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第33話「岡村翔平は告白したい」②

 真っ直ぐにこちらを見つめるミド姉。俺はただただ驚いて、口を開いていることしかできなかった。冬が近づく寒い日だというのに、額から汗が流れていく。


「な、何で……?」

「前から考えていたんだよ。今までの三年間、私の作品は編集の目に留まらなかった。今だってそう。だからもう、やめようかなって」

「何言ってるんですか、ミド姉!? 賞は!? せっかく賞に応募できたんじゃないですか! ようやく一歩、夢に近づいたんじゃないですか!」

「うん。けどさ、もう卒業まで半年もない。就職してからは、きっと絵を描く時間だってほとんど作れない。受賞しても、漫画家になるにはまだ足りない。だから、……」

「せっかくここまで頑張ってきたんじゃないですか! それなのに、諦めるんですか? お母さんにも認めてもらえたっていうのに!」


 信じられなかった。四月からのミド姉の姿しか俺は知らないけれど、それ以前の三年間も必死で努力してきたはずだ。長い期間をかけて、積み上げてきたはずだ。それに、順調に今、階段を上っている最中なのに、どうして急にそんなことを言うのか分からなかった。


「ごめんなさい、(しょう)ちゃん。せっかく弟のモデルまで引き受けてもらったというのに」


 ふっ、と目を逸らすミド姉。そんな簡単に夢を諦めるなんてミド姉らしくもない……。そんなのって……。


「やめてくださいよミド姉! 何言ってるんですか! 確かに今までは編集の目に留まらなかったかもしれないですけど、今年は違うんでしょう!? 自信のある作品を作れたんでしょう!? 編集さんのお墨付きで賞に応募できたんでしょう!?」


 必死にミド姉に話す俺。どうしてこんなに自信がないようなことを言っているのか分からないけど、ミド姉はそんなことないはずなんだ! 十分に漫画家になれる素質を持っているんだ!


「ミド姉の漫画は面白いですよ! 僕が保証します! だからせめてこの半年間は頑張りましょうよ! ミド姉なら、きっと漫画家にも手が届きますよ!」

「翔ちゃん……」


 俺がそう言うと、何故かミド姉は目を閉じて、安心したような表情を見せた。急な態度の変わり方だ。

 だが、違和感がある。その安心した表情は、一体どこから生まれたものなんだ? 俺がまた応援したから? そもそも、何でミド姉は急にこんなぶっこんだ話を……。


「翔ちゃん、また言ってくれたね……。私の漫画は面白い。私なら大丈夫。漫画家になれるって」

「へ?」

「前にも言ってくれたよね。私の実家でさ、私のことを信じているって」

「は、はい。言いましたね」


 あの時のことを思い出す。ミド姉の母親に放った一言。無我夢中で繰り出した言葉だったが、全て本心だ。今ミド姉へ向けた言葉だって、何も偽りの言葉はない。



「さっき翔ちゃんは、人を信じる心さえ持っていないと言ったわよね。けど、そんなことないよ。だってほら……、こんなに私のことを信じてくれているじゃない?」



 ミド姉の言葉に俺は気付かされる。驚愕の眼でミド姉を見ると、ミド姉は笑っていた。


「翔ちゃんは、やっぱり翔ちゃんだね。ほら、人を信じる心なんて、失っていないのよ」

「そ、それは……」

「だからさ、お付き合いする女の人のことだって、信じられるはずだよ? 翔ちゃんには、それができる!」


 ミド姉の理屈は分かった。俺が信じる心を失っていないということを確認するために、あえて漫画をやめるなんて言ったのか。まさに捨て身。嘘も方便も使えないミド姉が、俺のために……。

 けど、ここまでされてなお、俺は完全に信じきれていないものがある。


「こんなこじらせた、情けない僕でも?」


 モモにじゃない。どうしようもない自分自身に対してだ。


「少なくとも、私は翔ちゃんを信じるよ! それに翔ちゃんは、情けなくなんかない! (もも)ちゃんだって、そんな翔ちゃんだから好きになったんだよ。桃ちゃんだって、絶対に翔ちゃんを信じているに決まっている!」


 必死に訴え掛けるミド姉。そんな言葉に俺はどこか既視感を覚えていた。


 ……そうだ、俺だ。実家からミド姉を連れて帰るとき、母親に対して説得した俺の言葉に似ている。あの時俺は、ミド姉を信じてその言葉を発していた。このミド姉の言葉も……。



「だから翔ちゃんも、私を……、桃ちゃんを信じて! 翔ちゃんは、それができる人でしょ!?」



 その一言で、俺はガラスが砕け散るように、閉塞された心が広がる感覚を得た。まるで、狭い部屋に穴が空いたかのような。そして、そこに光が差し込んだかのような、奇妙な感覚。


『ワタシを信じてください!』


 (あお)に言われなかった一言。俺が碧に二度求めたが、結局一度も使われなかった一言。俺は、この言葉が欲しかったんだ……。この言葉さえあれば良かったんだ……。


「ミド姉……」


 前に歩を進め、ミド姉に近づく。しっかり目を見て、


「ありがとうございます、ミド姉」


 潤んだ瞳を見せながら、笑顔でお礼を言った。この人の一言は、確実に俺の心に響いた。同時に、卑屈になっていた心が浄化された気がする。結果はどうなるか分からない。けど、まずは信じることが大事。今では、そう考えることができる。


