第35話「水無碧は想いたい」③
水無碧
「みどりさん、いい人だな~」
大学構内の人ごみに向かって歩くその女性を見ながら、印象を口にする。話が弾んで仲良くなったとは言え、ほんの数十分前にあったばかりのワタシの話を聞いてくれて、それに応援までしてくれた。暗い話をしてしまってみどりさんには悪かったかも。
今日はミスコンがあって疲れた。この後の予定はしばらくない。もう少ししたら、一回サークルの屋台にでも戻ろうかな。
ワタシは入場ゲートから構内には入らず、さっきまで座っていたベンチに向かう。もう少しだけ、考え事をしたかった。
「話す機会か~」
さっきまで話していたみどりさんとのやりとりを思い出す。
『ずっと誤解されたままだと、碧ちゃんが救われないじゃない……。それに、その人だって、可哀想だよ』
ワタシが救われないっていうのは、自業自得みたいなところがあるから仕方ないとして、『その人だって可哀想』、ね……。考えたことなかった。
翔くんはワタシのことをずっと好きでいてくれていた。けど、ワタシは彼から離れた。実態はともかくとしても、彼の伸ばしてくれた手を掴まず、自分の思うままに進んでしまったのだ。
そのことで翔くんは、自分の努力や気持ちがまるで意味なかったかのように思っているかもしれないのか。ワタシは彼が、浮ついた心を持つワタシのだらしなさについて呆れ、悲しみ、怒っていると考えるだけで、そんな風に思ったことなんてなかった。
この四年、あの時元カレへの気持ちに終止符を打とうと、翔くんから離れなければ良かった。もしくは彼にワタシの気持ちを全て打ち明けていれば良かったと、後悔するだけだった。
こうして自分のことしか考えないワタシに、嫌気がする。あの時だって、ワタシを受け入れようとする翔くんをワタシが拒絶しなければ良かったのだ。頼ったり甘えてばかりではいられないという気持ちがワタシの中で抑止力として働き、ワタシの口を閉じさせた。
「やっぱり会いたいな……」
ようやく、数年越しに翔くんに接触できたんだもん。あの時は逃げられてしまったけど、今度はちゃんと話を聞いてもらいたい。そして、あわよくば……。
「また、一緒にいたいな~」
そんな願望を口にする。三度目は流石にもうないかもしれないと思ってはいても、ワタシは今までずっと彼のことを忘れられなかった。
……きっとまた会えるよね? だって、あの辺にいることは分かったんだし!
「よし! 考え事終わり! サークルに戻ろっ!」
そう意気込んで、ワタシはベンチから立ち上がる。考え事もできたし、みんなにミスコンの報告でもしようかな~!
ベンチのある外れた並木道から、入場ゲートに向かう。人通りは変わらず多く、次々とお客さんがワタシたちの大学に入構してくる。女子大だからなのか、やっぱり男性が多いんだよね~。
女子大の子たちは男との出会いがあまりないから、こういう機会にカレシを作ったりする子もいる。ミッチーとさおりんも去年、大学祭で知り合った男の人と付き合い始めたんだっけ~。さおりんの方の男はかなりの美形だったかな?
