第34話「設定姉弟は文化祭に行きたい」①
岡村翔平
木枯らしが吹き、大学構内に落ちたイチョウの葉が舞う十一月半ば。冬の一歩手前に差し掛かったこの時期は、寒さで道行く学生を震え上がらせる。
「ふふっ、翔ちゃ~ん♪」
「ミド姉、やっぱり大学ではちょっと……」
寒さに震える学生が多い中、しかし俺の体温は上昇していた。密着された柔らかい体から温もりが伝わると同時に、俺の中にある羞恥心が顔を熱くする。
「だって、翔ちゃんにくっつきたいんだもん♪ ムニムニしてると幸せなんだもん♪」
俺の設定上の姉こと、花森翠さんは、何の恥ずかしげもなく、大学の入口付近で堂々と俺にくっつき、頬ずりを繰り返す。彼女の首に巻かれた赤のマフラーが俺の首に当たり、チクチクする。
久しくされていなかった人前でのスキンシップ。ブラコンである彼女の設定上の弟である俺に対する積極性は尋常ではなく、以前はことあるごとにこうして激しいスキンシップをしてきた。まぁ、俺がなんとか言って、自重させたのだけど。
こんなに堂々と人前でスキンシップを受けるのは久しぶりであり、俺も、以前は多少なりともついていた耐性が薄くなったようだ。めちゃくちゃ恥ずかしい。
「ミド姉、しかしですね、やっぱりこれはこれで恥ずかしいっていうか……」
ただ、以前のミド姉によるスキンシップとは、少しだけ意味合いが違う。
「いいじゃない。だって私たちは恋人同士なんだから♪」
「そうですけど~」
彼女、花森翠さんは、俺、岡村翔平の恋人なのだ!
設定上の姉弟として過ごしてきた俺たちだったが、三週間ほど前から、交際を始めた。ブラコンだと思っていたミド姉もいつの間にか俺のことを男として好きになってくれており、お互いに両思いの状態で付き合いに発展できた。
こうしてカノジョであるミド姉から愛情を表現されるのも、もちろん嬉しい。最高に嬉しい! それでも、大学内という、人の多い場所でおおっぴらにスキンシップを受けるのには、照れ屋な俺にとってはやはり恥ずかしい。
それに、周りの学生が鋭い目つきでこっちを睨んできてるし! 主に男から! なんか「死ね」とか「爆発しろ」って声も聞こえるし! ひぃ~……。
「なんて……。ごめんね、翔ちゃん。翔ちゃんと一緒にいるのが嬉しくて、ついついくっつきたくなっちゃったの。恥ずかしかったよね?」
ミド姉は、そう言って体を離した。その笑顔から、本当に俺と一緒にいるのが幸せなんだなと伝わってきて愛おしく思える。
「いえ。確かに恥ずかしかったですけど、ミド姉にこうやって愛情を表現されるの、素直に嬉しいですし……」
ミド姉から目線を軽く逸らし、照れながらそう言う。何だか直視できない。
「できることならずっと触れ合っていたいな、とも思うんですけど、僕の度胸がないっていうか」
「ううん。やっぱりこんな人目のあるところで堂々とイチャイチャするのは良くないもの」
「そうやって僕のこと気遣ってくれるところ、好きですよ。人前でもミド姉を満足させられるように、僕も慣れていきますね」
「そうやって向上心を持つ頑張り屋さんなところ、私も好きよ」
「ミド姉……」
「翔ちゃん……」
俺たちは見つめ合う。ここが大学の中心に位置するアーケードの下であるということも忘れ、お互いに熱い視線を交わす。先程までは激しめのスキンシップに動じていた俺だが、その場の雰囲気に流され、愛しのカノジョと愛を確かめる様に見つめ合う。
こんな可愛いカノジョにここまで愛されるなんて、俺って本当に幸せ者だなぁ。周りでは、学生たちが俺たちを白い目で見ているんだろうが、もはや、そんなの構うものか。今の俺には彼女の顔しか目に入らない。
「……こんな大学のど真ん中で、お前ら何やってんの?」
二人で横を向くと、白けた目でこちらを見る我が友人、町田大樹の姿があった。
「おあついことですねぇ。ひゅーひゅー」
からかい方も棒読みで、呆れているように聞こえる。俺たちはそんな彼の態度で我に還り、互いにあたふたしながら背を向けて顔を赤くした。俺ともあろうものが、雰囲気に流されてこんなことをするなんて。油断した!
