第4話「設定姉弟は踏み出したい」②
そんなことを話しているうちに閑静な住宅街に位置するミド姉のマンションにたどり着く。彼女と出会って約三週間。週一のペースでお邪魔してるな~。美人女子大生の家に週一ペースで通うとか、ちょっとした優越感を感じる。
オートロック扉の前に立つと、ミド姉は鍵を取り出した。
「いらっしゃい翔ちゃん♪ 今開けるからね!」
すぐにドアが開く。階段を三階まで上がり、奥から二番目の部屋、三〇五号室の前に到着した。
「どうぞ、入って!」
「お邪魔します」
ミド姉が鍵で扉を開け、俺は訪問の挨拶を済ます。最初こそ緊張していた俺も、今ではこの家に入るのにそこまで緊張することはなくなっていた。「ミド姉」という呼び方にも慣れ、あまり照れずに言える。ミド姉自身も、この呼び方は慣れたようで、もう血の一滴も出すことはなくなっていた。呼称を変更してから三日くらいは、たまに鼻血が出ていたものだが、リハビリの効果が出ているようだ。
ミド姉はベッドに、俺はローテーブルに腰掛けると、ミド姉が後ろから抱きついてきた。軟らかい身体が俺に密着する。肩ぐらいに胸の膨らみが当たって、ドギマギしてしまうが、態度には示さない。顔が赤くなるのは仕方がない。俺はもともと、結構シャイな人間ですぐに顔が赤くなってしまう。まだ中々慣れない。
「ハァ~ン。今日も翔ちゃん可愛いわ~。相変わらず小さくて幼い顔立ち。まるで小動物がうちに来たみたい♪」
「おっと、いきなりディスられている気分ですよ」
「ディスってないよ! 翔ちゃんの幼い顔は、愛でるべき象徴! 保護すべき財産! 言うなれば、上野動物園で生まれたパンダの赤ちゃんのような存在よ!」
「人をパンダに例えないでください! しかも赤ちゃんって!」
「翔ちゃんが動物園にいたら、ずっとその檻の前にいてしまうかもしれないわ」
「僕を勝手に動物園に入れようとしないでくださいよ!」
「弟パンダ、『ショウショウ』と名付けましょう」
「なんか最近有名なパンダに似てる名前!」
俺を見るためにたくさんのお客さんが来るのか~。こうえいだな~。
「いや、待って。上野動物園に翔ちゃんを入れてしまったら、他の人たちに翔ちゃんの可愛さが伝わってしまい、競争率が上がってしまう。パンダの赤ちゃんみたいに予約制になって、見るチャンスが狭まってしまう! それはダメだわ!」
「流石にそこまで生まれたてのベビーフェイスじゃないですよね!?」
「いいえ、翔ちゃんは自分が思っている以上にベビーフェイスなのよ。赤ちゃんと言うには流石に厳しいけれど、やろうと思えば、中学三年生くらいであればタイマンを張れると思うわ」
「何のタイマン!? 喧嘩するの、僕!? 男子中学三年生と、顔の幼さ対決で!?」
嫌すぎる。何だその勝負。みっともないし、勝っても何も得るものがない。
相変わらずのブラコン精神を見せてくれたミド姉を自分の体から引き剥がす。離れるとき、わざとらしく「キャッ♪」と言っていたが、いちいち反応するとまたいじられるので無視する。
「そういえば翔ちゃん、今日、うちでご飯食べていかない? ご馳走するからさ♪」
「え?」
つい、変なことを想像してしまった。変なことと言ってもいかがわしいという意味ではない。
そう、それは……、黒焦げになる鍋、炭と化したチャーハンと言った、おおよそこの美人女子大生には似つかわしくないまずそうな料理である。
俺は、以前部屋に来たときの惨状を思い返していた。散らかった部屋の方ではなく……、片付けがされていなかったシンクの方だ。
鍋についた汚れはこびりついて落とすのに苦労した。何本も箸が散らばっていたりもした。おおよそ三日分くらいの食器。その光景を見たものは、いかにこの人が才色兼備に見えたとしても、料理がうまいとは思わないだろう。俺だけじゃないはずだ!
