第37話「花森翠は紡ぎたい」①
「花森ちゃん、今回は残念だったね」
「はい」
十一月最終週。漫画編集部の個別スペースで、一人の女性と対面する。スーツ姿ではあるが、まるで学生のように垢抜けた雰囲気。赤みがかった茶色のミディアムヘアを持つ彼女の名前は、染谷藍子さん。アマチュアである私の担当をしてくれている、漫画編集者だ。
「今回は一歩及ばなかったみたい。アタシは行けると思ったんだけどね」
染谷さん自身も悔しそうだ。どうやら、その言葉に偽りはなく、本当に通ると思っていたようだ。その態度だけでも、私は嬉しい。
十月中旬に応募した私の読み切り漫画は、あえなく落選した。
自分でもかなりの自信作を仕上げられたと思っていたが、まだ考えが甘かったみたい。染谷さんが絶賛して評してくれている私の絵の上手さだが、それだけではダメみたいだ。やはり、この業界は一筋縄では行かない。
「けど、これをバネに次こそは受賞できるように頑張ろう! そのために、今日はこうして来てもらったんだから!」
「はい! よろしくお願いします!」
今日は、次の賞に向けて新たな構想を練るための打ち合わせだ。こうして、忙しい時間を割いて付き合ってくれるなんて、染谷さんは本当にいい人だ。その期待に応えられるように私も頑張らないと!
応募した漫画の反省点を染谷さんと一緒に確認していく。自信のあると思っていた作品も、こうして日を改めて見てみると、いくつも改善したほうがいいと思う箇所が出てくるから不思議だ。受賞できなかった後に見ているというのが効いているのだろうか?
染谷さんが指摘する反省箇所を確認して次々とメモを取る。次の受賞に向けて……。
なにせ、次回の応募で私が全力を尽くせる期間は終わってしまうんだから。
大学四年生である私は、この三月に卒業して、来年の四月からは社会人になる。学生の時みたいに時間があるわけではないのだ。
働いて、帰ってきたらもう夜。漫画を描く時間があるのかも怪しい。だからこそ、次の投稿に全力を尽くさなければ!
*
「ふー。一旦休憩しようか」
二十分程度の反省会が終わり、休憩に入る。染谷さんは、一度席を立っておかわりのコーヒーを入れてきてくれた。
「ところで花森ちゃんってさ、弟がいるの?」
閑話休題とばかりに、染谷さんはコーヒーを飲みながら私に尋ねた。
「弟、ですか?」
「うん、そう。なんかさ、花森ちゃんの描くこの作品って、何とも言えない魅力があるんだよね。花森ちゃんが本当に弟のことを愛しているような、妙に説得力が感じられるような、そういうリアリティみたいなものがあるっていうか」
うわぁーー。何だかすっごい嬉しい! 担当編集者の贔屓目っていうのもあるかもしれないけど、こんな風に褒められて嬉しくないわけない。
「で、気になったんだよね。花森ちゃんって実際に弟がいるのかなってさ」
「はい、いますよ! 血とかは繋がってはいないですけどね」
「やっぱりいるんだ! ふーん、やっぱりね~。しかも義理か~。その義理の弟くんのことが好きなんだ!」
「そんな……急にそんなこと……。けど……、はい。大好きです」
いたずらっぽく笑って聞いてくる染谷さんに素直にそう答える。やっぱり好きな人を素直に答えるのって、ちょっと照れるよね。
ブラコン全盛期の私なら、難なく答えていたんだろうなって思うと、それはそれであの時の私が羨ましく思えてしまうけど。
「へぇーーー! そうなんだね! 花森ちゃんは弟くんのことが可愛くて仕方ないんだね!」
「そうですね! もう、本当に可愛いんですよ! とても大学生には見えないくらいで!」
翔ちゃんの可愛さ語りを染谷さんに対して行う。あぁ、こういうのも何だか久しぶりよね。満たされる! 今では翔ちゃんはカレシだけど、まだまだ弟っていう側面も消えないみたいね。
あ、けどそういえば染谷さん。さっき『義理の』って言ってたわよね? 一応、訂正しておかないと。区切りをつけて、私は染谷さんに話す。
「弟と言っても設定上のモノなんですけどね」
「設定上?」
「はい。血縁でも義理でも何でもない、設定上の弟なんですよ、翔ちゃんは。けど本物の弟みたいに愛しくて愛しくてですね……」
「ちょっと待って待って」
話を遮り頭の整理をする染谷さん。
「え? どゆこと? 義理の姉弟じゃないの? 設定って何?」
「んー、設定っていうのはですね。言ってしまえば赤の他人ということで……」
「それは分かったよ! 何で本当の弟じゃないのに、弟って言ってるの? ……あ、あれか! 近所に住んでいた幼馴染的なあれか!」
「いえ、違いますよ。翔ちゃんと知り合ったのは今年の四月ですし」
「めっちゃ最近じゃん! じゃあ何で弟なんて言ってるわけ?」
「ある日突然私が一目ぼれして、弟になってもらったんです」
「一目ぼれして弟に!? ある日突然に!? 恋人じゃなくて!? ますます意味分かんないよ!」
「あ、けど今では、弟であると同時に私の恋人なんです!」
「もっと複雑になった!! 弟であり、カレシ!? 何、そういうプレイなの!?」
「言っておきますけど、恋人は設定ではないですからね。翔ちゃんは正真正銘、本物のカレシです! あと、そういうプレイでもないですから!」
「そういうプレイじゃないの!? え? つまり何? 一目ぼれした男の子が弟で、その弟はカレシで、けどそれは設定で???」
声を大きくして頭を抱える染谷さん。編集部の方から、「染谷! うるせぇぞ!」と上司の怒鳴り声が響く。
う~ん。今までの傾向から、何も話さないと、誤解して大変なことになりそうだから話したけど、それでもこの複雑な事情は説明するのが難しい。かえって染谷さんを混乱させてしまった。
「花森ちゃん! その話、詳しく聞かせてもらっていい?」
私は染谷さんに一から話し始める。最近あった元カノとの出来事を経て、恋人になった経緯まで話すと、染谷さんは先程までの混乱した様子から一変。興奮した様子でこちらに迫る。
「何それ!! すっごい面白いんだけど!! 花森ちゃんって、真面目な印象強かったけど、本当はとんでもなく変な子だったんだね!! いやー、お姉さんそういうの大好き!!」
変人認定を受ける私。苦笑いを隠しきれず、「あはは」と返すことしかできない。
染谷さんの後方から、「染谷ーー!! うるせぇって言ってんだろ!!」と叱責が再び飛ぶ。
「ねぇ、花森ちゃん! 今度その子、この編集部に連れてきてよ!」
「え? 翔ちゃんをですか?」
「いや、今度と言わず明日! 明日は土曜日だし! アタシ、出社するからさ!」
「えぇ!? 明日ですか!?」
「ねぇ、いいでしょう? そんな面白そうな子を見ない手はないよ! 大丈夫! 交通費はこちらが持つから! それに明日も打ち合わせをすれば、より早く次の題材を考えることができるでしょ?」
何やら、染谷さんにスイッチが入ってしまったようだ。面白いネタを見たがる漫画家魂、もとい編集者魂に火がついてしまったようだ。
けど、明日も染谷さんが付き合ってくれるというならこちらは大歓迎だ。言う通りで、早く構想を一緒に考えたい。染谷さんも、決して暇というわけではないしね。
*