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第36話「恋人たちは伝えたい」①

 花森翠(はなもりみどり)


「ミド姉、何だか元気がないですね?」


 七城(しちじょう)女子大学の三号棟二〇五号室。漫研の作品が展示されているその教室で、漫研の冊子を開いて持ち、一向にページを進めない私に対して、(しょう)ちゃんはそう尋ねた。


「何だか、ページが進んでいないようですし」

「え? いや、違うよ! このページの絵の出来があまりにもいいから、参考にしようと思ってさ。……ふむふむなるほど。ここはこういうタッチで……」


 あまりに強引なごまかし方に、翔ちゃんは怪訝そうな顔をするが、追求はせずに別の冊子を手に取る。


「(無理があったかな?)」


 そう思うが、ここは翔ちゃんの厚意に甘えることにして、私は再び冊子に視線を戻す。しかしながら、目には冊子に描かれた絵が映るものの、私の意識は別のところにあった。


「(翔ちゃんの元カノが、……(あお)ちゃん)」


 先程会って話をした七城女子大学の学生、水無碧(みずなしあお)ちゃん。彼女の話を聞くに、私の恋人であるところの岡村翔平(おかむらしょうへい)くんは、碧ちゃんの元カレかもしれないとのことだ。はっきりとそうだと言われたわけではないのだが、彼女が私に話した情報を総合するに、ほぼ間違いないだろう。


 それが分かってから、私の中ではモヤモヤとしたものが胸を覆っていた。そのうちのひとつは、『嫉妬』と呼ばれるものなんだと思う。


「(翔ちゃん、あんなに可愛い子と付き合っていたのね……)」


 なにせ、碧ちゃんは七城女子大学のレベルが高いと言われているミスコンの優勝者だ。実際に碧ちゃんと正面で話した私から見ても、碧ちゃんはすごく可愛かった。女の子らしさという面でもそうだが、明るく元気で、自信たっぷり。話している者も自然と元気づけてしまうかのような、そんな魅力がある。

 そんな彼女と私の恋人が、元々お付き合いをしていたというのだ。翔ちゃんのことが大好きな私のこと、嫉妬の一つや二つもしてしまう。


 だけど、私の抱いている胸の内のモヤモヤはそれが全てではない。


「(やっぱり、翔ちゃんに碧ちゃんのこと、話したほうがいいのかな……?)」


 集中しないまま手に持った冊子のページだけを力なくめくり、私は考える。

 碧ちゃんの話した、翔ちゃんと碧ちゃんの過去の話。彼女らが絶縁状態となる原因となった、別れ話のことを思い返す。


 碧ちゃんの心のブレにより引き起こされた別れ話だったが、碧ちゃんと翔ちゃんでその認識が違った。

 当時の元カレへの浮ついた気持ちに終止符を打とうとした碧ちゃん。だけど、当時のカレシである翔ちゃんへの甘えを良しとしなかった碧ちゃんが、自分の意志表明を省略したばかりに翔ちゃんとの認識の齟齬を生んだ。


 私は、偶然知り合った元カノによる勘違いを解くために、自分の恋人に、彼女が近くにいることを教えて良いものか、迷っていた。彼女に応援すると言ってしまったが、それがこと自分の恋人が絡んでくるとなると、素直に応援をできる心情でもない。

 私は翔ちゃんのことを信頼しているけれど、昔の恋人であり、大人になって更に魅力的になった碧ちゃんを見て、翔ちゃんの心が少しでも揺らいでしまうなんて嫌だ! 元カノに、カレシを会わせたくなんてない。


 まだある。碧ちゃんと再会したことが原因で元気をなくしてしまった翔ちゃんを、今、再び元カノと会わせるべきなのか? 立ち直った翔ちゃんにわざわざまた、傷を負わせるべきではないのではないのかと考えていた。


