第33話「岡村翔平は告白したい」①
岡村翔平
中間試験の問題を解きながら、俺はモモのことを考える。
モモは、俺のことを元気づけようとしてくれていたんだよね。どうしようもない理由で告白を断った俺のことを、真剣に考えてくれるなんて、やっぱり素敵な女性だ。
そう考えると、ますます俺となど釣り合わないと感じる。モモは俺のことを魅力がたくさんあると言ってくれたけど、そんなことなんてないんだ。女性をつなぎとめておけるだけの自信や器量も何もない。そんな俺がモモやミド姉と付き合うだって? いや、無理だよ。
分かってるよ。大樹やモモの言う通り、いつまでもこんな風に過去に縛られていてはいけないってことくらい。けど、今は無理なんだ。
かと言って、モモにこれからも俺のことを好きでいてくれだなんて、言えるはずもない。そんなのただの、キープ男だ。ずる賢い男にはなりたくない。
だから、モモにはああいう断り方しかできなかった。以前のような、『友人としてしか見ていなかった』とは言えなかった。『ミド姉のことを気になり始めたから』とも。嘘がつけなかった。
雑念ばかりが頭に浮かび、テストに集中できない。まぁいいや。中間試験は三回あるんだ。期末だってある。これ一回で単位の可否が決まるわけでもないだろう。
静かな教室の中で、俺はひたすら問題を解き続けた。すでに終えて退出するものも多かったが、俺はその教室に残り問題を解き続けた。次第にスペースが増えていく教室。結局俺が問題を解き終えたのは、試験終了の五分前のことだった。
*
試験が終わり、俺は理系棟から駅やアーケードのある方向へ歩く。今日はこれで講義はおしまいだ。さて、これから何をしようか。
一応、公務員の参考書は持ってきている。けど、ここ数日全く集中できないな。落ち込んでいる時や体調の悪い時ほど勉強がはかどるなんて言うけれど、ウソだったのか。ページを開くとどうもやる気が起きなくなる。
図書館でちょっと勉強していこうかと思っていたけど、帰るか。
そうだ。大樹でも誘って、ゲーセンに新しく出た格闘ゲームでもしよう。気を紛らわすのが一番だ。できないときに無理にする必要なんてない。そのうちまた、やる気になるときがあるんだから。
……勉強だって、恋だって、今無理してやらなくてもいい。
理系棟からアーケードにつながる道に立つ図書館。俺は、そこを素通りしようと横目にみながら歩く。だが、横を向いたとき、視界に入ってきた女性を見て、歩を止めた。
「……ミド姉?」
「翔ちゃん、待ってたよ」
ミド姉だった。ミド姉が図書館にいるなんて、本当に珍しい。文系棟から離れているため、基本的に文系の学生はここを利用しない。俺も今まで、ミド姉と図書館で会ったことはなかったから、少し驚いた。
「ミド姉、どうしたんですか? こんなところで?」
「翔ちゃんに、ちょっと話があるの」
「僕に……ですか?」
いつものような快活さはなく、どことなく真剣な表情。俺は、なんとなくミド姉からされる話の内容が推測できてしまった。だが、断る理由はない。
承諾し、図書館の裏手にある、池がある広場に来た。理系棟の学生にとっての癒し空間ではあるが、利用者は少ない。本当に池とその周りに草木が生えているだけで、座るスペースもないからだ。
正道から外れた芝生地帯まで来ると、ミド姉は俺の方を振り返り、聞いてきた。
「翔ちゃん、桃ちゃんの告白を断ったんだって?」
そうか。ミド姉はそもそも、俺がモモに告白されたことすら知らないんだ。誰かから聞いたのであろう事実を俺に質問する。俺も、それに対して淡々と回答した。
「はい。断りましたよ」
「それって、どうして?」
「どうしてって……」
なんとなく、言いづらかった。先程モモに聞かれたことと本質は同じ質問なのだが、話していて気持ちのいい理由ではないので、何度言おうとしても慣れるわけない。
「それは、翔ちゃんの元カノとのことが関係しているのよね?」
「……」
やはりミド姉はすでに知っていた。となると、モモや大樹からすべての事情を聞いていると見ていいだろう。俺は、そう考えてミド姉に返答した。
「はい、そうですよ。今の僕には、恋愛なんて無理です」
少し前まで、意識していた女性に対して根本的な拒絶の意思を見せる俺。バカみたいだ。でも仕方がない。思い出してしまったのだから……。
「碧に……、元カノに会って、改めてそう感じました。カノジョと別れたあの時だって、そうでしたよ。長いこと付き合っていても……、どれだけ楽しそうに見えても……、想いは変わる。それが、恋なんです。そこを乗り越える技量を持つ人だけが、お付き合いを続けていけるんです。けど、僕にはその技量がない。そんな僕と付き合っても、モモは幸せにはなれません」
例えば、大樹みたいな。大樹なら、そういうポテンシャルは十分に兼ね備えている。今はカノジョがいないけど、その気になれば何年だって付き合っていけると思う。それこそ、朱里とだって。
暗い顔をしてそう話す俺にミド姉は、いつもは見せないような、眉間にしわをよせた表情でこちらを見る。
