第37話「花森翠は紡ぎたい」②
「うわーー! 本当に可愛い顔しているね! 納得の弟属性だよ、花森ちゃん!」
「……」
次の日。隣に立つ幼い顔立ちをした青年を見て、開口一番にそう言う染谷さん。血の繋がりのない設定上の弟、岡村翔平くんは、一歩引いてその様子を見る。
「君、本当に大学生? アタシの一回り歳下である高校生の弟と同じくらいの顔年齢の若さよ、君!」
「高校生じゃないですよ! 僕は正真正銘、二十歳の大学三年ですから!」
「けどよく考えたら、二十歳も十六歳も大人から見たら同じようなものかー! 気にしない気にしない!」
「まぁ、言われ慣れているので今更どうってことないですけど……」
「チョーウケるね!」
「ウケませんけど!?」
ケラケラケラと笑う染谷さんに対して、不本意そうにツッコミを入れる翔ちゃん。完全に染谷さんのペースだ。立派な大人が子供……じゃなかった、大学生を全力でいじる姿は、来年社会人になり本格的な大人の仲間入りをする私にとって、なんだかなぁ~という印象を与える。案外、大人も子供も対して変わらないのかもしれない。
「とまぁ、冗談はこれくらいにして。ごめんね、弟くん。悪ふざけが過ぎてしまったよ。改めて、アタシは染谷藍子。花森ちゃんの担当編集者をやってるよ」
不機嫌そうな顔をしていた翔ちゃんだったが、染谷さんが真面目な態度になるやいなや、自身も気持ちを切り替えんとばかりに挨拶を交わした。
挨拶もそこそこに私たちは打ち合わせのための個別スペースに入る。着ていたコートを脱いでいる間に染谷さんはコーヒーを入れてくれ、それをテーブルに置くと、染谷さんはハンガーにコートをかけている翔ちゃんを眺める。
「それにしても、こういうことか。確かに、あの漫画に出てきた弟そのままだ。そっかそっか。納得納得」
翔ちゃんを観察するように見て、染谷さんは一人得心したようにウンウンとうなずく。
「花森ちゃん、やっぱりアタシがあなたに目をつけたのは間違ってなかったってことだね。あなたは十分な武器を使って、あの作品を創り上げたってわけだ」
「十分な武器? 翔ちゃんのことですか?」
「そう! 要するに花森ちゃんの強みは、プロにも引けをとらない画力と、奇抜な実体験があるってことだよ。実際に経験した魅力的なことを題材にしているんだから、面白くなるし、作品に魅力も出てくる。アタシは、それに惹かれたわけだ」
「それは納得です。ミド姉の作品には、モデルである僕も惹かれるところがありますしね」
「そうでしょう?」
なるほど。確かに私は、実際に体験したことを漫画や絵にしたい人だ。翔ちゃんを弟にしたのだって、想像で物事を表現するのが苦手だったからだ。今まで描いてきた作品でも、ほとんどが想像で描いたものではあるが、中には実体験を混じえて描いたものもあり、そちらの方が私は描きやすかった。
実体験であるのだから、描きやすいのは当然であるのだが、私にはその長所を更に伸ばす能力が高いのかもしれないわね。
「だけど、花森ちゃんの作品は賞に落ちてしまった。残念ながら、新しい読み切りを書くしかない」
真剣にこちらを見て染谷さんは言う。私が来年就職するということを染谷さんは知っている。それを考慮しての一言のように聞こえた。
「他に花森ちゃんの面白い実体験はないの? コメディでも、スポーツでも、なんなら前回同様ラブコメでも、何でもいいよ。花森ちゃんの得意な方向性が、実体験を元にした面白展開ということが分かった今、最後のチャンスはそちらで攻めた方がいいと思う」
染谷さんは私の能力を分析して考えを述べていく。頭では分かっているのに「最後のチャンス」という一言を改めて聞くと、どうしても力が入ってしまうのが分かる。
「昔付き合っていたカレシが実は極度のマザコンだったとか、お金持ちと付き合っていたと思ったら実はとんでもない貧乏だった、とかないの?」
「そんな変な体験はしていません! 第一、私が付き合ったのは、翔ちゃんが初めてですから!」
「そっかぁ~。けど、見ず知らずの赤の他人を、漫画を描くために設定上の弟にするっていう体験の方が、今の話よりよっぽど変だと思うけどね」
「「……ごもっとも」」