自然と返事が遅くなってしまったが、一口も食べていないのにそう判断するのはあまりにも失礼だ。ましてや、作られた料理を見てもいないのに……。そう思った俺は、彼女のお言葉に甘えることにした。
「あ、ありがとうございます! お言葉に……甘えさせていただきます」
「なんか、微妙な反応みたいだけど、もしかして、私の料理がまずいと思ってない?」
うっ、鋭い。普段天然な行動してくるのに、こういう時は鋭い。ジト目で見てくる彼女に対して後ろ暗い気持ちがあった俺は、汗をかく。
「ふふっ、自分で言うのもなんだけれど、私、料理に関してはちょっと自信があってね……。オリジナルレシピや美味しくなる隠し味などを研究して、料理に取り入れているのよ」
ちょっと! この人、いきなりフラグ立ててキタよ! 前の掃除の時といい、それって料理の下手な人が言う言葉の一つでは!?
汗をダクダクかく俺に気にする様子もなく、ミド姉は自慢げに話す。
「ふふっ、今日は何を作ろうかな♪ 『お姉ちゃん風ミドリ肉じゃが』でも作ろうかな?それとも、『お姉ちゃん風ミドリカレー』にしようかな?」
普通に自分の名前を入れた料理名言ってるだけなのに、何故か緑色の肉じゃがと緑色のカレーを想像する俺……。いやいや、これは流石に失礼だろ! カレーにほうれん草入れただけかもしれないだろっ!
俺は、ここで名案を思いついた。仮に料理が下手だったとしても、まずい料理を回避できる方法。俺は、ミド姉の肩を勢い掴む。
「ミド姉!」
「へ? 翔ちゃん!?」
俺のいきなりの行動に驚くミド姉。そりゃそうだ。いきなり肩を掴むなんて、初めてだしな。普段の俺らしくない……。
俺は自身のそんな行動を気にせず、提案した。
「料理を、一緒に作りましょう!」
*
「いやー、まさか翔ちゃんが一緒に料理作りたいなんて言い出してくれるなんて! お姉ちゃん嬉しい!」
「いえいえ、ミド姉にだけ料理を作らせるのは悪いので」
ミド姉の純粋な感想に対して建前で返す、姉を疑う弟。ごめん、ミド姉。なんだか罪悪感でいっぱいだ。
「それじゃあ、今日は『お姉ちゃん風ミドリ肉じゃが』を作っていくよ! レシピは私に任せて♪」
「は、はい……」
ミド姉はやる気いっぱいだ。腕を大きく上にあげ、「オー」と言っている。俺も釣られて「オー」と繰り返す。
ミド姉は白いブラウスの上からエプロンを付ける。彼女の名前にふさわしい緑色のエプロンだ。某コーヒーチェーンのような上品で落ち着いた雰囲気を漂わせながら、スレンダーな彼女にフィットしていて、とても似合っている。普段は下ろしているロングの髪もトレードマークの大きなリボンでまとめ直しポニーテールにしており、いつもと違う魅力を演出している。
「では、早速作っていくよ。まず、野菜を切っていくよ。私はじゃがいもを切るから、翔ちゃんはそれ以外の皮むきをお願いしていい?」
「分かりました!」
俺は、正直料理がそこまで得意でもない。一人暮らしだからと言って、何でも作れるように上達する人ばかりではないのだ。うちで作るものと言ったら、チャーハン、野菜炒め、チーズ焼き、カレーと言った、比較的簡単なものばかり。ハンバーグやオムライスも作れるといえば作れるのだが、レシピを見ながら、時間をかけてゆっくりと作る。しかも、失敗もよくする。オムライスなんか、ひっくり返す時に焦げ付くことだってよくあるほどだ。
しかし、そんなに大きな失敗もしない。どんな料理も、絶賛するほど美味しく作ることはできないけれど、絶叫されるほどまずくも作らない。平々凡々。何の特徴もない普通の料理スキルだ。
指示通り、人参の皮をピーラーで向いていく俺。ミド姉は、包丁で皮を剥いていく。上手だ。あれ? やっぱりいらぬ心配だったか?