「翔ちゃん。私、ちょっと怒っているからね?」
「……ミド姉?」
「今回の桃ちゃんの告白は、今までずっと翔ちゃんに対して想ってきた、好きっていう気持ちを全てぶつけたものなのよ? それを、『以前元カノとうまくいかなかったから自信がない』と言って断るのは、失礼じゃない? 元カノのことがまだ好きとか、桃ちゃんと付き合いたいと思わないといったものなら仕方ないと思うけど、それは、ただ翔ちゃんが過去から逃げているだけよ」
痛いところを突いてくる。俺が内心感じていたことをミド姉は的確に指摘した。確かにその通りなのだ。今回の俺の返事はモモへの適切な返事の仕方としては間違っている。
「その翔ちゃんの元カノがそうだったからって、桃ちゃんがそうだなんて、限らないじゃない?」
ミド姉の言う通り。
なにせ、今回の俺の返事は言ってしまえば、『碧とモモが同じような人間で信用できない』と言っていることと同じなのだ。『今は恋愛をしたくない』という答えとはまた違う。同じ性格の人間として、俺が勝手に同一カテゴリーに当てはめてしまっているだけの答え方なのだ。そのような返事を聞いて、モモが気を悪くしないはずがない。
「確かにそうです。けど、恋愛初期の心を持ち続けられる人なんて、いませんよ。今の友人関係ならいいですけど、恋人となると、どうか分かりません。僕はそれが怖いんです」
モモにも言った。突然俺よりいい男が現れ、離れていく。そうならない保証はどこにもない。例え、どれだけ順調に交際していてもだ。
ミド姉は俺のそんな言葉を聞いて、より一層必死に訴えかけた。
「確かにその通りかもしれないよ! 誰かを好きになって、付き合って、ずっと一緒にいたい。みんな最初はそう思って、けど、知らず知らずに心は変わって……。不変の心を持つ人なんて、いないのかもしれない」
悔しそうな表情を見せるミド姉。ミド姉も本質的にはその考えを理解しているのだろう。だが、ミド姉は続けた。
「けど、それでいいんだよ! だったら、その度に二人で話し合ったり喧嘩したり、悪いところは直し合ったりすればいいんだよ! そうやって、段々絆が生まれるんでしょ?」
「それは分かっていますよ。けど、そうやって絆を生んでも、碧は離れていきました。結局、これは僕の力不足が原因だったんです」
「いい加減に人をみんな一緒に考えるのはやめようよ、翔ちゃん。翔ちゃんの元カノは元カノ。桃ちゃんは桃ちゃんでしょ? 人はみんな違うし、碧ちゃんには碧ちゃん、桃ちゃんには桃ちゃんの物語があるんだよ? それを一緒にすること自体が間違っているんだよ」
人から言葉に出して言われることで、初めて自分の認識が甘かったと思うことがある。確かに俺の勝手な事情で、碧とモモを同じとして見なすことは、とんでもなく失礼なことだった。ミド姉が怒るのだって最もだ。あの時の俺はどうかしていたな。
それなら……、もう少しうまい断り方を用意しておけばよかったかな?
「確かに、桃ちゃんが翔ちゃんと付き合って、他の人を好きになる可能性はあるかもしれないよ。けどさ、今の桃ちゃんはそんなことしないって、翔ちゃんに言ったんじゃないの?」
「はい、言っていましたね」
「だったらさ、桃ちゃんの言葉を信じてあげようよ! お互いがお互いを信じないと、人間関係は何も生まれないんだからさ!」
正論だ。まさしく正論。本当にその通りだと思う。ミド姉の言葉は、いつだって前向きでそれでいて正しいと思う。
「すみません。僕が間違っていました。碧とモモを同じと考えるなんて、失礼なことでした。モモは、本当に良い奴ですよ。一緒にいて楽しくて、気軽で」
俺は本心を表に出す。二度目の返事の前に考えていたモモのたくさんの魅力を口に出し、微笑する。だけど、
「けどやっぱり、不安はあります。こんな自信のない僕のことを、本当に好きでいてくれるのか……。情けない姿を見て、愛想つかされるんじゃないか。そう思ってしまいます」
「翔ちゃん……」
「……はは。結局僕には、どうしようもなく『自信がない』ってことですよね。頭では理解していても、身構えてしまう。救いようがないくらい弱い奴ですよ……。大切な友人のことを信じてあげることすらできません。ひょっとしたら僕は、人を信じる心さえ持っていなかったのかもしれませんね……」
自虐的にそう話す。そうでもしないと、自分を許せなかったんだ。モモのことを無駄に傷つけてしまったんだから……。モモはああ言っていたけど、きっと俺のことを見損なっているだろう。
沈黙が俺たちを包む。大学の外れで、講義の時間である今は、周りには誰もいない。秋の冷たい風の音だけが俺たちの耳に響く。
ミド姉は何も言わない。かける言葉を失ってしまったのだろうか。ダメな設定上の弟のために、こんなに頑張ってくれたのに申し訳ないな。
ミド姉は下を向いてしまった。ミド姉だってそうだ。ここまで必死に俺を慰めようとしても、俺が拒否しているわけなんだ。愛想を尽かしているかもしれない。
「翔ちゃん……。私さ……」
ようやくミド姉が口を開いたと思ったら、その言葉は俺に衝撃を与えた。
「漫画描くの、やめるよ」