第35話「水無碧は想いたい」②
「ワタシ、その人と付き合う前にも、別の人と付き合っていたんですよ。けど、その人のことを好きになって、前のカレシとは別れて、その人と付き合ったんです。けど、お付き合いを続けていっても、元カレのことを忘れられなかったんです」
青い空を見上げ、思い出すように語る。話を聞くに、碧ちゃんは、中学時代からすでに人気があったんだろう。まさか、中学ですでに二人とお付き合いをしたというのは流石に驚きだ。
「ワタシたちは一度別れました。ワタシからその人のことを好きになっておいて、フるなんてどうしようもないとは思いますけど、当時のワタシには自分の気持ちを抑えられなかったんです」
ただ、恋にだらしない女の子だというのも感じていた。遊び盛りというか何というか、惚れっぽい。
「だけど、結局ワタシはその人とお付き合いをしたくて、復縁を申し出ました。考えたんです。自分を大切に思ってくれている人がどちらなのか。それでワタシが選んだのは、その人でした。その人が受け入れてくれるなら、ワタシはもう一度その人と付き合いたいと思ったんです。そして、こんなワタシでも、彼は受け入れてくれたんです」
そして、またその人との付き合いが始まったと続ける碧ちゃん。碧ちゃんは気の迷いを見せたけれど、その人を選んだ。彼からしてみれば、腹の立つ行為なんだろうけど、彼は、碧ちゃんを再び受け入れたのね。
「それからワタシと彼の交際は順調でした。ワタシも彼のことが大好きでした。それに、彼からもたくさんの愛情を受け取って、ワタシはすごく幸せでした。大げさかもしれないですけど、高校一年のワタシはこのまま、ずっと彼と一緒にいたいと思っていました。……けど、そんな時に、突然ワタシの前に元カレが現れました」
え? けど元カレのことはもう……。碧ちゃんは、元カレではなくて、その人のことを選んだのよね? そう疑問に思った私は、碧ちゃんに尋ねる。
「はい、そうです。けど、当時のワタシにはまだ気の迷いみたいなものがあったみたいなんですね。今にして思えば、本当にだらしない自分だと思いますけど、ワタシはまだ、元カレのことを完全に忘れられてはいなかったみたいなんです……。ワタシは考えて、またその人に距離を置こうと申し出ました」
「……」
碧ちゃんの顔には、後悔の念がにじみ出ていた。私はあまり、碧ちゃんに共感できる気分ではなかった。碧ちゃんのことを受け入れて復縁した彼の気持ちを考えると、碧ちゃんに同情などできなかった。
だが、碧ちゃんが語ったその続きを聞いて、碧ちゃんなりの考えを理解した。
「ですが、ワタシは彼と本当に別れるつもりなんてありませんでした。その人は、ワタシのことをいつも大切に扱ってくれる。愛してくれる。そんな素敵な人、もう出会えるかなんて分からない。けれど、カレシに甘えてばかりもいられない。彼はそんなワタシも受け入れると言ってくれましたが、それではワタシはいつまでたっても同じことを繰り返しかねない。そんなお付き合いの仕方は、間違っていると思いました。だからワタシは、」
すっと目を閉じて、新たに決意を込めるような、そんな態度を碧ちゃんから感じ取る。碧ちゃんは再び目を開けて、
「けじめをつけに行ったんです」
正面を向いたままはっきりとそう答えた。
「……けじめ?」
「はい。ワタシは元カレに会いに行き、自分から決別の言葉を繰り出しました。もちろん、向こうが未だにワタシに気があるとかではないんですけど、ワタシにはまだ、忘れられない想いがあった。けれど、その気持ちの揺らぎをいつまでも抱えていて良いわけもありません。それは、ワタシを大事に思ってくれているカレに失礼なことだからです。自分から元カレに決別の意志を表明することで、ワタシは元カレへの想いを完全に封印することに決めたんです。もう絶対に何があっても、後戻りができないように。それが、ワタシと一緒にいてくれるカレのためにもなると思って」
自分のため、相手のためを想って碧ちゃんがした行動。直線的で自己満足ではあるけれど、当時高校一年生の女の子にしては、きちんとした意志を持ってのものだと感じた。気の迷いがあったことは褒められたものではないのかもしれないけれど、それでも碧ちゃんは、今のカレシとずっと一緒にいるために、一度距離を置いたということね。