今年もワタシのサークルの子がこのお客さんの誰かに言い寄られたりするのかも! ほら、こうして見ると、あの人なんてかなりのイケメン。それにナンパとかしそうなチャラい感じ……、
「げ」
と、明るく染められ、チャラついた茶髪でイケメンと思っていた男を見て、ワタシはつい声を出して嫌な顔をする。すると、その人もワタシに気づいたようで、こちらを見る。
「……」
「……」
お互いに何も言わない。その人は一度立ち止まって興味なさそうにこちらを見ていたが、すぐに顔を前に戻して入場口に歩き始めた。
ワタシはその態度にカチンときて、前に回り込んで進路を塞ぐ。
「ちょっと~、何無視してんですか」
「別に用があるわけでもないだろうに。お前がこの大学にいたのには、ちょっと驚いたがな」
「用がなくても、一応知った仲の人にあんな態度で無視されると腹が立つんですよね~」
長い付き合いってわけでもないけど、この人は前から態度が悪い。それも、何故かワタシに対してだけ。他の女の子には優しかったし、美形だからモテてもいた。ムカつく。
「随分とチャラチャラになりましたね、ダイキ先輩。そのネックレス、似合っていないですよ?」
「逆にお前は何も変わってなさそうだな。相変わらず顔も性格も良さそうだ」
一つ歳上の先輩で、翔くんと同じ高校の親友である町田大樹先輩は皮肉をたっぷりと込めてそう言った。
「んで、何か用かよ? 裏切り女」
「うらっ……!」
「なんだよ。本当のことじゃねぇか? 自分から寄ってきたにも関わらず、翔平からの好意を全て無駄にして、結局元のところへ勝手に去っていくことを『裏切り』と言わずして、なんて言うんだ?」
「……ダイキ先輩、相変わらず性格悪いですね」
「お前ほどじゃないさ」
容赦なく飛んでくる言葉の刺に刺され、ワタシはうろたえる。会うのは数年ぶりだというのに、ダイキ先輩のワタシに対する当たりはむしろ強くなっていた。
「聞いたぜ、アオ? お前この前、翔平に会ったんだって?」
「はい、会いましたけど。それが何か?」
「今更いきなり現れて、翔平とやり直そうってか? 正直な話、迷惑だからやめてほしいな」
「やめませんよ。ワタシはまだ翔くんのことが大好きですから」
「どの口がそれを言ってるんだか。あんな裏切り方をした奴と、翔平がまた付き合うわけないじゃねぇか」
「違うんですよ! あれは確かにワタシが悪かったと思っていますけど、それでも、ワタシは元カレの元に去っていったわけではないんです! あの出来事には誤解があるんです!」
「誤解?」
ワタシはその当時のワタシの気持ちを話した。完全に元カレへの気持ちを払拭してから戻ってこようと思っていたこと。それに伴い、甘えてはいけないと、翔くんにそのことを伝えずに去ったこと。
「なるほどな。つまりお前は、お前なりに考えて翔平と距離を置き、決して翔平より元カレを優先したわけではないと。そういうことか?」
「はい、そうです。だから決して、翔くんをないがしろにしたとか、そういうことじゃないんです。ただワタシは翔くんに、自分がキープされている男だと感じて欲しくなかった。利用されていると誤解して欲しくなかったんです」
ダイキ先輩は、意外なことに最初から最後まで話を聞いた。途中で口を挟んだりもせず、変わらぬ表情でワタシを見ていたのだ。そして、話が終わると、自分の中で整理した言葉をワタシに確認した。嫌な態度の先輩ではあるけれど、こういうところは、悔しいが感心してしまう。
「裏切り女の言うことだ。全部が全部本当だと信じきれるかと言われると、首をかしげちまうが、仮にそれが本当だったとする。……で、お前はそれを翔平に伝えてどうしようってんだ?」
「どうって……。きっと翔くんは誤解している。だから、その誤解を解くんですよ。翔くんがワタシに対して捧げてきた愛情は決して無駄ではなかったと伝えるんです。もしかしたら、翔くんはそのことで深く傷ついたかもしれないんですから」
「本当にそれだけか? それだけだったら、オレが翔平に伝えておいてやるよ」
「え」
「だから、お前はもう翔平に会うな」
みどりさんに気付かされたことを話すと、ダイキ先輩はそう告げた。言葉の意味が分からず聞き返す間もなく、会うことを否定された。
「誤解を解きたいだけなら、オレが伝えても変わりないだろ? それに、お前は翔平とコンタクトをとれないじゃねぇか」
「ダイキ先輩に頼るなんてそんなこと……」
「この際はっきり言うが、」
と、ダイキ先輩はワタシの言葉を遮る。
「今更お前が翔平に会って与える影響はマイナスでしかない」
非常な一言をワタシにぶつける。その言葉に、ワタシは瞳を揺らす。
「ど、どういう意味ですか?」
「お前の考えている通りだよ。翔平はお前にフラれたことで、自分に対する自信を大きく失っちまった。高校の時点ですでに回復したものの、先日お前と会ったときに再びその時のことを思い出して、また自信を失っちまったんだ」
「翔くんが……」
みどりさんの言っていた通りだ。翔くんに少なくないショックを与えてしまっていたことを聞いて、ワタシの中で罪悪感が大きくなる。
「だがそんな翔平も、すでに立ち直って前を向いている。そんな時にお前がまた翔平の前に現れてみろ。分かるだろ?」
また、翔くんが自信をなくしてしまうかもしれない。ワタシが翔くんと接触したことで、そんなことになっていたなんて、思いもしなかった。確かにそれなら、ダイキ先輩に頼んで、誤解を解いてもらった方がいいのかもしれない。
だけど、それだとワタシはもう、翔くんに会う機会はないってこと? 何の想いも伝えられず、このまま立ち去るしかないってこと? 翔くんのことは今でも好きだって気持ちも、あの時言った言葉の本当の意味も?
