丸坊主にしてやる
快晴の空のもと、太陽の加護のもと。
吸血鬼化したままの俺は、街のとある一角を目指していた。
「――静かってのはいいもんだな」
魔人の駆除を成功させてからと言うもの、俺とカリンは静寂を剥奪されていた。
なにせ、相手はあの魔人である。
基本、生徒が束になってかかる大型魔獣よりも、更に危険視される存在だ。
それを、たった二人で駆除したのだ。これで騒がない生徒や教師はいない。
どうやって? どんな風に? どんな手段で? どんな判断を? どの魔法で? などなど。
思い出すだけで頭が痛くなってくるほど、酷い質問攻めを受けていた。
それは見かねたライザ先生が、調整した小休暇を無理矢理差し込んでくれるほど。
お陰で、質問の嵐から逃れられ、こうして剥奪された静寂を満喫することが出来ている。
しかし、その静寂も、またしばらくは帰ってこないだろう。
「なぁ、そう思うだろ?」
そう、背後に向かって声を投げる。
普段なら気がつかないだろうが、いまの俺は吸血鬼化している。
些細な気配や足音で、尾行は簡単に看破できた。
「カリン」
とどめとばかりに名前を呼ぶ。
すると、観念したように物陰から姿を現した。
「バレてたのか」
「当然だろ? 吸血鬼なめんなよ」
「簡単にその言葉が出てくるあたり、周りには人がいないみたいだな」
無論、周囲に人がいないことは確認済みだ。
路地の裏にも、屋根の上にも、この道の先にも後にも、人はいない。
吸血鬼の感覚をもってすれば、それくらいのことは容易く探知できる。
「それで? 俺を尾行して何か収穫はあったか?」
「いいや、残念ながら」
「まぁ、だろうな」
まだ尾行の途中のようだったしな。
「それじゃあ、用件を聞こうか。どうして尾行してたんだ?」
「吸血鬼がどんな休暇を送るのか、気になったんだよ」
そうは言うものの、カリンはしっかりと帯刀している。
いつでも刀が抜けるようにしている。
恐らく、カリンの行動理由はこうだ。
数日経って頭が冴え、吸血鬼という存在の重大さを再認識した。
かと思えば、とうの本人は小休暇で街に繰り出している。
吸血鬼ならば、自身にそうしたように人の血を吸うはず。
なら、いつもは誰の血を吸っているのか。
もしかして、街の住人を襲っているのかも知れない。
憶測だが、こんなところだろう。
「なるほど」
ある程度の納得がいって、カリンに背中を見せる。
それからゆっくりと歩き出した。
「知りたいなら付いてこいよ」
「どこへ、何をしにいくんだ?」
「吸血鬼のところへ、人間に戻りにいくんだよ」
そう言って足は当初の目的地へと向かう。
吸血鬼、その純血種たる女のもとへ。
「――よう、帰ってきたぞ」
街の一角にある古ぼけた洋館の最奥。
日の光が射し込む天窓の真下に、座した吸血鬼は照らし出されていた。
「久しいのう、コクト。なんじゃ? 儂が恋しくなったか?」
「そんな訳ないだろ。用事があってきたんだよ」
純血の吸血鬼、カーミラ。
人類史の影に沈み、滅びかけた種族の生き残り。
黄金の髪に、血色の瞳をもつ、絶世の美女。
俺の命の恩人であり、親代わりでもある。
「ふむ、用事か――ほう、ついに血を吸ったか」
「あぁ、だから戻してほしいんだ。比率をさ」
人間と吸血鬼。その両方の血が、俺には流れている。
吸血鬼化、そして人間化には、この二つの血の比率が大きく関係しているのだ。
単純に人間としての血が多い場合は人間化し、逆ならば吸血鬼化する。
吸血鬼化するには、カリンにそうしたように吸血をすればいい。だが、人間化するには面倒なことにカーミラに吸血してもらわなければならない。
つまり、それは吸血鬼化して増えた分だけ血を吸い出してもらうということ。
