第38話「岡村翔平は浮きたくない」①
桜井桃果
とんでもない場面に遭遇してしまいました。
下宿先の最寄り駅から二つ程先の駅にあるショッピングモール。ファストフード店が並ぶ一階にて、わたし、桜井桃果はホシの見たくない浮気現場を目撃しました。
「翔平くん! 君ってやつは……!」
告白までした好きな人の、こんな不誠実なところは見たくありませんでした。モール内の所々に設置された背の高さ以上ある観葉植物に身を隠し、彼の様子を観察します。隣に立つ上品でお淑やかな女性と楽しそうに談笑する彼に、わたしはメラメラと怒りを感じていました。
彼らが並んでいるのは、某有名アイスクリーム店、『77アイスクリーム』。若者中心に人気を集めるお店です。このお店の人気の秘訣は、他店に比べてサービスやイベントのユニークさにあります。
サービス面で言えば、店のブランド名にある『7』にちなみ、『7』の付く日は激安価格となるサービスを行っています。イベント面で言えば、『○○と一緒に来ると○%オフ』とか『あなたの考えたアイスクリームを募集します』といった様な、イベント毎大好きな若者に注目されるようなものがあります。
クリスマスが目前に控えられた十二月の中旬である本日も例外ではなく、イベントが行われていました。メニューリストが並ぶ店の上部を見て、わたしは再び事実を確かめます。
『カップル来店で、ダブル一個無料!!』
強調を表すギザギザの枠線でそう書かれたポップを見て、わたしは不本意ながら、翔平くんの浮気の現場を抑えてしまったというわけです。
「こんなの、ミドちゃんへの裏切りに他ならないよ! ビシッと一言言ってあげないと……!」
と思って観葉植物の陰から彼らの元に歩こうとすると、列に並んだ彼らの元へ、新たな一人の女性が寄ってきました。清楚な雰囲気の白のニットにネイビーのスカート、ピンクのコートで着こなされた女性らしい服装のその女性は、つい先日見たことある顔です。
「あれは……」
彼女のその後の発言を聞いたわたしは、一度止めた足を動かし、急いで三人の元へ走っていくのでした。
*
岡村翔平
「あれ、緋陽里さんじゃないですか?」
「おや、岡村くん。ごきげんよう」
妹とは微妙に色の異なる、一箇所で止めたブロンドヘアを携えた女性を駅前で発見し、声をかけた俺。喫茶店バイトで大ベテランの先輩、陽ノ下緋陽里さんは丁寧な所作とまるでお嬢様のような丁寧な言葉遣いで俺に挨拶をした。
「緋陽里さん、どこかに行くんですか?」
「えぇ、これから大学の方に行こうかと思いまして」
「大学ですか? 休日なのにですか?」
「講義自体はないのですけど、一応今年で卒業の身。卒業論文の作成をしようかと」
「卒業論文ですか。大変ですね……。お疲れ様です」
ミド姉同様四年生である緋陽里さんは、今年で卒業。例外ではなく、卒業論文を書かなくてはいけないのだ。休日にまで大学で作業をするなんて、やっぱり大変なのだろうか?