 碧ちゃんからあんな話を聞いてしまった手前、放ってなどおけない。あの話の中で、救われた人は未だに誰もいないのだから。


 だけど、こうした複数の不安要素が私を悩ませる。大好きな恋人を想う気持ちが、私を抑止する。


「ミド姉」

「……ん? どうしたの?」

「ちょっとこっちに来てください」

「え? ちょっと翔ちゃん?」


 翔ちゃんは、冊子を持っていた私の腕を掴む。私は、冊子を元あった机の上に戻し、翔ちゃんと一緒に教室を出た。


 二階には、広いテラスのような場所があり、そこを通ると企画が多く開催される本棟へ行ける。この三号棟は七城女子大学の中でも割と隅っこの方に位置していて、今は本棟の方で大物女優の講演会をやっているというのもあり、人はそこまで多くない。


 私たちは教室を出てすぐ目の前にあるテラスに出る。翔ちゃんは、私を心配するかのような表情で、声をかける。


「本当にどうしたんですか、ミド姉? どこか調子が悪いんですか?」

「ううん。本当になんでもないよ! 見ての通り、私はいつも通り元気だし、風邪や熱なんかも何もないよ!」

「……」

「それよりさ、さっきの冊子は勉強になったわ! 特にラブコメ同人のところ。面白かったなぁ。やっぱり、ラブコメはコメディ色の強い明るい話だと、頭に入ってきやすいというか、読みやすいよね。私もその辺を参考にして……」

「ミド姉、ごまかさないでください」


 私のからげんきに対し、翔ちゃんは真剣な眼差しでそう言った。


「いくらごまかしていても、様子がおかしいってことくらい分かりますよ」

「そ、そうかな?」

「ミド姉、表情豊かで分かりやすいですしね」

「分かりやすいって! 私、そんなに分かりやすくないよ!」

「いえいえ、恋愛に関して鈍感だった僕が言うのもなんですけど、喜怒哀楽がミド姉以上に分かりやすい人なんてそうそういないですよ!」

(もも)ちゃんから言わせると、本当にそれは翔ちゃんには言われたくないと思うよ!」

「それ以外の分野では鋭いんで」

「なぜだかそこは自信があるのね!」


 半年以上桃ちゃんの好意に気づいてこなかったラノベ主人公ばりの鈍感な弟くんが何を言っているのかしら! まぁ、私自身も桃ちゃんを姉の座を狙うライバルという全くの勘違いをしていたわけだから言う資格などないのだけど。私たち姉弟はこと恋愛に関しては相当にこじらせていたみたいね……。


「とにかく、ミド姉は何かに悩んでいますよね? それも、僕とモモが一緒にいたときとは違う様子なので、僕らと別行動をしているときに、何かありましたか?」

「鋭っ! よくそんなことまで分かるね!」

「分かりますよ。だって、僕はミド姉の恋人であり、『弟』なんですから」

「……!」


 翔ちゃんは照れもなく、私の目を見て答えた。堂々としたその態度に私は圧倒される。


「ミド姉の恋人になってまだ三週間ですけど、設定上の弟としては、もう半年以上も一緒にいるんですよ? だから、ミド姉が深く何かに悩んでいれば、気づきますよ」

「翔ちゃん……」

「だから、もっと僕を頼ってください! いくらでも力になりますから! 何に悩んでいるかは、言ってくれないと分かりません。僕はミド姉のカレシなんですから、もっと頼っていいんですよ!」


 その時、私は思った。碧ちゃんの話に出てきたすれ違いの原因を。


 人は、大事な人の様子や雰囲気から、変化に気づくことは可能かもしれないが、おおよそでしかない。大切なことは、言葉にしないと伝わらないんだ。


 私がモヤモヤと悩んでいるのを、翔ちゃんは感じ取っているけれど、その詳細までは分からない。それが、翔ちゃんを不安にさせてしまっているんだ。

 これでは、碧ちゃんと同じようなものだ。私の私情も入ってはいるが、翔ちゃんのことを思うあまり胸中の想いを伝えなければ、いい方向に事態は収束しないかもしれない。


 私はそう考えて、胸に立ち込めるこの不安の内容を翔ちゃんに伝えることにした。


「実はね、さっきこの大学で翔ちゃんの元カノ、水無碧ちゃんに会ったの」

「……! 碧に!?」


 パンフレットのミスコンについて載っているページを開いて翔ちゃんに見せる。翔ちゃんは驚いていたが、同時に得心した様子も見せた。


「なるほど……。それは確かに気まずいですよね。つい最近、あんなことがあったばかりだというのに」

「うん、それももちろんあるよ。けど、それだけじゃないの……」

「それだけじゃないというのは?」

「それは……」


 何と伝えるべきか、迷う。碧ちゃんが翔ちゃんと話したがっている、と伝えるべきか。けど、二人を会わせてその後に起こり得るありとあらゆる可能性を想像すると、進んで伝える気にもならない。