「けれど、後戻りができなかったのは、皮肉なことにワタシがずっと一緒にいたいと思っていた、カレの方でした……」
だが、私には結末が見えていた。それを前提に進められてきた話だったのだ。私は黙って碧ちゃんの言葉を聞いていた。
「別れようと言ったんです。しかも、一度目と同じ理由で……。そりゃあ嫌われて当然ですよね? 彼と距離を置くとき、きっと心の中に、『この人はまたワタシを受け入れてくれる』なんていう甘えがあったんでしょうね。思えば、彼が『そんな君でも受け入れる』と言ってくれたとき、ワタシの意志を全て話していれば良かったのかもしれません。自分の中でだけ勝手な考えを持って、勝手に突き進んだ結果がこれです。本当に、ワタシはどうしようもない大馬鹿です」
聞くと、碧ちゃんはそのカレシと距離を置くときに、元カレと決着をつけてまた戻ってきたいという意志を表明しなかったみたいだ。そのカレシには、碧ちゃんが再び元カレと付き合いたいと聞こえてしまうに決まっている。碧ちゃんがその時に、「絶対に戻ってくるので、信じて待っていてください」と一言加えていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。
大事に思う人へ甘えすぎていてはいけないと考えるあまり……、けじめを付けるまで失礼なお付き合いを続けてはいけないと考えるあまり、意志の表明を控えてしまった結果、すれ違い、それが碧ちゃんにとっては悲しい結末を生んでしまった。
「その後、再び戻ってきたワタシはカレに連絡をとることはできませんでした。着信拒否です。それから数年後、ここから数駅先に用事があったとき、たまたま彼を見かけたんです。それからというもの、ワタシはその近辺を探しました。そして、ようやく彼と再会できたんですけど、彼は話を聞いてくれませんでした」
文化祭に来るお客さんは減ることなく、ゲートの近辺であるここにも、お客さんの楽しそうな声が響き渡っている。ご老人、学生、家族、恋人同士。様々なお客さんが来場していく様子を、私と碧ちゃんは黙って見つめる。
「これで、ミス七城を勝ち得た水無碧の暗い過去話は終わりです。どうです? 全然一途とかそんなんじゃ、ないでしょ?」
「……」
碧ちゃんは顔をこちらへ向けて苦笑いでそう言った。中学からの好きな人をずっと好きでい続けている碧ちゃんが、一途でないと言っていた理由が分かった。
行ったり来たりを繰り返す恋愛。中学生、高校生という、心が未熟である年齢であったとは言え、『浮ついていない』、『だらしなくない』と言う方が難しい。けど、
「その時の碧ちゃんは確かにだらしなかったと思うよ。碧ちゃんが一途じゃないって言うのも分かる。けれど、今の碧ちゃんに関しては、私はそんなことないと思うよ」
「え? みどりさん?」
私は『今の』碧ちゃんにフォローを入れる。
「だって今の碧ちゃんは、ずっとその人を想い続けているんでしょ? それが、罪悪感から来るものだとしても、捨てずに大事に大事に気持ちを持っているじゃない。男の人からたくさん告白されても、それでもその人のことを好きでい続けているじゃない」
「そんな……。これはただの呪縛みたいなものですよ。元カレの時だって、そんな感じだったわけですし。それにもう、その人には拒絶されてしまいましたし……」
碧ちゃんは、自身の気持ちを呪いと評してそう言った。それでも、拒絶されてもなお、好きでいられるというのは、私は美しいと思うけどな。
それが良いことなのか悪いことなのか、よく分からないし正解なんて多分ないけれど、碧ちゃんとその彼とのすれ違いは、解けて欲しいと思う。
ブーブーブー
そのことを伝えようと口を開きかけたところで、私のスマホが鳴る。この着信バイブレーションは、電話のそれだ。私は「ごめんね」と断ってから画面を見る。電話の相手は、緋陽里の喫茶店で働いているはずの翔ちゃんだった。ベンチを立ち、並木道の反対側まで言って画面をスライドする。
「もしもし?」
『ミド姉、今、どこにいますか?』
