面と向かって話すほうが楽しい……。
愛する人と触れ合えないことに寂しさを感じる。こうして通話やビデオ通話はできるけど、ミド姉に触ることはできない。
ミド姉の過剰なスキンシップが、懐かしく感じられた。
*
喫茶店ブラウンにて、店の端っこの席で公務員試験の総仕上げに励む。試験まであと三日。新しいことを覚えるというよりは、今まで解いてきた問題を確実に正解できるよう意識する。
四年になるに当たり、研究室に配属はされたけど、うちの研究室は就活を最優先してくれるので、ゼミの回数は週に一度。なので、こうして平日の昼間にがっつり勉強できる。今はアルバイトも休ませてもらっているから、その分を結果で出したいところだ。
一年分の過去問を一通り解き終えたので、休憩に入る。一度やった問題ではあるが、手応えは十分。しっかり解き方を覚えている。この分なら、何とかなるだろう。
「翔平くん、お疲れ様」
ウェイトレスのモモが、頼んでいないのに俺にオレンジジュースを持ってきてくれた。マスターからの差し入れのようだ。マスター、ありがとう!
「どう? 順調?」
「なんとかね。やれることはやったし、あとは出題される問題次第かな」
「そっか。あと少しだもんね! 頑張って!」
苦手な分野はあるけれど、覚えるべきところは覚えたし、変に焦っても仕方ない。堂々と構えて試験に臨もう。大丈夫! 大分前から準備してきたんだから。
「ミドちゃんとは、ちゃんと連絡取れてる?」
「うん。ミド姉も仕事が忙しいみたい」
「やっぱり社会人は大変だね。けど、ちょっと安心したよ。今までと違う環境でその上、遠距離恋愛だからさ。流石にちょっと心配だったんだ」
「今のところは問題なし! まぁ、画面越しにしか会えないのはちょっと辛いけどね……」
この前なんかミド姉、画面越しにムニムニしようとしてきたもんな。スマホ画面が小さくて、断念していたけど。
「早く就活が終われば、ミドちゃんに会いに行けるのにね」
「だね……。けど、明日の試験の合否判定は七月の終わりくらいだから、滑り止めとして別の自治体の試験も受けないといけないんだよね」
「公務員試験は、結果が出るのが遅いんだね」
「それはそうだけど、モモが就活を終えるの早すぎるだけだよ……」
モモは、四月の下旬にはすでに内々定をもらっていた。二月中旬くらいから推薦の準備をしていたらしい。三月終盤に試験、四月初旬には面接を受け、誰よりも早く自由の身になった。
緋陽里さんが抜け、俺も就活で休みをもらっている間、モモが頑張って店を支えてくれている。本当に助かる。
「シフトを埋めてくれてありがとう。俺も来週からは復帰するから。ミド姉のところへ行くためにもアルバイトをしてお金を稼がなきゃ」
「そうだよ、早く復帰してよ~。流石にわたしと朱里さんでシフトを回すのは大変なんだから」
モモは切実に懇願した。苦労をかけてしまうけど、今は試験に集中だ。それまで、頑張ってくれ! 俺は試験を頑張る!
*
それから三日後に俺は、公務員試験の日を迎えた。
教養試験の手応えは十分だった! 今まで苦手としていた空間把握の立体図形問題や、高校の頃にはセンター試験で悲惨な結果となった文章読解だが、今回の不安箇所は少ない。これなら八割~九割も夢ではないんじゃないか?
そして配点比率の高い専門科目。これに関しては勉強の成果を大いに実感した! 長い時間をかけて基礎からじっくり学んだおかげか、出題された応用問題まで自分なりの解を出すことができた。応用問題は、解法を思いつくことが大変なのだ。そんな問題の着手すべき点をしっかり抑えられていたことで、他の受験者よりも一歩有利に立てたと思える。
……早めに対策を始めて、本当に良かった。合否判定まではまだ時間があるけど俺は不思議と、筆記試験の突破は堅いものだと感じていた。
「(ミド姉。本当にミド姉のおかげだよ。俺にきっかけをくれて、ありがとう……)」
就活の道を照らしてくれた彼女のことを考え、心の中でお礼を言うと、一層ミド姉に会いたい想いが強まってしまった。
その日、帰って電話で報告を済ませると、彼女は自分のことのように喜んでくれた。そんな彼女と話して、俺はやっぱりこの人のことが好きだと、改めて思ったのだった。
*