「ミド姉、僕らが付き合い始めた日のことは、まだ覚えていますよね?」

「え? そりゃ、もちろん」

「あの日、自信のなさでどん底にいた僕をミド姉は元気づけてくれましたよね? 前向きにさせてくれましたよね? 過去に縛られていた僕を変えてくれましたよね?」


 私が答えを言い淀んでいると、翔ちゃんは少しの笑みを浮かべてそう言ってきた。思い出すよう、感謝を込めるように確認する。


「だから、僕はもう大丈夫なんですよ。過去には縛られていないですし、前も向いています。だから、ミド姉の心配するようなことは何もないですよ」

「……翔ちゃん!」

「だからミド姉。良かったら話してもらえませんか?」


 翔ちゃんは、私の考えを見透かしたかのようにそう答えた。それすなわち、私の嫉妬心を読み取ったのだろう。彼の言うように、本当に驚く程の鋭さだ。今まで鈍感さでバリアを張っていた彼からは考えられない。それこそが、彼の言葉を裏付ける証明になっている気がして、私は心の曇りが少しだけ減った気がした。


「碧ちゃんが、翔ちゃんに話したいことがあるんだって。碧ちゃんから、色々と話を聞かせてもらったの。私も翔ちゃんには、碧ちゃんに会って欲しいと思っている。だから、碧ちゃんに会ってあげてくれないかな?」

「碧と話……ですか。……そうですね。僕もちょうど、元カノに話したいことがあったところです」


 少しだけ躊躇いを見せる。前を向いたとは言っても確執は残る。翔ちゃんは、本当は碧ちゃんと会うことに乗り気ではないのかもしれない。

 だが、翔ちゃんは話したいことがあると、そう言った。

 翔ちゃんが何を話したいと言っているのかは私には分からないけれど、口ぶりから、悪い方向には転ばないはずだ。


「けど、どうやって会うんですか? 僕はもう、彼女の連絡先を知りません」

「それは……。あ! さっき、連絡先を交換したの! 私が碧ちゃんに連絡を取ってみるよ」

「さっき初めて会ったばかりなのに、もう連絡先を交換したんですか!?」

「うん。仲良くなったから連絡先を交換しましょうって」

「どんだけ仲良くなってるんですか! 僕がいなかったの、たった三十分くらいだったでしょう!?」

「ね~。碧ちゃんの積極性に負けちゃって。あはは」

「……あいつらしいですね」


 ふっ、と笑う翔ちゃんの表情を見て、少しだけ胸に刺さるものがある。碧ちゃんの性格、人柄を知っているという感じ。その態度に、少し妬けてしまう。


 私が碧ちゃんにメッセージを送ると、返信はすぐだった。込み入った話になりそうだったので、人のあまり多くないところで話がしたいと送っておいた。

 一応、翔ちゃんに会ってもらうということは伝えない。それを伝えると、碧ちゃんが変に身構えてしまうかもしれないと思ったからだ。


 翔ちゃんに行き先を教えると、翔ちゃんは「では、行ってきます」と言って歩き出す。

 元カノのところへ歩き出す彼を見て、私はやはり不安を感じる。翔ちゃんはさっき心配ないと言ってくれたけど、私の中で完全に不安感が消えたわけではないのだ。


 それに、穏便に済むのかどうか……。


「ミド姉」


 だが、私のそんな悩みをまたもや打ち消すように、翔ちゃんは一言だけ残した。


「けじめをつけに行くだけです。僕は必ず、ミド姉のところへ戻ってきますので、ご心配なく」


 碧ちゃんがかつて、翔ちゃんに伝えなかったその一言だけを残し、翔ちゃんは碧ちゃんのところへ向かった。


 *


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