そうすれば比率が元に戻り、吸血鬼化が解けて人間化するという算段だ。
「なるほどのう。で、その後ろにおる娘がそうか」
その血色の瞳が、カリンを捕らえる。
カリンはと言えば、まるで蛇に睨まれた蛙だった。
まさか純血の吸血鬼に会うことになるとは、思わなかったのだろう。
カーミラを一目見た瞬間から一言も言葉を発していない。
ただ目を見開いて、目の前の現実を必死に噛み砕いて理解しようと努めている。
「めでたいことじゃ。あのコクトがついに伴侶を連れてくるとは」
「はんッ!?」
伴侶という言葉に反応して、ようやくカリンから声が出る。
それは奇天烈なものだったが、これで普通に話せるようになるだろう。
「誤解するな、そんなんじゃない」
「なに? 伴侶でもないのなら、なにゆえその娘はそこにおるのじゃ。この吸血鬼の根城に」
「ちょいとやむを得ない事情があって、正体を明かしたんだよ。で、あとは成り行きでこうなった」
「ほう。なれば、口止めをせねばならぬな」
そう言ったカーミラの口元が緩む。
カリンにしてみれば、それは宣戦布告に聞こえただろう。
今からお前を殺すと、死刑宣告のように捉えたかも知れない。
その証拠にカリンは即座に刀に手をかけた。
食い入るようにカーミラを捕らえ、緊張と警戒の糸を最大限まで張り詰めさせる。その場の空気が一気に張り詰め、だから、俺はその必要はないと包み隠すようにカリンの前に立つ。
「悪い冗談はよせ。その気もないくせに、からかうな」
「なんじゃ。せっかく儂が遊んでやろうと思っておったのに」
「あんたにとっちゃ遊びだろうが、人間には死刑宣告なんだよ。いい加減、そのことを自覚しろ。俺が何度それで泣かされたと思ってんだ」
遊びと称して外に連れ出され、全身を複雑骨折して帰ってくる。時には腕がもげたこともあった。足が千切れたこともあったし、腹に穴が空いたこともあった。
カーミラの遊びは遊びじゃあない、死刑だ。
「むぅ……まぁ、よい。そこの娘……カリンと言ったか」
「な、なんだよ」
「儂の存在は、特に隠したりせずともよいぞ。吸血鬼狩りと称して、大挙として押し寄せてもよい。儂はこの場から動かぬのでな、好きに攻めてくるがいい。暇つぶしにはなるじゃろう」
「だから」
「わかっておる。友好的なのじゃろう? だから、これは気が変わった時にでも、そうしてくれと言っておるだけじゃ。最近、暇を持て余しすぎて敵わんのじゃあ。これくらいは許しとくれ」
「……まったく」
そう言えば、例の件を確かめないとな。
「なぁ。あんた、もしかして最近、夜に出歩いたか?」
「ん? あぁ、出歩いた。月がよく映える夜じゃったからの。ここから見上げる四角い空だけでは満足できんかった。んむ? なぜ、それを知っておるのじゃ」
「噂になってるからだよ。吸血鬼が夜の街を徘徊してるってな」
あの時、マルスから聞いた噂は本当だった。
まさか、とは思っていたが、確認しに来てみると案の定だ。
「せめて髪を別の色に染めたらどうだ? 出来るだろ、それくらい」
「出来るが、嫌じゃ。この髪は儂の誇りじゃ。染めるくらいなら丸坊主にしてやる」
「そんなに嫌か」
まぁ、髪は女の命と言うほどだ。
何百年と生きていようと、その本質は変わらないのかも知れないな。
「まぁ、いい。今度から気を付けてくれ。いたずらに街を騒がしたくないからな」
「善処するとしよう。では、コクト」
「あぁ」
返事をして、カーミラの側にまで向かう。
そして、牙は首筋に突き立てられる。
吸血鬼としての血液が失われ、塗り潰されていた人間性が僅かに顔を覗かせる。
こうして、俺は再び吸血鬼から人間へと戻ったのだった。