第41話「陽ノ下朱里はチョコレートをあげたい」①
相変わらず寒い日が続く二月の上旬。雪でも降るんじゃないかと思うくらい空気が冷たく、手袋やマフラーをしていても冷気が皮膚に突き刺さる。山を開拓してできたニュータウンの冷気は『冷たい』と言うよりも『痛い』と言った方が正しいかもしれない。
そんな冬空の下、俺、岡村翔平はアルバイト先の喫茶店に向かって歩いていた。特に今日、俺がシフトというわけではない。本日シフトに入っているモモに借りたラノベを読み終えたので、返すためだ。大学で会うことは中々ないし、どちらかというと授業の日程よりもアルバイトのシフトの方が把握している。
バイト先、喫茶店ブラウンに到着。木造建築のお洒落な洋装だ。お客さんの来店数も徐々に伸びてきており、最近は二台分の駐車場が空いているところを見ない。文化祭での出張営業も効果が出たのだろうか?
カランカランと鈴を鳴らしながら店内に入ると、見知ったバイト仲間である桜井桃果の姿があった。
「いらっしゃい、翔平くん!」
「やぁ、モモ! 店の中は本当に暖かいね! 生き返るみたい……」
「今日も外は寒いもんね~」
と、軽い日常話をして空いている席に向かう。お客さんの数は、まあまあと言ったところかな? そんなに忙しいわけでもなさそうだ。
「やあ……」
「マスター、お疲れ様です」
「ふっ……」
「ありがとうございます。遠慮なく居させてもらいますね」
ちょうど厨房から顔を覗かせていたマスターが挨拶をしてくれた。変わらずダンディなヒゲにキマった制服姿だ。渋い!
その上、気遣いのできる紳士さも相変わらず尊敬できる歳上って感じ。「寒い中うちの店に来てくれたこと、感謝するよ。体の芯から温められるよう、特製のコーヒーでも飲んで行ってくれ。……そうだ、冬限定のパイシチューなんてどうだい? 今日は特別寒いから、大幅に従業員割引するぞ。ははっ、お客さんには内緒にしてくれよ?」だってさ。くぅ~、カッコイイ!
マスターの気遣いを遠慮なく受け取り、コーヒーとパイシチューをマスターとモモに頼む。今日はこの二人だけなのかな? いつもならブロンドヘアを持つ二人のうち、どちらかがいるはずだけど……。
周りを見渡すと、やっぱりいた。小さい方だ。奥でお客さんのオーダーを採っているから、気づかなかったのか。
二箇所で留めたロングの明るいブロンドヘア。小さい方の金髪女性こと、陽ノ下朱里が他のお客さんの注文を採り終えてこちらに来るので、軽く手を挙げて挨拶した。
「お疲れー」
「あー、どうも」
それだけ言って、朱里は厨房の方へ行ってしまった。
……? なんだ? いつもの皮肉じみた言葉が飛んでこないぞ? 素直に「どうも」なんて、朱里らしくもない。顔を見てみると、そういえばいつもよりも元気がないように見えるけど、気のせいだろうか?
「はい、翔平くん。先にコーヒーを持ってきたよ」
モモが、注文したコーヒーを持ってテーブルに置いてくれる。俺は朱里の様子が気になって、モモに確認してみた。
「ねぇ。朱里、何かあったの? 何だか元気がなさそうだけど」
「翔平くんも気づいた? わたしも一緒にシフトに入っていて、一時間くらい前に気づいたんだけど」
「今日の朱里は、俺に皮肉を言わないし、第一声が『童顔』じゃないし、俺を見ても不機嫌そうな顔にもならない。どこか変だ」
「……それって変なの?」
若干引き気味でそう答えるモモ。だって仕方ないだろう? いつもはそうなんだから。
「もうすぐバイト終わりだし、ロッカーで聞いてみようか?」
「そうだね。俺も、とりあえず店に残ってるよ」
バイト終了時刻まであと三十分くらいだし、元々モモにラノベを返す予定だったんだ。講義もないし、何より朱里の様子が気になる。
俺は、コーヒーとパイシチューをゆっくり味わって、モモと朱里がロッカーで話し終えるのを待つことにしたのだった。
*
「翔平! あなたに頼みがあるわ!」
「いきなりどうした!?」
アルバイトを終えた朱里が私服姿でロッカールームから出てくるや否や、先程までの元気のなさそうな様子とは打って変わって、血相を変えた目つきで俺に頼み事をしてきたのだ。
「天敵とも言えるあなたなんかに頼るのは本当にしゃくだけど、町田先輩の一番の友達であるあなたに聞きたいことがあるわ!」
「だが断る」
「ふぁっ!?」
即答で断ってやると、朱里は変な声をあげて動揺した。
朱里の高飛車発言には十分に慣れきってしまった俺であるが、相変わらず頼み事をするとは思えない上からの態度だったのでちょいと反抗したくなったのだ。
「何断っているのよ! まだ何も言ってないでしょうが!」
「へりくだれとは言わないけど、仮にも頼みごとをするんだったらもうちょい言い方ってもんがあるだろ!」
「ぐっ……。はいはいはいはい。確かにそうでしたね。すみませんね、口が悪くて」
一応自身の非を認めてはいるんだろうけど、それを示す言葉も態度もイイモノではない。以前に比べたら心の底から仲が悪いわけではなくなった俺たちだが、朱里の中にあるちょっとしたプライドが素直に頼み事をするということを邪魔しているんだろう。
俺たちの間にある表面的な仲は何も変わっていない。
「町田先輩のことでちょっと聞きたいことがあるから、教えてもらいたいことがあるんですけど。これでいいかしら?」
朱里は、俺の指摘を受けると、腰に手を当てて不機嫌そうな表情で文言だけ変えてそう言ったが、全然頼み事をする態度には見えない。
「上からの態度が対して変わってない。0点」
「ちょっとは協力してくれてもいいでしょ!? レディーがこんなに困ってるんだから!」
「どこが!? 全然困ってるように見えないんですけど? それにいるのはレディーじゃなくて俺にはガールに見えるね」
「あ? なんですって?」
「あん?」
正気か、こいつ? お前、仮にも偏差値高い七城大学の学生だろうが! ちっとは礼儀を考えろやーー!!
「まぁまぁ、翔平くん。朱里さん。言い争いはやめなよ」
と、ここで朱里より一足遅くロッカールームからモモが出てきて俺たちの仲裁をする。
「朱里さん、そんな頼み方じゃ翔平くんもいい気分しないよ……」
「うぐ……。確かにそうだけど……」
「翔平くん。朱里さんが面倒くさいことはもう知ってるでしょ? 話を聞いてくれないかな?」
「ふぁ!?」
モモの正直な一言に、朱里は口を開けて驚いた。朱里のフォローになっているのか、なっていないのかよく分からないが、不思議と俺はその的確過ぎる言葉に納得してしまい、話を聞く気になった。
「んで、聞きたいことって何?」
「……そうね。じゃあ聞かせてもらうけど、」
不本意な物言いをされながらも、落ち着いた朱里が聞いたことというのは、この時期に女子なら悩みそうな、ありがちなものだった。
「町田先輩は、どんなチョコが好きかしら?」
*