「今は、入場ゲート近くの並木道にあるベンチにいるけど……。翔ちゃん、まだ働いているんじゃないの?」
『マスターが帰ってきてくれたんです! なので、緋陽里さんとマスターにアルバイト終了の許可をもらいました。今は空き教室で着替えているところです』
時計を見ると、ちょうど三十分が経過した頃だった。何だかんだで漫研の展示を見に行く時間はなかったわね。まぁいいか、翔ちゃんと行けば。
『モモは、文化祭の出し物に興味を持って、このまましばらく働いていくみたいです』
「そうなんだ。分かった! それじゃあ、これから茶道部の喫茶店の方に戻るね」
『はい、では僕も喫茶店の近くの分かりやすいところにいるようにします!』
そう言って、私たちは通話を終了した。私は碧ちゃんのいるベンチまで戻り、事情を話す。
「碧ちゃん、話の途中でごめんね! 私の連れが用事を終えたみたいで、今から合流しなきゃいけないの」
「いえいえ~。こちらこそ、お話に付き合ってくれてありがとうございました! 何だか話したらちょっとスッキリしましたし。それに、みどりさんとお話するの、すごい楽しかったですし~」
「そう? こっちこそ、楽しかったよ。ミスコンの優勝者に会ってお話できるなんて思わなかったけどね」
碧ちゃんも立ち上がり、私たちは入場ゲートに向かって歩く。
笑って歩く碧ちゃんを見て、私は気持ちがモヤモヤする。心の中には悩みがあるなんて、誰も気づかないだろう。表面上こんなに明るくしていても、碧ちゃんにはその人に大切なことを伝えきれなかった後悔があるんだ。
「碧ちゃん、さっきの話だけど……」
入場ゲートの前で立ち止まり、後ろにいた碧ちゃんに振り返って話しかける。
「他人の私が偉そうに言えることでもないし、どうしようもないことだってのは分かるんだけど、私は、その人との誤解は解けてほしいなって思ってるよ」
「みどりさん……」
「だって、ずっと誤解されたままだと、碧ちゃんが救われないじゃない……。それに、その人だって、可哀想だよ。与えてきた愛情が、まるで意味なかったかのように思っているかもしれないのに……」
もしもそうなのだとしたら、碧ちゃんだけじゃない。碧ちゃんを好きでいたその人も、報われない。報われない恋は多くあるとは思うけど、すれ違ったまま縁が切られるなんて、……悲しすぎるよ。
「そう……ですね。はい、何とかまた、話す機会を作ってみます。ワタシも、きちんと知ってほしいです! 翔くんに誤解させたままは、嫌ですから!」
「うん。誤解、解けるといいね。私にできることはないけれど、応援しているわ!」
私は碧ちゃんに笑顔を向ける。碧ちゃんも暗くなっていた表情を明るく変え、お礼を言った。
ふとそこで、私は彼女の言葉の一部が気になった。
「ところで、翔くんって? もしかして、そのカレの名前?」
「はい、そうなんですよ~。一つ歳上なんですけど、そうは見えないくらい幼い顔つきなんです!」
「一つ歳上で、顔つきが幼い……」
……何だろう。私の中で今、不穏な推測が浮かんでいる。聞いたことのある気がする目の前の女性の名前、私の身近な男の子と似通った名前、特徴。それと、以前桃ちゃんから聞いた、翔ちゃんの元カノの話。
胸がざわつく。何だか嫌な胸騒ぎがする。この子って……。
「ねぇ、その人って……」
唾をごくりと飲み込み、私は恐る恐る名前を尋ねようとする。
「……」
「え? みどりさん、何ですか?」
「……いえ、何でもないわ」
が、思いとどまった。聞いてしまったら、さっきまで私が碧ちゃんに送っていた応援の気持ちやその碧ちゃんと以前お付き合いしていた人に対する気持ちが変わってしまいそうだ。
元カノ……。翔ちゃんの……元カノ? 目の前の女性が、かつて一悶着も二悶着もあった私の恋人の元カノかもしれない。そう認識し、動揺する。この子が、かつて翔ちゃんの好きだった女性……。
私の前に、翔ちゃんとお付き合いをしていた子。
素直に嫉妬とも言えない奇妙な感覚を持ちながらも、私は碧ちゃんと別れ、緋陽里の出店している喫茶店の前で翔ちゃんと合流した。
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