「まぁ、別にそこまで大変なものではないですよ。今日だって、特にやることがなかったので行こうと思っていただけですしね」
「そうなんですか? けど、ミド姉は漫画と卒論の両立で忙しくなりそうって言っていましたよ?」
「確かに両立は大変かもしれませんけど、何とかなるものですわよ? 翠はあれで一応、ハイスペック人間。翠の大学の成績はかなりいい方ですしね。最近は、ちょっと変わった性癖と言動が目立ちましたが」
「あぁ、確かに……」
ブラコンが目立ちすぎだけど、そういえばミド姉って何でもそつなくこなせる人なんだよね。まぁ、そのブラコン部分が俺の中では印象的過ぎていたんだけど……。
「ところで、岡村くんはどちらに?」
「はい、僕はですね……。ミド姉へのクリスマスプレゼントを買いに行こうかと思っているんですよね……」
頬をかいてわずかな照れを感じながらも、俺は緋陽里さんへ正直にそう答えた。
もうすぐ、世間ではクリスマス。恋人のいる人にとっては重要な一日となる日だ。人によっては、その日一日で今後の交際が危うくなる人もいるだろう。ミド姉はそんなことないと思うが、俺も出来る限りミド姉にいい格好は見せたいのだ。同時に、頑張っているミド姉の喜ぶ顔が見たい。そのためのプレゼント選びだ。
「まぁ! それは素晴らしい心がけですわね! 流石は翠の愛する恋人ですわ。こんな素敵なカレシがいて、翠は幸せですね」
緋陽里さんが嬉しそうな顔で俺を持ち上げる。そんなに賞賛されてしまうと、多少で済んでいた照れが大きくなってしまうではないか。
「どこで過ごすんですか?」
「あまり遠くには行けないので、近場ってことで東京都心のどこかで遊ぼうかと思いまして」
「いいんじゃないでしょうか? 翠には漫画も卒業論文もありますし、同じ都内の方が疲れなくていいですしね。場所よりプレゼントの気持ちと、恋人と一緒にいるということの方が大事ですわ」
「けど、まだ何を買うか全然決めていないんですよね……」
俺は苦笑いで返答した。
十二月も中旬であり、クリスマスまであと十日もないこの時期に、俺はまだプレゼントを用意していなかった。何を買えばいいのか、分からないのだ。
インターネットを使って女子大生がカレシから何をもらったら嬉しいのか、調べたりもした。財布、腕時計、ネックレス、花、マフラー……などなど、候補が多すぎて全然的を絞れない。
しかも、画面上で見ている物なだけに、それが良いのかどうかもよく分からない。それに、そういった物をネット注文するのは、何だか俺には抵抗があった。恋人に渡すものは、自分の目で確かめて買いたいではないか!
というわけで、休日である今日を利用して、ここらで一番大きなショッピングモールに向かおうと、駅に来たというわけだ。
「はぁ。ミド姉って、何をもらったら喜ぶんですかね?」
「翠の好みですか。岡村くんからもらったものなら、何でも嬉しいとは思いますけど」
「ミド姉ならそうなんだろうなとは思うんですけど、やっぱり、どうせなら本当にもらって嬉しいものをあげたいじゃないですか」
「まぁ、その気持ちも分かりますわ。特に、今年はお二人が交際を始めて最初のクリスマス。特別な日ですものね」
付き合い始めて大体二ヶ月。ミド姉は誰かと交際をしたことがないと言うし、恋人と過ごす初めてのクリスマスだ。それに何より、漫画で忙しいのにその日だけは何が何でも空けると言ってくれている。なんとしてでも、このクリスマスイベントは成功させたい。
俺が思案に暮れていると、緋陽里さんが何かを思いついたように俺に提案した。
「でしたら、わたくしもご一緒しましょうか? 翠が何をもらったら喜ぶかを正確に当てることはできませんけど、同い年の女性目線からの意見ということで、参考になるとは思いますし」
「いやいや、それは確かに僕にとっては嬉しい申し出ですけど、緋陽里さんはこれから大学に行くじゃないですか! そんな迷惑になることさせられませんよ!」
「いえ、ぶっちゃけ大学なんてどうでもいいんですわ」
「えぇ~……」
真顔でぶっちゃける緋陽里さん。さっき、暇だから行くような発言はしていたから、そうなんだろうけど……。
「それより、岡村くんについて行くほうが楽しそうじゃないですか。今日はせっかくの休日ですしね」
「本当にいいんですか? すごく助かりますよ!」
ミド姉の親友である緋陽里さんからの意見ほど貴重なものはない! ミド姉の好みだって、把握しているだろうしね。
「それに、岡村くんには以前、文化祭で喫茶店を手伝ってもらった恩もありますしね」
「あ、ありがとうございます」
そう言ってパチンとウインクする緋陽里さんにドキっとしてしまう。緋陽里さんも、たまにこうして男を虜にするような不意打ちをしてくるんだもんな。ミド姉の言う通り、小悪魔の素質が十分に備わっている。
俺は緋陽里さんに感謝の言葉を述べて行き先を告げると、一緒に駅のホームに入っていった。
今日中にプレゼントを買えるか心配していたけど、緋陽里さんが協力してくれるなら、何とかなりそうな気がするぞ。
*