吸血鬼の弱点
「ほれ」
そんな間の抜けた言葉とともに、何かを投げ渡される。
放物線を描いて手の内に収まったそれは、酒を懐にいれておくための入れ物だ。
名前はたしか、スキットルだったか。
「ウォッカでも入ってるのか?」
スキットルと言えば、ウォッカが入っている印象がある。
かるく底を振ってみると、中身が波打つのがわかった。
「いいや、違う。まぁ、酒のように酔うものではあるかのう」
酒のように酔うもの。
吸血鬼の口から出る言葉として捉えると、中身はよういに想像がつく。
「誰から搾り取ったんだ?」
「人聞きの悪いことを言うでない。献上されたものじゃよ。なにせ、儂は街を歩けば男女問わず、誰もが振り向くほどの美女だからのう。夜にすこしふらつくだけで血には困らん」
自分で言うか、普通。
まぁ、事実は事実だが。
「殺してないだろうな」
「無論じゃ。今更、無抵抗の人間をなぶって殺そうとは思わんよ。もう随分とまえに飽いたからのう。じゃから、そうして今そこに立っていられるのじゃぞ? コクト」
「……なら、いい」
殺しに飽いて、気まぐれに人を救った。
それがたまたま俺だった。
もはやカーミラは戦いには惹かれても、殺しには惹かれない。
「で、これを俺に渡してどうしろって?」
「どうもこうもない。必要になった時に飲めばよい。どうせ、人間化したままでは、またままならぬことが起こるじゃろう。一度あったことは、二度起こる。二度あることは三度ある。この世の常じゃ」
「それでも俺は……」
「人間でいたいか? それも良かろう。じゃが、心しておけ、コクト。意地を通すにも限界があると。ゆめゆめ忘れるな。人間も、吸血鬼もない。その力はほかならぬお前自身が築き上げたものじゃ」
「……あぁ」
手の平に目を落とし、なにもない空を握る。
「もう行く」
「あぁ、また血を抜きにくるといい。いつでも歓迎するからのう。もちろん、そこの娘もな」
その言葉にカリンはまた警戒と緊張の糸を張る。
だから、それを緩ませるためにそっと肩に手を置き、それから二人で部屋を後にした。
「――聞きたいことが山ほどある」
「だろうな。ちょうどいい、この館を出るまでなら質問に答えてもいいぜ」
それを受けてカリンは一度、大きく息を吸って吐く。
「あそこにいた女性は、本当に吸血鬼か?」
「あぁ、数少ない純血種の生き残りだ」
カーミラ以外にも、この世界のどこかにいるらしいが居場所は知らない。
何百年もまえに別れてから、同種の吸血鬼には一度も会っていないらしい。
「なら、どうして彼女は灰にならないんだ。誰もが知る弱点のはずだろ。日光は」
たしかに、疑問に思うのも無理はない。
それは多くの人間が誤解していることだからだ。
「弱点のことを話すまえに、まずは質問だ。吸血鬼の弱点をいくつくらい言える」
「いくつって、えーっと。日光だろ? 十字架。ニンニク。聖水。木の杭。銀の弾丸。あとは流水を渡れないとか、招かれないと家に入れないとか。それくらいか」
「たしかに代表的なのはそれくらいだな。でも、実際の吸血鬼にそれらはほぼほぼ通用しない。日光を浴びようが、十字架を掲げられようが、ニンニクを投げつけられようが、聖水を浴びせられようが、木の杭で、銀の弾丸で心臓を穿たれようが、だ。その程度で吸血鬼は死なないんだ」
流水だって軽く渡れるし、招かれなくても家に入れる。
もしそれが本当なら、登下校だってままならない。
「だから、どうしてだって聞いているんだ。私は」
「簡単に言えば、後世の人間がそういう風に捏造したからだよ。いや、言いかたが悪いな。もともと民間伝承だったものが、転じて吸血鬼の弱点として一般化したって言ったほうが正しいかもな」
「民間伝承?」
ここで詳しく民間伝承のことを言っても、時間が足りないな。
