狂ったように
吸血鬼と相対している。
その事実を知った魔人は、だからか黒剣を強く握りしめる。
「純血種ならいざ知らず」
剣先を向け、殺意を向け、黒剣は構えられる。
「眷属ならば、勝機はある」
「試してみるか」
「無論だ」
そして、魔人は地を駆った。
低く這うようにして迫り、繰り出される剣撃が這い上がる。
それは常人には反応することすら出来ない速度で放たれた。
しかし、この目にはよく見えている。吸血鬼の動体視力なら、捕らえられる。軌道も、到達点も、どのタイミングで、どう刀を差し込めば、それを防げるかも、理解できる。
それを成す魔力と身体能力も十分だ。
渾身の一撃を、だから軽く弾いた。
描いた軌道から著しく逸れた黒剣は、あらぬ方向へと剣先を向ける。
しかし、すぐに軌道修正され、再び黒剣は振るわれた。
幾度となく、嵐の如く剣撃は放たれる。幾通りもの太刀筋を描き、幾つものを虚空を裂く。けれど、そのいずれもがこの身には届かない。
黒剣のすべては白刃に阻まれる。
「――くぅッ」
打ち合いの最中、斬撃の編み目に、微かな隙を見る。
それは針に糸を通すような、極めて小さなもの。
だが、この目と身体から織りなす剣技に、それを突けない道理はない。
狙い澄まし、引き絞り、解き放つ。
剣閃は狂いなく間隙を縫って魔人へと向かい、その額を捕らえる。
けれど、剣先はそれを目前にして停止した。
別のものを貫くことで、阻まれた。
「片腕を捨てたか」
額の代わりとして魔人が差し出したのは片腕だった。
ゆえに即座に切り落とし、その腕を刎ねる。
片腕を支払い、報酬として魔人は俺から距離を取った。
「油断は……ない」
夥しい量の血を患部から流しながら、魔人は呟く。
「慢心も……ない。なぜ、勝てない」
言いながら、魔人は失った片腕を復元する。
もっともそれは再生ではなく、再現だ。
魔術によって患部から影の腕を生やしたに過ぎない。
刎ねた腕は、まだ俺たちの間で横たわっている。
「もう、終わりにしよう」
いまので魔人の力量は計れた。
単純な斬り合いでも優位に立てる。
この状態の俺なら十分に勝てる。
慎重を期すのはもう止めだ。時間をかけている暇もない。
傷だらけのカリンを背負って、医務室に連れて行かなくちゃあならないからな。
「――其は我がうちに潜む者」
口ずさむ。
「――月に狂え」
互い同時に。
「影法師」
名を呼んだ。
「三月兎」
飛び跳ねる。
地面を、木の幹を、空中を、駆る。
魔法を身に宿し、狂ったように跳ね回る。
一刀一殺。
一跳一殺。
跳ねるたび、振るうたび、影法師の数が減る。
次々と絶え間なく現れては消える影の軍勢は、もはや障害たり得ない。
ただの一度も止まることなく斬り進み、そして大きく跳ねて魔人の頭上を取る。
空中を足場にして最後の跳躍を行い、真下の魔人に斬りかかった。
「なめるなッ」
落下の最中、影法師を周囲に配した魔人は、空に向けて剣先を向ける。
このまま落ちれば串刺しになる。だが、そんなことはどうだっていい。
回避も、防御も、する必要はない。
ただ真っ逆さまに落ちればいい。
「――ぐッ、あぁッ!」
突き刺さる。
何十という刃に貫かれる。
だが、たしかに間合いに魔人を捕らえた。
「な――に」
天より落ちた刃は、雨のように魔人を討つ。
突き放った剣先は、今度こそ、たしかにその額を貫いた。
「悪い……な。吸血鬼は……この程度じゃあ死なないんだ」
頭蓋を穿たれて倒れていく魔人から、ずるりと刀身が抜ける。
べったりと血糊が付いた刀身から雫がしたたり、地に落ちてはじける。
生命そのものであるかのように。
「あぁ、くそ。いってぇな、ちくしょう」
魔人が死んだことで、影法師も霧散した。
傷口を貫き、そして塞いでいた得物も消え、患部から血が流れ始める。
いくら吸血鬼化したとはいえ、この出血量は辛い。
まぁ、辛いだけで、苦しいだけで、これが原因で死ぬことはないのだけれど。
「さっさとカリンを迎えにいかない……と?」
血で足跡を刻み、進もうとして、足が止まる。
視線の先に、いま迎えに行こうとした人物が見えたからだ。
「まったく……待ってろって言ったろ」
「生憎と、こらえ性がなくてさ……倒したんだな、魔人」
足下に横たわる魔人の亡骸を見て、カリンは言う。
俺が刻みつけた咬み傷を押さえながら。
「手痛い反撃を食らったけどな」
「でも、生きてる」
「あぁ、なんとかな」
人間なら致命傷だ。
吸血鬼でも重傷には違いない。
「もうすぐ、誰かが駆けつけると思う。さっき信号弾を撃っておいたんだ」
「そうか。じゃあ、すこし休ませてもらう」
近くの木の幹にもたれかかり、傷の治癒に専念する。
未だ俺は吸血鬼だ。意識を向ければ、治癒を早めることくらいはできる。
「……殺すなら今だぞ。カリン」
吸血鬼。
それは人類の敵でもある。
魔獣と同じく駆除対象だ。
いまの俺はまともに動けないし、ある程度、回復したカリンなら止めを刺せる。
「私は……そんなに恩知らずじゃない」
「恩に着せたつもりなんてないがな。血、もらったし」
「それでも死なずに済んだのは、コクトのお陰だ。だから、黙っておくよ、このことは」
にっとカリンは笑う。
「悪い奴じゃなさそうだしな」
「……そうかい。なら、命拾いしたな、俺」
すこし笑って、傷が痛んだ。
そうして、しばらくして仲間が駆けつけ、魔人の襲来と駆除は明るみになる。
ただ吸血鬼の存在だけが、闇に溶けたまま。
序章はこれにて終了です。
次からは新章が始まります。