第4話「設定姉弟は踏み出したい」①
「え、翔平、お前、まだ履修登録終わってないの?」
購買で買ったパンを食べながらアーケードを歩く俺に、大樹は「うそだろ?」と言うように尋ねる。
「まぁね」
「なんだよそれ! そんなだと、履修期間過ぎて、留年するぞー」
大樹が脅かすように言ってくる。
町田大樹。俺と同じ大学三年生。チャラチャラに染めた茶髪と持ち前の爽やかルックスで、見た目は完全に大学デビューしたチャラ男だ。しかし、中身はしっかりしていて、勉強もできる、考え方も大人な奴だ。
あまり友人の多くない俺にとっては、言いすぎかもしれないが大学内での唯一の友人といっても差し支えない。
コミュ力あり、背は高い、イケメン。俺とは何一つ当てはまらないけどね……。
大学の暇な時間に都合がつけば、お互い呼び出して、適当に時間を潰している。最近はミド姉とのことがあったから誘いを断っていたが、今日は時間が空いていたので、空き教室で適当に駄弁っていた。
「履修登録を忘れるわけないだろ? 今日帰ってからやるつもりだったんだよ」
大学の履修登録は、地味に超重要イベントの一つなのだ。なぜなら、履修登録期間の一週間以内に履修登録をしなかった場合、よっぽどのことがない限り、その期の単位はもらえないからだ。土下座してもダメ。泣き縋ってもダメ。履修登録は、とてもシビアなのだ。
「なんでまだ履修登録してないんだよ? 大体テンプレート通りだろ? 前、翔平の学科は三年次はほとんどが必修科目だって言ってなかったか?」
「そうだけどさ、夏休みにやる選択必修科目で迷ってるんだよ。インターンシップか環境実習でね」
選択必修科目とは、用意された五つの科目のうち、三つを必修とする科目のことだ。二つはすでに決めたのだが、残りのもう一つで迷っている。迷っている二つというのが、インターンシップと環境実習だ。
インターンシップは、二週間~三週間の間、実際に企業へ就業体験をしに行くことだ。実際に会社で働いている人の間近に行き、自身も業務を行うことで、その仕事が自分に合っているのか、合っていないのか、感覚的に判断できる。我が学科のインターンシップは、この期間内に二社行くことになっており、会社同士を比較することができる。将来の設計を立てられるため、非常にためになる科目だ。
環境実習は、大学の所有する施設へ行き、その付近の生態などを観察するという科目だ。緑豊かな大自然の中、どのような生物がどういう風に互いに干渉しているかなどを現地のガイドに教えてもらったり、自然の中に作った人工物が及ぼす影響を学ぶために、ダムなどの見学に行く。
この環境実習、俗に言う「楽単」と呼ばれる科目だ。「楽して単位が採れる」から「楽単」。環境実習は、大自然の中に建てられた大学の施設に行くことになるのだが、これがまた、大きくて豪華。別荘のような施設だ。しかも、実際に行うことといったら、見学と座学、それに生態調査だけ。生態調査はまぁまぁ面倒らしいが、自由時間も多く、この実習自体が五日で終わる。本来週に一度、約十三回の講義が必要なのに、五日で単位が採れ、尚且つそこまで苦労しない。むしろ、学科で行く小旅行のような科目であるがゆえ、楽単と呼ばれる。
対して、インターンシップは夏休みの二週間~三週間……、つまり、少なくとも十四日、多いと二十一日も拘束される。貴重な夏休みの約半分を仕事に費やさなければいけないのだ。夏休みだけの短期バイトというのともわけが違う。インターンシップ生は交通費以外の給料は出ないからだ。ためになるのは違いないが、一度きりしかない大学三年の夏休み期間に遊ぶ時間を失うのは惜しい。
以前、同じ学科で割と仲のいい山田は、
『なんだ、環境実習にしないのかよ。俺は何にも迷わずそっちにしたぜ? 五日間小旅行に行けて、単位も採れるなんておいしすぎだろ!』
と言っていた。
「インターンシップかー。うちは科目に含まれていないからなー。先輩に聞いた話だと、給料もらえないし二週間拘束だしで、結構面倒だって聞いたな」
「うーん、そうなんだけどさ……」
迷っている自分がいる。普通に考えたら環境実習一択なんだろうけどな。
だが、将来のことを考え始めるきっかけができたからか、安易に決められない。じっくり考えて決断しようと思っていたら、履修期間が五日経っていたというわけだ。相変わらず優柔不断だが、以前の自分だったら環境実習を選択していて、就活のことを考えもしなかっただろうから、成長しているのか?