ここは不必要なことを省略して、噛み砕いて話すとしよう。
「死体の吸血鬼化に関する伝承のことだ。どこどこの誰それが、死んだ後に吸血鬼になった。だから、次から死体が吸血鬼にならないように、墓にこんな対策をしました。って内容のな」
「それが……日光とか十字架ってことか?」
「そう。もともと吸血鬼は夜の住人だ。だから対となる日光を死体に浴びせた。十字架や聖水、銀には昔から魔を払う効果があるとされているから、一緒に墓に入れて埋葬した。ニンニクは、ほら殺菌能力が凄いし、匂いがキツい。だから、吸血鬼が死体に寄りつかなくなると考えた」
「木の杭は」
「起き上がらないようにするためだよ。もし仮に対策がすべてダメになっても、木の杭で死体を打ち付けておけば起き上がれないだろ? 昔の人はそれで吸血鬼化が防げると考えていたんだ」
「……たしかに筋は通ってる」
もっとも、これらすべてはカーミラの受け売りだ。
俺は人間と同じ感覚で歳を取るから、昔のことはカーミラにしかわからない。
「ほかの弱点は地域差による伝承の違いってところだろ。吸血鬼が姿を消して久しいころに出来たものだ。否定する奴も、確かめる機会も、それほどない。伝承が一人歩きして弱点として認知されるのも、それはそれで自然なことなんだろうさ」
お陰でほとんどの人間は、吸血鬼がすべて滅んだと信じている。
すくなくとも面白可笑しく吸血鬼が出た、と噂する程度には。
「もし仮に、本当に吸血鬼に弱点がないなら、どうして種族ごと姿を消したんだ?」
「あぁ、それか。それは――おっと、残念。時間切れだ」
いつの間にか洋館の出入り口にまでたどり着いていた。
もともと、それほど距離があった訳でもないし、このくらいが切り上げ時だろう。
「質疑応答はこれまでだ。ご理解してくれ」
「……しようがないな。もともと、そう言う条件だったし。でも、最後にこれだけ聞かせてくれ」
「なんだ?」
「コクトは、どうして学園に通っているんだ? 人間として、あんなに弱体化しながら」
「理由か」
まぁ、まだ洋館の中にいることだし、最後の質問だと言うのなら受け付けよう。
「俺は最近までこの洋館に住んでいたんだ。人間と関わり合いになることなく、な」
カーミラの方針で、俺は吸血鬼として育てられてきた。
人ではなく、鬼として生きてきた。
「でも、ある時、思ったんだ。もっと広い世界を見たい。同世代の人たちと遊んだり、学んだりしてみたいってな。だから、カーミラの反対を押し切って、アスイマに入学したんだ。まぁ、簡単に言うなら――」
そう、これはとても単純な理由だ。
「青春がしたかった。これに尽きる」
「――ふっ、ふふふっ」
「あん?」
「あっはっはっはっはっ!」
腹を抱えて、カリンは笑う。
よほど予想外の回答だったらしい。
息も絶え絶えになるほど、笑っていた。
「そんなに可笑しいか?」
「い、いや。笑って悪かったよ。でも、あまりにも普通なことでさ。なんか、こう、もっと特別な何かがあると思っていたものだから、つい」
「いいだろ。吸血鬼だって青春がしたいんだよ」
「あぁ、そうだな。そう言うところは、人間も吸血鬼もないよな。うん、やっぱり、私は間違ってなかった。いま、ようやく自分の中で答えが出せた気がするよ」
そう言ってカリンはまた、にっと笑った。
カリンはカリンで、自身の判断が正しいか否か、悩んでいたようだ。
だが、それも解消されたらしい。
「そうかい。そいつはよかったよ」
洋館の出入り口に手をかけ、扉を押し開く。
薄暗い室内に射し込む光はまぶしく、だが不思議と嫌ではない感覚がした。
吸血鬼という種は闇に沈んだが、こうして浮かんで見れば光が射す。
そのことがすこし嬉しくて、思わず頬が緩んだのだった。