「白昼堂々幸せそうですなぁ。舞い上がっちゃってよ。この童顔大学生が」
「からかうなよ。別に舞い上がってなんかないし……」
両手で持っていた買い物袋を地面に下ろし、俺の肩に手を置く。ニマニマしてこちらを煽る大樹に対して再び赤面し、返す言葉を失ってしまった。その通りだけに何も言えない。
「え~、翔ちゃん。舞い上がってないの~?」
「え」
俺の『舞い上がっていない』という照れ隠しに不満を持ったのか、ミド姉がふくれっ面で抗議してきた。
「私は翔ちゃんと一緒にいれて舞い上がっているっていうのに、翔ちゃんはそんなことないんだ……」
「ミド姉、そんなことないですって! 今のは言葉のアヤというかなんというか!」
「あ~あ。カノジョを泣かせてやんの。知―らね」
「お前……」
くそっ……。元はといえば大樹がからかってきたからこんなことになったんだろ! 余計なことを!
あっあっ! ミド姉が後ろを向いてしまった! 冗談でもあんなこと言うもんじゃなかったか!? カレシとして堂々としていれば良かったのに俺ときたら。とりあえず、ミド姉の弁解をしないと。俺は、オロオロしながらも前に回り込み、ミド姉を慰めようとする。
「ん? ミド姉?」
「ふふっ……」
落ち込んでいるかと思ったら、それとは反対にミド姉の顔は嬉しそうだった。これってもしかして……。
「なんてね♪ 焦った?」
「あ、ミド姉! 図りましたね!」
「オロオロしている翔ちゃん、可愛いなぁもう!」
このお姉さん、俺が慌てている反応を見て楽しがっていただけだ! はめられた! 大樹もどうやらそんなことには当然のように気づいていたらしく、ニヤニヤとした表情で眺めてくる。
「ごめんごめん。だって翔ちゃんの反応、可愛いんだもん」
「まったく、からかわないでくださいよ!」
「けどね、翔ちゃんと一緒にいて舞い上がっているっていうのは、本当だよ? こうやって恋人として、楽しく冗談言い合えるのだって、すごく楽しいんだから♪」
「ミド姉……」
太陽のように明るく幸せそうな表情。俺のカノジョ、可愛すぎぃぃ!! 童顔なんて知ったことか!
俺が見つめていると、ミド姉も少し熱っぽい表情でこちらを見てきてくれる。俺たちは再び二人の世界に……、
「おい」
「「!?」」
入ろうとしたが、大樹に阻止された。
「そういうのはオレがいないところでやってくんね?」
「いや、今のは違う! ちょっと雰囲気に流されただけで!」
「そうよ! 誤解しないで! 見せつけているわけじゃないんだから!」
「あ、そっすか」と一蹴して、ジト目をやめない大樹。ミド姉も俺も恥ずかしくて死にそうな中、何とかこの会話の流れを断ち切ろうと、俺は先程まで大樹が持っていた買い物袋に目を移す。
「そ、そういえば大樹は、そんなにたくさん何を買ってきたの?」
唐突な話題転換に不自然さを感じ取ってはいたんだろうが、ミド姉はもちろん、大樹も話題の潮時だと悟ったのか、普通に返答した。
「あぁ、これか? 文化祭の屋台で使う材料だよ。うちのサークルで焼き鳥屋をやるからよ」
「うちの大学、明後日から文化祭だもんね!」
ミド姉が相槌を打ち、俺も辺りを見渡す。よく見ると、大樹の他にも大量の荷物を持っている学生がちらほら見える。大学の中心部となるアーケード下の地面には、いつもは見られないテープが一定間隔に貼られている。
我が大学の文化祭は、構内が広いこともあり、結構規模の大きな大学祭だ。名の知れた芸能人を呼ぶこともあるし、偏差値もそれなりの国立大学であることから、来場者数も多い。大学祭は二日間開催されるのだが、合計来場者数は確か二万五千人を超えていたはずだ。俺は地方出身であるため、ここの大学祭に来たことがなかったが、大学に入って驚いたものだ。
何より、高校の頃に比べると圧倒的に人や店が多い! 企画も派手なことを行うし、開放感が段違いだった。その反面、完全に学生主体であり、文化祭実行委員会は大変そうだったけれど……。
「ミドリさんと翔平はサークルには入ってなくても、店を回るくらいはするのか?」
「うぅ~ん……どうしようかな~」
俺は迷いを見せた。もう三年目になるため、今年はいいかなとも思っているのだ。一年目も二年目も、そりゃあワクワクしたものだが、それより、十一月は大学祭シーズンであるため、他の大学の文化祭にも行ってみたいというのが、正直な感想だ。
「私は今年、うちの大学の文化祭には行かない予定よ。その代わり、緋陽里の大学に行こうと思っているの!」
「緋陽里さんの?」
「うん! 『七城女子大学』。うちの大学よりも規模が大きいの。良かったら、翔ちゃんも一緒に行かない?」
「それはいいですね! 僕も今年は他の大学に行こうと思っていたので、ちょうど良かったです!」
緋陽里さんと朱里の女子大か。近くにあるけど、行ったことはなかったな。そもそも、知り合いなんていなかったし。せっかく知り合いが別大学に増えたんだから、行ってみたい!