更に俺は玉ねぎの皮を剥く。ミド姉はその間、俺が皮を剥いた人参を切る。
「あれ? 人参、乱切りじゃないんですね」
家庭によって切り方はそれぞれだが、普段うちで作るときは乱切りで切っているため、ちょっとしたことだが違和感を感じる。
「うちでは薄切りにするんだ。その方が早く火が通って、ガス代の節約になるんだよ」
「そ、そうなんですね」
そして、玉ねぎを素早く薄くスライスし、鍋に油をひき、肉と一緒に手際よく炒める。
この人、料理うまい!? 今のところ下手な様子が全く見えない!
そして、人参、水にさらしたじゃがいももすかさず投入。
「ねぇ翔ちゃん、アクを取るのに使う意外なアイテムって何か分かる?」
「意外なアイテム? おたまで取るんじゃあないんですか?」
俺が彼女の手際のいい調理に目を奪われている中、彼女はそんなことを聞いてきた。
「ふっふー。おたまでも取ることができるんだけど、これでも取ることができるんだよ?」
そう言って、得意げな顔をしながら引き出しを開けて彼女が取り出したモノは、
「じゃーん」
「ア、アルミホイル!?」
無邪気は効果音と共に取り出したモノは、どこにでもある普通のアルミホイルだった。
「これを少しクシャクシャってしてアクに付けることで、アクが取れるの。面白いでしょう?」
「本当だ! すごい!」
アルミホイルにアクが吸い付いていく。マジックみたいだ。驚きの連続に目を白黒させる俺。
その後も彼女は、俺の心配とは全く反対に、出汁の取り方、じゃがいもの適切な種類など、俺の知らないことを次々教えてくれた。とても下手なんて言えない。むしろ、超料理上手……。
そして、
「できたーー♪」
肉じゃがが完成した。すごく美味しそうな匂いがする。ホクホクのじゃがいもと出汁のいい香り、しんなりした玉ねぎ。色どりには、冷凍のグリーンピースを使用している。
俺はほとんど何もしていない。皮を剥いて、じゃがいもと肉を切っただけだ。
「さて、翔ちゃん、どうぞ!」
ミド姉が箸で掴んだじゃがいもを口の前に持ってくる。いわゆる「あーん」というやつだ。
「ミ、ミド姉!? これじゃ姉と弟じゃなくって、カップルですよ!?」
「あ、そっか。まぁけど、カップルっぽいことする姉弟がいてもいいよね♪ ほら、私、姉と弟のラブコメを書くつもりだから、こういう気持ちも知っておかなきゃ」
ミド姉が「まぁまぁ一口だけ」と勧めてくる。ま、別に家の中だし、そんなに気にしなければいいか……。
「は、はい。ではいただきます」
ミド姉の箸に刺さったじゃがいもにかぶりついた俺は、絶句した。
「っっ!!」
「どう?」
「美味しい!! この肉じゃが、めっちゃくちゃ美味しいですよ!」
「やったーー♪」
冗談じゃなくうまい! 全ての材料が調和し、『肉じゃが』という料理を形作っていた。出汁は濃すぎず、薄すぎず、適切な分配であり、野菜の柔らかさもちょうどいい。かと言って、一流料理人が作ったかのような完璧すぎる味ではない。ちょっとした玉ねぎの焦げが手作り感をより演出する。だが、一流料理人の料理よりもはるかに美味しいと感じる。愛情の詰まった、最高の料理だ。
俺は、さっきまで自分がミド姉の料理がまずいと疑っていたことがひどく恥ずかしく感じた。
「どう? 私の料理は! 私、料理にはちょっと自信があるんだから!」
「ミド姉……」
「ん? どうしたの?」
箸を置き、ポツリとミド姉の名前を呼ぶ。そして、座ったまま静かに彼女の方に向き直ると、
「すみませんでしたーーーーーーーーーーー!!」
「えぇーーーーーーー!?」
深々と頭を下げたのだった。
*