「僕はもう、大丈夫です!」

「翔ちゃん……。良かった! 良かったーー!!」


 俺に抱きついて、泣いて喜ぶミド姉。何でこの人が泣くんだか……。泣きたいのは、不甲斐なかったこっちの方だっていうのに……。


 それでも、この愛情が心地いい。


「色々と、ご迷惑をおかけしました」

「ううん、いいのよ! 私は君のお姉ちゃんなんだから、お姉ちゃんが弟を助けるのは、当然でしょ?」

「はは、どこかで聞いたことのある言葉ですね。けど……、はい。そうかもしれませんね」


 お姉ちゃんか……。ミド姉の中では、やはり俺に対しての認識は弟という方が強いらしい。それでも、今のミド姉はまさしく、『お姉ちゃん』だ。俺の姉がミド姉で、本当に良かった……。


「ミド姉、立ち直らせてくれてありがとうございます。そして、僕にはまだ、モモに清算しなければならないことがあります。なので、行ってきます!」

「うん、そうだね。ちゃんと答えを出してあげて。けど今、桃ちゃんはアルバイトよ? だから、今からは無理だと思うよ?」

「そういえばそうでしたね……。では、モモのアルバイト終わりを狙って、行ってきます。それで、その後なんですけど、ミド姉に伝えたいことがあります。なので、ミド姉の家の近くにある公園に来てくれませんか?」

「え? 公園? 家じゃダメなの?」

「はい。できれば外でお願いします」

「……? うん、分かった。それじゃあ、夜の六時くらいに、待っているね」

「はい!」


 俺にはまだ、やるべきことが残っている。最低な返事をしてしまったモモへ、正真正銘、誠意を込めた告白の返事をしなければ。そして、……。


 俺はもう、大丈夫だ。前を向いて歩いていける。またミド姉が大事なことを教えてくれた。やっぱり俺の『姉』は素晴らしい人だ。そんな姉の苦労に報いるためにも、モモには聞いて欲しい。俺の気持ちを!


 *


 午後五時。モモのバイトが終わる時間だ。俺は、あらかじめ彼女にメッセージを送った。


『バイトが終わったら、喫茶店の近くにある広場に来て欲しい』


 モモは、来てくれるのだろうか。告白を二度も断り、元気づけようとしてくれたモモを拒絶した。俺はモモの好意も厚意も全て無駄にしてしまったのだ。ひょっとしたら、本当に俺の顔も見たくないくらい、心変わりしている可能性もある。


 だが、それは杞憂だった。遊歩道を通ってこちらに来る女性。モモだ。


「翔平くん。……急にどうしたの?」

「モモ……」


 広場の中央に立つ俺とモモ。以前、朱里(しゅり)と対峙した時に一度だけ寄ったことがある。雑草とベンチしかない広場だ。それゆえ、あまり人が立ち寄らない。このように二人で話すにはちょうどいい。


「モモ、この前はごめん! モモの告白に対して、失礼な態度で返事をしてしまって!」


 俺は、単刀直入にモモへと謝罪した。深々と頭を下げ、しばらくの間その体勢を維持した。


「それに今日だって、聞く耳を持たなくてごめん。モモは俺を元気づけようとしてくれたのに、俺は終始落ち込んでいて、モモの気持ちを何も考えていなかった……」

翔平(しょうへい)くん……」

「そして、ありがとう。心配してくれて……」


 謝罪と同時に感謝の気持ちも込める。本当なら俺に構う義理だってなかったんだ。俺はモモの告白を無下にしてしまったのだから、放っておくこともできたんだ。けれど、モモは俺を心配してくれた。今なら、それがどれだけありがたいことなのか、痛いほど分かる。


「もしかして、立ち直れたの?」

「うん。あの時の俺は……、いや、今までの俺は、とんでもなく弱気だった。けど、もう大丈夫。恋愛に臆病な俺じゃない。少なくとも、自信がないからという理由で、恋愛を避けるような考えは、もうしない」

「そっか……! 良かった! 本当に良かったよ! このまま、翔平くんがあのままだったら、わたし、どうしようかと……」


 安堵な笑みを浮かべるモモ。心の底から心配してくれていたのが伝わる。俺は、良い女性に好きになってもらえたんだな。俺なんかにはもったいないくらいだ。……これは自虐の表現じゃない。


「ミドちゃんが、何とかしてくれたんだね?」

「うん。ミド姉の言葉で、目が覚めたよ。本当に、ミド姉には感謝しかない」

「そっか……。流石はお姉ちゃんだね……。弟のことは、何でも分かってるんだ……」


 少し悔しそうな顔をして、顔を下げるモモ。だが俺は、モモにも、ミド姉と同じくらいの感謝をしているんだ。


「もちろん、モモにもだ。自分勝手だった俺の話をこうして聴きに来てくれるなんて、本当に感謝している。ありがとう」

「ううん。そんなのわけないよ。だって、好きな人だもの。心配だってするよ」


 そして、こうしてまだ俺のことを好きだと言ってくれるモモ。そう言ったモモの笑顔に、俺は少しドキっとしてしまう。


「それでモモ。改めて、俺に告白の返事をさせて欲しい。今度は、この前のような不誠実なものじゃない。ちゃんと、返事をする……」

「……うん」


 訪れる沈黙。俺は、モモの瞳をしっかりと見据える。モモもだ。瞳を潤ませながら、不安そうに俺を見て、返事を待つ。


 深呼吸を軽く行い、心臓を落ち着かせる。そして……、俺は答えを出した。



「俺は、モモとは付き合えない。好きな人がいるんだ」



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