「陽ノ下の大学の文化祭か! 毎年行ってみたいとは思うんすけど、屋台が忙しくて、結局行かないんだよな~」
「それなら、大樹も一緒に行かない? もしも時間があるのならだけど」
「そうだな~……。文化祭二日目だったら、午後から時間を作れそうだから行ってみるかな。ただ、いつ抜けられるか分かんねぇし、オレのことは気にせずに行ってこいよ。そんときに行けそうだったら連絡するからよ!」
「結構忙しいんだね、大樹くんって」
「オレは二つのサークルを掛け持ちしていますからね。両方となると、それなりに時間も取られるわけっすよ」
大樹はこういうイベント毎が大好きだからな。実際、毎年出席して、大学祭を全日めいっぱいに楽しんでいる。
「んじゃ、オレはそろそろ行かねぇと」
地面に下ろしていた荷物をよっこらせと手に持ち、大樹は歩いて行った。それにしても、大学祭か。入口にはすでに大学祭の入場ゲートが作られているし、忘れていたわけではないけれど、もうすっかりそんな時期なんだな。
文化祭の実行委員会と思われる学生が、リヤカーを引きながらステージの建設準備を行っている。本当の準備日は明日だが、今日も忙しそう。きっと何日も前から準備を進めて来ているんだろうな。表情も、何だか生き生きしている。
「大樹くんは土曜日に来られるかもしれないみたいだし、私たちもその日に緋陽里の大学に行こうか!」
「そうですね! どんなところなのか、楽しみです!」
「『七城祭』はすごいよ! 毎年ミスコンも盛り上がるって言っていたし」
ミスコン。大学祭ならではの行事だ。特に七城は女子大だし、そりゃ盛り上がるんだろうな。出ないとは思うけど、緋陽里さんも出たら優勝を狙えるんじゃないか?
「緋陽里さんは、何をするんですか?」
「う~ん。聞いてないけど、茶道部だからそれっぽいことやるんじゃない? 抹茶作り体験とか。去年も二年前もそうだったし」
緋陽里さんが茶道部だったのを初めて知る俺。いつも洋装のカフェで働いているけど、着物を着ている姿も容易に想像できる。ていうか、不思議とそっちの方がしっくりくるぞ。けど、和服に金髪か。そこに居るだけで見事な和洋折衷を体現しているな。
「朱里は何するんでしょうね? やっぱり絵ですか?」
「朱里ちゃんの美術部は、もちろん絵も描くけど、毎年演劇をやっているみたいよ? 伝統なんだって」
……朱里って、演劇できるのか? 大樹の前だとびっくりするぐらいカチコチになるし、向いていないんじゃ。
「ふふっ。今年は翔ちゃんと一緒に回れるなんて、嬉しいな♪」
「そうですね! 僕も毎年、特別仲がいい人とは回ったことがなかったので、今年はすごく楽しみです!」
大樹はいつも屋台やサークルで忙しそうだったから、学科の知り合いと回っていたんだよな。それはそれで楽しかったけどね。
「そうだ、翔ちゃん。それならさ……」
ミド姉の提案に俺は快諾した。七城女子大学か。今年の大学祭は、特別楽しくなるような気がしてきたぞ!
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