私と翔ちゃんの声が重なる。思えばそうなのよね。周りから見たらこれがどんなに変わった姉弟関係であることか。そりゃあ最初、緋陽里が引いていたのも納得だ。
「確かに他のこれといった実体験が思いつかないっていうのもあるんですけど、できることなら私は、やっぱり翔ちゃんと出会ったこの体験を漫画に生かしたいなって思うんです。賞には落ちちゃいましたけど、翔ちゃんと出会ってから、いろんな歯車が回り始めた気がして、私の大切なきっかけになっているんです」
「ミド姉……」
翔ちゃんがいなかったら、賞には応募できる段階まで行けなかっただろう。そもそも、漫画を描き上げられていたのかも分からない。翔ちゃんと恋人関係になることだってできなかった。私の中で翔ちゃんとの出会いは本当にかけがえのないものだ。
だからこそ、その想いを漫画にぶつけたいと、私は思う。
「そうは言うけどね~……。同じような題材でより面白く、か……」
「やっぱり、難しいんですか?」
気になった翔ちゃんが尋ねると、染谷さんは快い顔をしないまま答えた。
「確かに唯一無二の特殊事情だし、面白いとは思うんだけど、『これ以上出るのかな?』って思ってさ。花森ちゃんが感じていた姉の気持ち、恋心はもう前作で出してしまったわけだし、どうしても似たような作品になるんじゃないかって危惧しているところがあるんだよね」
「なるほど。それは確かにそうかもしれないですね……」
染谷さんに言われて私も気づく。確かに前回の漫画には、私が設定上の姉弟関係で感じたことを結構反映したつもりだ。読み切りでページ数が少ないとは言え、凝縮させたつもりだ。これと同じような題材で、更にこれを凌ぐ作品を作るのは、思う以上に骨かもしれない。
「これよりも深く、面白く、新鮮な実体験を表現できればいいけれど。弟に対する愛情表現ばかりを書いても面白さに欠ける。読者を上手いこと惹くことのできる設定を用意したいところだけど……」
「面白い、実体験……、設定……」
私と染谷さんはうーんとうなって考える。
「……ん?」
すると、翔ちゃんが違和感に気づいたかのような声を漏らし、次の瞬間には、
「あるじゃないですか、ミド姉! 面白い設定の実体験!」
と声を大にして言った。一体、何を思いついたと言うんだろうか?
「翔ちゃん、何を思いついたの?」
「ありのままですよ、ミド姉!」
「ありのまま?」
「はい、そうです!」
興奮気味にそう話し、一度間を置くと、翔ちゃんは目からウロコの案を提案した。
「ミド姉と僕の設定上の姉弟関係をそのまま漫画にするんですよ! つまり、漫画を書くために赤の他人を弟にする女性と、弟モデル役を引き受ける男のドタバタコメディです!」
「「あ!!」」
翔ちゃんの提案に、私と染谷さんは不意をつかれた。お互いに妙案に気づかされ、驚きの声を上げてしまった。
「それだよ翔ちゃん!」
「うん! キャッチーなあらすじも立てられそうだし、物語も新鮮で面白そう!」
「恋愛までとは行かなくても、純粋にコメディとして楽しめる題材だと思いますよ」
「どうして私、それに気がつかなかったんだろう! こんなに身近にもっと奇抜な実体験があったというのに!」
「灯台元暗しってやつなのかもしれませんね」
翔ちゃんの提案に、私たち他二人は盛り上がる。染谷さんもこの題材にえらく乗り気な様子だ。
「いいね! それで行こう! その方向で話を進めましょう!」
染谷さんが方向性にGOサインを出す。
漫画を書くために弟を作る女性と、弟モデル役を引き受ける男性のコメディ、か。
うん! 染谷さんの言う通り、あらすじだけでも十分に惹きつけられそう! これがまさか実際に現実で起きたことだなんて、審査する人は思わないだろうな。
「次の漫画賞の応募は、一月の二週目。あと二ヶ月もない。とりあえず今日の打ち合わせはこれで終わりにして、構想と、仮のタイトルを練ってきてもらえる? 構想自体はやっぱり作者である花森ちゃんの考えをベースにしないと意味がないからさ」
「はい! できるだけ早く考えます!」
「うん! 頑張って! いつでも連絡してきて!」
染谷さんの激励を受け、私は以前の持ち込みの時と似たような感情が湧いていた。早く、漫画を描きたい。そう思って、ウズウズしていた。