「ま、納得のいく答えが出たら決めればいいんじゃねぇの? インターンシップ、決して悪いものではないと俺は思うぜ? けど、履修登録は忘れるなよ?絶対だぞ!」
「『押すなよ、絶対押すなよ』みたいなノリをやめろ! 本当に忘れるかもしれないだろ!」
「本当に忘れたら、後輩になるのか……。その方がしっくりくるけどな」
「おい、どう言う意味だそれは」
大樹がニシシと笑っている。留年なんて冗談じゃない。
そうこう話しているうちに、大学内のT字路に差し掛かった。
俺は、駅とは反対方向に顔を向け、大樹に別れを告げる。
「んじゃあ、俺はこれで」
「なんだ、駅に行かないのかよ。用事か?」
「まぁ、そんなもん」
「? そうか。じゃあまた来週な」
「うん、また来週~」
大樹は一瞬、不思議そうな顔をするも、次の瞬間には微笑んで、駅の方に向かっていった。
相変わらず、爽やかイケメンだ。俺みたいな丸顔童顔とは違う、しゅっと整った顔立ち。それに、無闇に用事を詮索してこないのもありがたい。微笑みで返すなんて、そりゃあ女子にモテるわけだわ。これが山田だったら、絶対しつこく理由聞いてきたもんな。
大樹にはまだ、ミド姉との一件は話していない。あまり会っていないというのもあるが、これを話すタイミングがない。
「俺、美人女子大生の弟になったわ」
なんて、急に話しても、意味不明だろうしね。大樹なら、軽く受け入れそうだけど。
まぁ、近いうちに折を見て話せばいいか。相手は大樹、俺の親友だしね。
*
「なんであなたがここに来るのよ」
ミド姉との待ち合わせ場所である例の喫茶店の入口にて、決して歓迎していない口調で店員が出迎える。
「俺は客だぞ? 早く席に案内しろっての」
「どこでも空いているんだから好きなところに座ればいいでしょう?」
この生意気な金髪……。
陽ノ下朱里。以前、俺とミド姉との関係を勘違いしていたチビ。結局勘違いは解け、その後和解したと思っていたのだが、現在ではこんな感じ。再び警戒した態度を取られ続けている。
何でも、俺と別れた後ミド姉と会い、彼女のブラコンぶりが想像以上だったため、危険人物と再認定されたらしい。確かにあそこまで重度なブラコンにしてしまったのは、俺に責任があるのだが……。しかし、ミド姉に協力している分、こちらとしてもどうしようもない。新たな扉を開いてしまったかもしれないが、それはいい意味で未来への新たな扉を開いているかもしれないのだから、俺が完全悪というわけでもない気がする。
まぁしかし、彼女から見れば、「尊敬する先輩に悪い影響を与えている男」と捉えられても仕方ないのかもしれない……。要するに、口論していた時点まで不信感が戻ったということだ。
彼女は最近ここでバイトを始めたらしく、運が悪いとこうして会ってしまう。会うたびに憎まれ口を叩いては俺とミド姉の仲に疑いを入れてくる。持ち前の金髪は見事なものだし、二箇所で留めた部分からピョコンと飛び出した髪、そこそこ可愛い容姿には魅力を感じる人もいるだろう。
だが俺にとってはただの態度の悪い後輩女だ。あのとき一瞬でも良い奴かもと思った俺の言葉を取り消したい。
俺は彼女の言った通り、いつも座る奥の席に足を運んだ。それにしてもここ、いつもガラガラだな。経営大丈夫なの?