「けど……。けど、やっぱり、」
「それに、あいつにはもう新しい恋人がいる」
再び言葉を遮り、ワタシに衝撃的なことを伝えてくるダイキ先輩。翔くんにすでに恋人がいるということを予感していなかったわけではないとはいえ、こうはっきりと真実を耳にすると、堪える……。
「翔平の自信のなさを取り除いてくれた素晴らしい人だ。そんな人と翔平は、順調に付き合っている。今更、お前の出る幕はないってことだ。波風立てることはねぇだろ? 翔平のことを考えるならな」
「……」
さっきまでは反論しようと思っていたワタシだったが、ダイキ先輩のその言葉を聞いて、何も言えなくなってしまう。ワタシが会わない方が、翔くんは幸せ。そう言われてしまったら、ワタシが彼に会いにいくこと、それ自体がもう『悪』となってしまうではないか。
ワタシは何て言えばいいのか分からず、下を向く。七城女子大学のミスコン優勝者、みんなのアイドルと言われている水無碧の面影は何もない。そんな様子を見てダイキ先輩は、話は終わりだと言わんばかりに止めていた足を動かし、
「お前と翔平の関係は、もう過去に終わってるんだ。お前らの関係の終わり方も、恋愛では珍しくない。憤りは感じるが、オレも納得はしている。だが、終わったなら終わったなりに潔くするんだな」
そう言って、ワタシの横をすり抜けて構内の人ごみに消えていった。
残されたワタシは、ダイキ先輩の歩いて行った方向を一瞥すると、ワタシの所属サークルの出店している屋台の方向へ歩き出す。お祭りの気分で浮かれるお客さんの笑顔。これから向かうサークルでも、そういう人たちでたくさんなんだろうな。けど、今のワタシではそんな気分になれそうもない。
「(ワタシと翔くんの関係はもう終わった……か)」
ダイキ先輩の一言を頭の中で考える。以前も、翔くんに言われた。ワタシの大好きな人との関係は、あの時にもう終わってしまったのか……。
やりきれない気持ちと後悔を胸に抱きながらワタシは重い足取りでサークルに向かった。
第35話を読んでいただき、ありがとうございます。今回は七城大学文化祭中編、碧視点の過去話でした。作中に書かれている通り、翔平と碧の間で、過去の別れ話は認識違いがあるというのが、真実です。どちらのためにもならないすれ違いです。悲しいですね。
第31話の翔平の過去話の時に、読者からもらった感想の中に、次のようなものがありました。「まさに大樹の意見が、読者の心情に最も近いと思います」。いや~、本当にその通りだよな~と、思いましたよ。碧との付き合いを最も間近で見てきた第三者は、間違いなく大樹ですからね。読者と立場が同じです!
今回の話でも、まさにそう思っているのではないでしょうか?
では、七城大学編はまだ続きますので今回はこの辺で! 次回で完結です。翔平の今カノと元カノの心が揺れ動いた今回でしたが、次回、どのように完結するのか見てください! では第36話のあとがきで!