ウェイトレスは朱里一人しかいないため、水を持って来るのは彼女だ。
「あなたこの店に来すぎよ。しょっちゅう会っている気がするわ」
「しょうがないだろう? ミド姉との待ち合わせ場所は大体ここなんだから」
「出たわね。その『ミド姉』。姉と言いつつ、いかがわしいことしてるんじゃないでしょうね」
「それはもうあの時話したでしょ。お前だってあの時納得してたじゃんか」
「はっ、どうかしらね? あの時は確かに納得したわよ。こっちも勘違いしていたしね。申し訳ない気持ちもあったわ。けどね、あそこまでだらしなくなっている翠さんを見たら、そんな気持ちも吹き飛ぶわよ!」
「まぁ、だらしないのは……、俺のせいかもだけど……」
それに関しては本当に返す言葉がない。
「翠さん、あなたには随分甘甘だからね。そのだらしなさにかこつけて、何をするか分からないから心配なのよ。だから、こうしてたまに釘を刺してるってわけ。分かった?」
「はいはい、分かりましたよ。だったらそうやって俺に会うたびに釘刺すことに無駄な労力を費やせばいいだろう? 俺は何もやましいことをしているつもりはないけどね」
「遠慮なくそうさせてもらうわ。ご注文をどうぞ」
そこまで言うと、朱里はぶっきらぼうな態度でオーダーを採る。
「じゃあコーヒーで」
「それではごゆっくりどうぞ!」
そうして彼女は一切の笑顔もなく去っていった。
何だあの感じの悪い店員は。早くクビにならないかな。そう願わずにはいられない。
気分を変えるため、持ってきたラノベを取り出し、ミド姉が来るまで読みふけることにしよう。
お客さんが少ないため、コーヒーはすぐに運ばれてきた。朱里は社交辞令の一言だけを言って、再び去っていく。態度が悪くても俺ももう気にしない。早くラノベの世界に入ろう。
*
三十分くらいして、黒と白で構成される、トレードマークの大きなリボンを携えて我が設定上の姉、花森翠さんがやってきた。
「ごめんね、翔ちゃん、遅くなっちゃった~」
「あぁ、ミド姉。いえいえ、そんなに待っていないので」
俺は帰り支度をし、会計に向かう。お会計の相手はもちろん、この女だ。
「3000円です」
「おい、30円の間違いだろ?」
300円のコーヒーに対して、面白くない冗談をかましてくる金髪女。
「最近値上がりしたんですよ。漫画を描いている茶髪女性との待ち合わせに使っている弟限定で」
「随分限定的な値上げだなぁ。それじゃあほら、これ」
そう言って十円玉硬貨を三枚差し出す俺に対して、むっとする金髪女。
「ちょっと、2970円足りないんですけど」
「この硬貨は一枚につき1000円の代物なんだ。だから、ぴったり足りているでしょ?」
俺たち二人の間に火花が散る。店員も最低だし、客も最低であった。
「相変わらず二人は仲が悪いんだね~」
「翠さん、やっぱこんな意地の悪い男を弟にするのはやめた方がいいですよ」
あははと笑うミド姉。俺は会計に出した十円玉硬貨を財布にしまうと、新たに百円玉硬貨を三枚出して店を出た。今度客の多い時、嫌がらせにピンポン鳴らしまくってやる。
「何で、翔ちゃんと朱里ちゃんはそんなに仲が悪いの?」
「あの金髪女が悪態ついてくるからですよ」
「こら、翔ちゃん、口が悪いよ!」
なんだか口の悪さを怒られてしまった。向こうの方が明らかに態度は悪いだろうに……。
ミド姉と言えば、今の発言に何か思うことがあったのか、「あ、今のちょっとお姉ちゃんぽいかも!」と小声で言っている。いや、知らんがな。
「何でも、ミド姉のブラコンっぷりを見てから、僕を危険人物扱いするようになったらしいですよ。なので、朱里の前では自粛してくださいね」
「そうだったの!? けど、無理だよ~。その話題になると、ついつい語りたくなっちゃうんだもん」
俺の童顔がミド姉の知り合いに拡散されていく……。いいんだいいんだ、童顔いじられるのは、もう慣れてるし……。
「そういえば、朱里ちゃんと翔ちゃんっていつ知り合ったの? なんか知らないうちにお互い知っていたみたいだけど」
「あー、確か、ミド姉が朱里に絵のコツを教えた日の昼ですよ。ちょうど先週の、ミド姉が講義あった日ですね。僕たちの喫茶店にいるときの会話を聞いて変に勘違いしたらしいですよ」
「あー、そうだったんだ」
「それであいつ、僕たちが付き合っていて、僕がミド姉の優しさを利用する鬼畜野郎だと思っていたみたいですよ」
「付き合ってる!?」
ミド姉はちょっとだけ顔を赤らめて驚いたが、すぐに笑いでごまかした。
「あはは、そんなんじゃないのにね。それに翔ちゃんは鬼畜野郎とは反対のすごく優しい子なのに」
「ほんっと、心外ですよ……」
何だろう。別に付き合っていないというのは本当なのに、否定されるとされるでショックだ。まぁ、気にしないけど。